第3話 頭飾りのゆくえ
「ただいま戻りました、姉さん」
宿舎の共同部屋のドアを開ける。共同部屋といっても、孤児保護施設『
「おかえりー、ジョシュ!」
玄関と居間を
「んぐ」
風がジョジュエの
「ど、こ、ほっつき歩いてたんだよー、私のことを家にほっといてさー!」
ジョジュエに飛びついてきた突風の正体は彼の姉であるクレセトだった。満面の笑みを湛えた姉は、弟を抱きしめた姿勢のまま左右に身体を揺らす。まるで太陽のような元気と明るさにあてられジョジュエの体温はだんだんと上がっていっていた。
「私に何も言わず出かけちゃってさー、こそこそ何してたの、ん? お姉ちゃん怒らないから話してみてよ」
「姉さん、には、関係、ないです、から」
ぐらぐらと、ジョジュエは心身ともに揺さぶられながら出かけていた理由をどうごまかそうか思考を巡らせようとする。しかしクレセトの前ではなかなか冷静になることができないかった。最近は特にその傾向が強まっていることを、齢十を迎えようとしているその子供は自覚していた。自分が幼さを欠いていくにつれ、物心がついてから今まで抱えてきた
「関係ないこたないでしょー、私はジョシュのお姉ちゃんなんだよ」
木管楽器を吹いたような滑らかな声がジョジュエの耳を響かせる。その音色は大切な弟への想いによって、最も心地よい音階に調律されていた。
「いいかげん離してください姉さんっ」
「むー」
つれないなー、とクレセトは拗ねて見せる。
「じゃあどこに行っていたのかお姉ちゃんが当てて見せようかなー」
クレセトはジョジュエを抱きしめた姿勢のまま上半身を右に傾かせた。
「第一宿舎に行ってたのかなー」
クレセトはジョジュエを抱きしめた姿勢のまま上半身を左に傾かせた。
「……ちがいます」
「じゃあ、おじさんに
「……それも、違います」
「えーじゃーなによー」
そんな姉を振りほどきたくて、ジョジュエは自分を抱きしめる姉の身体を押しのけた。
「姉さん、あんまり子ども扱いしないでください」
「……」
「ごめんね、お姉ちゃんちょっとしつこかったね」
弟から突き放された姉は天真爛漫さをぬぐい取り、優しく落ち着いた声で呼びかけた。
「でもねジョシュ、何も言わずにどこか行っちゃうから心配したんだよ?」
「……」
「隠したり誤魔化したりは、お姉ちゃんやだよ?」
心配するクレセトの視線に射抜かれてジョジュエの心は締め付けられるようだった。
これはサプライズのための隠し事であり、決して悪事を働いたことをごまかしているわけではない。そう心中で自分に言い訳してみても苦しいものがある。
「……姉さん、これを」
気まずさに耐えかねたジョジュエは、自分の肩にかかったポーチを開け中の物を取り出した。これをクレセトに見せるのはもう少し後の予定だったが、それまでこの空気を堪えるのは無理だと思った。
「それはなあに?」
「姉さん、もう少しかがんでください」
「?……うん」
クレセトは膝をついた姿勢から腰を下げて前のめりになる。ジョジュエの目前には左回りつむじがあった。その中心からきめ細やかな
自分の姉の一連の仕草に感情を少しばかり揺さぶられながら、右手に持った頭飾りをその左耳辺りに近づけていく。きめ細かな薄灰色の髪を軽く手で梳き耳の後ろにくぐらせると、そのうちの幾千本かを
「ジョシュ、くすぐったいよ」
「あ、ごめんなさい……」
「怒ってないってばー」
文字だけでは抗議の意を示しているようだが、先ほどの雰囲気とは打って変わって言葉を乗せる声の音は期待感を
「ジョシュってお姉ちゃんの髪の毛触るの好きだよね」
「それはっ……」
頭飾りを髪に結い付けるジョジュエの手がぴたりと止まる。
「いつも姉さんがだらしないから、僕が髪を
「へへ、だってジョシュがやってくれた方が早いし綺麗になるもんね」
くすくすとクレセトは笑う。弟に髪を触られるのがこんなに嬉しいものかとジョジュエは思った。
(僕が髪を触るのが好きなんじゃなくて、姉さんが髪を触られるのが好きなんでしょう)
ジョジュエはそんな言葉を声には出さず、口の中で転がした。自分がクレセトの髪を触るのが好きだというのは事実なのだから。この姉はとんだ弟たらしような気がしてならない。
「——終わりました、姉さん」
ジョジュエは頭飾りを結いつけ終わると、名残惜しそうにクレセトの髪からゆっくりと手を離した。それを合図にクレセトが顔を上げる。
「ジョシュはお姉ちゃんに何をしたのかなー」
姿勢は前のめりのまま、クレセトは再びジョジュエと視線を合わせた。先程よりも二人の間の距離は狭く、互いの
「贈り物です。来月から神学校に行く姉さんへのお祝いにと思いまして……」
「ふぅん」
ジョジュエは保護施設の保母や別部屋に暮らす友人から助言を貰い、クレセトにサプライズを仕掛けるという計画を立てていた。そんな少年の企ても、持ち前の不器用さと被仕掛け人の察しの良さが悪いように噛み合う結果になってしまったが、その結果はこの
「住む場所も別々になってしまうから、日頃の感謝を形にしたくて……」
「ふぅん」
話せば話すほどクレセトの顔は
「どう、似合ってるかな?」
「はい、似合ってます」
「ほんとにー?」
クレセトは首を右下に傾け、ジョジュエに左耳の辺りを見せるような姿勢をとっている。
「……気になるなら姿見でも確認してみてください」
「はーい」
クレセトは腰の近くまで伸びた髪を揺らしながら、姿見に反射した自分の頭をまじまじと眺める。色とりどりの
その姿を眺めるジョジュエは姿見の端に写る
「ありがとうね、ジョシュ」
ジョジュエは自分の頭に何かが乗っかったような感覚を覚えた。そのまま髪の流れに沿って前後になぞられていく。数瞬して、クレセトが頭を撫でているのだと気づいた。
「ありがとう」
「……どういたしまして」
小恥ずかしいような嬉しいような気分でジョジュエは姉の感謝を受け入れる。
ジョジュエは二人の絆が解けてしまうことがないように、そして今よりも堅いものになるようにと神々と姉に贈った頭飾りに願いを込めたのだった。
キャスラエルと星が残した私達 鴻鵠のしな @raicyu808080
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