旅先短編集

@yukipedia

旅先短編1_アラスカ

-ノーザンパシフィック航空 アンカレジ行 16:22発 N-194便-


アキラは一人、空港の電光掲示板を無気力に眺めていた。細身で長身の身体に千円カットで適当に切ったようなありきたりの髪型をした彼は、今にも崩れてしまいそうな古いマネキンのようであった。



初めて国境を飛び越え異国の地へ行く者のそれではない死んだ魚のような目をしながら出発ロビーの椅子に座り、過去の自分を振り返る。


「一体何をやっているんだ僕は......」


ロースクール卒業後に司法試験に5年連続で落ちつづけ、受験資格を失ったのが先月。


自信を失い生きる気力をなくし、自殺をも考え始めた頃、ふと10年以上前に祖父から貰った”生きるのが辛くなったときに開けること”と書かれたポチ袋を思い出した。


中には、


ひとりでここを訪ねろ。

3300 Old Seward Hwy, Anchorage, AK99503

Johnny Hoffmann


とだけ書かれたメモが入っていた。


情報量の少なすぎるメモに呆れて一度は捨てようと思ったが、破天荒でいつも家を留守にしていた祖父の意図が気になり、使う機会のなかったお年玉貯金を使ってその住所を訪ねることにした。


秋も深まり少し肌寒くなってきた10月の中旬。


アキラは持ちうるすべての防寒具をスーツケースに詰め込み家を出た。


そして今、次々と頭に浮かぶネガティブな考えごとから目をそらしつつ空港にたどり着き、旅立とうとしている。



────────────────────────────────────


目的地には、想像よりもあっさりと着いた。道中に特段障害もなく、時間通りに空港につき、バスを乗り継いでメモの住所までたどり着いた。


そこにはいかにも築50年はありそうな平屋建てのログハウスがあった。


「ここがじいちゃんが言ってた場所か......」


10月中旬にも関わらず降り積もっている雪の中、その生活感の乏しいログハウスは通りの中でも一際浮いているように感じた。


「すいませーん!ジョニー・ホフマンさんいらっしゃいますか?」


古びたドアをノックしつつ、少し大きめに声をかけた。


「すいませーん!どなたかいらっしゃいませんか??」


…返事はない。


そもそも誰か住んでいるのだろうか?空き家かもしれない。

住所はここであっているだろうか?メモが間違っているかもしれない。


そんなことを逡巡しつつ、アキラは自分で思っているよりも遥かに落ち着いていることに気付いた。期待を裏切られることに無意識に慣れてきている自分が垣間見えて胸がチクリと傷んだ。



「(......まぁ連絡もなしに急に訪ねても都合よく家にいたりはしないよな。

近くで1,2日待ってみるか。)」



通りの向かいにHumpy'sという小さなレストランがあったので、そこでしばらく待ってみることにする。



家族用のテーブル席でひとりサーモンチャウダーをすすりながらアキラはまた過去の自分を振り返る。



小学生の頃、普通にしていれば100点を取れるテストで自分以外の同級生が悩んでいることを不思議に思っていた。


中学生の頃、テストの点の順位がでるようになり、自分が周囲より頭の出来が良い人間であることを自覚した。


高校生の頃、弁護士の父の仕事を見学し、社会的弱者を守るために奔走する姿をみて自分の天職であると信じた。


大学生の頃、学生とは名ばかりに遊び呆ける級友と距離を置き、法律の勉強に執心した。


法科大学生の頃、初めて自分よりもテストの点が良い人間をみて、生まれてはじめて仲間意識を感じた。


司法試験に不合格となり、人生で初めての失敗を経験した。


司法試験のために浪人し、人生で初めて嫉妬と劣等感を感じた。



そして今、司法試験を5振し、受験資格を失い、信じた天職を失い、人生の軸を失い、一度はこの世を去ることも考え、自分でも理解ができない思考回路によって今アラスカにいる。


29年間の人生を棒に振り、何の目標も大義もなく、ただ物を食い生きるだけの今の自分に対する答えが本当にここに眠っているのだろうか。それとも───



「あーっ!!こんなところにアジアンがいるー!めずらしーっ!」



顔を上げるとそこには長くてサラッとした金髪をした青い目の女の子がいた。

アラスカとは信じられない半袖Tシャツ一枚とジーンズ姿で、細い腕を目の前のテーブルに置き、身を乗り出してこちらの顔をのぞきこんでいる。


「ね、どこから来たの!?なにしてるの!?」


唐突にその女の子が聞いてきた。


「.......日本から。ちょっとさがしものに。」


「日本!?私知ってるわ!サーモンのオスシがグルグル回る国でしょう!?

ね、少しおしゃべりしましょうよ。」



それからアキラは、その女と(一方的に質問されて答える形とはいえ)小一時間ほど話した。


聞かれるがままに、スシのこと、トーキョーのこと、司法試験に5回落ちたこと。そして、自殺を考えたことまでも話した。


「──というわけでメモのとおりにジョニー・ホフマンって人をたずねて来たんだが、今日のところは会えなくてここで時間を潰してるところだ。」


「ジョニー・ホフマン?...どこかで聞いたことがあるようなないような...」


「!知ってるのか?」


「...いや分かんない!このあたりではよくある名前だし、勘違いかも。ごめんなさいね。」


「いや、いいんだ......こちらこそすまない、余計なことを話しすぎた。」


「いいえとんでもない!私、法律のこととか、テストのこととか、ぜんっぜん分かんないけど、あなたとってもおもしろいわ!名前を聞いても??」


「アキラだ。」


「私はハナ!よろしくねっ、まだ死んでないおにーさんっ!」


あまりにも軽く流され拍子抜けしたアキラは半ば呆れたように答えた。

別に気にかけてほしいというわけでは皆目ないのだが。



「ところでなんだけど、アキラ、明日ってヒマかしら!?

私の仕事手伝ってくれない???」


「...今なんと?」


思いもしない言葉を聞き、耳を疑った。


「だからーっ、明日私の仕事手伝ってほしいの!1日だけだから!

どうせ死のうと思ってたんならいいでしょ!?ねっ、おねがい!!」



何を言ってるんだこの人は。


自ら語っておきながら言えたものではないが、こうも自分の命を軽く扱われるとさすがに驚く。


「...ああ。構わないよ。」


脳内で結論を出す前に、アキラの口はそう答えていた。


とはいえ、例の住所の家に人が現れない限りはすることもなく暇なことに変わりはない。


「ホント!?ありがとう!じゃあ明日朝8時にこのレストランまで迎えに来るから!

よろしくねーっ!」


底抜けに明るい声でそう言い残したハナは、雪国とは思えない薄着のまま、あわただしく店を出て行った。


彼女が去ったあとのテーブル席で、アキラはなぜ二つ返事で答えてしまったのかを考えたが、答えが出ないであろうと察し諦めて店を出た。



────────────────────────────────────


次の朝、アキラは淡い期待を抱いて例の住所のログハウスを訪ねたものの反応はなく、諦めて約束のレストランへ向かった。


「ごめんっ、寝坊した!乗って!」


そう言ってハナは8時半頃にその華奢な見た目とは似つかしくない大きな荷台の付いた車から顔を出してアキラを呼んだ。


「──着いたよ!」


そこは、山麓の小さな食品工場のようだった。大柄な白人男性が数多く働いていた。


「ここはね、サーモンの工場!10月で旬の時期は終わりだからこれからの長い冬に向けて冷凍して保存しておくの。今が一番忙しい時期なのに1人急に来られなくなっちゃって。」


「それで目についた僕を誘ったと。」


「そう!お給料はちゃんと出すから、今日のお仕事終わったらご飯行こっ!」


それからの仕事は、想像を遥かに超えた重労働だった。捌かれた鮭の切り身を包装用の機械まで運び、それを箱に詰めていく単純作業だ。



ここ数年ろくに身体を動かしていないアキラは2時間ほどで体力が切れた。


休憩室で困憊しながら他の労働者たちをみて、ふと気づく。


彼らは毎日こんな重労働を笑顔でこなしているのだ。


アキラには分からなかった。何故彼らがそんなにも楽しそうなのか。この仕事にどんな大義があるのだろうか。



しかし、この場において一番働けていない者が自分であることは自覚していた。

できない言い訳はいくらでも思いつくが、それらを抑え込み、まだ疲労と寒さで震える腕をりきませ職場に戻る。


「おっ、もういいのかボウズ!お前さんひょろっちいからもうリタイヤかと思ったぜ」


「...ご心配お掛けしました。まだいけます!」


同じ持ち場の髭の濃い大男が計50kgはありそうな数の箱を運びながら声を掛けてくれた。


らしくもない返事をした自分の方に驚いた。


「(僕はいったい何を...いや、それとも──)」


気づけば終業時間が近くなっていた。アキラにとって頭を使わない肉体労働は初めての経験で、仕事中もアキラの頭はいくつもの考え事がぐるぐると渦巻いていた。


全くの未経験である僕を働かせるくらいには人に取って代わられやすい仕事を、なぜ彼らはあんなにも楽しそうにするのだろう。


他人に、または機械にすら簡単に奪われる仕事に何の誇りを持って毎日従事するのだろう。


弁護士を天職と信じ込みその他の選択肢に見向きもしてこなかったアキラにとって、彼らの生活は甚だ理解不能であった。


そんな疑問に答えも出ないまま仕事を終え、ハナや職場の人たちに連れられてまた例のレストランへ来た。


────────────────────────────────────


「どうだった!?今日一日のお仕事!はいっ、これお給料!」


そう言って目の前にくしゃくしゃの20ドル札が数枚とハンバーガーに大量のフライドポテトが添えられた大きな皿が置かれた。


「......いや僕はジャンクフードは食べないよ...」


「え!?なんで!?健康のためとか??死ぬつもりだったくせに!?」


彼女は心底不思議そうな顔で驚く。


「こんなにおいしいもの死ぬまで食べないとかもったいないよっ!

どうせ死ぬなら美味しいものたくさん食べてから死ななきゃ!」


その言葉には不思議な説得力があった。


「(どうせ死ぬなら、か...)」


「アキラは頭がいいから私たちの仕事はつまらなかったかもしれないけど、ご飯のおいしさはみんな平等よ!」


ハナの底抜けに明るい笑顔を横目に、アキラは自分の中に新たな価値観の新芽が芽吹くのをおぼろげに感じていた。


そんな中、


「もしやおまえさんバーガーどころか酒も飲んだこと無ェとか言わんだろうな!?

成人して何年経ってんだよ。一体どんな人生過ごしてたらそんなことになるんだ!?」


背後から職場の大男が肩を組んできて、酒臭い顔を近づけてきた。


「酒飲まずしてアラスカに来たとは言わせられねぇな!ウチの地酒はうんめぇぞ!?飲まずに帰るなんざ死んでも許さねぇ!オラ飲め飲め!」


「ちょっ...いや僕はっ...!」


不摂生な食事も酒も全て自分には不要と考え一切を断ってきたアキラにとってそれは、違法薬物を強引に勧めてくる悪い大人と同じものを感じる程の抵抗があった。


しかしアキラの非力な抵抗も虚しく、気づいたときには地酒だという強い酒を何杯も飲まされていた。



朦朧となりゆく意識の端で、アキラは今まで生きてきた世界の狭さを感じていた。

そして視野狭窄に陥っていた自身を少し責めた。


突然、何かを思い立ったかのようにハナが立ち上がり、僕が身分証明用に出していたパスポートを開いて目を見開いた。


「アキラ・アラキ......あーーーっっ!!!思い出した!!!」


突然ハナが立ち上がってアキラの肩をつかむ。


「キミが探してるって言ってたジョニー・ホフマンって人!!私のおじいちゃんだ!!」


「......は?」


「正確には私のおじいちゃんの昔の名前!

手紙でしか見ないからすっかり忘れちゃってたわ!!」


ハナは興奮が抑えられないまま話し続ける。


「おじいちゃん、昔日本にひとり恩人が住んでるって話をしてたわ!いつか借りを返さなきゃって。もしかしてアキラの親戚にアキヒコ・アラキさんっていない!?」


「......荒木明彦なら僕の祖父だが...」


「やっぱり!!『いつか助けを求めて訪ねてくる奴が来るから、そんときゃヨロシク』って私おじいちゃんに言われてたのよ。まさかアキラがそうだなんて!」


出来すぎた展開に頭が追いつかないアキラは酔った頭で言葉を絞り出す。


「じゃあこの店の向かいの通りの橋にあるボロ家は...」


「メモの住所ってあそこのことだったの!?あそこなら私のおじいちゃんちよ。

おじいちゃんが死んでから誰も使ってないけど。」


「......」


あまりの情報に頭がパンクしそうになりながら、状況を整理する。


「(僕のじいちゃんがハナのじいちゃんの恩人で、あのメモの住所はハナのじいちゃんの家......そしてそのじいちゃんは既に亡くなっていて家は空き家、と...?)」


アラスカまで来た理由そのものがあっけなく消え去った気がして、儚くも繋ぎ止められていた生の綱が切れたように気が遠くなった。


人生の軸を失い、祖父のメモに一縷の望みをかけ、メモの通りにすれば奇跡的な何かが起きるのだと期待していた。信じ切っていたのだ。


だがしかし、現実はそうはいかない。気まぐれで話した至って普通な女の子に希望は砕かれた。


「なによそのかおーっ!そんなに残念がる!?

たしかにおじいちゃんはもういないけどさ、多分いても同じことしたわよ!?」


少し怒った顔でハナはアキラの顔を覗き込んだ。


「そうか......」


確かに、今日一日の経験は今までに得たことのないものだった。



誰がやっても変わらないような仕事をあんなにも楽しそうにこなす人々がいること、


ほとんど仕事ができていなかったアキラにも友好的に接してくれる人々がいること、


数十年後の健康なんて考えずに生きている人がこんなにも幸せそうなこと。



悩みの絶えない過去さえなければこんな人生もありだったかもしれない。

そう思えるほどにはアキラの価値観は揺さぶられていた。


「私じゃアキラの話聞いてあげることくらいしかできないし、それじゃあアキラの悩みとか迷いが解決しないかもしれないけどさ、」


片ひじをつきながら落ち着いた声でハナが話し出す。


だろうな、と言いかけたが、そのことにすら疑念を抱きアキラは言葉を引っ込めた。

今の自分が何をしたいのかすら、アキラには分からなかった。


「でも、もし、まだ死ななくてもいいかなって思うならさ、」


ハナはそう続けながらアキラの顔をみる。



「もう1日、働いてみない?」

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