日本スランパー協会

石嶋ユウ

日本スランパー協会

「おめでとうございます。あなたはスランパーです」


 ネットで書いた小説が読まれない上に、一年近くスランプの私の目の前に妙なことを言う男が現れた。

「あの、どなた?」

「ああ、申し遅れました。私はこういうものです」


 渡された名刺によれば、男は日本スランパー協会という団体の職員だという。

「あの、日本スランパー協会って……」

「スランプ状態で書けない小説家、スランパーたちの集まりです。プロアマ問わず一千人近くの会員が所属しています」

「はぁ……」

 私にはこう言うことしかできなかった。

「当協会はスランパーによる、スランパーのための、スランパーの協会です。ですので、会費を払っていただければスランプ脱却のための支援をいたします」


 スランプだった私にこの言葉は救いの言葉のように思えた。だからついついその場で会員登録をした。



 それから私は月五万円の会費を払ってスランプ脱却のための教材をたくさん買った。教材は市販のものではあったが、それなりに参考になる。だが、スランプ脱却には繋がらなかった。


 次に同じ状況に陥った作家何人かと協会を通じて知り合った。協会にいくらかの仲介料を払って会ってみたのだが、皆いい人たちだった。中にはすぐにスランプを脱却して作品を書けるようになった仲間もいたが、私はそれでもスランプ脱却にはならなかった。


 その結果、私はスランパー協会を熱心に応援するようになっていた。自分の小説のことなどどうでもよくなるくらいに。



 スランパー協会に入ってから一年近くが経っていた。私の生活は次第に苦しくなっていたが、それ以上にスランパー協会を応援することが楽しくなっていたのだ。


「ねえ、あなた。最近痩せてきてない?」

 久しぶりに会った友達からこんなことを言われてしまった。実際、私自身とても痩せた感覚はあった。

「ええ、そんなことないよ」

「大丈夫? おまけにあなた何も食べてないじゃん」


 彼女に言われた通りだ。私たちはレストランに居るのに私は何も頼まないでおこうと思っていた。なぜなら、スランパー協会に払うお金が増えすぎて外食に使うお金もかつかつになってしまったからだ。

「節約したいのよ。スランパー協会の会費がきつくてね」

「本当に大丈夫なの?」

「大丈夫よ。これから巻き返してお金を稼いで美味しいものを食べるから」

 そう言った私の顔を見ていた彼女の顔はとても心配そうだった。私はそれを無視してその場をやり過ごした。


 友達と別れて家に帰ると電話がかかってきた。相手はスランパー協会の職員だった。

「もしもし」

「大変です。協会の経営が傾きそうで、今すぐお金が必要なのです。それで何人かの会員にお金を貸していただけないかお願いしているところでして……」

「それは大変! いくら必要ですか?」

「一億円です……」


 私は慌てて銀行に向かって協会が必要な一億円を用意して指定された口座に振り込んだ。これで協会が立ち直るなら私はどうなったって構わないとまで思っていた。実際、家を含めた全財産を使って一億円を用意した。私は無一文である。悔いはなかった。



 すぐに協会から連絡が来るのかと思っていたが結局、一か月経っても何もなかった。私は家を失いホームレスになっていた。

「あなた何してるの!」

 公園でじっとしている私を見かけた友達がやってきた。

「久しぶり。ホームレスになっちゃった」

 にこやかに笑って挨拶をする。

「笑ってる場合! なんで?」

「日本スランパー協会に一億あげたから」

「はあ? あの協会に?」

 彼女は呆れたような顔をしていた。


「知っているの?」

「知っているも何も、ここ二、三日ニュースで話題になっているのよ。日本スランパー協会を名乗ってスランプの作家たちから百億巻き上げた詐欺グループがあるって」

「えっ?」


 この時、全てを悟った。私は騙されたのだ。日本スランパー協会に。日本スランパー協会の幹部たちは一年以上の時間をかけてターゲットである私たちスランプの作家との信頼を築き、それと同時にお金を騙し取れそうな相手を探していたのだ。私は一億円を騙し取れる相手だと彼らから判断されたのだろう。ああ、なんてこった!


「なんでだよ! なんでなんだよ!」

 その夜、しばらく住むことにした友達の家で私は豪快に飲んだ。無一文になってしまった私はこれからどうしたらいいのか。

「まあまあ、まだこれからなんとでもなるって」

 友達がなだめる。

「だまされたのよ! この私は!」

「そりゃ、そうだけど。そこまで自分を責めちゃだめだよ。明日警察に行こう」


 日本スランパー協会を信じた私がバカだった。有り金と家といろいろを全て持っていかれたではないか。ああ、この世の果てに行ってそこにいる化け物にでも食われてしまいたい。食われて消化されて地獄の果てに行ってしまいたい。


「ああ、私は終わりだ!!」

 と思ったその時である。突如として、急に、天啓のようなものが、ビジョンが浮かんできた。新作のアイディアが頭の中で駆け回っている。そうだ、つらいことをつらいと書いてしまえばいいのだ。

「どうした?」

 友達が心配する。

「ああ、私はまだ、まだ戦えるんだ……」

 私の頬に涙が零れた。この晩、私の中で何かが確実に変わった。私は友達の枕を濡らして一晩中泣き崩れた。



 それから私はその時の体験談をもとにしたスランパーによる、スランパーのための、スランパーの小説を書きあげた。それをネットに載せたところ大反響となって、大手出版社に声を掛けられ書籍化され百万部が売れた。しまいには、文学界で最高の名誉とされる尚武賞まで獲ってしまった。私は瞬く間に文壇の仲間入りを果たし、生活に困らない程の収入が入るようになった。



 そうして、作家として大成したある時、かつてのスランパー協会がきっかけでできた作家仲間が私のもとを久しぶりに訪ねてきた。

「ひさしぶりです。六年前のスランパー協会の集まりで会ったきりでしたっけ?」

「そうですね。あの頃はお互い大変な状況だったというか」

「そうですね。もうあれから五年ですか」

「ですね……」


 思えば、日本スランパー協会に騙されてから既に五年の月日が流れていた。

「結局、犯人たちは捕まっていなくて、お金も帰ってくる見込みがないというか」

「私、一億も払っちゃったんですよ。今思えば、バカなことしたなって思いますよ」

「ははは、それはなんてこった」

「あはは」


 二人で当時を懐かしんで笑う。彼はそれからある書類を見せてくれた。

「実は、スランパーによる、スランパーのための、スランパーたちの集会を数か月後に開催しようと思っています。当時の仲間たちを呼んで思い出話や近況報告をする場にしたくて」


 書類に目を通すとそこにはイベントの具体的な案の数々が載っていた。どれも丁寧に考え抜かれた物だった。

「なるほど」

「そこでなのですが、あなたにその場でスピーチをしてもらいたくて」

「これまたどうして?」

「私たちはスランプと詐欺という二重の苦しみを味わいました。私たちの中でもあなたは特にそこから不死鳥のように舞い戻った作家の一人です。だからこそ、今も苦しんでいる仲間たちを元気づけたいのです。もちろんお礼はお支払いします。ですからどうか考えていただけないでしょうか」


 彼は頭を下げた。私は仲間の熱意に押されてこの頼みを引き受けることにした。

「わかりました。お引き受けします」



 数か月後、私はスランパーたちの集まりの場にいた。数年ぶりに見かけた方もいて、懐かしかった。みんな元気そうだった。それだけで涙が出る。五年前、世界の果てに行かなくて良かったと心の底から思った。


「それでは、先生お願いします」

 ステージの舞台袖で深呼吸をする。いよいよこの時が来た。私は舞台袖からステージ中央へと歩く。大勢の仲間たちが目の前にいる。


「お久しぶりです。私たちが出会ったのは今から六年前、日本スランパー協会を通じて出会いました。当時はなんて画期的な協会なのだと思っていたのですが、まさか詐欺グループが運営していたとは思いもよりませんでした。総額百億円が騙し取られてしまって、それは今も帰ってきてなくて、犯人たちも捕まっていなくて、今もなおつらい思いをしている方がいることも知っています。あれがきっかけで私はスランプを脱却し、尚武賞を獲ることができましたが、みんながみんなそう上手くは行かなくて。だからこそ、私たちはこれからも手を合わせ、生き続けるわけを探しながら進んで行かなくてはならないのです。作家という道を、自分たちの人生を」


 話し終えると大勢の仲間たちから大きな拍手が沸き起こった。私は嬉しくなって涙を流した。私は改めて、この道をこれからも進んでいこうと思えた。


 これからも人生は続いていくのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日本スランパー協会 石嶋ユウ @Yu_Ishizima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説