弱者

月山朝稀

弱者


 それに気づいたのは偶然だった。


 欲しいゲームがあったから、金がないかと親のタンスを漁っていた時のことだ。

 戸籍謄本、というやつなのだろう。両親の名前があり、それに続く自分の名前の下には「養子」と記されてあった。もうすぐ十八歳になる俺に知らせようと、用意していたのかも知れない。

 だが、俺は動じることはなかった。もとよりあの親から愛情を感じたことがなかったからだ。

 どの親よりも厳しく躾けられた。常にカメラで監視されたり、黙ってGPSをつけたりなんて当たり前。それどころか、「人の顔色を見ろ」、「やられても決してやり返すな」、「すぐに助けを求めろ」。そういった弱者になれと言わんばかりの教育を受けてきた。

 このやり方はおかしいと気づき反抗したが、余計に躾は厳しくなるだけだった。もう親には憎しみしかなかったが、親ではない他人であるのならもはやどうなろうと構わない。

 俺は、金目のものをかき集めると、家に火をつけて逃げ出した。親から付けられたGPSや防犯ベル、小型カメラもすべて火に焼べた。

 

 それから俺は自由の中を闊歩し、日々を楽しんだ。何をしても誰も咎めるものはいない。お金がなくなれば、その辺の人間から奪った。その辺の人間といっても、きちんと人は選んだ。ブランド品を無防備に持った子ども、動きの遅い老人、力が弱そうな女を狙うのだ。

 だが、その日の女は、やたらと食い下がった。目の前で女は、高そうな鞄を必死で捕まえている。あまり暴力は振るいたくないのだが……と、考えたところで、それは元両親からの教えだったと気づく。刷り込まれた教えに体が従おうとしたことに腹が立ち、思いっきり女を蹴った。

 

 それからはあまり記憶がない。気がついたら、鞄を握り締め知らない路地裏にいた。靴の先には、乾いた血がこびりついている。

「くそ……。弱いくせに抵抗するからだ」

 地面に擦り付けるが、染み込んだ血は消えない。

 嫌な気持ちを抱えて、適当な店に鞄を売りに行った。


 俺はその店を出ることは叶わず、スーツを着た大人たちに囲まれどこかへ連れていかれた。


 気づいた時には、手足を拘束され椅子に座らされたまま動けなくなっていた。頭には何か重みがあり、目隠しをされているようで視界は真っ暗だ。

 

「君は、孤児だったそうだね」

 男の声がスピーカーから通した音で聞こえる。耳にも何か付けられているのかこもった音で聞こえた。

「君はノウナシだ。だから古いやり方だが、VRゴーグルと電気を流すことで体験してもらうことになる」

「何を言っている」

 口は自由に動かせるようだ。それに気づくと思いつく限りの罵詈雑言を並べた。

「やれやれ。君は教育を受けていない人間のように見えるね。養父母はノウナシの君を根気よく育てようとしていたみたいだが」

「あれのどこが教育だ! 人に従え、何されても助けを呼べ、そんなの弱者を作るための虐待でしかない!」

「ふむ。ノウナシ教育としては正しいと思うが」

「能無し能無しって、バカにしやがって! 出て来いよ! 殴らせろ卑怯者!」

 じたばたと暴れてみようとするが、手も足も動きはしない。

「ノウナシを知らないのか? なら仕方ない。刑を執行しながらになるが、教えるとしよう」

 

 男の声がやむと、急にクリアな音が耳に飛び込んでくる。

『離せよ! ババァ!』

 聞き覚えのあるようなないような声が聞こえた。眉をひそめていると、ぱっと目の前が明るくなる。

 自分の腕が見えた。いや、自分の腕は縛られている。だが、前に向かって伸ばした腕があった。その手の先には、高級そうな鞄が。そしてそれを掴む目の前に立つ男は――。

「俺……?」

 よく見知った顔が、必死の形相で鞄を掴んでいる。鞄ごと引き摺られるたび、足に電流がチリチリと走った。

「痛い!」

 思わず叫ぶが、目の前の『俺』は引き摺るのをやめない。

 そして、『俺』は目を地走らせて思いっきり俺の顔を蹴った。

 顔がかっと熱くなり、脳が揺れるような衝撃がくる。

 それが何度も繰り返された。体中、どこもかしこも蹴られ、意識を失いかけた時、目の前の腕は鞄を落とし、『俺』はそれを抱えてどこかに行った。

 

 ブーンと音がして真っ暗な空間に戻る。

「どうだったかな?」

 俺は喋る気力もない。体中が痛みを訴えていた。

「君は、社会の勉強も怠っていたようだね」

 男が呆れたような声を出すが、俺は息が途切れ途切れのままで何も言い返せない。

「今、この世の中では暴行や暴言に至っての刑罰は一本化されている。それは追体験をさせることだ。被害者が亡くなってしまった場合ですら、被害者の遺族が求めればそのデータをコピーして同じ目に遭わせることもできる。そして、その追体験の回数は、被害者側が決められる。もっとも、やりすぎて仕舞えば自分が同じように追体験する側になることもあるのだから、よくよく考えないといけない」

「追体験……? コピー……?」

 ようやく息が整い、俺は呟く。

 俺は元両親から小型カメラをつけられ、監視されているのだと思っていたが、それはみんなもついているものだったのか?

 その映像をもとに、状況を再現し罰を与えるのが今の世の中のシステムというわけか。確かに勉強はまったくしていなかった。しろしろと言われればする気もなくなるものである。

 舌打ちをして、あの親のせいだと腹の中で罵った。

 

 だが、男の言い分ではこの状況を与えた相手にも仕返しできるのだ。俺はにやりと口の端を上げる。

「どうしたら、被害者サマに報復できるんだ」

 俺が聞くと、男は大きなため息をわざわざマイクに乗せた。

「刑罰を与えたいなら、届けを出せばいいだけだ」

 普通はね、と男は付け足す。

「君の場合は特殊でね。ノウナシであるから、こういった形をとっている。本来ならみんな夢を見るように体験するんだ。自分が恐ろしいことをしてしまったとわからせるための罰だからね。夢で実体験として味わう。そうすれば反省して報復など考えはしないよ。だが、君には夢を見ることができない」

「夢なら見ているが?」

「それは本来の脳の機能だろう。そんな衰えたものだけでは、生きるのも辛かっただろうね。可哀想だが、君の場合はレアケースだ。孤児であっても、そうはない。君が保護されたときには、もうずいぶんと日が経っていた。今の技術では、ノウは赤子のうちにしか移植できないからね」

「なんだそれは。脳? 移植?」

 

「『mouxjノウ』は、記憶チップだよ。本来の脳の一部をそれに置き換えることで、体験したことを他人に渡したり、他人の記憶を読んだりすることが簡単にできるようになる。それを使って、刑罰も行われている。おかげで随分と犯罪は減ったんだ」

 俺は男が何を言っているのかサッパリわからなくなった。先ほどのダメージが脳に効いているの、この男がやばい科学者であるかのどちらかだ。

 

「ご両親から提供された記憶によると、君は随分と守られて生きてきたようだね。旧式の小型カメラやGPSなど外部につけて、まるで『mouxjノウ』があるかのように育てられた。素晴らしいご両親だ」

 男が親を擁護するような言葉を吐くたび、ムカムカと胸が焼ける。しかし俺の脳はクラクラとしたままで、口からは舌打ちしか出なかった。

 

「だが、彼らは君に肝心なことを教えるのを忘れていたんだ。『mouxjノウ』が何のためにあるかを、だ。『mouxjノウ』を持つ人間は、『mouxjノウ』の使い方や存在を生まれた時から知っている。呼吸の仕方を教えるようなものだから、気づくのは難しいことだけどね」

 男のくすくす笑う声が聞こえる。

「おっと、すまない。残念だが刑罰の続きだ。被害者側から反省の色が見えるまでと言われている」

「ま、待て! お、俺もこの体験をそいつにさせることができるんだろ⁉︎」

「先ほども言ったように、『mouxjノウ』ナシの君では無理だよ。ましてや今は小型カメラもない」

「さてはグルだな⁉︎ 親に頼まれたんだろう! 俺が、カメラや……家を燃やしたから! 反省しろって言うことか! 親が、お前らが悪いんだろ! 俺を束縛してあれもダメこれもダメって、いつまでも赤子みたいに扱いやがって! あんなもん虐待だ!」

「それは、教えでしょう。君がに遭わないように教えて大事に育てていたんだよ。『mouxjノウ』の存在は、監視ではなく、記録するためにあるのだから。自分自身を守るための……、おっと。はいはい、では刑罰の続きを」

 

 男の声がやむとまた『俺』が現れた。自分自身によって無抵抗のまま蹴られ、その度に蹴られた箇所に電流が走る。フラフラとする脳の中で、ぼんやりと親の声が聞こえる。

『困ったことをされたり、嫌なことをされたりしても絶対に反抗しちゃダメよ。どんなに小さなことでも、すぐにこのブザーを鳴らすの。そして誰かのもとに走って、助けて! って叫んで』

 握られた手の温もりを、目の前にあるかのようにまざまざと思い出す。

 

「た、たすけ、て……」

 小さな呟きを残して俺の意識は沈んだ。

 


「おや? どうします? 助けを求められたようですけど」

 白衣を着た男は、モニターを覗きながら隣に声をかける。

「いえ、予定通り続けてください。だって彼は記憶チップノウを持っていないんでしょう? でしたら仕返しされる心配はないのですから、とことんやってください。私の気が済むまで」

 体中に包帯を巻いた被害者の女は、にこりと微笑んだ。




 

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弱者 月山朝稀 @tukiyama-asaki

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