突撃!トロピカル因習アイランド晩ごはん
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突撃!トロピカル因習アイランド晩ごはん
父さんな、お母さんの島に行ったのは、その時がはじめてだったんだ。
お母さんがなにも言わずに、おまえをつれて故郷の島に帰っちゃってさ。
父さん、いつも通り仕事から帰ったら、マンションの中真っ暗でさ。
お母さんもおまえもいなくてさ、どうしてなのかわからなくてさ、お母さんの残していったスマホから、お母さんが島直通の船を検索したってつきとめたんだ。
お母さんの生まれ故郷の島の名前も、父さん、その時知ったんだよ。
その島は朝に一回しか本州から船が向かわなくて、船で数時間揺られて、やっと島のてっぺんが見えてきたんだ。
小さい島だった。砂浜以外は全部、熱帯の植物に覆われていて……。
まるで日本じゃなかったよ。
あのヤシやシダや、ジャングルにでも生えてるような木々の群がりの中に足を踏み入れようとした時、父さん、ほんとはちょっと帰りたくなったんだ。
なんていうかな。島に着いた時にはもう正午過ぎで、真っ白い砂浜は、青空の太陽の光を反射して、なにも見えなくなるんじゃないかってくらい、眩しかった。
なのに、目の前の森は真っ暗だったんだ。晴れた日の昼間にさ。そこだけ時間を切り取ったみたいに。
日本じゃ見もしないような木が、大量に、密集して……。日の光も入り込めない空間をつくり出していたんだ。
本土からついてこさせたガイドに案内させていなければ、あの森を進むことはできなかった。
でもあの時帰っていれば――……。
あの森の中を歩いている間……。
炎天下を歩き続ける、汗まみれ脂まみれの父さんとガイドに、小さい羽虫の群れがブンブンとずっとつきまとってきて、何度も目に入って、服に食い込んだ。
足元を、なにか冷たい、柔らかいものが通り過ぎてさ。
よろけて掴んだ蔦は粘液まみれで、手がぬめった。
なにより、においがひどいんだ……。
あの島の花や、果実の匂いなんだろうな。
すごく甘ったるい……。鼻の奥までへばりつくような、甘い腐敗臭が、森のむんとした熱気に煽り立てられて、島中に充満してた。
得体の知れない生き物たちの鳴き声と羽ばたく音が、頭の上を飛びかって……。
右も左も、昼なのか夜なのかも、わからなくなりそうだった。
たまに、日の光が地面に差し込んでる場所があったんだ。
強い直射日光に照らされて、地面に落ちてる、濃いピンク色の果物が、腐ってるのが見えた……。そのぐずぐずになった果肉が剥き出しになった部分に、無数にいろんな色の虫がたかって……。
その虫達の下の、その果肉の中に、細長い、白い、管みたいなやつが何匹かいて。 果肉に穴を開けて、そこに住み着いてたんだろうな。
腐ってしまった果肉の表面にある穴の数ヶ所から、そいつらが顔を出して、外へ這いでようと身をのたうち回らせて――……。
あれを思い出すと――……。
ごめんな、こんな話。お母さんの故郷なのにな。
お母さん、そっけなかったよ。
父さん一人おいて、おまえまでつれていなくなったのに、謝罪ひとつなくてさ。
こんな女だったのかって、腹が立った。
ここがお母さんの実家で、義父母の前じゃなければ、説教のひとつはしたいくらいだった。
だいたい、変な家だったんだよ。
お母さんの家だけじゃない、島のぜんぶがさ。
現代のものとは思えない……あれが日本の民家なんてさ……。
伸ばし放題の背の高い雑草や、色のきつい南国の野花に囲まれて、藁葺きの屋根の、みすぼらしい小さな家が点々とあったんだ。
その家々の前に、家の住人らしい派手な布を纏った人達が立ってて、皆、無言で父さん達がお母さんの家に迎えられるのを見てた。
村では、あの森の腐敗臭がましになった。
でもそのかわり、不快なほどの動物臭が漂ってた。
近くで家畜でも飼ってるんだろうな、人間の汗やなんかのにおいと混じって、牧場みたいな……、なにか別の動物の、糞尿のにおいがツンと鼻にきた。
お母さんの家の客間にあがっても、そのにおいはほとんど弱まらなくて、あの悪臭に囲まれながら無自覚そうなお母さんに、ますますいらついた。
あのどぎつい花や果実みたいな極彩色のふざけた飾りが、お母さんの家の柱にはいくつもあった。
はじめて顔を合わせる義父母は、お母さんの後ろで父さんを睨みつけながら、ぶつぶつと訛りの強い言葉をかわしていた。
もう夕方だろうにまだ外は明るくて、蒸し暑くて、汗をだらだら垂らしながら、父さんはお母さんに呼びかけたんだよ。
おまえと一緒に帰ってきてくれって。俺はここまでしたんだからって。
「じゃあ、食べてよ」
ずっと黙ってたお母さんが、そう言った。
父さんとお母さん達の間に、ささくれが目立つ古い食卓があって、その上にみっちり皿が並べられた。
そして、一番大きい皿の上に――……。
蠅がたかった、これまでのなによりひどい悪臭のする、肉がのせられていた。
「これ、本土では見た事ないでしょ?
うちの島にはね、いい豚がいるの。
ずっと昔から島全体で育ててきた品種でね。
本土には肉のくさみが強いからって相手にされなかったけど、長いあいだ島の皆の命を支えてくれた島の宝として、大切に育ててるんだよ。
その豚の生肉を、乳に漬けて、ヤシの葉で巻いて発酵させたもの。
くさい?食べたくないよね、豚の生肉だもん。生で食べたら病気になるんでしょ?」
「でもね、うちでは皆食べてるんだよ。
島の皆が、これをつくって食べてる。島の伝統の味なの。
すごくおいしいんだよ。
皆食べてるけど、誰もこれを食べて死んだり病気になんてなってないから。
TVも、ネットも、みほちゃんママも、死ぬとか病気になるとか言ってたのにね。」
義父母が食卓の料理を素手で掴み、慣れた手つきで口に運び出した。
蠅がその羽を休めた、果物の輪切り、瓜を炒めたようなもの、黄色と黒の縞模様の魚の切り身、明るい紫色の糠漬け、糸を引く汁物、そして豚の生肉を、次々手でむしり取り、くちゅくちゅと音を立て咀嚼していった。
ずっと、父さんを睨んで。
父さんの方が、異常なんだって言うみたいに。
「私、あなたと結婚するまでは、この島がずっと恥ずかしかった。
本土の人にくさいって笑われるような豚なんか育ててって。
老人ばっかりのこの島は、なにもかも前時代的で、古臭い風習にとらわれてるんだって、憎んでもいた。
本土がずっと眩しかった。きっと楽園なんだろうって憧れてた。
だから、皆が止めるのも聞かずに本土に就職した。
あなたと結婚した時、やっと島の人間じゃなくなるって嬉しかった。」
「行かなきゃよかった。」
「あなたは私の訛りをなおせって言うようになったよね。
付き合ってた時は一度も言わなかったのに。何度も。」
「箸の持ち方がおかしいって。箒の掃き方が変だって。掃除機の使い方がなってないって。洗濯物の干し方が違うって。風呂場に洗い残しがあるって。」
「ご近所さんとの挨拶の仕方が変だって。悪趣味な色の服捨てろって。夜泣きさせるなって。部屋が散らかってるって。乳離れが遅いって。」
「おかしいのはあなた達の方なのに。」
汗くさく、泥くさくなって、髪もだらしなく束ねた情けない姿のお母さんが、以前とは人が変わったみたいに、父さんにまくしたてた。
「みほちゃんママがうちに来た時、私の料理を見て言ったの。
『虫が入ってる』って。『食べれない』って。
虫が入ってたらなんなの?」
その時、父さん見たんだ。
皿に盛られた豚の生肉の繊維の中で、あの細長い、白い、管みたいな――、幼虫みたいなものが、身をよじってうねっていた。
「魚のおなかの中にも、カマキリのおなかの中にもいるし、生き物の中に虫がいるって当たり前のことだよね。
自然なことじゃない?なんで食べれないの?なになら食べれるの?本土の人は。」
うだるような蒸し暑さと、植物と動物の異臭、つきつけられた生肉の発酵臭、それを手と口から汁を垂らしながら貪る老人、目を刺すような色彩、群がる虫、耳障りに飛び回る虫の羽音、お母さんの声。
ぜんぶが一気に押し寄せて、頭がぐらぐらした。
我慢できなくなって、膝元に吐いたんだ。
お母さんの手料理。
結婚してから、もっと勉強しろと言ってろくに手を付けなかった、お母さんの手料理――……。
「食べれないんでしょ?」
震える体を支える手の甲に、大きな蚊がはりついた。
お母さんに会ったのは、それが最後だった。
父さん、おまえと一緒にガイドと船で逃げた。
あれを見ていたガイドは、父さんが…………。お母さん達の目を盗んで、おまえをつれてきたこと、なにも言わなかった。
本州の人間だから、同じ日本人だから、わかってくれたんだ。
それからは、おまえもよく知ってるよな。
父さんは一人でおまえを育てた。
片親でもおまえが不自由ないように、父さん、一所懸命やったんだよ。
でもさ。
おまえ、最近、体痛いって言ってただろ。
めまいもするって。
これ、おまえのレントゲンと、MRI検査の画像だ。
全身に、細長い……、白い……、管みたいなのが、たくさんあるだろ?
頭の方にも、目にも……。
ぜんぶ寄生虫なんだ。
父さん、おまえに、お母さんがなにを食べさせてたか知らなくて……。
何度も治療したんだ。でも、全部は取り除けないんだそうだ。
おまえと一緒におまえの中で、こいつらがどんどん育って、殖えていくんだよ……。
あの女のせいでどれだけ治療費がかかったか……。
あの時あのまま帰っていれば……俺は――……。
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