終章
自室でノートパソコンの駆動音とタイピングの音がひっきりなしに響く。必死に脳と指を働かせながら唸り声を上げる。少し煮詰まって考え込んでいる所で、やや気だるげな声に意識を割かれた。
「先輩、もう書き終わりましたかぁ……?」
「まだだ。そんな簡単に書き終わってたまるか」
「もうそろそろお昼じゃないですか。私お腹がすいたんです」
「でも集合時間までもう少しあるよな。もう少しだけ小説を書いていたい」
「でもあれから三十分経ちましたよ? だいたい終わるから、先輩が声かけてくれって言ったんじゃないですか」
「そんなこと言ったっけ」
「言ってましたよ、もう!」
わかりやすく怒って見せる。足をバタバタさせるな。埃が舞うだろ。
信愛の頭に、左手で軽めのチョップを喰らわせた。その甲にはもう光ることのない傷跡がある。なんとはなしにその複雑な線をなぞってみる。
枕に顔をうずめている信愛からは「うー」という低い声が返ってきた。
「もっとこの場面は丁寧に凝りたいんだ。聞いてくれ、敵が攻めて来る直前でヒロインの感情が爆発するんだけどな。なかなか心に響く表現が出てこなくて……」
「書けないのは、先輩の想像力が足りないからではないですか?」
「お前っ、それは作家に言っちゃいけないことの一つだから!」
初めは借りて来た猫のように、座椅子に腰掛けていた信愛も待ちくたびれたのか、疲れた様子を隠そうともせず、ベッドの方でだらだらと寝転んでいる。せっかくお洒落してきたひらひらしたカーディガンには皺が寄っていた。
暇つぶし用に貸した漫画も乱雑に転がっている。おススメを聞かれたから渡した文芸雑誌は、少しも読まれた形跡がなかった。ちょっとは関心持ってくれてもいいのに。
僕が『シア』と出会って約一年が過ぎた。変わらないように季節は巡って、桜がつぼみを咲かせる春先に、僕と倉橋は大学四年生へと進級した。そして信愛も無事に同じ大学へ進学できた。こうして僕たちは出会いを重ねた。
「主人公がヒロインを助けるっていう構図がありきたりじゃないですか?」
「いや、これでいいんだ」
「えー、それって作家の自己満足じゃないですか」
「いいんだよ、この物語は。僕の自己満足でいいんだ」
「……?」
今度はわかりやすく疑問の表情を作る。教える必要もないので、僕は作業へと戻った。
しばらく文章を書き続ける。僕が集中しているのを遮らないようにと気を遣ってくれたのか、何やら黙ってスマホを弄っているらしかった。パシャ。パシャ。おい、何勝手に写真撮っているんだよ。
そっと覗き込んでいると、誰かとのトーク画面にその写真を貼り付けているらしかった。いったい誰に僕の写真をリークしてんだ。そう思って画面を覗こうとしてみたが、光の反射で相手の名前は見えなかった。文面まで盗み見るのは流石に悪いと思ったので、視線をパソコンの方へと戻す。
えっと、どこまで書いたっけ。流れを読み返すか。そう思って文章を目で追っていると、引っかかった所があった。彼女に共有してみる。
「それとヒロインの子が名前を隠すんだけど、その理由を悩んでて。何かそれらしいものがあればいいんだけど、後付けって言われないか心配だな」
「ふーん」
ふーんって。もう少し興味持ってくれてもいいだろうに。
「じゃあこんなのはどうですか」
そう言う信愛はむくりと体を起こしていた。指を立てて、どこか嬉しそうに話しだす。
「その女の子の名前はお母さんが付けてくれた。偽名を使うことはその繋がりを断つことになってしまうから、女の子としては本名を使いたかった。です」
「なるほどね」
なかなか悪くない。即採用して、メモ帳に簡単にまとめる。なかなかに良いかもしれない。説明を終えて満足げな信愛はまた寝転んでいた。
一つの場面が落ち着いた所で、ぐっと伸びをした。それと同じタイミングでチャイムが鳴らされた。あれ、宅急便でも頼んでいたかな。覚えがないんだが……。
「あ、来ちゃいましたね」
僕が椅子で一人、十面相を繰り広げる横で、どことなく残念そうに惜しむシアは再度ベッドから体を起こして座り直した。
「挑発するつもりで軽く送ってみたんですけど、案外早かったですね。さすがです」
「来たってだれが?」
「ヤンデレさんです」
「え、ちょっ、いつの間に呼んだんだよ!」
「空いていますよー」
僕の了承を得ずに、信愛が玄関に向かって叫ぶと、訪問者が勢いよく扉を開けた音が聞こえた。慌ててブーツを脱いでいるのか、ガサガサと音がする。ドアを開けて、勝手知ったる顔で僕の部屋に来た人物は開口一番不満そうな声を上げた。ここまで急いできたのか、若干呼吸が乱れている。
「はぁはぁ……やってくれたわねシアさん。あの写真はいったいどういうつもりなの。あたしへの当てつけかしら?」
「あ、当てつけに見えちゃいました?」
「ええ、すぐさま保存してパソコンにバックアップしたくらいにね。そんなことよりあなたがここにいる理由を説明してもらおうかしら」
夜風がまくしたてるように早口で言ってのけた。そんなレベルの写真なら僕だって見てみたいんだけど。
「いえいえ、たまたまシン先輩の家に来ちゃっただけですよ。偶然通りがかった私を、優しい先輩が部屋に上げてくれたんです」
「集合場所は駅前だと言っていたでしょう。神無月くんの家の付近に行く必要は微塵もないはずよ。そのクズ男がナンパでもしない限りは」
クズ男って。酷い言われようだな、おい。
集合時間の二時間前に遊びに来たといって、無理やり上がり込んできた信愛を部屋に入れたのは確かに僕だ。彼女曰く、一緒に行けば、待ち合わせですれ違う心配がないと。
正直わからなくもないが、わざわざ二時間も前に来るのもどうかとも思った。追い返す理由もなかったのでこのまま部屋にいるというわけだ。え、僕が悪いのか?
「ちょっとシアさん、距離が近いのではなくて。その男はあたしのものよ」
「えーでも、夜風先輩はシン先輩と別れているんですよね? だったら問題ないのでは?」
「今後付き合う可能性はゼロではないのよ。つまりは未来の彼氏と仮定すれば、あたしの所有物に変わりないわ。だから手を付けないで頂戴」
ジャイアンもびっくりな理論だな、おい。現在ならぬ未来までも所有するのか。
白のワンピースに紺色のジージャンを羽織った姿で現れた夜風。春に似合うふんわりとした印象もあるが、どことなくカジュアルな格好だ。僕の傍まで来ると、指先で僕の袖の辺りをぐいぐいと引っ張って、むっとした表情を向けてくる。はい、僕が悪いんですね。本日も可愛いですよ、閣下。
そもそも僕が三人でご飯に行こうと誘ったのだ。進級進学のお祝いも兼ねたつもりだったが、僕の知らない所で戦争が勃発していた。先ほど信愛が撮った写真は夜風へ添付されていたらしい。それがどう映ったのか知らないが、夜風は慌ててやってきた。というわけらしい。
猫の喧嘩のように睨み合う二人を横目に、僕はいま出来ている所で作業を中断した。
口喧嘩ほど状況はひどくないが、空気が重いのも事実。出かける準備だけ進めて、この空間から早々に退散したい。鞄と財布をかき集める。事前に着替えておいたのは功を奏した。さすがに女子二人の前で下着姿を晒すのは気が引けるというものだ。
「ちょっとどこへ行くの」
「どこに行くんですか!」
残念ながら見つかってしまった。監視の目は硬かったようだ。
かといって脱走への罰があるわけでもなく、単に喧嘩を止めて欲しいだけだった。一悶着を起こして落ち着いた僕らは、誰からというわけでもなく出発の合図が出される。
「そろそろ行きませんか?」
「そ、そうだな」
荷物を担ぐと、リュックサックのチャックに付けた青色の御守りが揺れた。
同意して信愛の背に続いた僕を引き留めるように、夜風が不満の声を上げる。
「まだあたしは神無月くんの部屋を堪能していないのだけど」
「ちょっと待て。堪能ってなんだ堪能って。僕の部屋で何をするつもりだったんだ」
「漁るだけよ。もしくは他の女のものを処分するだけ」
「僕の意思とか自由とか、もうちょっと考えてね!」
冗談なのか本心なのか、相変わらず夜風はわからない。ベッドにしがみつく夜風を引きずるようにして立たせた信愛は、そのまま玄関へと連れ立って行く。この一年で随分と二人の距離も縮まった。歳の差はあっても、あんな風に気軽に友達として接することが出来るようになったのだ。
文句を言いながらも先に出て行った夜風とはよそに、信愛はくるりと振り返った。まだ何か言い足りないことでもあったのか。目で問う僕に、彼女は小声で尋ねてきた。
「本当に、私もご一緒して良かったんですか。夜風さんと先輩のデートだったのに」
「いいんだよ、僕が誘いたいから声をかけたんだ。君が気にすることなんて何も無い」
「パフェ一つくらいで、傲慢すぎますかね?」
「いいんだよ。傲慢な願いだって。誰だって……僕だって持ってる。我慢なんて必要ないんだよ。願いを全部、叶えて行こう」
「じゃあ。じゃあ私も! ――連れて行ってくれますか?」
「ああ、もちろん」
僕の返答に、何一つ曇りのない笑顔を浮かべる信愛。そのまま扉の前で待っていた夜風へとじゃれかかる。二人とも嬉しそうに抱擁を交わした。
パフェを食べに行く。いつか言っていた、でももう記憶には残っていない約束。
これから僕が紡ぐ物語は、あまりにも不出来でお粗末なお話だけれど、登場人物たちが全員笑顔であるなら――。
それはきっと。
ハッピーエンドというやつなんだろう。
荒廃の魔女 吉城カイト @identity1228
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