第2話 親愛なる姉に

 ジョジュエは重大な考え事をしていた。彼の目の前には磨かれた真鍮に翠玉を模した硝子玉を嵌め込み、蒼や緑色で染色した小さな羽根を差した頭飾りがあった。


「おい坊主、大丈夫か」


 頭飾りが置かれた台の反対側にはそれの売り手である男性が腕を組んで、困ったように目の前の子供に話しかけた。


 聖城都サンメレイア。十二神を信仰するために建造された最初の城と、それを取り囲むように四つの区域に分けて人々の営みに必要な建物が並ぶ、大陸有数の都だ。初代城主クリス・センテマと神託を賜る聖女アレクシアによって繁栄した都で、二人の偉業を称える物語を、書き記した石碑が区域ごとに一つづつ置かれている。都は彼らの偉大さを示すかのように分厚くて高い城壁によって守られている。月のように輝くマーブルによって造られたそれは、本来なら外観を損なうはずがより一層の神聖さを醸し出していた。


 聖城都サンメレイアの四区のうち西部区域では都外からの取引が盛んで、サンメレイアとの玄関口とも言われる貿易所のすぐそばにはスークァと呼ばれる大規模の市場が設けられている。市場の大通りには多種多様の工房や商店が看板を上げていて、それに沿うように品々を求める人の流れが作り出されていた。


 通りゆく人々や売り手の声で賑わう市場の一角には、深緑色の外套を羽織った、絹糸のような光沢のある銀髪の子供が貨幣を入れた袋を握りしめて、値札に書かれている数字を見つめて唸っている姿があった。


「値札が読めないのか? この頭飾りは一銀貨と三銅貨だよ」


 露店の売り手である男性がその子供、ジョジュエに話しかけた。ジョジュエは声に反応し、申し訳なさそうな顔を上げた。


「いいえ、字が読めなかった訳では無いのです。ただ、手持ちが不安でして……」


 ジョジュエの発した声は確かに、子供特有の無垢で鈴のように響くようなものだったが、紡がれる言葉は幾分も大人びていて落ち着いた雰囲気を持っていた。売り手の男性の目にも、齢十となる自分の息子よりも幼いように見えたが、学び舎に通う青年のような眼をその子供が向けてきたことに驚いた。


「他のにも安くて似合いそうな物ならあると思うぞ。なんなら試しに着けてもらって構わない」


 売り手の男性は、ジョジュエの綺麗な銀髪を見て言った。実際、色素の薄い髪色に鮮やかな飾りを付けるというのは、真っ白のキャンパスに水彩で描くように、実に様になるものだ。しかしジョジュエは男性の言葉に首を振った。


「お気持ちは、とてもありがたいです。ですが、僕は、この頭飾りを人に贈ろうと思っていて、一番似合うと感じたものを選びたいのです」


 自分の言葉をひとつひとつ確認していくようにジョジュエは言った。その言い方に気付いた売り手の男性は、ジョジュエが普段からそう話している訳ではない、まだ慣れていない喋り方で子供が少し優せているだけなのだと感じて微笑ましい気持ちになった。


「母親か、兄弟姉妹か?」


 売り手の男性は先程よりも優しげの混じった声でジョジュエに問いかけた。


「……」


 ジョジュエはその問いに、困ったように顔を逸らした。その反応を見た売り手の男性は何かを察したかのようにこっそりと微笑んだ。


「坊主、交渉って分かるか」


 売り手の男性の言葉に慌てて逸らした顔を向き直り、男性を見た。ジョジュエ自身には分かるはずも無かったが、幼く滑らかな肌はほんの少し赤くなっていた。


「交渉、ですか?」


 ほぼ反射的に顔を逸らしたことを取り繕うようにジョジュエは聞き返した。


「物を買いたい時はな、店や商品の色んなところを細かく見るんだ。一つの店に限らず、沢山の店をしっかり観察する。そして、些細な発見でもいいから、その店の突かれたら弱そうなところや、他の店と比較する話、人情に掛けた話なんかを持ち出す。そして買いたい商品を指して、幾らか安く出来ますか、なんてするんだ」


 売り手の男性は悪巧みを共有する男児になった気分でジョジュエに言った。


「本当はもうちょい駆け引きとかあるんだがね、大人になった時に俺の言ったことを思い出してみるとかでもいい」


「そう、ですか」


 ジョジュエにはまだ早い話だったようで、まだ呑み込めてないように相づちを打った。売り手の男性もこの反応は予想していたが、目の前の子供なら早いうちに理解するだろうと考えて言った。


「だからな、坊主。欲しいその頭飾りを指して俺にこう言えばいい。好きな子に頭飾りを贈りたいけど手持ちが足りないので安くして欲しい、とね」


 ジョジュエは顔から火を吹いた。そう錯覚するくらい、分かりやすい反応を見せた。


「ち、違います。これは、そういうのじゃ」


 慌てて訂正するような反応を見せたジョジュエに売り手の男性は満足げに笑った。


「分かってる分かってる。要は嘘でもいいからそういう風に言うってこった。話を聞いて元々少し値引くつもりだったんだが、思ったより反射が良かったし、からかった詫びも合わせて、銅貨八枚でどうだ」


 その大幅な値下がりにジョジュエは驚いた。銀貨一枚の価値は銅貨十五枚相当であり、売り手の男性が銅貨十枚分の大きな値引きをしたことになる。


「それは、申し訳ないです」


 ジョジュエは、先程の照れの余韻を上塗りされたように動揺した。


「いいんだ。言った通りからかった詫びだし、坊主が贈り物にするんだったら俺も満足だよ」


 売り手の男性はそう言うが、ジョジュエとしてはまだ申し訳ない気分が消えなかった。数瞬ほど考え、思いついたようにジョジュエは言った。


「でしたら、交渉。申し訳ないので、銅貨十二枚です」


 その言葉を聞い売り手の男性は大笑いした。市場のあちらこちらから聞こえる声をかき消すほどの声量で笑った。


「交渉成立だ」


 一通り笑った売り手の男性は、困ったように俯いたジョジュエを見て言った。


 丁度十二枚の銅貨と、羽根の頭飾りを交換する。ジョジュエの手元に渡ったそれは見た目よりも少し軽かった。


「ありがとうございます」


「今後ともご贔屓に」


 売り手の男性は微笑んでそう言った。ジョジュエは軽く手を振って返した。お互いの姿は道行く人によって見えなくなった。


「さて」


 ジョジュエは思ったよりいい休暇になったと感じていた。自分の胸の内を透かされたのは少し恥ずかしかったが、当の本人に見られた訳では無いから良しとした。


 羽根の頭飾りを外套の広い物入れに丁寧に仕舞い込んで、ちょっとだけ急ぎ足で自分の住処へと向かう。ジョジュエの向かう先は西から北、北から中央。


 聖城都サンメレイアの北部区域、聖法下管轄部の孤児受け入れ施設の一つである、『福音の籠』宿舎である。

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