最終話 セルリアンブルー


 セルリアンブルーの隊列が、大ホールの外の廊下を歩いている。


「はぁー、終わったぁー」雄也が伸びをして周りに尋ねた。「僕たち、何位だと思う?」

「時間超過で最下位」美雪がにべもなく断ずる。

「そもそも、審査してもらえるのかね?」

 璃子が疑問を呈すると、頭に両手を回して前を歩くエリカが

「それな」

 とだけ返した。


 彼女が集団の先頭を歩くのは、涙で腫れぼったくなった目を見られたくないからだろう。

 誰もがそれを分かっている上で、茶化すようなことはしなかった。盛大なブーメランになるからだ。


 出番が終わった途端、一斉に空腹に襲われたセルリアンジャズオーケストラの面々は、片付けをさっさと終わらせ、ホールの外へと全員で向かっていた。


 結局、翠のソロは三分にも渡り、規定の演奏時間は全く守れなかった。

 ルール違反での大幅減点は免れない。

 むしろ、現時点でのいちかの心配は、叱られて出禁にならないかの方でさえあった。

 運営の方、ごめんなさい……


 いちかの隣では、碧音が本日の戦犯に文句を言い続けていた。


「お前、急に出てきて俺のソロ喰うなよ……」

「ごめんってばぁ」翠が両手を合わせて薄い反省の言葉を述べた。「でも仕方なかったのよ、興奮し切ってたから」


 いちかは、そのやり取りに口元の綻みを抑えられなかった。


 強がっちゃって、碧音さん……


「何笑ってんだよ……」碧音が綻んだいちかの顔を不機嫌そうに覗きこむ。

「え。笑ってないですよ」

「嘘つけ。さっきからニヤニヤしやがって。何が言いてぇんだ、お前?」

「言っちゃうと、碧音さん可哀そうだから」

「あぁ?」


 そのとき、


「あの……東央大の人たちですか?」

 上から降ってきた声に一同が顔を上げると、夏服姿の女子高生が二人、階段の中ほどからこちらを見下ろしていた。


 片方は真面目そうな黒髪、一人はヤンチャそうな茶髪の少女たち。

 茶髪の方は、階段に座って目元を真っ赤に腫らしている。


「はい、そうですけど」翠が二人に返事する。


「失礼だから降りよ!」

 黒髪の少女が座りきりの相方に手を貸すも、茶髪の彼女は中腰でよろよろと危険な足取りになり、結局また座り込んでしまった。


「いいよそこで」翠が制止する。「誰かに用?」

「いえ、感想を言いたいだけで。あの、皆さんの演奏、最強でした!」黒髪の少女が興奮気味に言った。「この子なんて号泣しちゃって……後で一緒に伝えようねって言ってたんですけど」


「ありがとー!泣けたよね、碧音のソロ」

「お前それ煽ってんのか……」碧音の文句が宙に浮く。


 すると、座り込んだままの茶髪の少女が首を振り、詰まった喉を無理やりこじ開けるようにして、部員たちに言った。


「演奏も、凄かったですけど……それより、みんな楽しそうだったのが、羨ましくって……」

 彼女はまたボロボロと涙をこぼしながら、掠れ声で言う。

「私も、あれくらい本気でやれてたら……違ったのかなぁって……」


 彼女の言葉は、いちかの胸に深く突き刺さった。


 まるで走馬灯のように、二年前の青春が、思い出される。


 退部届、コンクールでの敗戦、仲間たちの涙。

 テレビの前でようやく気づいた、高校三年生の小さな挫折……


 まさに、今の彼女のように泣いて、後悔して。


 彼女は、きっと、過去の私だ……


「遅くないよ」

 気づくと、いちかは階下からそう告げていた。

「今からでも、遅くない」


 茶髪の女子高生は、驚いたように顔を上げ、いちかと目を合わせた。

 その一瞬、騒音も、人混みも、二人の周りから溶けてなくなった。

 彼女は、目尻の涙を力強く拭うと、深く頭を下げた。


「ありがとうございました……」



・・・



「まっぶしッ――!」

 厳しい太陽光に隼人が叫ぶ。


 ホールの外は、来た時と変わらず、出場者、来場者、通行人で雑多に散らかっていて、それぞれが、それぞれの夏を歩いていた。


 頭上には、強烈な日差しの太陽と、雲一つない青空が広がっている。

 去年の大宮も、一昨年の甲子園も、文句のつけようもない快晴だ。


 仲間とともに、いちかも目を細めて空を見上げる。


 カキンッ――!


 と、高い金属音が確かに聞こえた気がした。

 大きなフライが打ちあがっていく幻が、広い空に飛んでいく……


 青空から降ってくる白球を一心不乱に追いかける球児の姿が、目に浮かんだ。


「……あぁ、そっか」


 いちかは、ふいに理解した。


 もしあのとき、彼がボールを取り落としていたら。

 試合に負けていたら。


 それでもきっと、自分は後悔に泣いていたのだろう。


 ピンチをしのいだという結果じゃない。


 あのときの自分は、全力で青春を走る彼らの姿そのものに憧れ、苦しんだのだ。


 でも。


 でも、今は……


 見ず知らずの少女が、過去の自分が、今の自分に憧れて、泣いてくれた。


「なんだ……私、ずっと……走ってたのか……」


 気づくと安堵が透明な涙に変わって、瞼からとめどなく溢れ始めていた。

 世界は全て水没して、視界に入るなにもかもが、歪んでいく。


 そっか。

 私もいつの間にか、ちゃんと走れる人になれてたんだ。

 良かった……良かった……


 道の先では、仲間たちのぼやけた姿が振り返っていた。


「あれ、いちかちゃーん?どうかした?」

「いちかー?置いてくよー?」


 翠と雄也の声が聞こえる。

 返事をしようにも、声が出ない。

 頬から首まで伝う涙が、襟元を濡らしていく。


「ダメだこれ……全然、涙止まんないや……あはは……」


「ないてる!いっちーないてるよ!」

 ユラの叫びに、一団がどやどやと集まってきた。

 あっという間に囲まれてしまう。


「大丈夫?どこか痛いの?」

「え、でもこの子、笑ってない……?」

「おいおい、いっちーが壊れちゃったに」


 仲間たちがいちかを宥めたり心配したりする中。

 碧音の笑う声だけが、泣き濡れるいちかの耳に、飛び抜けて明るく響いた。


「ったく、泣き虫ばっかだなぁ。今日のセルリアンは」




 ― 完 —




🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸



 完結までお読みくださり、ありがとうございました!


 少しでも良かったなと思っていただけましたら、

 ページ下の☆☆☆から作品の★レビューよろしくお願いします。


 ★ひとつでも嬉しいので、率直な数を頂ければ!


 また、記念みたいな気持ちでレビューコメントを一行でも残していただけると、とっっっても嬉しいです。(一番「書いてよかったなぁ」って心が回復するので、レビューコメントいただくと……)


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『国木田明衣子の鉄則~留年間近の僕に課せられたのは陰キャJKに囲まれての幽霊退治⁉~』


 雰囲気は変わって、陰キャ女子たちとの命がけホラーラブコメディーです!

 頑張って笑わせにいってますので、笑えるかどうかご判断ください……!

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