エピローグ

「お疲れ様でしたー 」


 私は定時で会社の事務室を出る。 派遣社員の私が残業をすると、田中課長から小言を言われるからだ。 エレベーターで一階に降り、オフィスビルのエントランスを出て駅方向に足を進める。


「あ…… そういえばあの小説の新刊、今日だっけ…… 」


 ふと思い出して、私は近くの本屋に寄る為に歩道橋を上った。


 普段と変わらない街並み。


 いつもと変わらない生活。


 変わったといえば、誰にも気付かれずに街を彷徨っていた彼がいなくなったことだけ。




 優斗君を浄化したあの日から1ヶ月が経った。 自首したという藤原や角田が、その後どうなったのかは私は知らない。 優斗君を浄化した翌日、悔しくて橘さんにはこの事実を言ってやろうと彼女の家の近くまで息巻いて行ったが、穏やかに見つめていた優斗君の横顔を思い出して何もせずに引き返してきた。


「あ…… 」


 歩道橋の真ん中辺りに差し掛かった時、直線に続く車道に沈む夕日が目に入った。 私は歩道橋の欄干に寄りかかり、その夕日をじっと見つめる。



  なに黄昏てんだ、少年



(あの日もこんな夕日だったっけ…… )


 欄干に寄りかかっていた優斗君に声を掛けた事を思い出す。


 結局、彼の未練が何だったのか、私にはわからなかった。 藤原と角田への復讐? 橘さんの安否? 家族の確認? 色んな事を考えてみたがどれも違うような気がする。


 確認しようにも、もう優斗君はこの世にはいない。 青白い炎は優斗君を一瞬で飲み込み、跡形もなく焼き尽くしたのだった。 彼が私の霊苻で消えていく寸前の、彼の穏やかな笑顔がずっと忘れられずにいる。


(彼にちゃんと笑えていただろうか…… )


 炎が消えた後、三善と小夜子に支えられて大泣きしたことしか覚えていない。


 ー なに黄昏てるんですか ー


 後ろから私を呼ぶ声に慌てて振り向く。 


「優斗…… 君? 」


 後ろには誰もいない。 左右を見渡しても誰もいない。 でも確かに、優斗君が私を呼んだ…… 気がした。



  プッ プッ



 歩道橋の下を見ると、一台の軽自動車がハザードランプを点けて路肩に止まっていた。 強面の容姿には似合わなすぎる三善の可愛い愛車だ。 バッグの中でスマホの着信音が鳴っている。



 ー なに黄昏てんだよ ー



「…… いいじゃない別に。 どうしたのよ? 1ヶ月ぶりだけど 」


 私は歩道橋の上から三善の車を覗き込む。 三善もまた、運転席の窓を開けて私を見上げていた。


 ー デートの約束忘れてるんじゃないかと思ってな。 これからどーよ? ー


 忘れてた。 デートでもなんでもしてやるって言ったのは私だ。


「前もって連絡してきなさいよ。 私会社帰りだから何の用意もしてない…… 」


 ー いいんだよそれで。 お前はお洒落しても変わんねーんだから ー


「失礼な奴ね! 私だって少しは変わるわよ! 」


 スマホに向かって怒鳴りつける。 三善はスマホを耳から離してびっくりしていた。


 ー ハハ…… 元気あるじゃねーか。 降りてこいよ ー


 三善はそう言うと、私の返事を待たずに通話を切ってしまう。


(心配してくれてたんだ…… )


 わざわざ私を煽って元気づけてくれる不器用な奴…… 仕方ないなぁ。 ため息をひとつついて私は歩道橋の階段を駆け降りた。


「あ…… 」


 階段の途中で感じた、私を心配そうに見つめる気配。 私は立ち止まって振り返りその気配を見上げた。 そこに見える・・・訳じゃないけど、私はニコッと微笑んで見せる。


(今度はちゃんと笑えたかな…… )


 笑いかけた先でフッと気配が風に溶けていくのを感じた。


「…… キモ…… 」


 歩道橋から降りてきた女の子に気持ち悪がられ、恥ずかしくなって三善の車に駆け寄り助手席に乗り込む。


「どうした? 」


「なんでもない! 最近の子はキモいとか平気で言うよね! 」


 『なんだそりゃ?』と首を傾げる三善だったが、ゆっくりと歩道橋の下から発進させた。 


「パァッとメシでも食いに行くか! 」


 『奢りならいいよ』と三善に答えると、げんなりした顔で私を見る。 前見なさいよ、前!


 三善には悪いけど、今の所三善と付き合う予定はない。 でも優斗君への想いに区切りがつけられたら、きっと私は三善の…… 春樹の傍に落ち着いてしまうんだろう。


「…… なんだよ、じっと見て 」


「ううん…… ねぇ、優斗君の未練って何だったのかな? 」


「唐突だな…… 知らねぇよ。 さよならを言えて良かったって事じゃないのか? 」


「え? 」


「言ってたんだろ? 間に合って良かった・・・・・・・・・って 」


 そっか…… 


「ありがと、春樹 」


 三善は前を向いたまま頬を赤くしていた。


(名前で呼べって言うからそうしてるのに、小学生かアンタは! )


 こっちまで恥ずかしくなって三善から目線を逸らし、私は助手席の窓から空を見上げる。


(さよならを言えるようになるにはまだ時間がかかりそうだけど、私は大丈夫だから。 だから…… )


 夕日に染まった空に浮かぶ薄い雲のどこかで、なんとなく彼が笑った…… そんな気がしたのだった。

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その幽霊、訳アリです。 コーキ @koukitti

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