アンジェリカは旦那様を誘惑したい③
一晩休むとダンはかなり元気になり、「残った野菜たちを守らないとな!」と張り切って出発していった。
アンジェリカは夫を見送り、食器洗いと洗濯を済ませてから……変装をして、森に出かけた。
(この辺に……あった!)
彼女が茂みの中から取りだしたのは、金属製の棒。アンジェリカ愛用の、武器である。
この武器は、先端が直角に折れ曲がっている。この折れ曲がった部分は、逃げようとした敵の足を引っかけて倒したりカーブの部分で骨を砕いたりするのにちょうどいい。
なおかつこれは刃物ではないので、相手をぶん殴ってもあまり血が出ず、虫の息にとどめるのに適している。「おまえには、この武器がぴったりだろう」と言ってアンジェリカにこれを渡してくれた武術の師匠には、本当に頭が上がらない。
さて、変装して得物を手にしたアンジェリカは、木の枝に跳び上がってそこに座っていた。
ダン曰く、村の畑の中でもダンのものが一番荒らされていたという。ということは、畑荒らしの侵入ルートに一番近いのが彼の畑だったという可能性が高い。
(ここで張っていれば、不届き者を始末できるかもしれないわ)
アンジェリカは
まずは両腕と片足の骨を折って、動きを封じる。両足を潰すより片足にとどめる方が、相手は「命乞いをすれば逃げられるかもしれない」と思って、口を割る可能性が高くなる。
その上で、テッド村の畑を狙った理由について肉体言語で尋ね……最終的には、この村に近づいたことを後悔するようなお仕置きをして、お家に帰らせればいいだろう。
(これでダンが笑顔になればいいわ)
夫のかわいらしい笑顔を思い浮かべてふふっと笑ったアンジェリカは――怪しげな風貌の者がこちらに近づいているのを見つけ、その笑みをニヤリとしたものに変えたのだった。
「まあ……それで、その悪い人はごめんなさいって謝ったのね?」
「ああ。顔面が腫れ上がった姿でやってきたから何かと思ったけれど、きちんと謝罪をされたよ」
その日の夜、食卓にて。
ダンの話を、アンジェリカは目を丸くして聞いていた。
「……嫌な話だよな。俺たちの畑から盗ったものを自分のところでできた作物だと偽って出荷するなんて」
「そうよね。でも、ちゃんと弁償もしてもらえたのね?」
「うん。別にものすごく生活に困っているわけじゃなくて、遊ぶ金がほしかったから……なんて理由だったから、同情の余地はない。あと……俺はよく分からなかったけれど、俺たちはサイラス様の紹介先に作物を卸しているから、それを邪魔したってことでその人は王家へのはんぎゃ……なんとかっていう罪になるんだってさ」
なるほど、とアンジェリカはうなずいた。
テッド村は、アンジェリカをダンの嫁として迎える褒美として良質な出荷先を紹介してもらえている。これは王子であるサイラスの名で行われたことだから……あの盗人は知らぬうちに、王族の怒りに触れてしまったのだ。
愚かな泥棒は金銭面でも精神面でも見た目の面でも痛い思いをしたから、もう二度と悪さはしないだろう。アンジェリカも、いい運動ができたものだ。
「それじゃあ、これでひとまず問題解決ね」
「ああ。アンも相談に乗ってくれたりして、本当に助かったよ。ありがとう」
「ふふ。夫婦なのだから、これくらい当然よ!」
(……あ、そうだ)
「ねえ、ダン。話は変わるけれど……お願いしたいことがあるの」
アンジェリカが切り出すと、ダンは笑顔でうなずいた。
「アンのお願いなら、頑張って叶えるよ。何かあった? ……あ、その、服とかはもうちょっと待ってほしいけど……」
「もう、それは気にしなくていいってば。私がお願いしたいのは、ダンさえうなずいてくれれば叶うことなのよ」
「俺が?」
首をかしげる夫の姿を見て「あぁ……かわいい……」と内心では悶えつつ、アンジェリカは微笑んで身を乗り出し――夫の耳元で、何かをささやいた。
その瞬間、ダンの顔から笑みが消えてじわじわとその顔が赤くなっていく。
「……え? え……あ、あの、アン……?」
「だめ、かしら?」
「え、ええと、その。いや、だめじゃないけど……」
「ええ」
「……こ、心の準備、というか……その、いきなりで、びっくりして……あ、いや、嫌じゃないよ! ただ、アンにそんなことを言わせてしまったのがなんだか、あの……」
(……かわい)
真っ赤な顔で慌てる夫を見てほぅ、と艶っぽいため息をついたアンジェリカは、ダンの肩口に抱きついた。
「……私、ね。とってもかわいい寝間着を持っているの。ダンにも見てもらいたいのだけど……」
「……あぅ」
「見て、くれる?」
「……。……………………は、い」
よし、同意を得られた。
ふふっと笑ったアンジェリカは体を離し、顔から湯気が出そうなほど照れている夫の前髪をそっと掻き上げた。
「かわいいのに格好よくて、優しくて……大好きな、旦那様。愛しているわ」
ちゅ、とほんのり汗ばんだ額にキスをすると、「ひゃっ!?」と声が上がった。
(……ああ。あのネグリジェを着た私を見て……ダンは、なんと言ってくれるかしら?)
アンジェリカは、夫の頭を胸に押しつけるように抱きしめながら、微笑む。
その笑顔は天使のように愛らしく――それでいてかつ、獲物を捕らえた肉食獣の勝利の微笑みのようでもあったのだった。
元公爵令嬢、村人に嫁ぐ 瀬尾優梨 @Yuriseo
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