【未定】

稀人

第1話

それを識ったのは中学2年生の時。

「なんだ、これ」

それに気付いたのは小学何年生の時、だったかな。

「びょうきなのかな」

それを止めたのは中学3年生の時。

「どうしていつも」



水沢 鴫(みずさわ しぎ)。

僕の名前だ。水に沢に鴫だなんて水の戦士に目覚めないと嘘みたいな名前だ。

水の戦士って労災とか下りるのかな。

高校を出て普通に働き普通に酒も覚えたし、ろくでもない金の使い方だって覚えた。

世界を救う戦士にもならなければ、世界を破滅に誘う魔性も手に入れられなかったから電子マネーの使い方と保険の入り方、履歴書の書き方、嫌な飲み会の断り方を覚えた。

だって---。


「さて。今週もクソ上司をやっつけて働いてコンビニで飯と酒を買って帰ってこられたけど…レベルアップくらいしてるかな。してるに決まってるよな、これだけ苦労したんだから。なあ?」

なあ、と言われても卓上に飾られた去年に買ったアニメのフィギュア(美少女感しっかりめの深夜アニメ)が応えてくれるはずもなく僕を見透かしていた。

ああ、こうやって、こうやって僕は僕をすり減らしていくのか。

認めたくは無いがきっとそうなのだ。

電子マネーの使い方を覚えても魔法も使えず、

大切な誰かを守る為に命を投げ打って戦う事もしない。

守るのは電車のダイヤくらいのものだ。

なんて、なんてXXXXX人生だろう。


「最近あまり寝れてないからかな…今日はやたらと酔いが回るな…1回寝ようかな」

気が済むまで夜を無駄にしてやろう、とにやけたところで意識が落ちた。


「頭いた…なに、何時いま…」

ちょうど3時を過ぎた辺りだった。

何から見ての3時がちょうどだったのかはわからない。

「週末くらいはゆっくり寝られてもいいのになあ」

痛む頭を抱えながらふらふらと立ち上がり、何も無いし外の空気でも吸いに行くか、と思い立ち何日前に畳んだかも覚えていないジャージを着る。

財布と携帯だけをなけなしの正気でふん掴み家を出る。


週末ゆえか。

酔った男女が肩を組み対岸の歩道を往く。

そんな事にすら腹が立つ自分が居る事にとてつもない不愉快を覚える。

いいだろう、他人が幸せであっても。

僕には享受出来ないというだけの事だ。

それだけの事に頭を抱える必要は無い。

悩む必要の有る事と考えなければいけない事、本来気にすべき事では無い事というのは全く別なのだ。

今回は最後尾…つまり、まあ、なんだ。

羨ましいが別に気にはならない事だ。

肩を組む男女にすら目をやるようになったらおしまいだ。


「さて…目的こそ無いし、どうしたもの、か…うわ…」

第一印象は『ああ、関わらないようにしよう』。

第二印象は『警察24時とかで見るやつだ』。

コンビニの前、逆U時型の白いアーチに座って缶ビールをすするやたらと涼しい顔の女がいた。

直後「うわ…」と口にした事を後悔した。

聞かれたら最後だ。関わらないに越した事は無い。

さっさと缶ビールと慣れないタバコ、あとはレトルトのカレーでも買って帰ろう。

使える金だけが有るのがやけに腹が立つ。


「ありがとうございましたー?またお越し下さいませー?」

深夜のわりに元気のいい店員だった。

語尾が上がる事だけが癖だった。

「思ったより安かったな…帰って寝るか…」

謎の語尾の上がり方に既に満腹感を覚えていた。

これから夜を再開しようという気にもならず端から無い明日の予定は、等と考えていた。


「ねー。なにカレー?」


--ドクン。

今世紀で一番心臓が跳ねた。

どこから声がした。どこから声をかけられた。

この夜中に、この夜中に、この"夜中"に!!!

やばい、やばい、やばい。

確実にやばい。出方によっては明日の朝刊だ。

震える手、定まらない視点、荒くなる鼻息。

間違えられない、間違えられない、間違えられない!!


「か、かかかかかカレーなんて買ってません!」


完全にミスだった。間違いだった。

完全に、嘘だった。カレーは、買った。

買ってはいたのだけど。


「それ、レトルトじゃん。パーフェクトに間違えたね。シカトでよかったんじゃない?性格のよさ、そういうとこで出るよ」


焦る脳内、ひっ迫した血中酸素。

謎の引っ掛け問題。確かに無視すればよかった。

要らぬ嫌味を頂戴した。なんだこの状況。


「わたしはね、祈。いのるちゃん、って呼んで。迷える子羊なのさ。名前負けは自覚してるからさ、とりあえずなにカレーかだけ教えておいて。場合によっては、だからさ」


聞いてないのに名乗られた。

答えてないのに伺われた。

名乗り、口上、自虐ネタ。そこから議題へのエスカレーション。

全てが完璧だった。

故に、完全に応えてはいけないヒトなのだ。

大体カレーの種類の場合によってはって何だ。

メーカーのアンケートか。入社試験か。

暗中模索さえ許されぬか。


「あ…き、キーマカレー、です」


答えるな。

少年よ、大志を抱いてはいいが答えなくても良い時はある。特にこういう手合いには。


「ふぅん。そう。まあいいやあんまり興味無いし」


無いらしい。

場合によったら何だったのか。

沸点も融点も解らない系女子だった。


「今、何してんの?仕事の帰り?…にしてはなんかぼさーっとしてるよね。飲みたらなくて出てきました、って感じか」


会話が続く。良くない。これはもう完全に相手のフィールドだ。

祈、と名乗っていたが祈らせてくれるなら僕を無事に家まで帰してほしい。

願わくば、というやつだ。

というかそもそも僕だって会話を続けなきゃいいのだ。そうだ。手短に、手短に。


「買い物です。何となく持て余したので少し出てみただけなので、それでは」


話してるうちに当初より少しだけ戻った余裕で言い切って立ち去ろうとする。

パーフェクト。

結論、動機、次テーブルへの移行。

我ながらこういうところで---「ねえ、ちょっと付き合ってよ」


終わった。

『昨夜未明--』から始まる端麗な声のニュースキャスターの声が擬似的に脳内に流れていた。


「なにその顔、あんまり厭そうな顔しないでよ。ほら、行くよっ」


コンビニの駐車場のU字型に「ばいばーい」と手を振りいつの間にか手を取られ引っ張られる。

触ってしまった。終わった、テイク2。

見知らぬ女に声をかけられ素知らぬ女に手を引かれ預かり知らぬところで通報されるのだ。

ああ、さよなら僕の愛した退屈。

ああ、さよなら僕の忙しない日常。

行き着く先は錠剤か手錠か破綻か。


「ねぇったら。すっごい失礼な事考えてる。私、別に自分から誘って通報したりしないから」


誘っていたらしい。僕は誘われていたらしい。

…誘われたらしい!

拐かしの間違いではないのか甚だ疑問ではあるが。

あまりにワクワクしない夜だ。

ただ、あまりに浮世から離れた夜だった。


「どこまで行くんですか…僕ん家、反対なんですけど…」


長年住んでいるから土地感が有るせいで己が足で平穏から遠ざかっていくのが解る。

両親に向ける顔がない。いや元々ないんだけど。

こうも唐突に打ち破られる静寂は漫画もしくはアニメの中だけだと思っていた。

深夜って不思議な時間だなあとぼんやり考えていると、引っ張られていた手がゆっくりと解かれ「ふう、やっと着いた」と祈の声。

小さな公園に着いたようで祈はベンチに腰掛け「つめた」などと微笑んでいる。

僕はというと帰ればいいのにまあもう少しこのままでもいいか、と考え少し離れたブランコに座る。


「とりまお腹空かない?それ、貸して?」


貸したところで返ってはこないだろう。

カレーだけ食べないでほしいなあ。


「あ、これ貰うね?サンドイッチ好きなんだ。朝は何派?祈ちゃんはパン派。ふうん、そうなんだ」


何も言ってないです。

半額のたまごサンドと朝食用の乳酸菌飲料も一緒にお召し上がりになる住所不定美少女。

人となりこそだいぶ変わってはいるが顔がいい事だけはあまりに女性慣れしていない僕でもわかる。

やっぱり変な娘だ…と思いながら缶コーヒーとチョコスティックの封を開ける。

なんとなく喋る話題もなく静寂に支配される来た事もない小さな公園。

身を任せ僕もなんとなく黙ったまま食事を続ける。


もぐもぐ。さくさく。…じー。

もぐもぐ。さくさく。…じー。


僕が食べている間何を言うわけでもなく僕をひたすら見つめている祈。食べづらいな…。


「ごちそうさまでした」


結局僕が食べ終わるまで祈は一言も話すことなく飽きもせず僕を見つめていた。

何が怖いってこの娘、本当に一言も喋らなければずっと真顔で、袋から取り出したるひとの朝食を食べていたのだった。

どういう情緒なんだろう。

「そういえば」と僕が口を開いたところで、にこっと微笑んだかと思うと立ち上がり、祈は「じゃあね、また明日」とだけ残し僕を一人公園に残し帰ってしまった。

帰る家が有るなら最初から、などとムダなことを考えそうになったけど。


「まあいいか、僕も帰ろう」


手を引かれ公園まで来た道を逆に辿る。

おかしな時間だったけれど不思議と不快感はなかった。

有るとすれば明日のニュースに僕の顔が出ていない事だけが心配だ。

変な娘だったな…可愛かったけど…。などと考えているとふと気付く。


疲れ果て、生産性の無い社会に対する無駄な感情ばかりが募った「得体の知れないなにか」はもうすっかり僕の中から消え、久しぶりに感じた不快感の無い、人の体温と妙に耳に残ったその声だけを覚えていた。

なんでまだ体温なんか覚えてるんだ気持ち悪いな、僕。


「ただいま…なんだか疲れたな」

買ってきた物さえ片付けずにその辺に置き、鞄を放り投げてベッドに吸い込まれる。

「もう、どうでもいいや…」

いつもは眠れているのかいないのかさえわからない意識も、今日ばかりはプライドだとか明日の事だとかという支えをなくし、静かに夜に沈んでいった。


最後、公園で一方的に交わされた「また明日」の意味を知るのは当然後日の事であったし、あの時疑問に思わなかったのはきっと、この始まりの夜と祈の積極性によるものだったんだと思う。

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【未定】 稀人 @MRBT-01-com

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