鼻
芥川龍之介/カクヨム近代文学館
五十歳を越えた内供は、
内供が鼻をもてあました理由は二つある。──一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。第一飯を食う時にもひとりでは食えない。ひとりで食えば、鼻の先が
池の尾の町の者は、こういう鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない(僧籍にある)ことをしあわせだと言った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者さえあった。しかし内供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻に煩わされることが少くなったとは思っていない。内供の自尊心は、妻帯というような結果的な事実に左右されるためには、あまりにデリケイトにできていたのである。そこで内供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の
第一に内供の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。これは人のいない時に、鏡へ向かって、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心にくふうを凝らしてみた。どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心ができなくなって、
それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。池の尾の寺は、
最後に、内供は、内典
内供がこういう消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的に鼻の短くなる方法を試みたことは、わざわざここに言うまでもない。内供はこの方面でもほとんどできるだけのことをした。
ところがある年の秋、内供の用を兼ねて、京へ上った弟子の僧が、
内供は、いつものように、鼻などは気にかけないというふうをして、わざとその法もすぐにやってみようとは言わずにいた。そうして一方では、気軽な口調で、食事のたびごとに、弟子の手数をかけるのが、心苦しいというようなことを言った。内心ではもちろん弟子の僧が、自分を説き伏せて、この法を試みさせるのを待っていたのである。弟子の僧にも、内供のこの策略がわからないはずはない。しかしそれに対する反感よりは、内供のそういう策略をとる心もちのほうが、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであろう。弟子の僧は、内供の予期通り、口をきわめて、この法を試みることを勧めだした。そうして、内供自身もまた、その予期通り、結局この熱心な勧告に聴従することになった。
その法というのは、ただ、湯で鼻をゆでて、その鼻を人に踏ませるという、きわめて簡単なものであった。
湯は寺の湯屋で、毎日沸かしている。そこで弟子の僧は、指も入れられないような熱い湯を、すぐに
──もうゆだった時分でござろう。
内供は苦笑した。これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは気がつかないだろうと思ったからである。鼻は熱湯に蒸されて、
弟子の僧は、内供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯げの立っている鼻を、両足に力を入れながら、踏みはじめた。内供は横になって、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下に動くのを眼の前に見ているのである。弟子の僧は、時々きのどくそうな顔をして、内供のはげ頭を見下しながら、こんなことを言った。
──痛うはござらぬかな。医師は責めて踏めと申したで。じゃが、痛うはござらぬかな。
内供は首を振って、痛くないという意味を示そうとした。ところが鼻を踏まれているので思うように首が動かない。そこで、上眼を使って、弟子の僧の足にあかぎれのきれているのをながめながら、腹をたてたような声で、
──痛うはないて。
と答えた。実際鼻はむずがゆい所を踏まれるので、痛いよりもかえって気もちのいいくらいだったのである。
しばらく踏んでいると、やがて、
──これを
内供は、不足らしく頰をふくらせて、黙って弟子の僧のするなりに任せておいた。もちろん弟子の僧の親切がわからないわけではない。それはわかっても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。
やがてこれが一通りすむと、弟子の僧は、ほっと一息ついたような顔をして、
──もう一度、これをゆでればようござる。
と言った。
内供はやはり、八の字をよせたまま不服らしい顔をして、弟子の僧の言うなりになっていた。
さて二度目にゆでた鼻を出してみると、なるほど、いつになく短くなっている。これではあたりまえの鍵鼻とたいした変わりはない。内供はその短くなった鼻をなでながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、きまりが悪そうにおずおずのぞいてみた。
鼻は──あの
しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかという不安があった。そこで内供は
ところが二、三日たつうちに、内供は意外な事実を発見した。それはおりから、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍が、前よりもいっそうおかしそうな顔をして、話もろくろくせずに、じろじろ内供の鼻ばかりながめていたことである。それのみならず、かつて、内供の鼻を
内供は始め、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。──もちろん、中童子や下法師がわらう原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じわらうにしても、鼻の長かった昔とは、わらうのにどことなくようすがちがう。見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻のほうがこっけいに見えるといえば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。
──前にはあのようにつけつけとはわらわなんだて。
内供は、
──人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。もちろん、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬけることができると、今度はこっちでなんとなく物足りないような心もちがする。少し誇張して言えば、もう一度その人を、同じ不幸におとしいれてみたいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対していだくようなことになる。──内供が、理由を知らないながらも、なんとなく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。
そこで内供は日ごとにきげんが悪くなった。二言目には、誰でもいじわるくしかりつける。しまいには鼻の療治をしたあの弟子の僧でさえ、「内供は
内供はなまじいに、鼻の短くなったのが、かえって恨めしくなった。
するとある夜のことである。日が暮れてから急に風が出たとみえて、塔の
──無理に短うしたで、病が起ったのかもしれぬ。
内供は、仏前に
翌朝、内供がいつものように早く眼をさましてみると、寺内の
ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、ふたたび内供に帰って来たのはこの時である。
内供はあわてて鼻へ手をやった。手にさわるものは、
──こうなれば、もう誰もわらうものはないにちがいない。
内供は心の中でこう自分にささやいた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
(大正五年一月)
鼻 芥川龍之介/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます