トポロギの島

太刀川るい

トポロギの島

この世で最も悲しく美しい終末とはなんだろうかと聞かれた時、私は南太平洋諸島のとある島を思い出す。


大海原に浮かぶ、小一時間で回れそうな小さな島の話だ。

島はサンゴでできていて、近くの島までは外洋カヌーでも数日かかる。そんな島だ。


1000年ほど昔、そこにポリネシア系の人々がたどり着き、小規模な集落を作り上げた。島は交易のルートに位置していて、数世代にわたって定期的に人が訪れ、あくまでも南太平洋諸島の孤島の水準ではあるが、それなりに栄えていたらしい。


だが、ある時期から島は交易ルートから外れてしまった。理由はわからない。長過ぎる航海が割に合わなくなったのかもしれない。それとも、交易のためのカヌーを出す村で異変があったのかもしれない。例えば伝染病の蔓延や、津波で集落が滅びたなどということもあったのかもしれない。今となっては分からないが、少なくとも考古学的な証拠は、その島に訪れる人間が、ある時点から途絶えたことを示している。


だが、その島の住民は死んでいなかった。


訪れる人もいなくなり、その島のことを知るものが息絶えても、島の住民は生き続けた。最後のカヌーが訪れてから、少なくとも100年の間、この小さな島でひっそりと生きていた人々がいた。


島の住民は外に出ることができなかった。島にはカヌーを作れるような背の高い木はなかった。カヌーはすべて島の外からやってくるもので、作るものではなかった。


島の最後の住民のことを考えると私はいつも胸が苦しくなる。外部との接触を取られて数世代。祖父の世代ですら、この小さな島の事しか知らない人間だ。男だったのだろうか、女だったのだろうか。他の人間が滅び、一人ぼっちになってから、一体何年生きていったのだろうか。


いつか、カヌーが戻ってくると考えていたのだろうか。毎日浜辺に行き、水平線に目を凝らしては肩を落として帰っていったのだろか。いや、外の世界自体を知らなければ、絶望自体しないのかもしれない。外の世界は神話や伝説の類で、本当は存在しないおとぎ話だと思っていたのかもしれない。


一人ぼっちのその人が、見る夕日は綺麗だっただろうか。水に映る自分以外の姿を長らく見ていないその目には、目の覚めるような南国の美しい海はどう映ったのだろうか。


最後の一人は一体どんな言葉を喋っていたのだろうか。いや、一人しかいないのだから言葉を使う必要などない。となると言葉すら忘れてしまったのだろうか。


■■■■


トポロギの島の話を聞いた時、私は新しいヨットを試していた。

白磁の様に真っ白なヨットは熱帯の風をうけ、滑るようにコバルトブルーの海を疾走していく。外洋を航海できるほど大きなヨットではないが、始めたばかりの私にはその大きさが丁度良かった。

何度かターンを繰り返していくうちに、私はすっかり気が大きくなって、よし、この新しいヨットで遠出をしてみよう。と思い立ち、早速港に帰ると、話を持ちかけてみることにした。


「ヘイブラザー、今日はどこに行く予定だい?」

サングラスをかけて、日に焼けた男が南国特有の笑顔を浮かべて私を出迎える。西洋人なのか、東洋人なのか、ポリネシア人なのか、さっぱりわからない。胡散臭いと言えばそうだが、南国の観光地なんてそんなものだ。色んな場所から人がきていて、だれもそれを気になどしない。

「実は、少し遠出したいと思っていてね」

「それだったらいくつか良いところがあるね。私もついていきます。初心者でも大丈夫。今はナビや衛星電話だってあるから何が起きても大丈夫よ」


男はそういいながら、数枚の海図をカウンターの上に広げた。

しわくちゃで陽に焼けた地図の上には、マジックペンで○がいくつかかかれている。おすすめの所なのだろう。地図には、印刷された写真が添えられていて、なかなか見ごたえがある。

いくつかの島を目で追っていった時、ふと、気になる島が目に入った。

「この島はどうだい? 少し離れているが、ヨットのテストには都合がよさそうだ」


その瞬間、男の表情が変わった。

「いやいやいや、その島はまずいですよ」

「なぜだい? 私有地なのかい?」

「いや、そんなことはないです。国の土地ですよ」

「だったら、自由に入れるんじゃないのかい?自然保護区とか?」

「そういうわけでもないんですけれどね」


男の歯切れの悪い態度に、私は興味を引かれた。島は地図の外れにあって距離はあるが、同じぐらい距離の離れた島は他にもある。

大体ここは内海だから、どの島も対して離れてはいない。

「じゃあ、何が問題だと言うんだい?」

「その島は、やめましょう。少なくとも私は絶対に行きません」


男は石仏のような無表情でただそう言った。言葉こそ穏やかではあるが、反論を許さない。そんな口調だった。男の声に若干の恐怖を感じ取り、私はますます興味を惹かれた。この島には一体なにがあると言うのだろう?


それから数日、私はさり気なくいろいろな場所でその島のことを調べた。どの住民もその島のことになると口をつぐんだ。どうやらその島は恐れられているらしい。しかし、その島に行ったことのある人間は誰一人いなかった。


興味深いのが、禁足地。というわけではないことだった。私が行くこと自体は誰も止めはしない。ただ、猛烈にその島の事を恐れていて、一緒にいくことは絶対に拒んだ。


島には名前がなかった。名前を呼ばれることすら恐れられているようだった。ただ、「トポロギの島」という言葉は数人の人間から聞くことができた。

意味は彼らもわかっていない。「トポロギ」は所有格で「島」にかかっているから、どうやらトポロギという何かがその島の主らしいこと、トポロギは島自体の名前ではないこと程度は解るが、そのトポロギというのが何なのか、誰も知らなかった。


驚いたことに、その島には地図がなかった。測量のために上陸したこともないらしい。もっとも、この国の場合、広大な島嶼部を地道に測量するのは非常に難しい。国土を丹念に測量する前に、航空機の時代が来たので、島の形状は性格だが、その中の地形などの情報は一切わかっていなかった。


私はますますその島に惹かれた。もしかしたら、ここは未踏地ではないのだろうか。そんな馬鹿な。月の上まで足跡が残っているこの時代、この惑星の上で人類が足を踏み入れたことのない場所などあるわけがない。それもこんな観光地の近くで。そう理性が囁くが、いくら調べても、その島に行ったことのある人間は見つからなかった。


もしかしたら、こういうことなのかもしれない。かつてその島は、宗教的な由来かなにかで禁足地であった。しかし、時代が進み、観光地化され、新しい住民が住み着くようになってからはその由来も忘れられ、ただ気味の悪い場所という忌諱感だけが残った。そう考えることもできるのではないだろうか。


島に渡る上で法律上の問題は何もなかった。他の島と同じ様に渡ることができる。だが、だれも渡りたがらない。だから島のことを知っている人間は誰もいない。なのに、皆が島のことを怖がっていた。


私は決心を決めた。あたらしいヨットの試験航海はここにしよう。そしてここに何があるのか、この目で見てこよう。そう決意すると、私はすぐに出港の準備を整えた。


■■■■■


焼け付くような日差しの下、青い海の中にトポロギの島は絵葉書のようにくっきりとその姿を表していた。

液体になった宝石のような海の色に、鬱蒼とした熱帯の緑が映えて、そのまま切り抜いて一枚の絵画になりそうな美しさがある。


朝に出港してからほぼ一日。かなりの距離を渡ってきた。水平線にはまったく島影が見えない。苦労の割には拍子抜けするぐらい何の変哲もない島だった。


島の周りにはサンゴ礁が広がっている。船をぶつけないようにして回っていると、砂浜になっている入江を見つけた。早速ヨットを回すと、アンカーで固定した。


入江で沈没船の残骸を見つけた。どうやらここは未踏地ではなかったらしい。まるで海賊船のような古びた残骸だ。子供の頃に探検モノの本を呼んで、未踏地に憧れていた私としては少し残念だが、驚くほど透明な水を通して見える木片や金属片は、まるで遠い過去を覗き込んでいるようで、これはこれでなかなか良いみものだった。


ゴムボートにキャンプ用品を積むと、島に向かった。海水は丁度良い温度で、オールを漕ぐたびにキラキラとした粉末になって宙を舞った。私はすっかり気分を良くして、砂浜に近づき、そして、島への第一歩を踏み出した。


驚くほど静かな島だった。波の音すら穏やかで、不気味なほどだった。海岸沿いには塩害に強い蔦のような植物が生えていて、その後ろは鬱蒼とした草木が生え茂り、踏み入ることは難しそうだった。ゴムボートを砂浜に引き上げると、私は島を少し散策した。といっても、藪の中には入れないので、砂浜を移動するだけだった。島は、航空写真を元に作られた地図の通り、大した大きさはなかった。


島を半周した所で、おかしなことに気がついた。静かすぎるのだ。熱帯の森林にあるあの鳥や虫が出す、都会の雑踏のような雑音が、一切聞こえない。まるで森全体が眠っているようだ。こんなことはあり得るのだろうか? そう考えると無性に不気味に思えてきた。虫はまだしも、鳥がやってこないなんてことが、あるのだろうか?


じっと島の中心に広がる森に目を凝らした。森の中は暗く、木々が風に揺れているが、それ以外の動きは見えなかった。それが猛烈に不気味だった。


自然と私の足は早まった。一人で来るべきではなかったかもしれない。せめて私のような人間をもう一人連れてくるべきだった。ばかな、落ち着け。虫のの声が聞こえないだけでなぜそんなに怖がる必要がある?たまたま、この島には虫がやってこなかっただけかもしれないじゃないか。そう自分に言い聞かせても、どこか、作り物の世界を歩いているようなそんな感覚がまとわりついて離れなかった。


はやく、あの入江に戻ろう。私がそう考えて、一段と速度を上げた時、私は思わず叫び声を上げて、立ち止まった。


一人の少女がこちらを覗き込んでいた。


■■■■


少女、いや、少女という年は越しているのかもしれない。その人物は、暗い森の中からこちらを見つめていた。その目にわたしはぞっとした。少女の目はまるで子供が捉えた虫でも見るかのような、好奇心と残酷さの入り混じった目だった。同種の人間を見る目ではない。まるで未知の惑星の生き物をみたような目だった。そんな目をしている人を私は今まで見たことがなかった。


少女は数本の草をよじった紐のようなもの以外は、何も身に着けていなかった。肌は日に焼け、かなり黒い。ほとんど完全に全裸だったが、恥ずかしいとは思っていないようで、隠す素振りもなく、私をただじっと見つめていた。


その様子があまりにも平然としているので、私のほうがおかしいのではないかと思ってしまうほどだった。私は慌てて、事情を説明しようとした。この島にやってきたただの旅行者だと。しかし彼女はキョトンとした目でこちらを見ているだけだった。


言葉がわからないのだろうか。そこまで考えた所で私は一つの可能性に思い当たった。もしかしたら、この人は漂流者なのではないだろうか?

この島は地元の住民から避けられている。島に来る人は皆無だ。もしこの島に漂着してしまえば、助けは来ない。この少女は、今よりずっと幼い頃この孤島に流れ着き、言葉を忘れてしまうほどの長きにわたってここで暮らしていたのではないのだろうか。


私は覚悟を決めた。もしこの子が漂流者であるなら、助けなければならない。いや、漂流者に違いないのだ。なぜならこの島には誰も住んでいないのだから。

「言葉は……わからないか。きてくれ、ボートがある。君を助けたい」

私は少女に近づくと、その手を取ろうとした。

が、彼女は蝶のように軽やかに私の手を避けると、くるりと踵を返して、森の中にかけて行った。

「まってくれ! 私は君の味方だ」


私はそんなことを口走りながら、彼女の後を追った。

鬱蒼としたジャングルの中にも、よくよく見ると、細い獣道がついている。おそらく彼女が使っているものだろう。足音を頼りに、進むが、獣道はいくつにも分岐していて、すぐに彼女の位置を見失ってしまった。


まずいな。海岸はどっちだったか。

私は、途方に暮れて上を見上げた。鬱蒼とした背の高い草に覆われて空は見えない。あれは、バナナだろうか。植物園でみたことがある。

私はまだ、木を一本も見ていないことに気がついた。これはおかしなことではない。南方の島では、島ごとに植生が違うことはよくある。たまたま木の種子が流れつかなかったこともあるだろうし、過去にやってきた人間が全て木を切り倒して使ってしまったことだってあるのだ。


草木は鬱蒼と絡み合っていて、見通しは殆どない。そして、静かすぎる。

「おーい!」不安になって、思わず声を出したが、その声は森の中に染み込むようにすっと消えてしまった。彼女はどこに行ったのだろう。私は無事に帰れるのだろうか。そんなことを考えていた時だった。


突然、奇妙なものが私の前に姿を表した。ねじれた金属の塊が地面から伸びている。明らかに人工物だ。私は恐る恐る近づいてじっくりと観察する。やがて、それが何であるのか、はっきりと理解した。飛行機だ。それもかなり昔のものだ。ここに不時着したものらしい。乗務員はどうなったのだろうか。コクピットがあったらしき場所には、ガラスの破片などが散乱している。

だが、妙な気配を感じた。何かがおかしい。そうだこの違和感は……


私は、一歩下がると壊れた機体全体を見渡した。違和感の原因ははっきりしている。新しすぎるのだ。まるでつい数日前に落下したばかりのように。

機体は新しく、苔もなにも生えていない。サビも見たところでは見当たらないようだ。


だが、そんなことはありえない。こんな旧式の飛行機が?

じわじわと、私の心に見えなない何かが忍び寄ってくる。

思わず、一歩私が下がったときだった。


「たすけて」


背後から聞こえた声に、思わず全身に緊張が走った。誰だ。どこにいる?今の声は何だ?


「たすけて」

「タスケーテ」


上を見上げた私は、思わず、ほっとした。そこには二羽のオウムが止まっていた。今の声は彼らに違いない。


「なんだい。驚かせて」

オウム相手に意味もないが、とりあえず悪態をついてみる。


「トポロギ」


「え?」


「トポロギ」

「クルヨー」

「トポロギ、トポロギ」


二羽のオウムが発した言葉に私の背中が思わず汗ばむ。

トポロギ、この島に関連する言葉として以前聞いた話だ。いや、それ以前にこいつらはこの言葉を誰から習ったんだ?


「ココカラダシテ」

「カエレナイ」


オウムはなおも続ける。私は思わず後ずさる。

オウムは突然笑い出した。いや、笑い声を真似た。

「アーキャキャキャキャキャキャッ!」という耳障りな声を上げて、二羽は羽を羽ばたかせる。


その瞬間、私は恐怖に駆られ、その場を逃げだした。細い獣道を転びそうになりながら走り続ける。落ち着け、なんの不思議もない。オウムが人間の言葉を真似るのは当たり前じゃないか。きっと、この島に来た別の人から……ああ!私は、それに気がついて更に震え上がった。その人はどうなったのだ?オウムがその言葉を覚えるぐらいに、そいつは同じ言葉を繰り返したのだ。


そして、私もそうなってしまうのだろうか。


だが、運命は私に味方した。突然、目の前が開け、私は砂浜に転がりでた。オウムの耳障りな笑い声がまだ耳の中にこびりついている気がした。

もう駄目だ。帰ろう。そして、この島に人がいたことを、他の人に知らせよう。


砂浜を私は早足で歩く。美しい海の色も、今では美しいとは思えない。私の目には毒々しく狂おしいものに思えた。

どこだ。おかしい。私は目を凝らす。もう島を半周するぐらいは歩いているはずだ。あの入江はどこにあるのだろう。船は一体どこに?


日がどんどん傾いていく。時計を確認したが、あり得ない時刻を指していた。狂ってしまったらしい。何がなんだかわからない。おかしいのは私の方なのか。

入江は見つからない。私は途方に暮れてよろめくように砂浜に腰を下ろす。その時だった。足の下になにか硬いものがある。私は、砂の中に手を突っ込んだ。

白いサンゴのくだけた砂の中から、現れたそれを見て私は驚いた。


私の持ってきた缶詰だ。ゴムボートに乗せて、そのまま浜辺に置いていた荷物の中に入っていた缶詰だ。一体なぜ砂浜に埋まっているのか。

あの少女以外にも、この島には誰かがいて、それが埋めたのだろうか。

缶詰を裏返した時、私はぞっとした。缶詰の裏にはサビが浮かんでいた。

まるで何十年も倉庫にしまっていたようだ。馬鹿な。持ってくる時にこんなサビはなかったはずだ。本当にそうだろうか?記憶違いではないか?不良品を売りつけられたのではないか?


私は急かされるように砂を掘る。缶詰がここにあるなら、他の荷物も近くに埋まっているかもしれない。そうだ。荷物の中に、念のために衛星電話があったじゃないか。あれをつかえば……。


やがて、指先がなにか硬いものにあたり、私は喜びの声を上げて、それを砂の中からひきだした。衛星電話だ。2,3度叩くと、受話器のマイクの所から星の形をした有孔虫の殻がパラパラと落ちていった。

だが、私はすぐに失望した。どのボタンを押しても反応がない。裏返してみると、バッテリーの部分がひどく膨らんでいた。こんな短期間でバッテリーがダメになるなど、聞いたことがない。

電話の下からは、ゴムボートの残骸がでてきた。全てを掘り出すことはできなそうだったが、かなり劣化しているようだった。


まて、ここに荷物があるなら、もしかして、ここがあの入江なのではないか?

私は、周囲を伺った。たしかに海岸の形は微妙に似ている気がする。


私は意を決すると、服を脱ぎ、海に入った。

海水は心地よい冷たさで、透明な海水を通して、随分遠くまで見ることができる。塩水の中で我慢して目を開けていたが、アンカーはどこにも見つからない。切れてしまったのだろうか。ヨットは流されてしまったのだろうか。


目が痛い。もう開けていられない。私は、近くのサンゴ礁に捕まると、息を整えた。その時だった。私は信じられないものを見た。


私の手の下に、なにか文字のようなものが見えた。その文字を読んだ時、私は全身を恐怖で強張らせた。私のヨットの側面に書いてあった船名だった。

私は気がついた。これはサンゴ礁ではない。横倒しになった私のヨットだ。それが貝殻とサンゴに覆われ、サンゴ礁の一部になっているのだ。


船体は完全にサンゴに取り込まれ、動く気配がない。あり得ない。一日も経っていないのに、こんなことがあるわけがない。その間にサンゴが成長し、フェンスを巻き込んで成長する樹木のように船を取り込んでしまうなんて起こり得るわけがない。膝から力が抜けるのが解った。


気がついた時には、私は砂浜でうずくまっていた。どう戻ってきたかは記憶にないが、なんとか戻ってきたらしい。もう陽は沈みかけている。気温は快適で、そのままでも夜を越せそうだったが、今の私にはどうでもよかった。


この島は狂っている。何が狂っているかはわからない。ただ奇妙なことが起こっていることは間違いだった。


その時、顔に暖かさを感じた。ふと振り向くと、そこにはあの少女が立っていた。彼女は超自然的な目で私を見つめている。草を束ねて作った松明のようなものを手にしていて、その光が彼女の顔を怪しく照らし出している。


「なあ、この島は一体何なんだ?」

言葉も通じないのに、私は、そう彼女に訊いた。

彼女は何も言わずに、ゆっくりをその場を離れる。その目線や態度から、私は彼女がついてこいと言っていることを理解した。


彼女は島の中心あたりに私を連れて行った。そこには、石造りの祠のようなものがあり、そこだけ草木が切り払われていた。彼女はそこに座ると、横になった。

私もつられて横になる。気が付かないうちに、ひどく疲れていたらしい。気絶するかのように、私は意識を失って、夢の世界へと入っていった。


変な夢を見た。私は、この島に生まれた時から住んでいる。島の外から来る人はいない。やがて仲間は減っていき、私は一人になる。私は言葉を失う。一匹の獣のように、森の中で生きる。言葉がなくても、祈ることは覚えていた。私は祈る。石造りの異形の神は私を憐れみ、そして、私を生き延びさせる。私はこの島で、永遠に生きる。何度世界が変化しようと、この島はいつまでもここにある。


目が覚めると、少女がバナナを差し出してくれた。全くわからない品種で、甘みはほとんどない。火で蒸し焼きにして食べると、芋のような味がした。


一つ、思いついたことがあった。私はバナナを食べ終わると、高台がないかどうかを探す。祠の近くに地面から隆起したいくつかの岩があり、私はそこに手をかけて一歩一歩上がっていった。そしてその頂上に立った時、私は何が起こっているのかを理解した。


世界は狂っていた。海の波は猛烈な勢いで満ち引きを繰り返していた。太陽は空の一部に張り付いたようにそこから動かない。言葉を失った私の前で、サンゴ礁がゆっくりと成長していくのが解る。海岸線が変化しているのに私は気がついた。この島が沈んでいるのだろうか。いや、海水面が上昇しているのか。波の音も風の音もほとんど聞こえなかった。甲高いようなかすかな音が耳に残る。


私は理解した。そしてその場を後にした。


私は最後の生存者の話を思い出した。交易ルートから外れてしまった島で、その障害を終えた人間のことを。もし、その人間が最後に、生き延びることを望んだら。そしてその祈りが、この島を時の流れから切り離してしまったとしたら……。


そして、私もまたその一部なのだ。切り離されてしまったのだ。


■■■■


私は砂浜に小屋を作った。今がいつなのか、分からない。でも島の中心にいるよりかは時間の流れがまともに思えた。

島には木材がなかった。南洋の島の中には、かつての原住民が、島の木を全て切り倒してしまい、外に脱出するためのカヌーを作れなくなってしまった島があることを思い出した。この島もそうだったのかもしれない。


私は椰子の実を探す。もし、それが漂着したのならば、しばらく待てば大きな木になる。時間が狂っているこの島では、それができる。あとは、その木材を使って筏を作れば良い。だが、果たしてそれがうまく行ったとして、一番近い陸地まで一体どれくらいかかるのだろう。私にそんな航海ができるのだろうか。


そして、外の世界がどうなっているのかも。

難破した飛行機の中から、私はラジオを見つけていた。単純な仕組みのラジオだったが、まだ動く。きっとあの飛行機はほんの数日前に落下したのだ。飛行機の基準ではそうなのだ。パイロットがどうなったかは知らない。海に出て死んだのか。それとも、島の中で狂死したのか。


私はラジオのスイッチを入れる。ラジオには反応がない。聴こえてくるのはいつも無機質な雑音だけだ。人類が電波を出さなくなるなんて事はありえるのだろうか。

私は、海岸線の後退を目にした。またそれがもどってくるのも目にした。何度かの小さな氷河期を私は目にした。今は何世紀で、そして人類はまだ生き残っているのだろうか。


もしも、世界が既に滅んでいるなら、私がここにいる意味は一体何なのだろうか。

この島で彼女と生きていくしか、私には方法はないのだろうか。


波はうち寄せ、またかえす。気の遠くなるほどの時間が、私を飛び越えていく。


世界は美しかった。だが、ここは終末なのだ。

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トポロギの島 太刀川るい @R_tachigawa

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