if 時を紡ぐ

帆尊歩

第1話 if 時を紡ぐ

美晴 一つ目のif


あたしは美晴、十五歳年上の夫、春馬と暮らしている。


そこに不満はない。


だって春馬は大手企業の部長で、収入だって十分ある。

だから私は全く働かなくていい。

ただ家の事だけをしていれば良い。

十五歳年上で、全然会話がかみ合わなくても、見ていたテレビも漫画も何ひとつ合わないから、どうでもいいような、それでいて楽しい会話も全くなかろうが。


何の不満もない。


たとえ春馬が、再婚で高校生の娘がいようとも。

私が四十歳で初婚であろうとも。

春馬が結婚した理由が、世間体と家族の世話だろうが、金銭的な不満はないし、そこそこの大きさのある持ち家、掃除や家事は大変だけれども、私は外に働きに出なくて良いし。

いえ、春馬としては妻が働きに出ることはあってはならないこと、世間体が悪いということらしい。

でも家計には余裕があるから、暇な時間カルチャースクールに通ったり、お友達とランチやお茶をする。

それくらいの自由はある。


だから何の不満もない。


娘の美月ちゃんだって、前のお母さんの事を忘れる事が出来ないから、根本的なところで私に心を許していないし、学校とかお友達の相談とか、本当の母と娘のような心の融合はないけれど、それは仕方のないこと。

多感な時期に、いきなり母親ですなんて言われたって。

だから美月ちゃんとのコミニュケートがうまく出来なくてもそれはしかたのないこと。

初婚で、いきなり十七歳の多感な娘の母親になったんだから、もっと酷いことだってあっただろう。

でも波風が立たない程度に親子ごっこが出来ている。


だから私はラッキーだ。


半年に一度の旅行も出来て、でもどこか楽しめなくても。

多感な美月ちゃんはそういう旅行には来たくはなさそうだけれど、なぜかついてくる。

まるで私を監視しているかのようだけれど、無視されたり、嫌なことを言われるわけではないから、


私はラッキーだ。


春馬さんは忙しい人なので、くだらないことを言い合ったり、笑い合ったりは出来ないけれど。

仕事が忙しくて疲れて帰って来るので、美月ちゃんとの関係の相談も出来ないけれど、


私はラッキーだ。


ちょっと気を抜くと、私はこの家の家政婦なのでは、なんて思ってしまう事も多いけれど。美月ちゃんと春馬も会話がないし、ただ同じ家に住んでいる、他人のようだけれど、金銭的な不安はないし、何でもあるし、


私はラッキーだ。

そう私はラッキーなんだ。





美晴  二つ目のif



私はラッキーだ。


夫の春馬は働いてくれる。

今度こそ続いてくれると思う。

だってこの間まで定職についていなかった。

今だって、アルバイトだけれど、最近は私に手を上げないし、四歳の美月にはまだ危害を加えたりはしていないから、美月はパパの事が大好きだし。

だから春馬は決して悪い人ではない。

知り合った時、確かに私は春馬のことを愛していたし、その結果美月もいる。

美月は可愛くて本当に良い子、あたしの派遣の仕事だけで、家族三人を養っていたから、大変だったけれど、


私はラッキーだ。


春馬がバイトだけれど、やっと働きに出てくれた。

お金に余裕がないから、家族の旅行はおろか、遊びに行くことも出来ないけれど。

ちゃんとご飯が食べられて、家賃も払えてる。


私はラッキーだ。


春馬はやっと改心してくれたのか、自分が働いていないことに負い目を感じて、私に手を上げなくなった。

美月にも優しい。


私はラッキーだ。


いつ春馬が、DVを復活させるか分からないし、美月に手を上げないか不安だけれど、今はやさしい。

お金がないから、大好きだったパチンコも、競馬も止めてくれている。

なんていい人なんだろう。

いつギャンブル癖が復活するか分からないけれど、まだ隠れてギャンブルをするまでにはなっていないから、


なんて私はラッキーなんだろう。


当面の心配事は、春馬が働きに出ると美月をどうしようか、保育園に入れるお金もないし、春馬が仕事をしていないときは、美月と一日中遊んでいた。

だから美月はパパが大好きで、あたしの言うことよりパパの言うことの方を聞くようになってしまった。

だって甘やかしすぎるから。

でも暴力を振るうくらいなら、甘やかせてくれた方が百倍いい。


私はラッキーだ。


もう少しお金があれば少し楽が出来るし、家族で旅行に行ったり、外でご飯を食べたり出来るけれど、お腹が空いて大変とか、美月にもっと食べさせてあげたいなんて心配まではない。

旅行なんて行かなくたって死なないし、何とか生活が出来ているんだから、


私はラッキーだ。


今は暴力がないし、何より私は春馬を愛していた。

一緒にいるだけでドキドキできたし、春馬のためだったら、何でもした。

今だって手を上げない春馬だったら、何でもしてあげる。

こんなに愛した人と一緒にいられるなんて、


なんてラッキーなんだ。

そう私はラッキーなんだ。




美晴 三つ目のif



私はラッキーだ。

春馬の不倫が確定できた。

春馬の勤め先は名も知れぬベンチャー企業だけれど、年収だけは凄い。

でも私にもそんな物に頼らなくても生きていけるだけの収入がある。

確かに春馬にはかなわないけれど、美月を引き取って、保育園に入れて働くことは可能だ。春馬は昔からモテていた。

おまけに今は高収入だ。

別に気にしなければどうと言うことはない。

離婚なんかしなくてもいい。

春馬は元々一人の女に興味を持つような男ではない。

そもそも結婚だってしたいとは思っていなかっただろう。

ではなぜ結婚したのか、それは今だ謎だ。


私はラッキーだ。


これでいつだって春馬と離婚が出来る。

別れるかどうかの選択権は私の中にある。


私はラッキーだ。


春馬は美月の事をさほど可愛いと思っていない。

どこかで声を掛けて、引っかける軽薄な若い女の方が春馬にとっては重要なんだ。

だから美月もパパの事を好きではない。

子供は分かるらしい。

パパが帰ってきたって、笑顔もない。

普通そういうば男親は寂しがる物だけれど、春馬はまとわりつかれなくて良かったと思っている。

だから別れても美月のパパを失ったという喪失感はないはず。


なんて私はラッキーなんだろう。


こんなにも別れるための条件がそろっているなんて。

私はなぜ春馬と結婚したのだろう。

かつては愛していた?

そうなのだろうか。

でも時がたつにつれて、こんな気持ちになった。

それが分かっただけでも、


なんて私はラッキーなんだろう。


そして美月を授かった。

美月の愛おしさは春馬の千倍もある。


私は本当にラッキーだ。


その事に気づき、そして、別れるだけの条件をこんなにも持っている。

本当に私はラッキーだ。




美晴 四つ目のif



私はなんて不幸なんだろう。

夫の春馬の会社が倒産した。

そのせいかどうか分からないけれど、春馬がうつ病を発症した。

まだお互いに三十になったばかりだから。

すぐに生活に困る状態だった。

再就職先も、うつ病と言うことで全く決まらない。

会社が倒産していなければ、傷病手当や休職扱いとか、何とかなったけれど、会社がなくなった。

するとどうにもならない。


私はなんて不幸なんだろう。


娘の美月は一歳になる前に死んだ。

元々心臓に病気を抱えていた。

私と春馬は生まれてくる娘に性別が判明した時点で、美月という名前をつけた。

だから春馬は、いつだって美月、美月と私のお腹に声を掛けていた。

それはもう生まれて家族の一員になっているかのようだった。

そのころは本当に幸せだった。

新し命、新しい家族。

あの時まではあんなに幸せだったのに。


私はなんて不幸なんだろう。


生まれる直前に先生から言われた。

心臓に欠陥がある。

まず無事生まれるかどうか分からない。

無事生まれたとしてもちゃんと生きられるか分からないと。

私と春馬にとって美月はもう家族の一員。

だから私と春馬は結束した。

そして無事出産。

小さな家族は私の腕の中で力強い産声を上げていた。

何だ平気じゃないか。

そのとき、私は心底安心した。

でも、美月は一歳まで生きられなかった。

病院の外に出たのは二回だけ。

退院というにはあまりに短い、お家での生活。

私たち三人での暮らしは、多分10日くらい。

美月のために揃えた物はほとんど使わなかった。

でもそれらは今でも捨てられない。

だって美月の形見だから。


私はなんて不幸なんだろう。


美月はもうすでに家族だったから。

忘れられない。

たった10日くらいでも、この部屋に美月はいて、ミルクを飲んで、私と春馬に笑いかけていた。

周りの人は言う、前を向けと。

そしてまだ若いんだから、また子供を作れば良いと。

でも忘れられない。


私はなんて不幸なんだろう。


それから何年もしないうちに、春馬の会社が倒産して、春馬はうつ病になってしまった。

美月の事も無関係ではなかったかもしれない。

春馬は病気のこともあり正社員が難しく、バイトになった。

なぜなら病気があるので、あまり長い時間は働けない。

私のパートと春馬のバイト代で生活している。

でも春馬はあまり働けないから、いつだって私たちは一緒にいた。

あまりに一緒にいすぎて、どんな些細なことも話し、もうお互いの知らないことはないくらい。


なんて私は不幸なんだろう。


夫だって元は他人だから知らないことくらいあるのに、新たな側面の発見に心が躍るはずなのに、春馬のことは何でも分かる。

何でも知っている。

秘密もミステリアスなところも皆無。


私はなんて不幸なんだろう。


春馬とはいつだって一緒。

ご飯を食べるときも、テレビを見るときも、買い物に行くときも。


私はなんて不幸なんだろう。


春馬は、私の嬉しいことも、悲しいことも全て知っている。

私の全てを春馬は知っている。

少しくらい知らないことや、分からないことがあってもいいのに、

そして私も春馬の嬉しいことも、悲しいことも。

全て分かっている。

でもそれは幸せなのかも知れない。





私は目が覚めた。

もう朝らしい。

でも夜が開けていない、部屋は真っ暗だ。

今まで見ていた人生は、夢?

布のように、織りなす人生の時。

いったい、どれが本当なんだろう。

私の頭は混乱していた。

まだ夢を見ているのか?

どれが自分の本当の人生?

どの人生が私の本当の人生なのだろう。

部屋は真っ暗で、まだなにも分からない。

いや起きて明かりをつければすぐに分かる。

どのifが私の本当の人生なのか。

そして私はどの人生を望み、どの人生に絶望しているのか。

そして現在の人生はいったいどれなんだろう。

起きればすぐに分かるはずだ。

ちょっと恐い。

どの人生が、私にとって幸せなのか、不幸なのか。

それを知ることが恐い。


でも私は確かめなければならない。

私の人生はどのifなのだろう。

私は意を決して起き上がった。

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