空狩りの少年

藍条森也

終わりなき旅

 くうりの少年。

 その少年はそう呼ばれていた。

 本名も経歴も誰も知らない。

 ただ、ひとつ所にとどまることなく旅をつづけ、人の世のわずらいをやしていく。

 そう言われていた。

 この日もある長者に乞われ、その家を訪れていた。

 「この部屋には『くう』が生じています」

 「くう、ですと?」

 「はい。くうは単なる何もない空間ではありません。何もないからこそなにもかもを呑み込む。くうは食う。それは、異界と現をつなぐ境界。この部屋には構造上、そのくうが生じてしまっているのです。そのくうがこの家の運気を呑み込んでしまっているのです。そのために不運続きなのです」

 「そ、それでは、どうすれば……」

 「ご心配なく」

 少年は着物の胸をはだけた。それを見た長者が目を見開いた。

 「そ、それは……!」

 そこには何もなかった。

 少年の胸にはポッカリと穴が空いていた。

 「人の身に七曜の空しちよう くうあり。この程度のくうであれば、この日曜の空にちよう くうによって……」

 何があったのか正確なところが長者にわかるわけもない。しかし、理屈を越えた本能として悟っていた。部屋に生じていたくうが少年の胸、そこに開いた日曜の空にちよう くうによって食われたのだと言うことが。

 「これでもう、この家の運気がさがることはありません」

 少年は着物の胸を直しながらそう告げた。

 長者は平身低頭して少年を拝んだ。

 

 くうりの少年。

 その少年はそう呼ばれていた。

 本名も経歴も誰も知らない。

 ただ、ひとつ所にとどまることなく旅をつづけ、人の世の患いを癒やしていく。

 決して、インチキ霊媒師の類いではない。少年に依頼した人は口をそろえて言う。

 「あの少年に頼んでよかった」と。


 くうりの少年は荒れ寺にいた。

 人のいない、この荒れ果てた寺で一夜を過ごすつもりだった。

 大きな握り飯を食っていた。

 食いながら思っていた。

 ――あれでもなかった。

 あのくうではなかった。

 自分が求めているくうではなかった。

 いつになったら出会えるのか。自分が追い求める、あのくうに。

 「それが、いつのことになろうとも……」

 くうりの少年は確固たる意思を込めて呟いた。

 「……必ず、見つけ出す」

 少年は水を飲むために井戸にやってきた。釣瓶つるべを引くと、桶と共に青白い光がのぼってきた。

 ヒュン!

 風の切れる音がして光が走り、少年の首をはね飛ばした。

 鮮血をほとばしらせながら少年の首は吹き飛び、地面に落ちて転がった。

 ノッソリと、井戸のなかから青白い光に包まれた、人の姿の山椒魚さんしょううおが現れた。

 ペロリ、と、その奇怪な山椒魚は少年の体を食べてしまった。

 「ふん。くうりの行者ぎょうじゃか。しかし、しょせんは人間。くうを開く間を与えなければこんなものよ」

 「……いひかか」

 首だけになった少年が呟いた。

 青白く光る人型の山椒魚、この大和やまとの地に古くから住む妖怪『いひか』は、感心したように答えた。

 「ほう。首だけになってもまだしゃべれるか。さすがに少しはしぶといようだな。しかし、首だけになっては文字通り手も足も出まい。どれ、その首も食らってやろうか」

 「お前はまちがえた」

 「なに?」

 「お前は僕の首をはねるのではなく、縦に真っ二つにすべきだった。そうすれば僕を殺せた。それなのに、そうしなかった。だから、お前が死ぬことになる」

 「なにを馬鹿な……」

 いひかの余裕はその場で凍り付いた。

 それを見たからだ。

 首だけになった少年、その眉間に穴が開き、そこにくうが満ちていることを。

 「人の身に七曜の空しちよう くうあり。そのなかでも僕の一番のお気に入り。死と再生をつかさど月曜の空げつよう くうだ」

 音もなく――。

 月曜の空げつよう くうはいひかを呑み込んでいた。

 少年の首はそのまま転がっていた。

 やがてジワジワと斬り口から肉が伸び、形を変え、胴となり、手となり、足となった。

 少年の体は完全に再生していた。

 これが、死と再生を司る月曜の空げつよう くうの力。少年はこうして妖怪を食らい、自らの肉体を保ってきた。そうして、永いながい時間、旅をしてきたのだ。

 それが『一番のお気に入り』という、その理由。

 いつか必ず求めるくうを探し出す。

 そのために。

 「……この月曜の空げつよう くうがある限り、僕は死なない。僕は必ず、あのくうを見つけ出し、故郷を取り戻す」

 覚えている。

 一瞬たりとも忘れたことはない。

 突如として巨大なくうが現れ、生まれ故郷の村を呑み込んだあの瞬間を。

 なんとしてもあのくうを見つけ出さなくてはならなかった。そして、呑み込まれた故郷を取り戻さなくてはならなかった。なぜなら――。

 あのくうを呼び出したのは自分。

 自らの才におぼれ、師匠の言いつけを無視して術を使った自分自身なのだから。

 少年は立ちあがった。

 歩きだした。

 故郷を取り戻すための終わりなき旅に向かって。

                   完

 


 

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