第3話 彼女の力

 夜空を俺達二人で翔ける。霧崎が作り出した風の魔法による移動だ。『球風ボール・ウィンド』という魔法で、その名の通り、対象を風の球体に入れて飛ぶ。魔力を持たない者には姿ごと視認できず、風圧から防護してくれる事から、組織内でも重宝されている魔法の一つだ。この魔法は技術さえあれば二人で一つの球を共有する事も出来るらしく、現に俺達二人も、今一つの球体に一緒に入って移動している。

 作り出した当の霧崎は、変身時に使用していた青いクリスタルが指し示す方向を見ている。それ、羅針盤の役割もあるのかよ。便利すぎないか? そのクリスタルに魔法で機能を備え付けているのだろうか。

 変身する程の魔力もかなり必要そうだろうし、羅針盤の役割も付与するとなると、相当の魔力量の持ち主という事になる。潜在的に有しているにしても、この年齢でそれほど持っている奴を見た事は無い。

 魔力量の事は今はさておき、確認をする為に声を掛ける。


「おい、霧崎、何か苦手なのあるか?」

「…………?」


 霧崎が無表情で振り向いた。僅かに首をかしげているように見えたから、うまく聞き取れなかったのかと考えて、もう一度言う。


「だから、苦手なものだよ。俺はサポート役だから、結界以外でお前をどうサポートすべきか、知っておかなきゃだろーが」

「…………要らない」

「は?」

「…………結界だけで……十分……」


 意味が分からなかった。サポートの要らない戦闘員は聞いた事がない。どの戦闘員にも苦手分野はあって、それを補うのがサポート役の役目なんだ。俺がこいつのサポート役に決まったのもそういった要因があるはずなのに、そいつは俺のサポートを要らないと言う。苦手分野が無いなんて事はありえないから、おそらくは俺を信用していないという意味なのか?


「ちょっと待てよ。今日会ったばかりの奴を信用しろっつっても出来ねぇのは仕方ないとしても、これからトイフェルと戦うんだぞ。意地張ってる場合じゃねぇだろ!」

「…………違う」

「あ? じゃあなんだよ」

「…………無いんです。……苦手なもの…………」


 はっきり聞こえた言葉を理解する時間はそうかからなかった。しかし、何か言えるような時間は無かった。目前に、標的の姿が見えたからだ。

 人気の無い通り。そこを闊歩する巨大な姿を発見する。そいつは人の骨格に太い木のつるを巻き付けたような、人型の植物に喩えられる。だが、それに備わった獰猛なイヌ科の頭部はいかにもアンバランスで、気味悪さが増している。だが、それがトイフェルというものなのだ。

 その近くで、何かが見えた。目標の奥に見える手足。へたり込んでいるのが見える。他に人の姿が見えない事から、おそらく遭遇したのはそいつだけか。偶然とはいえご愁傷様だ。


「……行って」


 突然、霧崎に身体を押された。不意の事にバランスを崩し、俺は球体から身体を出す形にな――――え?


「どわぁぁっ! ちょ、おい、霧崎ぃーーーーっ!!

 ……って、あれ?」


 落下したかに見えた俺の身体は再び宙に浮く感覚を覚えた。先ほど霧崎の魔法で移動した時と同じ感覚だ。つまり、『球風ボール・ウィンド』が今俺にかかっていた。……おいおい、ちょっと待て。同時に魔法発動って、有り得るのか? 少なくとも今まで俺が得た知識の中には無かったぞ、そんなもの。

 霧崎に問いかける前に、身体が勝手に動き出す。正確には『球風ボール・ウィンド』が、だ。向かう先はトイフェルに襲われようとしている女性のもと。トイフェルが腕を振り上げたのを見て、急いで体内の力を混ぜて練り上げると呪文を詠唱する。


の者を守れ――――ウォール!」


 右手を突き出し、対象を設定。言語で発動。女性の前で見えない壁が一瞬で作り上げられ、トイフェルの拳を阻む。よし、間に合った!

 霧崎がこの球風を操縦しているんだろうか。トイフェルの足の間と縫って女性の許へと回り込むという、俺の意思とは微妙にずれた経路で目的の場所へ辿り着く。両足を地面に揃えて向けると、『球風ボール・ウィンド』は足元から溶けるように消えていった。

 OL然としたスーツを着た女性が驚いた顔でこちらを見て、それからトイフェルと俺を交互に見る。訳が分からないといった顔だが、説明する暇は無い。もっとも、そんな事は例外を除いてしないけど。


「大丈夫ですか。こっちへ」

「えっ、あの……」


 何か言いかけたのを無視して彼女を引っ張り上げ、トイフェルから離れた場所まで連れて行く。建物の陰に移動させた後、ポケットから魔力札の束を取り出して一枚抜き出すと、それを女性に向けた。


「すいません、失礼します」


 ハイヒールを履いているからか、やや高い女性の額に札を押し付けると、オレは簡単な呪文を紡ぐ。


「しばし深淵の眠りへ――――スリーピング


 一瞬だけ身体を震わせてから、女性は目を閉じて倒れこんだ。それを支えて、横たえる。この状況で人一人抱えて移動するのは無理なのだから仕方ない。爽やかな香水の匂いに混じって化粧独特のキツイ匂いが鼻腔に届き、そのミスマッチに思わず顔をしかめた。ま、偶然とはいえ胸が触れたからいいか。

 冷たいアスファルトに置いた事はちょっと申し訳なく思ったがそれだけだ。今はトイフェルを倒す事が先決。

 振り返ると化けトイフェルは頭が狼に近いくせに知能がとても低いのか、何度も結界の壁に拳を打ち付けている。おいおい、普通に回り込めば来れるだろ……。

 だがこのチャンスは逃せない。霧崎の攻撃がまだ見えない辺り、準備に時間も要るんだろうと解釈する。だったら少しでも長くこっちに注意を引きつけるしかない。トイフェル専用の結界を新たに作り出す為、俺はさっきのより少し長い呪を早口で唱える。


「立ちふさがりし闇の眷属、その身を囲え、くうを隔たせててよ――――サラウンド


 さっきまで殴りつけていた壁が消えた事で拳が空を切ってつんのめる。それの落下地点を予測した上で、自分の力を新しい結界精製に注ぎ、練り上げる。奴を囲む立方体を思い描くと同時に、それが奴の足元から作り上げられていった。一瞬で奴が立ち上がるまでの高さまで覆ったのを見て、成功した嬉しさで思わず口の端が吊りあがる。

 ようやく自分を囲む異変に気付いたようで、攻撃の手を止めて辺りを見回す。奴に霧崎の存在を気付かれては困る為、さらに攻撃用の札を一枚取り出し、それを投げた。俺の意思のままにそれは舞い踊り、結界内へ難無く侵入すると、トイフェルの右足のそのふくらはぎへ糊を塗ったように貼りついた。


「我が敵を爆ぜよ――――ボンバー


 紙のサイズより二回りも大きなサイズの爆発が起こり、トイフェルの足が一瞬だけ火と煙で隠される。奴が何かを叫び、頭上を仰ぐ。しかし声は届かない。トイフェル対策の結界っつぅのは、こいつの存在を他者に知らされないように空間を隔絶して閉じ込めるものだ。先程の『球風ボール・ウィンド』と同じで、魔力持ちにしか姿が見えないようにさせている機能付きで。だから結界の中で何が起ころうと、奴が叫ぼうと、それは結界の外に漏れる事は無い。

 足を切り離すのに成功したようで、ふくらはぎから下の足が地面に倒れた。バランスを崩して奴が膝をつく。咆哮なのか、口を大きく開けて俺を睨みつける。狼の鋭い眼光に唾を飲み込んだが、爆発の影響で体に巻きつくつるも僅かに燃えている化け物は怖くなかった。


「けっ、いいザマだ」


 吐き捨ててこちらも睨みつける。過去の記憶とこいつの姿が重なった。あの時の化け物とは違うのに、奴がトイフェルであるというそれだけで、自然と唇を噛む力が強くなる。……いけねぇ、抑えろよ俺。自分の闇に呑まれるなって、義父さんも師匠も言ってただろうが。

 このままこいつをなぶりたい衝動を抑えつけながら、俺は霧崎の出方を待ちわびる。

 早く来いよ、霧崎。さっさとこいつを殺してくれ。俺がまだ自分を抑えられる間に。


月光照逝ムーンライト・ダイ


 トイフェルを含む結界の後方で声がした。まだ聞き慣れない、だけども耳に少しずつ馴染んできたその声に安堵したのと、一筋の金色の光がトイフェルの体を下から上へと切り裂いたのはほぼ同時。断末魔の叫びを上げる事無く裂けた体を見て、俺の中の黒い感情が愉悦の声を上げる。――――ザマァミロ。

 化け物の体が分解を始める。まるで灰の塊が崩れ落ちるように細かく散っていき、風化する。トイフェルの正体が分からない理由の一つだ。こうして遺体も異物も残さないせいで、どうやって生まれたのか、もしくは作られたのかが分からない。


 時間にして僅か数秒の中で、俺は彼女の姿を見つけた。『球風ボール・ウィンド』に入ったまま佇むゴシック風の服を着た少女。

 金色の光が霧崎の手に帰る。頭上で受け止めたあいつの背後には半分の月が。トイフェルを斬り裂いたそれの光源が弱まり、正体を現す。彼女の身の丈ほどはある巨大な三枚刃のブーメランだった。

 陰になって見えないはずなのに、何故かそれが見えたのは、異常に視力というか夜目が良すぎるせいだろう。


 霧崎の口元が三日月の笑みを浮かべていた。

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魔法少女との付き合い方 月夜見うさぎ @kotousa

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