毒喰らいの魔女
外清内ダク
毒喰らいの魔女
そうさね。あれは五十と余年も昔のこと。毒を喰ろうた娘がいたのさ。
当時あの村には、痩せた土地に不釣り合いなくらい大勢の住人がいた。大半は公爵から密命を受けて派遣された研究者と人足、警護の兵。気味の悪い魔術
なんのために? さあ、それは
問題はね、そんなことじゃあない。
何の毒を喰ろうたやら、さっぱり分からなくなっちまったんだ。
その娘は飯炊きや掃除洗濯のために雇われた下女でね。ものの言えない子だったよ。言葉を知らないという意味じゃない。単に臆病者なのさ。どんな命令をされても「はい、はい」としか答えない。
そんなんでも身体は女だ。研究者の若い男がちょっかいをかけた。娘は舞い上がった。相手は都会流に洗練された、まずまず顔のいい若者だ。それが古い詩歌なんぞ引用しながら愛をささやくんだから、たまらないね。たちまち娘は恋に落ちたよ。
ばかだねえ。遊ばれてることくらい、承知のうえで遊ばせてやりゃあいいものを。そうすれば、甘い夜明けの舌触りも味わえて……
一年ほど娘をいいように貪っておいて、その男はふらりと姿を消した。そりゃ、公爵の派遣した学者先生だもの。呼び戻されりゃ都に帰るさ。娘には挨拶ひとつ、置き手紙ひとつなかった。娘は胸を短刀で突き刺されたような気持ちになってね。他の研究者連中に、彼の行方を尋ね回った。ああそうさ、ものの言えない子が、ありったけの勇気を振り絞ったのさ。生まれて初めてね。
貴族様が全員傲岸不遜というわけじゃない。中には優しくて親切な人もいる。犬猫に向けるような優しさだがね。そういう人がひとり、娘に真相を教えてくれた。娘の“恋人”は、都で妻を娶ったようだ、と。その人はこうも言ったよ。前々から苦々しく思っていた。あいつは屑だ。あまり気落ちせぬようにな、かわいそうな小娘よ、と。
それでようやく、娘は飲み込んだのさ。自分がこの一年、どんなに滑稽な痴態を――文字通り身体の内側まで――晒していたのか、ということをね。
もう娘には生きる理由がなかった。大げさだろう? まあそんなもんさ。人間だれしも、自分という小さな器の中にあるものが全て。今まで乾ききっていた器に初めて注がれた美酒だ。思いつめもしようというものさ。
それで娘は、隠れ里の蔵に忍び込んだ。そして毒をね、喰らったのさ。なにしろ種類もよりどりみどり。量だって樽いっぱいあったからね。どれを味見してみようかなって、ちょっと楽しくさえなっちまったよ。
だが娘は、死ななかった。
うっかり助かっちまったのさ。毒がおかしな具合に作用してね。
さあ、慌てたのは研究者たちだ。奴らが創ってたのはただの毒じゃなかったんだ。飲んでもすぐには死なず、ひと月かふた月、動き回ることができる。そして患者が死ぬと、その死体から……同じ毒が撒き散らされるんだよ! それも街ひとつを飲み込むほどの広さに。雨でも炎でも浄化できない猛毒がね。そうして次々に伝染していくってわけだ。
ハハッ、恐ろしいねえ。こんな
夜を徹した議論の末に、研究者たちは結論を出した。
娘を生かし続けるしかない。
魔法と兵士と財産とで手厚く保護して、決して死なぬように……傷つけぬように……機嫌など損ねて自殺されでもしたら……世界は、終わりだ。
本当はこんな話、したくはないんだよ。恥ずかしい過去だ。それに話したとおり、根が口下手なもんだからね……
七十歳には見えないって? おやおや、お上手。これも魔法の延命措置のおかげさ。肉体ごと毒の働きを停止させてるらしい。でもね、身体は二十歳そこそこのまま保たれているけれど、それがいつまでもつかは分からない。研究者たちは――といっても、もう孫の代になってしまったけれど――今も懸命に探し求めてる。
べつにもう、殺されたって構いやしない。どのみち捨てるつもりだった命なのに、こんなに長く、それも裕福に暮らしてこれたんだから。ねえ? あんたみたいな若くてきれいな男も、ときおり寄越してもらえるしねえ?
おいで。嫌とは言わせないよ。だいじょうぶ、うつりはしない。さあ、その絹のような指先で、
……いや。馬鹿なことを言うんじゃない。そんなはずないさ。
涙など、とうに枯れ果てたよ。
THE END.
毒喰らいの魔女 外清内ダク @darkcrowshin
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