暗黙の了解

藤泉都理

暗黙の了解




 血以外に主食にできる飲み物はないか。

 食材を集めては時に組み合わせて、時に凍らせて、時に熱して、時に発酵させて。


 血のようにこれさえあれば生きていける。

 というものは残念ながら誕生させることはできなかったが、多種多様な飲み物をその日の気分に合わせて摂取すれば、血がなくとも生きて行けるだろうと確信を持った数日後に、せっかくこれだけの飲み物を編み出したんだしと喫茶店をすることにした。


 それから一年後。

 吸血鬼の飲み物に一目惚れをした人狼が喫茶店に足しげく通うようになり、三年後にはなんやかんやあって一緒に喫茶店を経営するようになって。

 五年後の今現在。






「今度はどれくらいの期間なんでしょうね」


 人狼の自宅を訪れた吸血鬼は出来立てを知らせる湯気の行く先を見てから、それを誕生させるホットケーキへ視線を移した。




 水木金土の十七時に開店、二十六時に閉店する喫茶店で。

 吸血鬼が飲み物を、人狼がホットケーキを提供していたのだが、人狼が自宅でホットケーキを作ることはなかった。

 ホットケーキは好きだが、喫茶店でしこたま作っているので自宅では作る気にならないそうだ。


 ただし、例外はある。

 一年に数回。不定期。

 ふらりと出て行く時に、人狼はホットケーキを作る。

 長持ちをする焼き菓子も一緒に。


『客商売をやっているのだから自分勝手に出て行かれては困ります。一言あってもいいでしょう』


 そう吸血鬼が何度言っても、人狼が前もって出て行くと言うことはなかった。

 ふらりと出て行く理由は教えてくれなくてよかった。

 ホットケーキを楽しみにしているお客様の為にも、前もって知らせてほしかったが、変えられないこともあるかと諦めていたと或る日。

 喫茶店の定休日、一緒に買い物に行かないかと誘いに人狼の家を訪れた時だった。


 自宅では作らないと断言していたホットケーキが。

 ほかほかと湯気が立って、中央の真四角に切られたバターがとろけはじめて、はちみつがほんのり浸みこむ、それはそれは美味しそうなふっくら黄金色のホットケーキが食卓の上に置かれていたのだ。

 

 食べたくなって、でも急に用事ができて食べられなかったのか。

 最初はそう思っていたのだが、その日から十日間。人狼は姿を消したまま。

 十一日後に何も言わずに喫茶店に出勤して、いつもと変わらずホットケーキを焼きまくっていた。

 急に姿を消して迷惑をかけたとの謝罪はないまま。


『客商売をなんだと思っているのですか?』


 吸血鬼は怒った。

 静かな口調だったけれど、意図せず牙を伸ばすほどに。

 それでも人狼は謝らなかった。

 あまりに頑ななので、ついつい怒りが上昇して、ぽろりと溢してしまった。


 不要な感情だ。

 人狼なのだ。

 強いのだ敵なしなのだ。

 けれど。

 何も言わずに急に居なくなると心配すると。

 言ってしまってから、だ。


 出て行く前にホットケーキを作るようになったのは。






「客商売をなんだと思っているのでしょうね。まあ、焼き菓子を作るようになってくれたので考えてもくれているのでしょうけれど」


 吸血鬼はきれいにラッピングされた焼き菓子を真正面で見てから、勝手知ったる顔でナイフとフォークを戸棚から取り出し、席に着いてホットケーキにナイフを入れて、すんなり切れた感触に身震いしつつフォークを突き刺して口に運び、もぐもぐと噛んでから飲み込み。

 目元に皺を作り、唇を波立たせた。


「せめて喫茶店に置いてくれれば分かり易いのですが」


 ホットケーキは温かいけれど、出来立てかどうかは正直分からない。

 否。出来立てではないだろう。

 いつもいつでも温かいのだ。

 なにか細工をしているのだろう。


 冷たいものは食べさせられないと配慮してくれているのか。

 出て行った日時を特定されたくないのか。


「別に追及するつもりはないのですが。はあ」


 どうせならば喫茶店に置いて行ってくれればいいのに。

 そうしてくれれば二階に吸血鬼の自宅があるので楽なのだが。


「まあ、鉢合わせる可能性が高いですもんねえ」


 どうしても出て行くと言えないのだろう。

 どうしても出て行く姿を見せたくないのだろう。

 それとも、気づいていたら出て行っていた、なんて、人狼も無意識という可能性もなきにしもあらずなのだが。


「一緒に暮らせませんか。と言えば分かるのでしょうか?」


 吸血鬼は独り言ちては、頭をやわく振って、食器を片付けにシンク調理台へと向かった。











(すまない)


 人狼は喫茶店がある方向へと顔を向けて、吸血鬼に向かって心中で謝った。

 まだ言葉に出せなかった。

 出せる関係ではないと思っているから。


(こんな姿を見せたら、がっかりするだろうな)


 本来、満月の時に人間の姿が解けて狼の姿に戻るのだが、人狼は不定期。不意に襲われる胸のざわめきを頼りにしている不出来な人狼。

 しかも、狼に戻った時の姿があまりにも頼りない。

 幼いのならば納得できるが、人狼はれっきとした成年者であった。


(あまりに美味しかったから)


 吸血鬼が創り出す飲み物が本当に美味しかったから、気づいたら足しげく通って、気づいたら働きたいと言っていて、気づいたら一緒に経営するようになっていて。


 不出来な姿を見せたくない。

 見せたらきっと吸血鬼は幻滅する。

 敵なしと謳われる人狼の姿がこれかと。

 そんなことはいわないと頭の片隅では訴えているのに、どうしても信用しきれない。

 今までずっと背を向けられ続けて来たから。


 本当は離れようとずっと思っていた。

 のに。

 どうしても離れられなかったから。


(ゆるしてほしい。今は。まだ)


 ホットケーキと焼き菓子を謝罪の証とすることを。


 今はまだ。

















 数日後?

 何年後?

 何十年後?


(まったく私がなんでもかんでもホットケーキでゆるすと思っていませんよね。まあ。ゆるしますけどね)


 ホットケーキを見た吸血鬼は、物陰からこっそり様子を見ているだろう人狼の姿を想像しては微笑んで食卓の席に着き、両端に置かれているナイフとフォークを手に取った。

 今日は果物盛りだくさんのふわふわとろとろのホットケーキ。


 刹那としてとけてしまうホットケーキにか。

 いそいそちょこちょことこちらに向かって来ているだろう人狼にか。

 吸血鬼は満面の笑みを浮かべてのち、眉尻を下げた。


(でも。時々は自宅でなんでもない時に食べたいですね。なんて)


 喫茶店で食べられるだけで十分なのに。


(お互いに胃袋を掴まれてしまいましたね)











(2023.1.24)


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暗黙の了解 藤泉都理 @fujitori

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