第5話

 左手が勝手に動き、体の表面をなぞる。

 指先を追うように細雪がまとわりつき、母さんや雪乃のそれとよく似た白い着物が実体化する。コートのように羽織ったその裾を翻し、剣の切っ先を崩神クズレに突きつける。


「父さんの仇、討たせてもらう」


 言い放つ僕に、崩神クズレは咆哮し飛び掛かっていた。

 再び左手が勝手に動いて、その巨体に手のひらを向ける。そこに一瞬で出現するのは、崩神クズレの巨体を遥かに越える10メートル高の分厚く白い氷壁。


『きサまぁぁぁッ!』


 壁に顔面から激突して、さらに怒り狂う崩神クズレ。その反対側で僕は、壁を垂直に駆け上がっていた。

 靴底を凍結させ壁に吸い付けているようだけど、細かいことは雪乃まかせだ。


「ノウマクサンマンダッ」


 壁の頂点に立って、荒れ狂う崩神クズレを見下ろしながら、僕は木刀を天に向けて構えつつ真言を詠唱する。それはあらゆる魔を払う最強の守護者──


「バザラダン、カン!」


 ──不動明王フドウミョウオウの法力が、本来の炎ではなく冷気となって、剣の周囲を青白く包み込む。

 そして僕は、眼下の崩神クズレへと向かって飛び降りていた。


『バカめがっ!』


 見上げる獣は嘲笑いながら後方に跳躍する。確かにそれだけで、1メートルにも満たない木刀の間合いからは完全に逃れることができるだろう。


 ──バカそれは否定できない。おにぃちゃんだけなら、ね。


 盛大に空振るはずの剣の切っ先が、落下しながら空中に描いた青白い冷気の軌跡。

 僕が雪煙を巻き上げながら着地するのと同時に、そのすべてが長大な氷の刃と化し、呆然と見上げた崩神クズレに振り下ろされる。


『あえ?』


 驚愕に見開かれた両目の中央をまっすぐ通り、刃渡り10メートルの大氷剣はその巨体をまっぷたつに両断していた。


 ──名付けて、降魔ゴウマ氷瀑斬ヒョウバクザン


 ……だそうだ。そういえば二人でアニメを見ていた頃から、雪乃は男の子向けのバトルものが大好きだったな……。


 赤黒いどろどろの液体になって雪原に沁み込んでいく崩神クズレの屍を、後方から母さんも見つめていた。その白い頬に流れた涙のすじは、すぐに凍り付いてきらきらと輝く。


 ──あーあ、見惚れちゃって。おにぃちゃんって、マザコンだったんだね。


「なっ、ちがっ!?」


 脳内に響く雪乃の冷めた声が、余韻を消しとばすのだった。



 ◇◇◇



「彼女が、今日からクラスみんなの仲間になる卯佐美ウサミ 雪乃さん。ご家族の都合で長く海外で生活していたけど、このたび十年ぶりに日本に戻って、当校うちに編入することになった」


 教師の紹介を受けて、セーラー服姿の雪乃が深々と腰を折って頭を下げ、そのまま顔だけ上げてにっこり微笑んで見せた。ポニーテールの髪がぴょこんと跳ねる。


「みなさん、よろしくお願いします!」


 教室のそこかしこから、男女問わず「……かわいい……」の小声が漏れ聞こえる。


「心細いこと、わからないこともあると思います。みんな、親切にしてあげてね」


『はーい!』


 ──というわけで。


 雪山の一件の後しばらくして、僕の「人間として受けた傷」が回復したからなのか、雪乃との合体は自然と解けた。

 あのまま脳内が筒抜けではと困ったので、それはいいのだけれど。


 狩村一族の長老達も、対策課トクジューも、僕ら兄妹の合体状態──『羅雪ラセツ』と呼称されることになったあの力を活用したい意向は明らかだった。

 昨今の社会不安に追随し妖力と凶暴性を増している怪異たちへの抑止力として、是非に。


 しかし前例のない、かつ強力すぎる力の扱いには、慎重論も多く。

 そんなこんな上層部うえのほうの思惑が絡み合った末、「監視」として僕が張り付くことを条件に、雪乃を「特別協力者」として迎え入れることとなったのである。


 僕の隣の空席に腰掛けると、雪乃はさっそく小声で囁いてきた。


「よろしくね、おにぃちゃんユキトくん

「……よろしく……」


 僕は苦虫を頬張りながら渋々と応える。


「で、あの子が委員長の雨宮さんね」


 続けて、斜め前方に座るショートカットにメガネの似合う少女に視線を向け、雪乃はと笑った。──えっ。いや、まさかそんな。


「協力してあげるね!」


 ああ、最悪だ。合体した時、僕が雨宮さんかのじょに寄せる密かな想いまで、知られてしまっていたようだ。


「大丈夫、マザコンのことは黙っておいてあげるから……」

「なっ、ちがっ!?」


 がたん、と思わず立ち上がってしまう僕を、振りむいた雨宮さんの涼しげな瞳が一瞥して、すぐに前を向く。


 ──この日。僕の新たなる激闘の日々が、幕を開けたのだった。

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退魔士・狩村ユキトは怯まない! クサバノカゲ @kusaba

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