39 そして少女は生きていく

 救援部隊がケセトベルグ領に入ったのは、二日後だった。

 ドゥモイ伯軍は恐るべき統率により足早に撤退しており、部隊は無血で(逆に言えば追撃戦もできなかったということだが)領境を確保。

 その日のうちには先遣隊がサバロに到達した。


 魔物の軍勢と戦うため編制した部隊であり、しかも敵方には悪魔まで居るという話だったのだから、神官や神殿騎士として修行を積んだ経験のある、戦闘の専門家も多く擁していた。

 とは言え敵軍は撤退し、悪魔も先んじて討伐された。

 そのため彼らの仕事は、神聖魔法による負傷者の治療。そして、防人部隊が急ごしらえで用意した、悪魔封印の監修だった。


「うーむ」


 騎士鎧の上から法衣を模したサーコートを纏っている、シャラ領アッザル市領主ザフ・コッタ男爵は、封印設備を見て顔をしかめる。

 彼は神殿の武力たる『神殿騎士』ではなく、神殿に勤めて修行した後に領主として父の後を継いだ『神官騎士』だ。

 つまり本職の神官ではないわけだが、神殿でもっぱら戦いの知識を学んできたため、魔物や邪教徒、悪魔とどうやって戦うかという知識は、並みの神官以上だった。


「本当にこんなもので悪魔の魂を捕らえているのか?」

「何よ、私たちを疑うっていうの?」

「いや、済まない、そういうわけではないのだ。強度が足りるのか気になっただけだ」


 不満げなレベッカに、ザフは首を振って弁解する。


「こちらも準備が不十分でしたので、急ごしらえですが、上手く行きました。揺らぐ様子もありません。

 悪魔狩りエクソシストの皆様に引き渡すまで私がしっかり牢番を務めましょう」


 防人部隊の工作兵が、どんと胸を叩く。


 半ば廃墟となったサバロの街角に、奇妙なオブジェがあった。

 まず、各々に呪文を書き付けた十二本の石柱が円形に並んでいる。これが魂を閉じ込める檻なのだ。

 その列柱の間には、蜘蛛の巣のように鎖が渡されていて、真ん中に大人が二人くらい入れるサイズの瓶が吊されていた。ただのガラス瓶ではなく、街のポーション工房から持ってきた大型タンク。耐腐食・耐熱性を備えた錬金術器材だ。


 そんな瓶の中に、肉を削ぎ落とした悪魔の骨が投じられ、聖油を満たして封じてあった。

 吊り下げた瓶は、下から炎で炙られている。

 炎は昼夜を問わず、決して絶やすことなく焚かれ、まさしく地獄の釜の如く油を煮立たせ続けているのだ。


 防人部隊は魔王軍に備えて国境を守護する部隊だが、悪魔退治の専門家ではない。

 そもそも悪魔狩りエクソシストが使うような、洗練された道具も無い。

 この封印設備は、聞きかじりの知識と、今ここで用意できるものを結集し、『まあこれでいけるんじゃないだろうか』と作り上げたものだった。


「……念のため聞くが、中身は本当に悪魔の魂なのだろうな」

「それは間違い無く」

「なら構わぬが。

 流石にこんなものに人の魂を捕らえたら、懺悔して済むものでもない故な」

「霊的に敏感な方は近づけないよう、取り計らって下さい。

 悪魔が絶え間なく苦痛の叫びを上げているとのことで……それが聞こえて気分を悪くする方も居るようですので」

「ああ。私も晩飯が食えるか怪しい」


 ザフは、この設備に不備が無いか確かめるため、高速馬車でやってきた先遣隊だ。

 領境を突破しても休み無く、街に着いても休み無く、ここまでやってきた。

 その疲れが一気に出たかのように、彼は溜息をついていた。


 *


「性転換の魔法薬?

 伝説級の代物だが、存在するはずだぞ」

「本当ですか!」


 調合を依頼しに来たマウルに、ふと思い立ってアルテミシアが聞いてみると、マウルはあっさり首を振った。


 魔法の薬は、瞬時に怪我を治せる。

 ならば身体を作り替えることだってできるのではないかと思いついたのだが、ビンゴだったようだ。


 ひとまず危機が去って、落ち着いて考えてみれば、クレームを入れるため『転生屋』に会う方法など全く見当も付かない。

 それに比べれば、アルテミシア自身の手で作れるポーションは、男に戻る手段として遙かに現実的だ。

 人生のバグを修正する手段に、目処が立ったのだ。


 ……だと言うのに。


 ――あれ? なんか俺、あんまり必死じゃないような気が……


 もし男に戻る手段を見つけたなら、自分は喜んで、ほっと一安心して、目的のために必死になるだろうとアルテミシアは思っていた。

 だが、今、アルテミシアの心はろくに動いていなかった。


 ――どうでもよくなってる……?

   いや、そんなわけない! 『転生屋』を捜さなくても、自力で男に戻れるかも知れないんだぞ! 嬉しいに決まってる……よな……?


 アルテミシアは自分の反応の薄さに驚いた、と言うか戦慄した。

 まさか自分は現状を受け入れたとでも言うのだろうか。


 心臓が冷たく脈打って、この恐怖を忘れてはいけないとアルテミシアは強く思った。このままでは状況に流されてしまう。


「なんだお前、男になるのか?

 それとも飲ませたい相手でも居るのか?」

「ち、ちょっと気になっただけです」

「まぁお前ほどの奴なら、仕事してるうちに偶然作っちまうこともあるだろ。

 性転換だろうが若返りだろうが、なんでもな」


 マウルは半分呆れたような言い方だった。こいつに常識は通じないと、とうに悟りの境地に達しているらしい。


 ともあれ、アルテミシアにできる事と言えば、まずポーションの調合。

 そして、その延長線上に、男に戻るという目標が存在するのだ。


 ――ポーション調合を仕事にする理由が、一つ増えた、ってとこか。


 使うかどうかは、件のポーションを手に入れたその時に考えればいい。

 ひとまずアルテミシアはそう考えておいた。


 * * *


 ケセトベルグ領解放から一ヶ月後。


 領都・ケセトベルグシティは、とうに都市機能を復旧させていた。

 市街が戦場になったサバロとは異なり、都市そのものはほぼ傷ついていなかった、というのが大きい。占領後は魔王軍が使う予定だったのだから、クオルはなるべく街を傷付けたくなかったのだ。

 生存者も比較的多い。都市を占領していたドゥモイ伯クオルは、軍用魔獣の餌として容赦無く捕虜の住民たちを使が、必要以上に住民をシメず、また占領期間も短かったためだ。


 それでもやはり、混乱は大きかった。

 領主たるケセトベルグ伯レグリスが捕虜となり魔王国に連れ去られたことを筆頭に、ケセトベルグ領は上から下まで歯抜けになっている。

 虫食いのような穴をどう埋めて混乱を収束させるか、未だ、手探りの段階であった。


 そんな、どこか混沌とした賑わいの街角を、アルテミシアたちは歩いていた。


 ……ようやく普通に街を歩けるようになってきたところだ。

 アルテミシア、レベッカ、そしてアリアンナ。三人の功はもはや誰もが知るところであり、特にアルテミシアは外見が特徴的すぎるので、街に姿を現せば即座に目を留められてしまう。

 そうしたら周囲の全員が歓声を上げてこちらへ向かって来るのだ。レベッカが群衆を掻き分けてくれなければ買い物にも行けやしない。


「ええ? 神殿が今さら何をテストするの?

 あんな奇跡的な射撃、『ギフト』以外にあり得ないじゃない。証人は山ほどいるでしょ?」

「えっと、そこはもう確定なんだそうです。

 ただ、どの神様からの賜り物なのか、みんなの前でテストして確かめるんだって」

「ふーん……答えは組織内政治で決まって、テストは出来レースになりそうなニオイがプンプンするわ」

「そういうものなんですか……?」


 困ったように笑うアリアンナは、運動着の上に弓射用の胸当てという姿。狙えば当たるチートの持ち主だがそれに驕らず、今日も彼女は弓の稽古をしてきた所だ。


 故郷の村も、家族も失ったアリアンナは、現在レベッカの下に身を寄せていた。

 彼女は弓の扱いだけでなく、冒険者としての心得もレベッカに学んでいる。アリアンナは己の才能を活かし、冒険者として身を立てていくことに決めたのだ。


 いくらチート能力を生まれ持ったと言えど、アリアンナは性格的に戦いに向いていないだろう。

 彼女が才能に気付くきっかけを与え、戦いの道に引き込んだアルテミシアは、その事で少し責任も感じていた。

 結果論で言えば、彼女のチート能力を利用することで、アルテミシアも、彼女自身も、生き延びたわけだが。もう二度と弓など持たぬ方が、彼女は幸せかも知れないのだ。後からそう気づいて、アルテミシアは気に掛けていた。

 だがアリアンナは、無理をしているわけでもなさそうで、アルテミシアはちょっと不思議にも思った。


「ミーシャの方は?」

「……『ただの調合技術で、ギフトではないだろう』という結論になったそうです」

「馬鹿ね。結局分かりやすいものしか見てないんだわ」

「嬉しいような悲しいような……」


 アルテミシアは苦笑するしかなかった。


 魔物たちによるケセトベルグ侵攻は、悪魔絡みの大事件ということで、少し落ち着いたタイミングで神殿による調査が行われた。

 もしそこで自分も『転生者』だとバレてしまったらどうなるか、アルテミシアは心配していたが、アルテミシア自身の来歴に関してはろくに調べられもせず、チート能力の存在さえ看過された。


 ほっとする一方で、彼らがそういう曖昧な基準で物事を認定しているのだという怖さもあった。

 もしアルテミシアが『ケセトベルグを救った英雄』でなかったら危なかったのかも知れない。


 ともあれ、これで晴れてアルテミシアは、堂々と調合チートを使える身の上となった。


「それよりも、こんな褒賞で良かったの?

 ねだれば爵位くらい貰えたでしょうに」

「そんなのあってもどうすればいいか分かんないって!

 いいの、これで!

 これが今のわたしにできることって言うか……一番しっくりくるから」

「ふふっ。

 ま、そうね。ミーシャがそう思ったなら、きっとそれが一番なんでしょ」


 功労者である三人は、褒賞を賜ることとなった。

 とは言え、こんな状況でふんだくるわけにも行くまい。


 アルテミシアが求めたのは、領都の横丁に建物一つ。

 空き家となった店舗兼住宅を、領側が買い上げてアルテミシアに下賜したのだ。


 元が何だったかは分からないが、アルテミシアがそこを訪れたときには、もう綺麗に掃除がされて、一階店舗もその上の住宅も、ただの綺麗な箱になっていた。


 戦いは終わったと言えど、未だ混乱の最中にあるケセトベルグ領では、ポーションの一本で生死を分ける局面がいくらでもあるだろう。

 そこにはアルテミシアのできることが、あるはずなのだ。


「さて……生きていこう!」


 未だ看板すら掛かっていない店。

 それはまさしくアルテミシアの人生だった。

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ポーションドランカー【リライト版】 ~転生失敗最弱TS少女の生存戦略~ パッセリ / 霧崎 雀 @Passeri

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