大阪七福神

香久山 ゆみ

大阪七福神

 昨年は悪いことが重なった。

 新しい年がはじまったが、新年早々良くないことが続くので、もう縋るものは神様しかないと、大阪七福神をめぐることにした。

 正直、嫌なことばかりの日々で、鬱々と閉ざされてしまった心では、出掛けたいなんて思わない。この一、二年でとんだ出不精になってしまった。外出が億劫。でも、ずっと引籠もっていること自体にも罪悪感を持ち、さらに悶々と気分が塞ぎこむ。悪循環。どこかで断ち切らねばならない。

 そんな時、ネットで見つけたのが「大阪七福神めぐり」。大阪市内の各七福神を祀る寺社をめぐる。目安時間は徒歩で四時間程だという。この辺りなら、うちの会社の近くであり、行動圏の範疇だし、私なら三時間くらいで回れるだろう。それくらいなら、今度の休日、たまには外に出てみようか。

 そうして、日曜日。私の七福神めぐりの旅は幕を開けた。

 だが早速、自宅の最寄り駅のホームに降りたところで、スマホを忘れてきたことに気付く。が、ちょうど電車が入ってきたので、そのまま乗り込み、出発することにした。行動範囲内だし、簡単な地図は印刷してきたし、まあ大丈夫だろう。

 まずはJR玉造駅で降りる。ネットでは南下していくルートがお勧めだと書き込まれていたので、それに倣うことにした。はじめて降りる駅。会社の近所といっても意外と知らない場所があるんだなあ。西に向かって歩く。真田幸村の幟の立った路地やアーケード商店街をキョロキョロしながら歩く。あ、クレープ安い。いやいやでも、三時間で七福神をめぐらないといけないから、寄り道は最後。

 A4紙に印刷した小さい地図を頼りに道を進む。たぶんこっちの方だと思うんだけど。住宅地に入っていくにつれ不安になるが、進行方向に木々の生い茂った様子が見えて安心する。きっと神社だ。会社ビルや商業施設が多い大阪だが、この辺りは寺社も多く、境内に緑が残った場所も多い。

 案の定、そこは神社で、隣は公園になっている。境内に続く階段を上っていくと、真田幸村の像がどおんと立っている。かつて幸村の築いた城・真田丸があったという。幸村の背後には、ここから北に位置する大阪城まで通じたという抜け穴の入口が隠れている。格子状の鉄扉で閉ざされているその穴をじいっと覗いてみる。が、真っ暗で何も見えなかった。

 幸村を横目にさらに階段を上がり、三光神社の本殿が見える。健康長寿の利益がある寿老人が祀られている。心のもやもやが晴れて体がすっきりしますようにと手を合わせる。

 せっかくなので奮発して、七福神の絵が描かれた「大阪七福神めぐり」オリジナル色紙を購入して御朱印をいただく。立派な色紙に少しテンションが上がる。

 次は、福禄寿を祀る長久寺を目指す。ええと。手元の地図を見る。なんだか結構大雑把な地図だが、とりあえずさらに西に進めばいいようだ。

 しばらく行くと、「鎌八幡」の看板が目に入る。縁切り神社で、境内の木には鎌が刺さっているという。七福神ではないけれど。興味津々で門をくぐる。いや、せっかく七福神めぐりをするのだから、まずは自分自身の「厄」と縁切りしたいと思って。

 参拝を終えて道路に戻ると、あれ? 私どっちから来たんだっけ? 確か学校の脇を歩いてきたよな、と周りを見ると、あっちにもこっちにも学校が建っている。あああああ。ええっと。わからない。自分がどっちから来たのかどっちへ行けばいいのか、わからない。しばし交差点で立ち尽くす。しかし、ずっとこうしてもいられない。消去法と勘を頼りに、歩き始める。会社のある方向に進むのだ、たぶんこっちにうちの会社はある、気がする。

 不安が足取りを重くする。迷子はいやなのだ。非日常だから。不安が視界にベールを掛ける。薄い靄の中を歩いている感覚。このまま非日常に消えてしまいたい、とは思わない。なぜだか。

 十分ほど歩くと知った顔が見えた。クスノキ。なぜか車道の真ん中に、右車線と左車線に割り込む形で鎮座している。いわくがあるのだろう。ぽつんと取り残されたクスノキは、私と違っていつでもどんと自分の足で立っている。

 招徳人望のご利益がある長久寺では、生き抜くための人間関係を築く力を持ちたいと願う。お寺はビルに紛れていて、「七福神」の看板が出ていなければ素通りしてしまっていたかもしれない。けれど、ちゃんと来られた。

 弁才天をお祀りする法案寺は道頓堀川の近くにあった。完全なるミナミの繁華街の中、こんな場所にお寺があったのかと驚いた。しかも参詣者もいて、普段からよく来られている様子で。生活の中に溶け込んでいるのだな。知恵財宝のご利益があるここでは、今くすぶっている私の夢が動き出すための力を得ることに助力いただきたいとお願いする。

 ところで、目の前でお坊さんが墨を磨りさらさらと筆で御朱印を書かれることに感心してしまう。お坊さんはみんな字が上手なのだろうか。それとも、御朱印ばかり練習するのだろうか。人見知りなので聞けなかった。

 次の宝満寺は日本橋にある。徐々に南下していく。どんどん人が多い。地図が大雑把過ぎてどこで曲がるのかよくわからない。日本橋の電気屋街は、いまや観光客とオタクとマニアと若者たちとで賑やかしい。そこをうろうろと迷子の私が右往左往行く。キャピキャピと楽しそうな人たちの間を孤独な私が通り抜けていく。もうすでに出発してから三時間近く経っている。泣きそうだ。でもいい齢だから泣かない。ただ己の愚かさを呪う。なにが私なら一時間短縮だ、なにが知っている道だ。いつもそう。自分の力を過信して、失敗する。けれど。自分が信じなきゃ、誰が私を信じるの。実力以下のことしかしないのでは、何も変えられないんじゃないの。

 辿り着いた宝満寺は七福神めぐりをするグループで賑わっていた。毘沙門天は金銭融通のご利益があるということで、夢が叶ってお金持ちになれますようにとお祈りした。なぜか祭壇には白菜が二つお供えされていた。

 大国主神社も今宮戎神社もすんなり行くことができた。この辺は勝手知ったるものだ。

 福徳開運の日出大国神には、悪い気を祓い良い運がめぐってきますように。商売繁盛のえびす大神には、やはり夢が叶いそれで食べていけますようにと、お参りした。ひとりで生きていく強さを持てるようにと。

 どんどん南へ進む。懸命に足を動かす。ただ歩く。今考えていることはたった一つだけ。――トイレ行きたい。だって、寒いんだもん。休みなくずっと歩き回っているんだもん。でも、あと一神お参りするまで我慢する。願掛けだ。体内に気を蓄えておくのだ。ああなんか私ばかみたい。あはは。そうなんだ。ばかなんだよなあ、私。

 四天王寺は大きなお寺だ。古く聖徳太子が建立した。境内の布袋堂に参詣する。

 布袋尊は笑門来福の神様。

 しあわせに、笑って暮らせますように。

 ただそれだけを祈った。

 山門を出ると、夕陽が照らす。結局七福神をめぐるのに四時間かかってしまった。目安の平均時間通りだ。そうなんだよな、特別だと思っているのは自分だけで、私も他の人と変わらないんだ、きっと。皆もきっと、自分は特別だと思ってる。みんなもきっと、結構ばかだ。だから、ばかな発言をして無自覚に私を傷つけたりする。そして、同じように誰かを傷つけてしまった私がばかみたいに落ち込むように、苦しんで、苦しんで、でも弱いから自分で修復することもできなくて、自己嫌悪して、逃げ出したくて、でも逃げる場所なんてなくて。私に与えられた場所は、ただ私が居るその場所だけで。こんな風に一生懸命考えてみるけれど、やっぱりばかだから何度も同じ失敗をして。答えなんてそう簡単には見つからないけれど、でも。ただ今、心底思うのは一つだけで。

 ――ああ早くトイレ行きたい。

 七社寺の御朱印がそろった色紙は窓辺に飾ることにしよう。七人の神様が微笑ましそうに私を見つめるだろう。まるでわが子の成長を見守るみたいに。まあ、ばかな子ほどかわいいといいますし。ね。

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