硝子の目玉

高黄森哉

掃除


 窓の外では、雨がしとしとと降っている。また、アジサイが咲いていて、紫の小さい草花は、雨粒に上下している。タタタタタ、と子気味良く拍子を刻むのは、雨どいからの流水だろうか。窓はほんのり、白く曇っていた。


 お手洗いの掃除を任されている村田は、デッキで薄ピンク色のタイルを磨く。雨の匂いと、甘いトイレの芳香剤と、洗剤の匂いがまじりあっている。


「ねえ、大丈夫」


 さっきから開かない個室をノックした。無神経かと思うだろうが、それは、彼女なりの優しさなのだ。もし、無事ならば無事で、相手は嫌な思いをするだけだ、でも、無事でないなら相手は傷ついてしまう。

 廊下の方から、騒ぎ声が聞こえる。男子生徒が二人、何かを見つけて、騒いでいるようだ。うるさいな、と思い、一旦個室のことを忘れ、注意しに行く。トイレから出る時、履いていた長靴を、脱いだ。


「なによ。掃除中は静かにしなさい」

「うわぁ。田村が出て来たよ。いや、でも、これなんだと思う」


 銀色の流しには、真っ白いさらさらとした液体が水溜りを作っていた。


「誰かが吐いたんじゃない。牛乳よ。汚いから流しなさい」

「うえぇ。田村がやれよ」


 仕方がない。押し付け合っても埒が明かないだろうから、率先して掃除を遂行する。スポンジで流しにぽっかりと空いた、穴へ液体を寄せていった。その時、ごろごろとスポンジが、何かを下敷きにした。スポンジを裏返して、それを摘まみ上げたそのとき、悲鳴が聞こえたので、とっさにそのゴミを穴に放った。


「大丈夫」


 明らかに大丈夫そうではなかった。同じ、掃除区画を担当している、摩耶香が水浸しの床に、尻もちをついている。顔がいつにまして白かった。


「あ、ああ」


 彼女が指さすそこには、昼前にお手洗いにいって戻ってこなかった朝倉さんがいた。田村は、右目を押さえる彼女に、事情を尋ねる。


「あのね。授業中、コンパスを目に刺しちゃったの。眠くて眠くて、クラって。それでね、手洗い場の鏡で見ようと思ったの。そしたら、白い液体が」


 右目の覆いを外すと、彼女の目は透明で、眼球裏のピンク色が鮮烈に透過されていた。田村はぞぞぞっと怖気が背中を八本足で走った。大変なことをしてしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。



 あの白い液体は白目だったんだ。摘まみ上げ、捨ててしまったのは、黒目だったんだ。




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硝子の目玉 高黄森哉 @kamikawa2001

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