恋に落ちるのではなく(後)

 ぽつりとこぼされた言葉の意外さに、デイジーはぱちぱちと瞬いた。――まさか、と言いかけ、この友人ならありえないことではないとすぐに思い直した。

 ロザリーはもう十七だが、婚約者もいなければ浮いた噂一つもない。求婚者はそれなりにいるはずだが、当のロザリーがまだ結婚に興味がなく――ロザリーを溺愛している両親が急かしてもいないためだった。

 デイジーは思わず噴き出した。


「ロザリーならそうかもね!」

「な、なによ! そんなこと知らなくてもいいじゃない……! いずれ、そんなものなしに結婚しなくてはいけないわけだし!」

「あら。結婚相手と恋をしたっていいじゃない。むしろそれが一番の理想じゃない? 恋をして結婚するか、結婚相手に恋をするか」


 デイジーがからかうように言うと、ロザリーはむうっと眉を寄せてしかめ面をした。そんな顔ですら可愛らしく思えるのは、自分がロザリーを好ましく思っているからか、あるいはロザリーの天性の魅力なのかわからない。あるいはそのどちらでもあるのかもしれなかった。


「だ、だいたい、恋愛って心の機微とかどうとか、駆け引きめいたものなんでしょ? そういうのは苦手なの。……ウィス姉様ならわかるかもしれないけど」


 唇を尖らせながらロザリーがそう言ったとき、デイジーは自分の中で少し体温が下がるのを感じた。


(ウィス姉様なら、かぁ……)


 ――ウィス姉様、というのはロザリーの義姉であるウィステリアのことだ。

 幼い頃に実の両親をなくし、ロザリーの両親に引き取られてから、ロザリーと本当の姉妹のように育てられたのだという。血は繋がっていないが、実の姉妹のように仲が良いと聞いていた。

 年の差は三歳ほどであるというのも、良好な関係を築くのに一役買ったのかもしれない。


 デイジーも何度か、ウィステリアという人を見たことがあった。よく言えば天真爛漫、悪く言えば少し子供っぽいところのあるロザリーとは真逆で、落ち着いていて淑やかな女性だった。すらりと背が高く、深い色の髪に神秘的な紫色の瞳をしたところなど、ロザリーと似た部分はほぼ一つもない。


 顔立ちにしても、可愛らしく愛嬌のあるロザリーと比べ、ウィステリアのほうは目鼻立ちがはっきりとして整った顔をしている。多くの人が口を揃えて美女と言うに違いない容貌だった。

 だがその肌の白さや目元の涼やかさゆえか、デイジーにはどこか冷ややかな女性に見えた。

 あの美貌と背の高さと相まって、威圧感のようなものを感じることさえある。ロザリーのように気さくに話せないし、他愛のないことでも話し合えるような親しさがない。

 ――美しい女性で、ヴァテュエ伯爵家の養女という身分でありながらいまだ結婚も婚約もしていないというのは、やはりそのように遠巻きにされているのも原因なのではないだろうか。


 デイジーはそんなふうに思ったが、しかしそれをロザリーに言ったことはなかった。これからも言うつもりはなかった。


 デイジーはおずおずとロザリーを見た。そして半ば無意識に声を落として、心に浮かんだ疑問を口にしていた。


「……お義姉ねえ様と、ブライト様は特別な関係だったりするの?」


 そう聞くと、ロザリーは再び目を丸くした。


「え、ええっ!? ウィス姉様とブライトが……、な、ないない! それもないわよ! 姉様はブライトに遠慮がちなところがあるし……た、確かにブライトは、ウィス姉様には私よりも優しいけど……」


 ロザリーは大きく手を振って言いながら、語尾に行くにつれて目を伏せた。どこか居心地が悪そうに、両手を組んでいる。

 その様子に、デイジーもまた忙しなく瞬く。どういう意味、と聞く前に、ロザリーは慌てたように声をあげた。


「わ、わからないわ! その、適切な距離……というの? 昔みたいな友達にはなれないでしょ。だからたぶん、姉様も考えてそうなっているんだと思うわ。姉様も、結婚にまだそんな興味がないみたいだし。ブライトだって、そんなに変わっていないし……」


 どこか言い聞かせるようなロザリーの口調に、デイジーは難しい顔をしたものの、それ以上友人を言及するつもりにはなれず、黙って聞いた。


(変わっていない……昔から、ブライト様と仲が良くて、今もそうってこと……。それこそ羨まれる原因だけど)


 ――やはり、ロザリーはこういったことには疎いのだろう。


(お義姉さまのほうは……ロザリーほど疎くはなさそうだけど)


 ロザリーいわく、義姉がブライトに対して遠慮がちというのは、むしろ普通だろう。ロザリーのほうが特殊なのだ。


 デイジーはそんなふうに結論づけた。

 当のロザリーは、眉間を寄せ、難問に当たったような顔をしている。


「う……頭が痛くなってきた」

「……この話で頭が痛くなるのってロザリーだけだと思う」

「ええ?」

「……ところで《フェイリ》のケーキを買ってあるんだけど、食べる?」

「食べる! どうしてそれを早く言ってくれないの!?」


 とたんに顔を明るくするロザリーに、デイジーは声をあげて笑った。

 まあいいわ、と胸の内で自分に言い聞かせる。


(――恋は不可抗力で落ちる、とかいうらしいし。私は落ちたくなんてないもの)


 どうせなら落ちるのではなく、のし上がりたい。デイジーは心の中でそう独語する。


 すぐに、メイドが運び込んできたケーキを前にしていつものように味の評論会がはじまる。憂いも難しいこともないその会話に夢中になると、デイジーの頭から恋愛への興味はすっかり薄れていった。


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【番外編】恋した人は、妹の代わりに死んでくれと言った。~妹と結婚した片思い相手がなぜ今さら私のもとに?と思ったら~ 永野水貴 @blue-gold-blue

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