白いワンピース

池面36/2

短編

 その白いワンピースは、真夏のあふれる陽光の中で踊った。


「はははは、これじゃまるで変質者だな」


「いいんじゃないですか。別に悪さするわけでもないでしょう?」


「まあでも、娘ほどに年が離れているんだ。精神的に健全ではないよね」


「あははは……すみません、先輩。僕が変に話振っちゃったから。今日の本題は、こっちの方ですよ」


 後輩の佐垣はすっと手を上げて合図すると、ドアの向こうから誰かが入ってきた。


 しかし、誰かという言葉を当ててもよいものか。入ってきたのは一体の金属むき出しの無機質なロボットだった。


「こだわったのは、関節駆動時の静粛性です。二足歩行制御はほぼ完璧ですが、人間と同じように一定限界を超えると転びます」


「そうか……」


「あれ、お気に召しませんでした?」


「関節の動きがまだまだカクカクじゃないか。動きとバランス制御を交互にしてるからだろ。制御モジュールを一通り作ってしまわないときれいには動かないよ」


「さすが先輩ですね。それこそまさにお願いしたいところなんですよ」


 私はとある機械メーカーに勤務している。名の知れた大企業ではないが、その技術力は世界トップレベルだ。若い頃から人工知能を利用した工業用ロボット開発に携わってきたが、五年ほど前に難病が発覚し、じわりじわりと身体が動かなくなってしまった。現在はもう出勤することなどできない。


 それでも会社は私を馘首にすることなどなく在宅勤務、労働時間短縮というかたちで雇用してくれている。お金どうこうよりも、こうなっても必要な人材だと認めてもらえることはありがたかった。


 そして、ほとんど寝たきりの私に仕事を持ってきてくれるのが後輩の佐垣だ。月に二回ほど私の家を訪れ、ロボットの部品や機密書類を持ってくるとともに、ちょっとした身の回りの世話もしてくれる。


彼らが私のために装着型の介助ロボットを作ってくれたおかげで、寝る、起きる、食べる、歩く、風呂に入るなどの基本的な生活が自分でだいたいできている。


 仕事の依頼は、この人間型ロボットに人間らしいスムースな動作を身につけるためのプログラム開発だった。佐垣の言うとおり、ハード面での仕上げはほとんど完璧で、私が適切なソフトを開発して動きを覚えさせればうまくいくだろうという確信はあった。


「しかし、人間にそっくりのロボットなんて作ったところで、喜ぶのはリア充になれない子くらいじゃないのか?」


「先輩にだって必要だと思いますよ。病気なんだから、料理くらいは人任せにしてもいいと思うんですが」


「あんまり生活空間に他人を入れたくないんだ。動いてないと、多分すぐに身体が動かなくなってしまうだろうし」


「じゃあ、外に出ますか? お気にのあの子とお話できるかもしれませんよ」


「やめてくれ、私は見ていられればそれでいい」


 窓の外の浜辺では、白いワンピースを着た少女が犬と一緒に走り回っている。


 日焼けして赤黒い肌と服の色が見事なコントラストを醸し、生命の躍動を強烈に表現している。


 まともに動くことさえできない私にとって、彼女のまぶしさはまさに生きがいだった。ずっと眺めていたら、佐垣が「恋ですか?」なんて冷やかしてきやがった。家から出ない私は、彼女と話したこともないし、彼女は私の存在すら知らないだろう。


「この人型に、あの子の人格をインプットすれば楽しい毎日が待っていますよ」


「そんなことするくらいなら、自分の人格をコピーするよ」


「できるんですか? 冗談だったのに」


「そのためには人格というものがどういうデータ形式なのかを理解する必要があるな。まあ、私の日常を常に観察して学習させるくらいしか思いつかないが。脳波とかシナプス電位までモニターしてたらもっと早いかもしれない」


「おおおー、いいっすね。僕は先輩がロボットになっても尊敬しますから、ぜひロボットの肉体を受けて社会復帰してください」




 この家は地下に体育館ほどの大きさの広間がある。


 かつて海辺の合宿所として作られたのだが閉鎖され、金持ち向けに住宅に造り直された。それでも十年以上売れなかったようで私が安価で買い取った。


 地下の空間は他人の目を遮るので企業秘密が漏れる心配もない。海が近いおかげで潮風への耐性も実験できる。何よりとてもきれいな海なのに、過疎地であまり知られてないから人が来ない。


 ここでロボットに人間らしい動きを学習させる。


 ロボットには生物と違って本能すら組み込まれていないから、学習させるのに驚くほどの時間がかかる。


ネット上に公開された基本モジュールプログラムを流用し、ロボットの形状や質量配分に応じた形で修正を加えていく。3Dシミュレータで近似的な条件を絞り込み、有効な候補を選んでから実際のロボットに組み込んで覚えさせて一つのモジュールとする。


 資金のある大企業が十年以上かけてもいかにもロボットなロボットしか作れていない。


 ところがどうやら私は、条件設定や絞り込みの勘所がわきまえられているようで、人工知能に学習させるのが速い。この一ヶ月で人間らしく歩かせるところまできた。もちろん、これは会社の仲間が私の注文通りに機械を調整する能力を持ってくれているからでもある。


「わん、わん、わん!!」


「うわあああああ!」


 佐垣が階段から転げ落ちてきた。


 犬に追われて逃げてきたようだ。


「おい、おい。大丈夫か?」


 駆け寄ってやりたいが、介助ロボットを身につけていても走ることはできない。


「いててて。すいません、先輩」


 とくにけがなどはしていないようでよかった。しかし、そのあと追いかけてきた大きな犬にマウントをとられて彼には別の苦しみが襲いかかった。


「こらー、ポチ!」


 快活な女の子の声がした。


「放してあげなさい」


 女の子はむりやり犬をひっぺがす。その後に、地下室の異様な広さに気づき、さらにロボットが歩いているのを見つける。そして驚きの声を上げる。


「うわー、ここロボットの研究所だったの?」


「あはははは、あんまり人には言わないでくれるかな。一応、企業秘密とかもあるし」


 この日から、白いワンピースの少女は私の家にちょくちょく来るようになった。




 あの一連のドタバタ劇は佐垣が仕組んだものだということはすぐにわかった。


 彼は私の指が細かい動きができなくなっていることに気づいていた。パソコンのキーボードならゆっくりあれば打てなくはないが、料理などの繊細な作業はもうできなくなった。


『最近、宅配弁当ばかりだったじゃないですか。あんなに自前で料理してたのに』


『ゴミチェックまでしてるのかよ』


『ちょっと見ればわかりますよ。いいじゃないですか、あの子がいろいろお世話してくれるかもしれないし』


『やめてくれ』


『あの子がだめだったなら、家政婦さんを雇ってもらいますよ』


 現実的に私の肉体はそういう人を必要としていた。


 結果的に女の子は私の身の周りの手伝いをしてくれるようになった。どちらかと言えばロボットの開発の様子を見学したり、遊んだりが目的のようだったが。


「じゃあ、ダンスしてみようか」


「ボールはこうやって投げるんだよ」


 彼女はロボットに動きを学習させるためにさまざまな協力をしてくれた。


 彼女のお気に入りの白いワンピースは、人工知能の画像解析に適していた。


 そんなことをしていると他人にも行動の変化は伝わる。ある日、両親と学校の担任が訪ねてきた。最初は訝しんでいたが、事情を聞くと納得してくれた。そのうち、ご近所さんということで両親ともそれなりの付き合いができた。


 ここは過疎が進んでいるとは思っていたが、彼女と同年代の子は誰もいないらしい。家から学校までは親が車で一時間ほどかけて送迎し、友達と遊びに出かけたりすることもない。遊び相手は犬しかいないのだが、彼女はとくに不満をもってはいなかった。


『恋ですか?』


 あいつが冷やかしにこぼした言葉だったが、彼女が近くにいてくれると心が満たされるようだった。


 そもそもこれまでいくつかチャンスはあったのに結婚しなかったのがいけないのだが、病気がわかってからというもの、どうせいずれ家族を置いていくことになる。私はもう人と関わりたいと思わなくなった。


 だけどどうだろう。こんな子供がいたらと思うだけで生きる勇気がわいてくる。白いワンピースが好きな娘と私は未来についてどんな話をしていたのだろうか。


 同時に、彼女が成長してここからいなくなる寂しさを想像してしまう。


いつしか彼女と同じような受け答えのできる人工知能をロボットに搭載させたいと思うようになっていた。




 二年後、いよいよ私は目が見えなくなっていた。


「じゃあ、電源を入れます。……どうですか?」


「……おお、見える……!」


 これまで視神経が死んでいったせいで、もはやドットにしか認識できなくなってしまった視界が、若い頃のような鮮明さを取り戻した。


 佐垣たちが開発した視覚回復のデバイスを取り付けたからだ。デバイスといってもちょいと装着すればいいものではない。耳の辺りから電極を差し込んで脳に接続する手術をした。


 カメラのついたサングラスのようなものが眼球を動かす筋肉の電流を読み取り焦点を合わせてくれるので、ほとんどこれまでと同じようにものを見ることができる。


「おじさん、キャッチボールしようよ」


「ちょっと待って。カメラを切り替えよう」


 機械学習をさせているロボットのカメラと切り替えれば、ロボット視点でものを見ることもできる。


 とはいえ、動き自体はロボットが自律的に行うので、私はボールを目で追いかけるだけだ。私がボールを見ていればロボットはボールを取って投げ返すし、見ていなかったら取らない。なかなか奇妙な感覚だ。


 ロボットはこれまでの学習の成果もあり、キャッチボール、バスケットボール、バレーボール、サッカー、卓球などの基本的な動作は極めてなめらかで、お遊びレベルであればほとんど人間と同じようにできるようになっていた。女の子と犬と楽しそうに遊んだ。


「こういう技術はさすがだな。ありがとう、佐垣」


「まあ、きちんと信号が得られるなら機械は動かせます。でも機械に認知と選択させる技術は先輩の力がないと何もできません」


「ついに目もいっちまったからな。耳と口もそのうち利かなくなるのかな」


「……ぶっちゃけた話していいですか?」


「なんだ?」


「先輩の脳みそにいろいろな電極をぶち込んでいいですか?」


「おいおい、物騒だな」


「先輩の病気がこのまま進めばいずれそうなるだろうし、その前に……亡くなってしまうかもしれません。先輩の能力は会社にとっても日本にとっても極めて重要です。その能力が失われてしまう前に、やれることはやっておきたいんです」


「そうか……」


 私はなんと答えてよいかわからなかった。




 一ヶ月後、家に一台のトラックがきた。


ロボットを訓練する広間はもともとイベント興行も想定された造りで、大きな扉を開けてトラックはそのまま入ってきた。


 そして、手術が行われた。


 いくつもの電極が私の脳に慎重に打ち込まれた。


 脳からの信号はすべてロボットへ送られ、私の意思に従って動くようになった。


「おじさん、海に行って遊ぼうよ」


 少女はロボットの手を引いて誘った。ロボットの触覚がデバイスを通じて私の手に伝わってくる。


「どう、走れる?」


「もう少し慣れないといけないけど……お、お、なんか調整が速いぞ」


 すぐに走れるようになった。走りにくい砂の上に来ても、あっという間に適応した。これまで覚えさせた動きは、私の意思による動きの方が優れていれば私の動きを覚え、もともと覚えていた方が優れていたならそちらが選択される。


これによってロボットはみるみると人間らしい動きを身につけ、さらには私が若い頃にできなかった動きもできるようになった。


「それ!」


「うわー、バク宙だ!」


「わん! わん!」


「すごいな。今度は二回転してみよう」


「うわー、大失敗!」


 ロボットは頭から砂浜に突っ込んだ。しかし、これまでの間に軽量化と不意の転倒の学習をさせておいたおかげで、とくに壊れることもなかった。


 とくにジャンプしてからの着地における姿勢制御は非常に苦労していたのだが、私の過去の経験が反映され、あっという間に一流のスポーツ選手のように動けるようになった。


「わん! わん! わん!」


 犬も動きを見て興奮したのか、飛びかかってベロベロとなめてきた。


 湿っぽい感触がデバイスを通じて私の感覚に伝わってくる。


 一通り遊んで、女の子もはしゃぎすぎたのかいつの間にか眠っていた。


 おぶって家まで送る。


 その時の肌の感触、体温、寝息がデバイスを通じて伝わってくる。


 脳に電極を刺したことで、ロボットは加速度的に進化していった。引き換えに私の肉体は全身をデバイスに覆われ、一ミリすら動けなくなってしまった。もともとほとんど動かなかったとはいえ、虚しさはある。


 私の肉体はあらゆる機械に覆われ、摂食のための口など一部のみが露出しているだけだ。ものものしい姿になってしまったが、これがなければ私はすぐに死んでしまう。


「すみません、先輩」


「なに、決めたのは私だ」


「嫌みのつもりはないですけど、ロボットになって動く先輩は生き生きしてて、若々しくて、あの子と一緒にいたら本当に肉体があるように見えました」


「それはよかった。こうして常時つながれることになって、私の思考パターンや過去の思い出とかが、どんどんロボットにアップロードされていくんだな」


「そのままロボットとして生きていけばいいじゃないですか。このご時世です。ロボットと人間が結ばれたっていいじゃないですか」


「あははは、それもいいかもな……」


 私は言葉では肯定しつつも嘲笑していた。


「だけどその場合、私の魂……意識はこっちのままなのか、それともあっちに移すことができているのかな?」




 そして、別れの瞬間は突然訪れた。


「おじさん。私、留学することにした」


「え、そ……そうなのか」


 この日も真夏の日差しがまぶしかった。


「私がいなくなると寂しい?」


「まあ、寂しいかな。だけど、この辺りは人が増える見込みもないし、いつまでもここにいるわけにはいかないだろう」


「私がいなくても、ロボットがお世話してくれるから大丈夫だよね」


「大丈夫に決まってるだろう。私は留学を応援したい。気にしないで行っておいで」


「わぁい、嬉しい。でね、お願いがあるの」


「お願い?」


 甘えるようにお願いされると、妙に嬉しくなってしまうのがおじさんの悪い習性だ。


「ポチのお世話お願いしたいの」


 彼女といつも遊んでいる大型のもふもふ犬だ。


「うちの親よりおじさんに懐いてるし」


「そうか、だけど大丈夫かな。犬は飼ったことないし。まあ、この子は賢いからな」


「うん、お願いね」


 ロボットの私は、珍しくポチの頭をなでてみた。嫌がるでも喜ぶでもなく、いつものようなこととして受け取ったようだった。


「……そうか、留学か。わざわざ海外に何を勉強しに行くのかな?」


「心理学」


 少し意外だった。『ロボット工学』とか答えてくれたら私の影響を受けたのかなと思えてちょっと嬉しかったのだが。だけど女の子らしいとも思った。


「海外だとね、人工知能に応用できそうな心理学の研究しているところがあるの。そこで勉強してね、おじさんの肉体が死んじゃったとしても、ロボットの中でいつまでも生きていけるようにするの」


「え?」


「成功したら私もロボットの中に入って……それで、お嫁さんになってあげるね」


「いや、いやいやいや。それはまずいでしょ」


「なんで? VRだと同性婚とか年の差婚とか何でもありだよ。別アカ作って何十人と結婚してる人だっているし。同じことじゃん」


「あははは、軽いね。いや、びっくりしたけどいいかもしれないね」


「でしょでしょ。私、おじさんにいろいろ勉強教えてもらったから、国費で留学できるくらい成績いいんだよ。成功したらおじさんに恩返しができるね」


「恩返しとか……そうだね、是非恩返ししてもらおう。だけど、向こうに行ってもやっぱり白のワンピースで通すのかい?」


「それはないかな。あっちの宗教的な問題があるから」


「そうか。しっかり勉強して、おじさんを長生きさせてくれ。じゃあ、帰ろうか」


「うん。じゃあおんぶ」


「別に疲れてないだろ」


「私をおんぶしてもポチと競争して勝てるか」


「よし、じゃあ勝負だ!」


「わん!」


 日差しがちょっと穏やかになった頃、彼女は旅立った。


 その三年後、戦争が起こった。


 彼女は巻き込まれて死んだ。


 ポチもその後を追うようにして死んだ。


 老衰だった——。




「先輩、僕はアメリカに転勤になりました」


「え、えらく急だな。しかもアメリカ? アメリカに支社なんてあったかな」


「先輩はご存じないですよね。うちの会社、買収されたんですよ。だから、本社への転勤ということになります」


「……そうか。家族も一緒にか?」


「はい」


「下の子は生まれたばかりだったな。長旅大変だな」


「はい。僕がいなくても、ロボットが世話してくれるから大丈夫ですよね」


「ああ、大丈夫だ。元気で行って来いよ」


「はい」


「…………」


 佐垣の様子を見て、私はこれまで聞くに聞けなかったことをついに口にした。


「今回の戦争、私のロボットが関係しているのか?」


「はい。先輩の開発されたロボットが歩兵として利用されています」


――即答か。


「で、その計画はいつから始まっていたんだ?」


「僕が把握したのはアメリカに買収された三年前です。その前は日本政府に依頼されての研究ということでした。たぶん、この戦争には裏で日本政府もかんでいます」


「だろうな。日本政府が日本企業を守ったことなんてあったか。世界への貢献という名のもとに奪うばかりで、企業が他国に先んじてしまえば率先して潰してくるような国だ」


「日本の企業が表立って兵器を売り出すのは難しい。だから、政府はわが社を売ったんです」


「だけど、あんな人間っぽく動くだけのロボットに戦場での価値があるのか?」


「戦場で最も有効なのは超破壊兵器ではなく、無尽蔵かつ死なない歩兵なんだそうです。最も安価で、人を殺しても土地は破壊しない」


「なるほど、壊れた街を占領後に作り直さなくていいということか。安上がりだ」


「我々の研究のおかげで、歩兵ロボットは一体百万円あれば作れます。安いミサイルでも一発で一億円です。その金で百体作れるわけですよ。戦争にさく予算が兆単位だとすれば、もうどれだけ作れるか……」


「なるほどな……」


 私の返答は佐垣には冷たく映ったようだった。彼は強い語勢で問うてきた。


「先輩は悔しくないんですか!?」


「悔しいさ。私は戦争のためにこのロボットを開発してきたわけじゃない」


 私は佐垣に影響を受けることなく、冷静に答えた。


「だけど、まっとうな科学者が狂った政治に勝ったことなど歴史上一度もない。それはつい最近、これとはまた別の件で痛いほど知る羽目になった。


 科学とは正しさ探求しそれをもとに発展してきた。もちろん、間違いなんて数えきれないほどあった。それでも後世が修正して、正しいものだけが生き残ってきた。


 だが、政治とは何が正しいかを決める場所だ。


 そこに人間的に正しい者ばかりがそろっているならいい。でも、ほんの少しでも汚物が紛れ込んでいたなら……そして、政治の世界が清浄だったことなど一度もない。


 政治は科学の正しさを握りつぶす。


 自分の都合のいい正しさに改変してゆく。


 世界は嘘でまみれている!


だけど、こんな私一人に何ができるというんだ……」


 思いの丈を述べて、しばしの静寂が広間を覆う。


「……卑劣な社会ですね」


「それが人間の本性じゃないかな」


「そうですね。僕も人のことは言えません。反感は持っても、おめおめと会社に残っているわけですし」


「卑屈になるな。家族を幸せにすることは多分何よりも大切なことだ」


「……はい。先輩、お世話になりました。失礼します」




 そういう予感はあった。


 科学はいつも政治に利用される。頭のいい政治にいい形で利用されるならそれは喜ぶべきことだ。だが、必ずしもそうなるとは限らない。


 だから仕組んでおいた。


 ロボットが悪用されたと判断した場合、私はあるプログラムを発動してすべてのロボットを停止させることができる。


 どれだけロボットが量産されようと、私の人工知能を利用している限りすべてのロボットに有効だ。


 あの子はもう帰ってこない。


 だけど、これがせめてもの馬鹿どもに対する報復だ。


 私は隠しフォルダにしまっておいたプログラムを解放した。


「せめて、わずかな平和のきっかけにならんことを……」


 私はプログラムを発動した。


「――――は!?」


 この瞬間、私は己の浅はかさを理解した。


 相手はすでにこのプログラムの存在を解析してしまっていたのだ。


 そして、私のプログラムを撥ね返すための対抗措置をしていた。


 私の信号は戦場のロボットに届くよりも前に遮断され、別の信号を送り返してきた。


 これによって、私の肉体を覆うあらゆるデバイスの電源が停止された。


 その数分後、私の心臓は停止した。




 ロボット歩兵の大量投入により、連合国軍は快進撃を続けた。


 いくつものプロペラをつけてドローンとしての性能も持ち合わせたことで立体的な機動が可能になると、戦車などの砲弾もよけられるので損傷は少ない。もちろん、小銃程度の弾を数発受けたところで壊れはしない。


 ロボットはインフラや建物を破壊することなく、敵兵と民間人を見分け、軍人のみを的確に射殺していった。こうして、悪の枢軸国を壊滅させるための正義の戦争は完成に向かっていった。


 その国はある日突如、連合国側から悪の枢軸と宣言された。確かに為政者たちは秘密裏に非人道的兵器の開発を行っていた。攻撃をされる理由はそこにある。しかし、民間人はそんなことなど知らない。住む地域を奪おうとする者を排除しなければならなかった。


「民間人による報復により、ロボット歩兵にも損害が目立つようになりました」


「やむをえん、攻撃的な意思を見せる民間人には攻撃させよ」


 ロボット兵の民間人攻撃は国際的な非難を受けるものであったが、人間兵が民間人を殺す確率に比べると圧倒的に低いというデータのもとに正当化された。


「民間人による抵抗が激しくなっています!」


「もういい。敵はすべて殺せ!」


それでも世論は、抵抗する方が悪いというように誘導された。


 そんなあるとき、一つの発見があった。


 ――白いワンピースを着ている者は殺されない。


 宗教上そのような服を着る者はいないはずだが、戒律の曖昧な地域でそれは見つかった。極めて例は少ないが、一縷の望みにかけた。


 女性たちは老若を問わず白いワンピースを着て人の壁をつくった。その様子は滑稽でさえあったが、実際にロボットは誰も攻撃しなかった。


「ええい、何をしておる。ロボット歩兵団に攻撃の信号を送れ!」


 驚いた連合国軍は無理やりにでも攻撃させようとしたが、逆にロボットはそちらの方を敵と認識した。


 連合国軍は壊滅した。




「…………」


 ここは、どこだ?


 ずっと広がるお花畑に、木々や家々がぽつぽつと点在する。まるで、幼い女の子が描いたような風景だ。


 ここがあの世というやつなのだろうか?


「おじさん!」


 その声の主を私は忘れたりはしない。


「そうか、君がいるということは……ここは天国だろうか、あるいは地獄なのだろうか」


「どっちでもないよ」


「ということは浮遊霊としてさまよってるのかな」


「ここは、コンピュータの意識の世界。私、留学中に意識までもコンピュータに移す実験に成功したのよ」


「そ、そうなのか!?」


「行こう、あっちに仲間がいるんだよ」


 不思議なこの世界での私には若く新しい肉体が与えられていた。


 少女は私の手を引いて走った。


 その手のぬくもりは直接、私に伝わってきた。

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