旅先短編2_ニューヨーク


扉はこわれて 灰になる


灰はほどけて 雪になる


世界を壊した 青年よ


世界を守った 青年よ


その蛮勇に 祝福を


その決断に 崇敬を


F



─────────ジェットブルー LAX→JFK行 13:10発 N-34便


マクラクラン姉弟は空港ロビーで飛行機を待ちながら、はじめての姉弟だけでの旅行に心を踊らせていた。



姉のケイトは今年の9月からロサンゼルスの大学に進学して実家から通っている19歳。ブロンドの長髪を後ろでひとつに束ね、洒落っ気もなくアルバイトと勉強の繰り返しの日々を送っている。


12月中旬の今、ケイトが大学生になって初めての長期休み。

ついに姉弟だけでの旅行に許可が降りた。


そこで、弟のリカルドと話し、祖母の日記によく出てきたニューヨーク、

もとい元HL《ヘルサレムズ・ロット》へ訪れてみようということになったのだ。





昔、ある日突然ニューヨークが謎の霧に包まれ、異世界との境界が現出した。


異界と現世の交わる地、ヘルサレムズ・ロット。


異界と人界とが交差し、様々な勢力・種族がせめぎあい、人智を超えた技術や魔術で溢れかえったその街は、今後千年の世界の覇権を握る鍵となると言われていた。


事実、ヘルサレムズ・ロットから漏れ出た超常技術は人界で度々ニュースになった。


失った指が生えてくる塗り薬、一メートル四方を消滅させる小型爆弾、街並みをパズルのように並び替える結界術。当時の人間がもつ技術では到底理解できない代物が多々現れ、世界中の関心の的であった。


そのような時代も今や数十年前。


人類の興奮はそう長くは続かなかった。

ヘルサレムズ・ロットの現出から数年後、またもやある日突然謎の霧が消滅し、異界とのつながりが一瞬にして消えたのだ。


元々人界に存在したものは人界に、元々異界に存在したものは異界に振り分けられ、まるで夢でも見ていたかのような消え方だったという。


それ以来、ヘルサレムズ・ロットは元のニューヨークへと徐々に戻り、今や世界を騒がした境界の跡形もない。




マクラクラン姉弟の祖母、ミシェーラ=マクラクランは、そのヘルサレムズ・ロットがある時代を生きた人であった。彼女の兄はヘルサレムズ・ロットに新聞記者として住んでおり、彼女自身も訪れたことがあるそうだ。



祖母がよく兄の話をするので、ケイトもリカルドもよくヘルサレムズ・ロットの話を聞いていた。盲目で且つ足も不自由でつねに車椅子を使っていた祖母であったが、その話にはまるでその目で見てきたかのような鮮やかさがあった。




そして今、いつか行ける日を心待ちにしていたニューヨークへ、旅立つ時である。



──────────────────────


「お姉ちゃん見てよ!あの橋、『プラダを着た悪魔』に出てきたのと同じやつ!!」


12月の氷点下にもなる寒冷さの中、葉も散り人も少ないマンハッタンのセントラルパークに来て、映画オタクのリカルドがはしゃいでいる。

高校生にもなって姉と二人で旅行に行く弟なんてアメリカ中探してもそうそういないだろう。


人見知りが激しく気弱で学校に友達もろくにいないため、彼が素を出してはしゃげるのは家族か親戚の前くらいのものだ。


「え、お姉ちゃんまだ『プラダを着た悪魔』観てないの。」


ニット帽の端を折り曲げ、テンパがかった茶髪をかき分けながらリカルドが尋ねる。


「観てないわ、時間なかったもの。」


そっけなく答えながら辺りを見渡す姉。セントラルパーク周辺は道路を挟んですぐに高層ビルが立ち並んでいた。


「え、じゃあ『イン・ザ・ハイツ』も『ティファニーで朝食を』も観てないの!?

ニューヨーク行くまでに観といてって言ったのにぃ。。」


「アンタの映画オタクに付き合ってたらキリがないもの。ほら、次行きましょ。」


「えぇ~、いいじゃんそんなにキビキビしなくても」


スケジュールを立ててテキパキと動く気の強い姉と、身内の前ではマイペースでわがままな弟。マクラクラン家ではよく見る光景である。



「いいわよね、他のことに目も向けず夢中になれるものがあるオタクさんは。」


どこか本音が見え隠れするいつも通りの皮肉がケイトの口から漏れる。


「お姉ちゃんも好きなことだけに熱中したらいいじゃん。人に頼られて応えるのはいいけどさ、いっつも仕事と勉強ばっかりじゃ疲れちゃうよ。」


「......それができたら苦労はないわよ。あんたこそ、少しでもその能天気オタクの性格を学校で出せたらすぐ友達できるのに。」


「そーれはちょっっと難しいかなぁ~」


そう言って姉弟は地下鉄に乗り込み、自由の女神がそびえ立つエリス島を目指して港へ向かう。



──────────────────────


港からフェリーに乗って約15分。


エリス島は、それはもう”観光地”然とした島であった。

船を降りれば真正面に土産物屋が構えられ、ツアーガイドが旗を振り、観光客が四方八方を写真に収めていた。


12月のニューヨークは氷点下を割る程に寒く、離島ならばなおさらで、太陽の見えない曇り空に加えて絶え間なく節々を冷やす風によって、マクラクラン姉弟は凍えきっていた。


姉弟は二人共マフラーを巻き直し、ポケットに手をつっこんで、自由の女神像へ歩き出した。


いつもならリカルドが「みてよ!『レモ』のあのシーンの場所だ!!」などと言ってはしゃぐ所だが、意外にも気分が上がっていたのはケイトの方だった。

というのも、祖母の日記に思い出としてよく登場した場所だからである。





リカルドもかなりのおばあちゃんっ子ではあるが、ケイトのそれには遠く及ばない。


小さい頃からどんな遊びよりも祖母と喋っている方が好きだった。


足が不自由だからこそ出会えた優しい人達の話、

目が見えなくなってからより楽しめるようになったという音楽の話、

深く愛し愛された夫の話、

臆病ながら勇敢でいつも守ってくれたという兄の話。


ケイトは、愛に溢れたミシェーラ=マクラクランという人を、祖母として尊び、女として憧れ、人として愛した。

祖母の死で一番泣いたのは紛れもなく彼女である。



祖母の死後、ケイトは彼女の影を探し求めるように日記を読み耽った。

小学生の頃から書いていると言っていた日記は何冊にも及び、ケイトはそれを祖母の人生を追体験するように読み進めた。祖母がよく行ったという湖畔や好きだった音楽を自分でも経験しようと思った。


そんなケイトの心中には、ひとつの疑問があった。


祖母は生まれた時から足は不自由だったが、目は見えていたらしい。

ある時から目が全く見えなくなったそうだが、そこだけは聞いても詳しくは答えてくれなかった。


しかし、祖母の日記は家族でのニューヨーク旅行の以前と以後で手記からタイプライターへと変わっていた。おそらくここが転換点なのだろう、とケイトは確信した。



なにしろあのヘルサレムズ・ロットである。今でも理解不能な技術が異世界から流れ込み、混沌としていた時代のニューヨークだ。何があっても不思議じゃない。



日記に挟んであった一番最後の写真は、10代の頃の祖母と曽祖父母がエリス島にいる写真だった。


私もここにいつか行く。


そうして心に決めた場所に、今、やっとたどり着いたのだ。


特別おもしろいものがあるわけでもなく、時の流れで島の形すら変わってしまっているが、

「大好きなおばあちゃんが来ていた場所に、私も来た。」

これだけで、満足だった。




「...お姉ちゃん、なんか嬉しそう。」


不意にリカルドがニヤけながら顔を覗き込んできた。


「...なによ、悪い?」


「いーや、全然? ここ、おばあちゃんも来てた場所だもんね。」


二人は女神像横の花壇の前のベンチに腰掛け、しばらくは何を話すでもなく遠くに見えるニューヨークの街をぼんやりと眺めていた。


「あれがヘルサレムズ・ロットねぇ...おばあちゃんの日記にも書いてあったけど、どんな感じだったのかしらね。」


マフラーをいじりながら、ケイトがひとりごとかのように呟いた。


「行ってみたいなぁ、ヘルサレムズ・ロット。とっくの昔に異世界との繋がりは消えちゃったみたいだけど、どこかに隠れて残ってたりして。」


応えるように、呟くように、リカルドは笑って空を見上げた。


「寒いし、コーヒーでも買ってくるよ。お姉ちゃんもいる?」


ぱっとリカルドが立ち上がる。


「私も行くわ」


「いいよ、ここで待ってて!」


そういってリカルドは島の港にある売店の方へと駆けていった。


「(...気でも遣われたかしら。)」


ケイトは小さくなってゆくリカルドの背中を眺めながら、マフラーに顔をうずめ、ポケットに手を突っ込んで、ゆっくりと目を閉じた。



───────────────────────


20分ほど経っただろうか。


風が止み、静けさが訪れ、ふと顔を上げる。


「(リカルド遅いわね...)」


店が混んでいるのであろうか、帰りの遅い弟を気にしてふと顔を上げると、周囲の人々の動きがビデオを止めたかのように静止していた。


「なに...これ...」


写真を撮っている若者たち、走り回る子供、躓いて転けそうな母、全員がその姿勢のまま固まっていた。風もなく、音もない。



雲の隙間から僅かな光が差し込んでいるが、雲にも動きがない。



夢でも見ているのだろうかと頬をつねってみるが、ちくりと痛い。


しばらく状況が分からずに困惑していると、背後からコツコツと足音が聞こえた。



「キミがこの子の姉かい?」


目鼻を覆う鉄の面をつけた金髪の男が歩いてこちらへ向かってきていた。

リカルドを片手に抱えて。


男は夕闇のような黒色の長丈の外套をなびかせ、右手の杖の頭で左脇のリカルドをつつきながら歩いている。リカルドは気を失っているようだった。


ケイトは目を見開いて立ち上がる。


「リカッ...」


「いや、答えなくても分かるさキミが姉だろう。今にもなってヘルサレムズ・ロットの因果を感じたから、朝の散歩のついでに遊びに来たんだ。いやぁ~似てるねぇ君ら!」


そう言いながら鉄仮面はケイトの顔を舐め回すように覗き込んだ。ただの人間ではないと感じさせる異様な佇まいだった。


「あ...あなた誰!?リカルドに何をしたの!?」


「私?私は私だよ。堕落王フェムトだ。..ああそうか、今となっては僕を知る人も限られたものか。ま、ヘルサレムズ・ロットでよくキミらの大叔父レオナルド・ウォッチとよく遊んでいたものさ。」


ケイトは驚きながらも大叔父の知り合いと聞いて緊張した顔をほんの少し綻ばせた。


「だら...フェムトさん?大叔父さんの友達??そう、よかった、、でもリカルドを返して。」


「よかったぁ!?勘違いしてもらっちゃあ困るよ、君。僕ぁあんな普通の人間の友達なんかじゃない。今日来たのも退屈を持て余しすぎたからってだけさ。」


次第にフェムトの足元の影が濃くなり、陽炎のようにゆらぎ始めた。

ケイトの目にも、彼が明らかに人の域を超えた何かをしていることはすぐに捉えられた。


「君の大叔父たちには事あるごとに私の暇つぶしを邪魔されたものさ。しまいにはヘルサレムズ・ロットごと消されてしまったよ。......あぁ、別にそのことに怒ってるんじゃない。むしろ感謝してるくらいさ。」


軽口を叩くような口調とは裏腹に、ケイトはその男の近づき難いオーラに戦慄した。フェムトの足元の影はさらに濃くなり、宙に浮き出て刃の形を成していった。


「あの男は最初から最後まで普通だった。僕が最も嫌いなものさ。そのせいで僕は何度彼に会ってもすぐに忘れてしまっていたものだよ。もっと早く気付くべきだったんだ、あの街で”普通”であることが一番の異常さだってことに!」


「何を言って...」


独り言のように、あるいはステージで唄う道化のように、フェムトは口元をニヤつかせながら右手の杖をくるくると振り回す。


助けを呼ぼうにも静止しきっている周囲、人のそれとは思えない宙に浮く影、そして目の前の不審者。ケイトは初めてホラー映画を観せられた後の幼子のように怯えていた。


「こうは思わないかい?”普通”ってのは突き詰めればとても特別なことなんだ。ヘルサレムズ・ロットにおいて一番クレイジーだったのはあの男だった。」


フェムトの周りに浮き出た影は鋭さと濃さを増して左脇に抱えられたリカルドに近づいていく。



「な...何する気!?」


ケイトは怯えながら振り絞った声で問う。恐れと寒さで彼女の足は震えていた。


「なに、ちょっとしたお遊びさ。あの”普通”が勝利した跡の世界の君らを見たくてね。」


男は影の刃をリカルドの顔に近づけながら言う。


「君かこの子のどちらか一方の両目を奪う。選ぶがいい。もう一方の願いを何でもひとつ叶えよう。」


「は!?何言って...っ...」


男は不気味に口角を上げてケイトを見つめている。


「(両目を!? …は?どうして...!? いや、こいつ、もしかして...)」


「いや、これじゃフェアじゃないな。この子も起こそう。 …おい!君も起きろ!」


そう言って脇に抱えていたリカルドを叩いて起こした。


「...お姉ちゃん?...え、誰この人!何!?はなしてっ!はなせっ..!」


「うるさいなぁ落ち着けよ。今から君か君の姉の一方の両目を奪い、もう一方の願いをなんでもひとつ叶える。君も選びなさい。」


「!?何いってんだよ!両目を??願い??んなことさせるもんか。はなせって!」


脇で暴れるリカルドをフェムトは心底嫌そうにつまみ上げる。


「暴れないでくれよ、べつに二人共から取ったっていいんだぞ?」


真っ黒な刃がリカルドの額に触れて、じわりと血が滲む。

男は口元をニヤつかせ、リカルドを放した。

リカルドが地面にうつ伏せに落ちる。


「うぎゃっ...痛ったいなぁ」


「さ、早く選びたまえよ。たかが両目でこの私が何でも叶えてやると言うんだ、お得だぞ??」


リカルドがキッと睨んで口を開く。


「っ...ならっ...!」


「おっと、願い事に「両目を返して」なんてナンセンスはやめてくれよ??あくまで願い事は願う者自身のためのものだ。そうである限りは、私に可能な限り応えよう。生体兵器でも世界崩壊幇助器具でもなんでもござれさ。」


「お見通しかよ!っでも...取るなら、ぼ...」


「ダメよ!!!」


その瞬間、彼女の声が響いた。

ケイトの方へ振り向く。


「奪うなら、私から奪いなさい。」


震えた声で、今にも砕けてしまいそうな程脆そうに手足を震わせながら、彼女は言った。


彼女自身も、なぜそうしたのかは分からなかった。映画好きの弟か、あるいは祖母に近づこうとしたのか。


「......これは驚いた。全く同じことを言うんだね君らは。」


男はそう言うと周囲に浮いていた鋭い影をゆっくりと地面に戻した。


「世代を超えても度を超えたお人好しは変わらないみたいだね。はたまたヘルサレムズ・ロットの因果か。ま、いいさ。面白いものが見れた。」


男は心底嬉しそうに、ニヤけた笑顔でケイトの顔を覗き込む。


「はなっから何もする気はないよ。というか、今の僕に願いを叶える力なんてろくにないのさ!では僕は帰るとしよう。んじゃ、またいつか会おう、因果の子たち!」


男は、あっけにとられた顔をしている姉弟に一方的に別れの挨拶をすると、杖でコンコンと2回地面を叩き、ふわりと身体を浮かせた。


「...待って!あなたは何者なの!?もしかしておばあちゃんの目を奪ったのはあなたなの!?何を知ってるの!?教えて!!!」


気を取り直したケイトがフェムトを追いかけながら問いかける。


「そうか、君らは彼女から聞いていないのかい。ならば私も秘密にしておくよ。じゃ。」


フェムトはそっと彼女の頭に手をかざし、その瞬間、ケイトの視界がぼやけて意識は遠のいていった。



──────────────────────


「...きて......ちゃん......姉ちゃん....起きて!お姉ちゃん!」


肩をゆすられて意識が戻ってくる。


「っ...!リカルド!?あの男はどこに!?」


「男?何のこと?? ほら、コーヒー買ってきたよ。カフェオレにアーモンドミルクのほうね。」


リカルドが買ってきたコーヒーのテイクアウトの片方を差し出す。


「(......あれは......夢...??)...ぁ、ありがとう。」


「もー、たった数分離れただけなのに居眠りしちゃって。」


「(...夢にしては私の知らないことばかり...しかもあの男、大叔父さんのことを知ってた...?)」


「コーヒーショップの隣におもしろいお土産置いてあったんだ。一緒に見に行こうよ。」


リカルドはそう言うといつものワクワクした眼で姉を見て、手を差し出した。


「...えぇ、そうね。」




そうしてマクラクラン姉弟は歩き出した。



ケイトの上着のポケットにはカードが一枚。



『その蛮勇に 祝福を


その決断に 崇敬を


Femt』

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