「推す」ってなーに?(4)

 翌日日曜日。昨日やらかしたばかりのトラさん、はバツの悪さを感じつつも先行物販に並んだ。

 白亜といるひのツートップはともかく、他の三人は物販に並んでいる間に握手会が終わってしまうこともある。そう五条に言われたためだ。

 刑事は律儀なのだった。


「全員のCD、ニ枚ずつ」


「えぇっ!?」


 箱推しのオタクがいれば珍しくもない買い方だが、スタッフは驚愕した。


 ライブ中は『棒振り口パク地蔵』で通し、迎えた特典会。まずあまねの列に並んだ。


(あ、昨日の辻斬り)

(今日は大人しいと思ったら推し変か?)

(いや、そもそもオタクなのか?)

(ペンラで人斬れるオタクなんているわけないだろ、オタクなめんな)


 ――トラさん未だにオタクだと思われてないの、逆にすごいなー。


 五条が見守る中、トラさんの順番が来る。

 昨日の事故以来、『辻斬りのトラさん』という名前が広まりつつあった。オタクだとは認知されていないのに。


「辻斬りのおじさん推し変してくれるの? 辻斬りなのに見る目あるな!」


「辻……? いや、そういうアレじゃないから……あまねちゃんはダンス上手いんだな」


「あまね天才だからさー!」


 紫メッシュの金髪ショートボブ、小柄だが巨乳という目を引く容姿の割に、話すと普通の、『この土地の女の子』という感じがした。

 トラさんにはちょっと何言ってるかわからないところもあるが。


 次はねいだ。

 今日はツインテールではなくお団子スタイルだった。あまねよりさらに小柄で、かん高い声が余計に幼く見せる。


「辻斬りのおじさんだ! ロリコンだったの?」


「どっちも違うが……まさか、ねいちゃんに並ぶのは皆――」


 トラさんがちらりと振り向くと、後ろに並ぶ紳士たちはにこやかに頷いた。ロリコンだ。


「ロリコンのオタクは紳士だから、むしろ褒め言葉でしょ。ねいに並ぶのは罵倒されたいロリコンだから、ちょー紳士」


「……」


 ここに宮越も並んでいるのが、ちょっと信じられないトラさんだった。

 次は響だ。今日五人の接触を果たすため、効率のいい順番を教えてくれたのは宮越だった。少しでも恩を返そうと思う。


「宮越さん、響ちゃんが推しらしいぞ」


「嘘よ」


 バッサリだった。辻斬りの名を譲りたいくらいだ。

 宮越が握手券付きCDとともに積み重ねた誤解は、今日初めて話すトラさんの言葉くらいで解けるものではなかった。


 一応アイドルらしい笑顔を貼り付けた響は、ステグリで一番背が高い。サイドテールを解いたら年上の白亜、いるひよりも大人に見えるだろう。和服も似合いそうだ。


「あの、トラさん……って、ヤクザなの?」


「!?」


「お時間でーす、ありがとうございましたー」


 なぜヤクザだと思われたのかわからないまま時間切れだ。響の言葉の斬れ味はトラさんを斬るのに十分だった。

 次はいるひに並ぶ。この時点であまねとねいの列が終わりそうだった。


 一番長いいるひ列に並ぶと、先に白亜の列が終わってしまうかもしれないが、今日はどうしても白亜を最後にしたかった。宮越に相談すると、できなくもないという。


『ツートップ以外の握手が終了すると、箱推しのファンは比較的空いている白亜に並びます。そこからがロスタイムですよ』


 この時間帯に入るまで白亜の列が途切れないよう、握手券を1枚ずつ使っては並び直す『ループ職人』の白亜推しもいるそうだ。

 だからトラさんに不安は無い。宮越の知識と白亜推したちを(勝手に)信じて、いるひの前に立った。


「自主的にグループ握手してくれるファンなんて初めて見たよ。昨日のペンラ捌きといい、トラさん何者だい?」


「昨日は悪かったな、ライブの邪魔しちまって」


「何言ってんだよ、さいこーだった! トラさんのコール、ステージまでビシビシ届いてたね!」


 そんなわけないだろう、曲停めちまったんだぞ――喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。気を遣っているのとも少し違う。我慢して飲み込もうという意図は感じなかった。


 トラさんが感じたのはいるひのエネルギーだ。昨日の事故すら『アイドル・いるひのストーリー』の一部に飲み込み、そのストーリーにトラさんをも巻き込もうとするエネルギー。

 孫でもおかしくない娘に、トラさんが飲み込まれるほどの存在感があった。


 ――これが、アイドルか……!


 赤メッシュの入った銀髪をワイルドにかき上げた、アイドルらしからぬ髪型。男役のような口調と涼しげな顔。その正体は元ロッカー。

 アイドルと呼ぶには特殊だが、五条が夢中になる気持ちはトラさんにも少しわかった。

 時間切れで立ち去るトラさんの背中に、いるひは。


「白亜に並ぶんだろ? どんと行ってこい!」


 最後の白亜とはすぐに会えた。

 昨日の事故に加え、今日は他のメンバーに並んでいたことでばつが悪い。


「昨日のことなら気にしないでね。あれはあれで、ちゃんと盛り上がったから」


「面目ない……やっぱり見えていたんだね」


「うん、ステージからだと全部見えるから……ふふふっ」


「?」


「ごめんね、思い出し笑い……あまねが『辻斬りが出たー!』って言ったの思い出しちゃって」


「辻斬りってそういう……」


「あ、ごめんね。トラさんのことネタにしちゃって……迷惑かかってない?」


「いや何も……そうか、盛り上がったのか」


「うん、またやってね!」


 やらないが。

 白亜たちがうまくフォローしてくれたから『ネタ』の一言で済んだのだろうことはトラさんも察した。

 しかし白亜に言われると、すべてがふわっとした安心感に包まれ、これ以上気に病むのも違うと思えてくる。


 トラさんが顔を上げると、そこには透明感のある笑顔があった。トラさんの知り合いにも似ているこの顔は、目立つのだ。


「今日はすごい、全員と握手してくれたんだね。ステグリのこと、好きになってくれた?」


「好……もっと知りたいと思ったな。五条や宮越さんみたいに」


「あはは……あの二人は古参だからなぁ。トラさんにそんな前のこと知られるの、ちょっと恥ずかしいかも。でもよかった!」


「何がだい?」


「もっと知りたいって、好きってことでしょ?」


 なるほど、五条も宮越も推しのことを知り尽くしているようで、それでも情報に餓えていた。


 トラさんはどうだろう。ステグリのおかし……個性的なメンバーは誰もが興味深い。そしてそのメンバーに囲まれたリーダー・白亜のことをもっと知りたくなった。

 白亜の好きなもの、嫌いなもの。アイドルになった訳、白亜が目指すもの。もっと知りたい。


「お時間でーす。ありがとうございましたー」


 響に『ヤクザ』と言われた理由も知りたかったが、二枚では時間が足りなかった。


 列を離れると五条と宮越が待っていた。罰ゲームと言いつつ、トラさんのために提案したことだとわかる。


「どうでした、グループ握手?」


「白亜ちゃんのことをさ、誰かに話したい気分だよ」


「ああ、オタクってそうですよねー。私もいるひのことなら二十四時間無呼吸で語れます」


「白亜ちゃんをいろんな人に勧めたい、知ってほしい。オタクって皆そういうもんなのか?」


「独占することに喜びを得る人もいますが……『推す』という言葉には『推薦、推挙』というように、他人に何かを勧める意味があります。トラさんのその気持ちが『推し心』の原点ですよ」


「しょーがないなぁ、コールはこれ見て練習してください。ステグリは最初の方だったんですぐ見つかりますよ」


 五条が取り出したのは去年のアイドルフェスのDVDだった。元々貸すつもりで持ってきたわけだ。

 つまりあの妙なコールはフェスという公共の場でも叫ばれているのだった。


「あの『カツ丼』がどうとかいうのも、やんなきゃだめか?」


「いみじく重要です。覚えやすくていいでしょ?」


「聞いてるだけで腹が減るんだよなぁ……」


「じゃあご飯行きましょー。宮越さんがコンプした全員分のポストカード見せてくれますよ」


「今日のお昼は『ハガキ飯』といきますか!」


 食卓に推しと撮ったチェキを並べる『チェキ飯』と意味は同じだ。

 印刷ロットサイズの都合でトレカよりポストカードの方が作りやすいステグリだった。


「あ、トラさん今日もご馳走になります」


「……」



「推す」ってなーに?・終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

引退したマル暴刑事、地下アイドルを推す 筋肉痛隊長 @muscularpain

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ