第40話 南天
「音々ー。虫干しなら俺が一人でやるから、日差しも強いし奥でじっとしとけ」
昨日店から自宅に持ち込んだ着物を手に縁側に出たら、すぐに知晃が追いかけて来た。
最近の彼は、音々の後ろをついて回ることが多い。
そして常にこちらの様子を窺っている。
「そう言って昨日もお店開けなかったでしょう?松本のおばあちゃんが心配してメッセージくれたから、今日は開けます。それから、虫干しもするの」
”もしかして体調悪い?なにか持って行こうか?”
慣れないSNSを使って音々を気遣う文章を送ってくれた年上の友人のためにも、絶対に今日は店に立つを決めている。
本当は昨日だってそのつもりだったのに、知晃が出かける予定になってしまったので、店は開けないようにと言われてしまったのだ。
小梅屋が自宅から離れているならともかく、徒歩30秒の距離で何があるわけもないのに。
知晃としては、自分が不在の間に万一お店で音々が倒れたらと思うと気が気ではないらしい。
「分かったって。あ、着物持つなよ。結構重いんだぞ」
「もう安定期だし、つわりも収まったから平気」
初めての妊娠は驚きと戸惑いの連続で、人生で初めて、食べ物を一切口に出来ない日が何日も続いた。
辛うじて水分だけは摂るようにして居たので、伊坂家の冷蔵庫には音々が好きな強炭酸水と、フルーツやしょうがのシロップが溢れかえっていた。
毎日青白い顔で横になっている音々を見て来ただけに、知晃の気持ちも分からなくもないのだが、今はこうして何でもおいしく食べられるようになったし、病院でも経過は順調だと言われているので、過剰な心配はしてほしくない。
「・・・・・・じゃあ、俺が衣桁に掛けるから、おまえは着物出してって」
何もかもを危ないからととりあげるのは良くない、と妊婦向けの雑誌で学習したらしいプレパパは、渋面を作って頷いてくれた。
山のようにある在庫を一気に虫干しすることは出来ないので、数日掛けて順番に行うのだが、大して広くない伊坂家の居間と縁側はあっという間にいっぱいになってしまう。
それでも、いつもは畳まれている着物が優雅に風を受けてたなびいている姿を見ると、それだけで気分が上がるものだ。
つくづく自分は着物好きなんだなと思う。
きっとこの性質は、生まれてくる子供にも受け継がれているだろう。
「はーい・・・・・・あ!」
「ん?」
音々の言葉に即座にこちらを振り向いた知晃に向かって桐ダンスを指さした。
「お腹が膨らんでくる前に、頂いた南天の帯付けたいなと思って」
つわりが始まってすぐに、厄除け、難逃れの意味を持つ南天の帯を松本のおばあちゃんがプレゼントしてくれたのだ。
早くつわりが収まって元気な赤ちゃんが生まれますように、と願いが込められたそれは、音々の体調が回復するまでずっと抽斗の奥にしまわれていた。
これからお腹の赤ちゃんが成長するにつれ着られる洋服は変わってくるので、いまのうちにお気に入りの着物に袖を通して、マタニティライフを楽しんでおきたい。
そのうち自分で着物を着るのが難しくなってしまうだろうから。
「ああ・・・そうだな。じゃあ、俺は可愛い兎柄の着物でも探すとするか」
子孫繁栄の願いが込められている兎の柄の着物に南天の帯は何とも縁起が良さそうだ。
「あ、お店に一重梅の可愛い兎柄、あったでしょう?」
音々の言葉に知晃がきょとんと首を傾げる。
「・・・え、覚えてない。店の商品俺よりおまえのほうが詳しいだろ」
最近は仕入れは知晃、商品管理は音々が担当しているので、人気の柄や品物はすべて音々の頭の中に入っていた。
「あったんです!赤い目の兎が飛び跳ねてて可愛いの。あれに合わせるとぴったりだと思う」
早速探しに行こうと畳に手をついて立ち上がれば、持っていた着物を放り出して知晃が腕をとってくれた。
「ふらついてないから平気」
「それでも一応念のため」
頑として音々の手を離そうとしない知晃に諦めて、二人でゆっくりと渡り廊下を歩いて小梅屋に向かう。
薄暗い店内に下りて明かりをつけると、知晃がまじまじとこちらを見つめて来た。
「・・・?なに?」
「顔色良くなったなと思って・・・血色いいと安心する」
心底嬉しそうに知晃が呟いて額にキスを落とした。
そっと背中を抱き寄せられて、着物探しを一時中断して知晃に身を預ける。
「欲しいもんあったらこの後買いに行くけど、なんもないのか?」
「差し入れが山盛りあるでしょう?何か食べたくなったら、一緒にお散歩がてらウエノマート行きましょう」
久しぶりに夫婦で歩くのもきっと楽しい。
こうやって穏やかに緩やかに、新しい未来へと歩いていくのだ。
音々の提案に、知晃が目を細めて幸せそうに笑った。
むすんで、ほどいて ~家なき娘と和服男子の仮初め結婚生活~ 宇月朋花 @tomokauduki
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