其の四十
優斗君と初めて言葉を交わした、大通から少し奥に入った所にあるあの小さな公園。 私は1人ベンチで優斗君が来るのを待つ。 しばらく公園の入り口を注意深く見ていたが、優斗君はまだ姿を見せない。 私は公園内の自動販売機で缶コーヒーを二つ買う。 ここで優斗君とジュースを買って、彼の話を聞いたのが随分前のような気がする。 だけどたかだか1ヶ月ちょっとなんだよね。
「はい、差し入れ 」
コーヒーは二人の分だ。 三善と小夜子は、車の中で見守ると公園の横で待っててくれている。
「悪いな。 まだ来ないか? 」
「うん、でも連絡の取りようもないし…… 待ってなきゃ 」
私はまたベンチに戻って公園の入口を眺める。 公園の中央にある時計を見ると5時前を指していた。 ここで待ち始めて3時間…… もしかしたら彼は、もうこの世にはいないかもしれない。
(これで良かったんだろうか…… )
ベンチにもたれながら、今更だけどこれまで私がしてきた事を整理する。
考えてみれば、どれも優斗君が望んでいたことじゃない。 結局私は、自分を納得させる為に優斗君を振り回してしまっていただけ。
挙げ句の果てに友達まで巻き込み、三善には怪我をさせてしまう始末。 ホント、何をやってるんだろ……
「どうしたんです? 難しい顔をして 」
「え…… 」
ふと顔を上げると、気が付かないうちに優斗君が私を覗き込んでいた。 彼の顔に明るくなり始めた空が透けて見える…… そっか…… よかった……
「遅くなってごめんなさい 」
優しく見下ろす優斗君の左頬には、殴られたような赤いアザが1つ。 藤原と戦ったんだね……
「おかえり。 藤原は? 」
「角田と一緒に警察に自首しに行きました。 僕との最後の約束です 」
優斗君はニコッと私に微笑む。 するとその姿が更に薄くなって公園の景色が透けていた。
「優斗君、体が…… 」
「はい、意識を集中してないともう見えなくなってしまうみたいで…… 」
見せてくれた優斗君の手はもう、微かに輪郭が分かるほどまでに透けていた。 今更ながら、優斗君も幽霊だったと実感する。
「消えてしまう前にここまで来れて良かったです 」
そう言った優斗君の右手はもう既に見えなくなっていた。
「優斗君、手…… 」
「感覚はあるんですけどね、もう僕にも見えてません 」
重ねてみるとまだ触れる…… でも今度は膝から下がもう見えない。 どんどん薄くなる優斗君に、私は思わず手を伸ばした。
「あ…… 」
私の手が優斗君の胸をすり抜ける。 もう触れることも出来ない…… 途端に涙が溢れてくる。
「そんな顔しないで下さい。 僕を成仏させたくて頑張ってくれたんじゃないですか? 」
「そうだけど…… そうだけど! 」
これが私が目標にしてきたことだし、良いことなんだけど素直に喜べない。
「僕はここにいてはいけないんです。 6年前からもうこの世にはいない存在なんです。 美月さんがここまで導いてくれたんですよ? だから笑って下さい 」
「…… 無理だよ…… 」
ポロポロと涙が溢れる。 ダメ…… 笑って見送らなきゃならないのに!
フワッと頭に覆い被さる感触。 目の前は白くぼやけていた。 この感触…… もうほとんど透けて見えないけど、優斗君が抱きしめてくれてるんだ。
ー 僕は美月さんが好きです。 笑ってる美月さんが好きなんです。 これじゃ安心して逝けないじゃないですか…… ー
溶けてしまいそうな優斗君の声。 ヤダ…… これでお別れなんて嫌だ!
ー 一緒に逝きましょう…… ー
え…… 突然優斗君の声にかすれた声がダブった。 この声!
ー …… 逃がさんぞ小娘…… ー
私を包んでいた白いモヤを、足元から噴き出したドス黒いモヤが取り巻いていく。 黒いモヤは徐々に一点に集まり、私の目の前で人の形を形成していく。
「あ…… あぁ…… 」
現れたのは血の色に染まった目をした優斗君だった。 くっきりと輪郭が戻ったその手は、ゆっくりと私の首を掴む。 まさか優斗君に取り憑いてたなんて!
「あぐっ! 」
私の首を締める両手に力が込められたが、その手は震えていてあまり苦しくはない。 きっと優斗君が必死に抵抗してくれているんだ!
「優斗君! 優斗!! 」
表情を変えない優斗君に必死に呼び掛ける。 呼び掛ける度に締める力が強くなったり弱くなったり…… 負けないで!!
ガスッ!
突然優斗君の左頬が大きく歪んで遠ざかった。
「美月! 」
車で待っていた筈の三善が、優斗君を殴って吹き飛ばしていた。 異変に気付いて走ってきたのか、激しく息切れをして私の前に立ちはだかる。
「無事か美月! 何が起こってんだよあれ! 」
「春樹速すぎ! うわっ! 何あれ…… 」
小夜子まで息を切らせて走ってくる。 優斗君を見ると、体のほとんどを黒いモヤに覆い尽くされ、かろうじて右手と顔が見えている状態だった。 ムクッと起き上がり、その場に座り込んで苦痛の表情を浮かべている。
ー 美月さん! 浄化して下さい! ー
顔を歪めながらも優斗君は私にそう叫ぶ。
「浄化って…… 」
ー 僕の意識があるうちに! 早く!! ー
また優斗君の声が濁る。 浄化するって、まさか優斗君ごと浄化してしまうってことじゃないよね!?
「できるわけないじゃない! 優斗君まで巻き込んじゃうよ! 」
ー 早く! もう限界なんです! ー
目を見開いて必死に叫ぶ優斗君の声は、既におじさんのものに変わっていた。 その目にはうっすらと涙が滲んでいる。
「美月 」
三善がそっと背中を支えてくれた。 名前だけを呼んだ三善は私を見ずに優斗君を見据えている。
「…… やれってこと? 」
三善は頷くだけで何も言わなかった。 瞬き1つしない三善は、私に告白した時と同じ顔をしていた。
(分かってる…… )
感じられる優斗君の気配がもうほとんどない。 おじさんと同化してしまって、自分がもう元に戻れないことを優斗君も分かっている。 私はベンチに置いてあったバッグに手を突っ込んで、筆ペンとメモ紙を取り出し、腕でグイッと涙を拭いた。
「お願い春樹! 支えてて! 」
私は地面にメモ紙を叩きつけ、筆ペンのキャップを口に咥えて引き抜く。 震える手と止まらない涙…… 三善は私の肩と腰をガッチリと支えてくれる。 その力強さを感じながら、精一杯の浄化の念を込めて霊苻を書き上げる。 文字は強い光を放ち、今までで一番の出来だということを知らせてくれる。
「優斗君…… 」
三善に支えられて、私は座り込んでいる優斗君の目の前にひざまずいた。 優斗君はゆっくりと私を見上げ、そして目を閉じた。
「ゆっくり休んでね…… 」
私は精一杯の笑顔を作り、優斗君の胸に書き上げた霊苻をそっと押し付けた。
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