名言メモ

 簡単だよ。友達になるの、すごく簡単。

 名前を呼んで。


 初めはそれだけでいいの。

 君とか、あなたとか、そういうのじゃなくて。

 ちゃんと相手の眼を見て、はっきり相手の名前を呼ぶの。


 私、高町なのは。なのは、だよ!


(引用/アニメ『魔法少女リリカルなのは』高町なのは)


■だって、しょうがないじゃないか! 現実のあいつらは、いつも表層的で中身のない空虚なコミュニケーションを繰り返すばかり。君のように嘘や欺瞞を持たない人間なんて、僕の周りには誰一人いやしなかったんだ! ……いやしなかったんだよ、なのは。




 私も大人になったら、大人になるのかなぁ。


(引用/アニメ『けいおん!!』平沢唯)


■ずっと問い続けていること。




 私は自分なんて何のとりえもない人間だと思ってた。

 ずっとこのまま、誰のためになることも何の役に立つこともできずに、最期さいごまでただなんとなく生きていくだけなのかなって。


 それは悔しいし寂しいことだけど、でもしかたないよねって、思ってたの。


(引用/アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』鹿目かなめまどか)


■何者にもなれない君へ。



 

[ノベルゲーム]


 ボクのこと忘れないでください。


 冬休みが終わって、自分の街に帰ってしまっても、時々でいいですから、ボクのことを思い出してください。


 そして……雪の街で変な女の子に会ったなぁって、それだけでもいいですから忘れないでください。


(引用/ノベルゲーム『Kanon』月宮あゆ)


■約束したんだ。俺にできることだったら何でも叶えるって。




 これをどう使うかは、あなたの自由。


 ただお金を稼ぐためだけに、人形を動かしてもいい。

 旅をやめてしまってもいい。人形を捨ててしまってもいい。


 空にいる女の子のことは、忘れて生きていってもいい。

 でもね、往人ゆきと……。きっと思い出す時がくる。


 あなたの血が、その子と引き合うから。

 どこかの町で、あなたはきっと女の子に出会う。


 やさしくて、とても強い子。

 その子のことを、どうしても助けてあげたいと思ったら……。


 人形に心をめなさい。


(引用/ノベルゲーム『AIR』往人の母)


観鈴みすずルートってすごく特別なもので、それは美凪ルートにおいてみちるが消えてしまうことや、佳乃ルートにおいてバンダナが外されることにも象徴されます。二人のルートでは、あくまでも空にいる少女の夢から覚めることに主眼が置かれている。言わば、良心的なエヴァみたいなものです。でもその先には、たとえ現実を選んでも現実「からは」選ばれない者の、魂の物語があって……。




 人って、幸せになるためにどれだけの努力が許されるのかなぁ?

 だからね、私。ぃちゃんの部活って好きなの。


 ……ほら、優勝のためには何でもしようっていうの。

 そういうのって、素敵だと思うの。


 ……だって、世の中が綺麗事だけで縛られてて、やっていい努力がわずかだけに決められていたら、

 ……幸せじゃない人たちは、ますます幸せを勝ち取れなくなっちゃうじゃない?


(引用/ノベルゲーム『ひぐらしのなく頃に解』竜宮レナ)


造悪無碍ぞうあくむげ




 この学校は好きですか?


 私はとってもとっても好きです。

 でも、何もかも変わらずにはいられないです。


 楽しいこととか、うれしいこととか、ぜんぶ。

 ぜんぶ、変わらずにはいられないです。


 それでも、この場所が好きでいられますか?


(引用/ノベルゲーム『CLANNAD』古河渚)


■何もかも変わらずにはいられない世界を、「変わらずにはいられないまま」好きでいることは本当に難しい。だから人は、次の「楽しいこととか、うれしいこと」を次々見つけて、生の無意味さを誤魔化しながら生きていくしかないのかな。




 ずっと、ずっと好きでしたよ。


 リキが他の誰かのことを好きだったとしても……。 

 私はあなたのことが大好きだったでしょう。


 いつかどこかで、ふとしたきっかけが無ければ私は失恋していたかもしれないですけど。


 それでもきっとあなたのことが大好きだったでしょう。


(引用/ノベルゲーム『クドわふたー』能美クドリャフカ)


■僕も大好きだよ、クド。




[小説]


 しかし私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。


 私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎むことを覚えたのだ。


(引用/夏目漱石の小説『こころ』先生)


■ペシミズム。




 最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである。


(引用/芥川龍之介の童話『河童』阿呆の言葉)


■シニシズム。




 僕もうあんな大きなやみの中だってこわくない。

 きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。


 どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう。


(引用/宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』ジョバンニ)


■カムパネルラの死を自らのこととして引き受け、思い出とともに菩薩道を進んでいくジョバンニ。でもその時、カムパネルラの自己犠牲に命を救われた、彼を死なせてしまったザネリはどうなるんだろう? いじわるなツンデレ「少女」ザネリも、本当はジョバンニのことが好きだったのだと僕は思う。




 範宴は振り向きもしない。ただこの山の人間と黒谷の人々との持っている心の平常にいちじるしい差をすぐに感じただけであった。


 かほど森厳な自然と、千年の伝統をもっている壇には、なんらの仏光を今日の民衆にもたらさなくて、市井の中のささやかな草庵の主から、あのような大道が示されているのは、何という皮肉であろうと思った。


(引用/吉川英治の小説『親鸞』範宴)


■非僧非俗。




 俺、本当のことが知りたくなった。この世界でなにが起こってるのか。

 どうして俺はこっちの世界にやってきたのか。そして、俺にできることはなんなのか。


 なにが正しいのか。正しくないのか。


 俺はもう、そういうのから逃げない。

 俺にはわからないだの、バカだからだの、理由をつけて投げ出したくないんだ。


(引用/ライトノベル『ゼロの使い魔』平賀才人)


■菩提心。ちなみに僕は『烈風かぜの騎士姫』の冒頭にある「怖くないんですか? あんなに深い闇が見えるのに! もし、落ちたらって! 怖くならないんですか!?」という台詞を、お浄土にったら聞いて回ろうと思っています(少年の心でさ……)。




 ……ねえ、あなた友達一人もいないでしょう。

 クラスでは孤立してますよね。


 自分が特別な存在で、他の下等生物とは違うって信じてる。

 周りを見下して、自分の無能と孤独を人のせいにして、物語の世界に逃避している。


『――ああ、今この教室がテロリストに襲われたなら、自分に隠された闇の力が覚醒して、襲撃者を皆殺しにしてクラスの蒙昧もうまいどもを助けてやって』


 ――授業中、うつろな瞳で頬杖をつきながら、そんなことを考えていませんか?


(引用/ライトノベル『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』伊織・F・刹那)


■学生時代、僕は百パーセント同じことを考えていました。




 現世とはいつもこうだ。


 いそうもない美しい少女をやっと見つけたと思った時には、すでに貴様のような下品で女に手が早いだけのつまらぬ男が虫のようにたかって少女の美を穢している……余が風雅に少女を愛でているうちに、盛りのついたサルに花を散らされて台無しにされてしまうのだ!


(引用/ライトノベル『織田信奈の野望』朝倉義景)


■リア充は死ね!




[その他]


 観念という言葉が、通常は物を表すために使われないので、普通ではないように聞こえることは認めますよ。


 私がその言葉を使うのはね、その言葉には、心との必然的な関係が含まれると理解されているからですよ。


 それでね、その言葉は、今は哲学者によって、知性の直接の対象を示すために普通に用いられています。


 でも、言葉の上でどれほどその命題が奇妙に聞こえたとしても、その意味にはそれほど奇妙で衝撃的なものは何も含まれていないのですよ。


 そして、その意味とは、結果的に次のようなものでしかありえません。


 つまり、知覚するものと知覚されるものがあるだけだということなのです。


 または、あらゆる思考しないものは、必然的に、そして、その存在のまさに本性から、ある心に知覚されているということにね。


(引用/バークリーの対話篇『ハイラスとフィロナスの三つの対話』戸田剛文訳)


■唯心論。




 すべて俗物どもの大きな悩みは、理想によって慰められることがなく、退屈から逃れるのに必ず現実を必要とする点である。


(引用/ショーペンハウアーのエッセイ『幸福について――人生論――』橋本文夫訳)


■腐れ一般人ども。




 悠々たるかな天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯しょうくを以てこの大をはからむとす。

 ホレーショの哲學つい何等なんらのオーソリチィーをあたいするものぞ。


 萬有ばんゆう眞相しんそうだ一言にしてつくす、いわく、「不可解」。


 我このうらみを懐いて煩悶、ついに死を決するに至る。

 既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。


 始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。


(引用/藤村操の遺書『巌頭之感がんとうのかん』Wikipediaより)


■煩悶青年。




 この話をしたる老女は熱心なる念仏者なれど、世の常の念仏者とは様かはり、一種邪宗らしき信仰あり。


 信者に道を伝ふることはあれども、互ひに厳重なる秘密を守り、その作法につきては親にも子にもいささかたりとも知らしめず。


 また寺とも僧とも少しも関係はなくて、在家の者のみの集まりなり。

 その人の数も多からず。辷石はねいしたにえといふ婦人などは同じ仲間なり。


 阿弥陀仏の斎日には、夜中人の静まるを待ちて会合し、隠れたる室にて祈禱きとうす。

 魔法まじなひをよくするゆゑに、郷党に対して一種の権威あり。


(引用/柳田国男の民話集『遠野物語』七一)


■隠し念仏。




 その如くに童貞者にあるまじりなき憧憬は青春の幸福の本質をなすものであってひとたび女を知るならば、もはや青春はひび割れたるものとなり、その立てる響きは雑音を混じえずにはおかなくなる。


 そしてそれは性の問題だけでなく、人生一般の見方に及ぶのである。


 いかなるイデアリストの詩人、思想家も、彼が童貞を失った後にそれ以前のような至醇なる恋愛賛美が書けるはずはない。


(引用/倉田百三のエッセイ『学生と生活 ――恋愛――』青空文庫より)


■プラトンが言うように、女性経験が豊富なリア充の書く恋愛は、どうしても現実恋愛の模倣(ミメーシス)になってしまう。しかし、我々童貞は女性経験が少ないからこそ、現実を超越したイデア(理想)を書くことが可能なのであり、「現実女を経験してこそ美しい恋愛が書ける」などというリア充的発想は、まったくもってナンセンスであるっ!




<わたし>たちが宗教を信じないのは、宗教的なもののなかに、相対的な存在にすぎないじぶんに眼をつぶったまま絶対へ跳び超してゆく自己欺瞞をみてしまうからである。


(引用/吉本隆明のエッセイ『最後の親鸞』)


■近所のファーストフード店で市井しせいのスピリチュアルおばさんが、取り巻きに向かって大声で宗教的な話をしていて、周囲の客から白眼視されているのをよく見かけます。両手に大量の買い物袋をぶら提げながら去ってゆく、その小汚いエプロン姿のあまりの俗物っぷりに、僕は「相対的な存在にすぎないじぶんに眼をつぶったまま絶対へ跳び超してゆく自己欺瞞」を見てしまうわけです。




 そして、人間に関するもろもろの問題を説明し得る理論の出発点は、わたしの考えによれば、一つしかない。


 それは、他のところですでに繰り返し述べたように、人間が現実を見失った存在であるということである。


 現実を見失った人間は、おのおの勝手な私的幻想の世界に住んでおり、ただ、各人の私的幻想を部分的に共同化して共同幻想を築き、この共同幻想をあたかも現実であるかのごとく扱い、この擬似現実を共同世界としてかろうじて各人のつながりを保ち、生きていっているに過ぎない。


 したがって、われわれが現実と信じているところのもの、われわれの日常性は、つくりものでしかなく、それを支える確実な根拠は何もない。


(引用/岸田秀のエッセイ『ものぐさ精神分析』)


■唯幻論。




 仮に僧侶と超人の間に何らかの差異が存在するとしたならば、それは己の創作した価値の捏造性に自覚的であることだ。


 己がでっちあげた幻想に心底のめり込みつつ、なおかつその幻想がただの幻想に過ぎないことを常に自覚して生きる――つまりこれこそが真の『超人』の超人的ライフスタイルなのだ。


 だから私は幻想の君を、いついつまでも愛しているよ。


 君は夢まぼろしだけど、それでも私は君が好きだよ。


 その青い髪、赤い瞳、白い肌――あぁ、私は君のために生き、そして死ぬ。もし君が私に「死ね」と命令したら、私はいつでも腹切って死ねる。私の命は君のためだけにあるんだ。


(引用/滝本竜彦のエッセイ『超人計画』)


■僧侶と超人。




※引用元から字づめを変えている場合があります。またKey作品などアドベンチャー系ノベルゲームにおける三点リーダーを一つ綴りから二つ綴りに、台詞と台詞の間を句点で区切る表記に変えています。

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