夢娘

熊宏人

夢娘

 スカイツリーの見える下町風情漂う町に夕日が分け入ろうとする。大きな音を立てる昔ながらの小さな工場、錆びたトタンの家、黒ずんだ土壁に瓦屋根。狭いアスファルトの路地にひしめき合う。まるで道路に建物が倒れそうだった。

 そんな場所に真新しい場違いなアパレルショップがあった。道路に面する部分はガラス張りで店内がよく見える。中はグレーのコンクリート調ながら橙色の淡い照明で温かい印象を受けた。この町にしては浮いているような、原宿に開いた方が良いような店構えだ。売っている服は女性向けのシンプルイズベスト。私は男なので、詳しくはわからない。

 店の中にいる女の子と目が合った。その晴れやかな笑顔は店内のどの照明よりも明るい。首回りで丁寧に揃えられた黒髪。幼い頃はちびまる子ちゃんのイメージしかないこの髪型が、まさか今になって私のフェチとなるとは。黒を基調とした全体。ただ、その首筋、スカートから伸びる白い足が光に照らされて輝く。

 彼女は私を店内に招き入れた。私は気持ちの高鳴りと同時に懐かしさを感じた。思い出せないけどどこかで会ったような心地。

 直後、私はお手洗いを借りた。小便器には噛まずに丸のみにしたうどんがそのまま肛門から出てきて、それに柔らかい糞がちょっと絡みついたものがあった。強烈な悪臭を放っていた。私はそこで用を足したのかどうかを覚えていない。

 私と彼女は近所の祭りに行くことにした。ぼんやりとした橙色の明かりに包まれた境内を見つけた。露店が立ち並び、人々がゆっくりと歩く。

 彼女が少し前に出たと思ったら早歩きで境内に近づく。彼女の後頭部には、この橙色の明かりの中でくっきりと浮かび上がる赤い花のかんざしが刺さっていた。長いおしべが花弁からたくさん伸びていた。

 その時、彼女が着物を着ていることに私は気がついた。どんどん進む彼女に置いていかれまいと、私は彼女に駆け寄った。


 目が覚めた。高揚感が一気に引いていくのを感じる。現実ではなかったという事実。昔付き合っていた女の子との甘い思い出でもなければ、過去に告白できなかった女の子との甘酸っぱい記憶でもない。

 誰でもない誰か。

 一度も会ったことがないはずなのに、あの懐かしさは何だろう。夕暮れの公園を友達と鬼ごっこで走り回った小学生の頃。町にチャイムが鳴り響くその瞬間まで遊び尽くしたあの時を思い出す。あの懐かしさに似ているのだが、その時あんな女の子はいなかった。

 まあいっか。

 私は良い夢を見たことに満足していた。

 時計に目をやると6時を回っていた。私は慌てて支度を始める。とは言っても軽く寝癖を直すだけだが。

 玄関を勢いよく飛び出そうとした時、背中の方から聞こえる母の声で履きかけの靴に突っ込んだ足を止めた。

「何? 夜のデート?」

「高校の時の友達と飲みだよ」

「あら、そう。あんた本当に結婚しないの?」

「まだ考えていない」

「ふーん」

「いってきます」

 いってらっしゃい、という声が聞こえるか否か、その瞬間に家を後にした。別に母と喧嘩しているわけではない。

 ただ、その話題で母と話したくないのだ。

 自転車にまたがり、勢いよく漕ぐ。冷たい風が耳を貫く。口元を服にうずめながら、競輪選手のように頭を下げながら急いだ。

 駅の駐輪場に自転車を置き、約束していた居酒屋の前に着いた。予約していた名前を店員に告げると席に案内された。

「お! きたか!」

 前髪を上げた短髪に、若干日に焼けたかのような肌の色。まっすぐ整えられた眉。スッと通った鼻筋。自然に上がる口角。彼はまさに好青年らしい好青年だった。

「悪い。ちょっと遅くなった」

「オッケーオッケー! さあ、早いところ酒頼もうか!」

 彼はハンガーを差し出した。それを受け取ってコートをハンガーにかける。私が座ると、彼は机にやや乗り出しながら、私にも見えるようにメニューを開いた。

「生?」

「生」

「まあ、そうだよね」

 何度もやったこのやり取り。この後頼むのは枝豆とポテト。メインディッシュはそれらを平らげた後に注文する。そうしないと冷めてしまうから、と私はいつも彼に言う。

「乾杯!」

 ジョッキを持ってぶつけ合う。白い泡が少しこぼれそうだったが、すぐに口元に持っていき、うまく吸い取る。

「はあ〜! たまらん!」

 物の見事に、彼の上唇は白い泡で覆われていた。

「で、どうよ? 最近は?」

「まあぼちぼちかな。残業も多くないし」

「仕事じゃない。恋人の方さ」

「あれ言ってなかったっけ? もうとっくに別れたよ」

「え? 聞いてないぞ」

 その時、彼の持っていた枝豆から豆が飛び出し皿に落ちた。彼はそれを手で拾って口に投げた。

「どうして別れたんだ?」

「自分が重すぎるんだとさ」

「へえ、そんなイメージないけどな。むしろ相手を放置しすぎて愛想つかれたのかと思ったが」

「恋愛になるとダメなんだよ」

「恋の沼に溺れるタイプか」

「わからない。なんかこう、無理して好きになろうとしてしまうんだ」

「どういうことだ? 好きだから付き合ったんじゃないのか?」

 私は考える時間を稼ぐかのように、枝豆を箸でつかんで口に入れた。歯で軽く押して豆を取り出しながら塩気のある殻をしゃぶるのが醍醐味だ。箸で口から殻を取り出し、殻入れに置いた。

「確かに好きなはずなんだけど、めちゃくちゃ好きかと言うとそうでもない。でも好きだと言ってしまった手前、引くに引けなくて好きにならざるを得ないみたいな。自分の中で無理して気持ちを上げているんだ。嘘をつきたくないから」

「う〜ん……。恋愛ってそういうものなのか?」

「それはそっちの方が詳しいじゃん。いろんな人と付き合ってきたんだから」

「少なくとも俺の中ではそんなことを考えながら恋愛したことなかったな。もっとシンプルに好きか好きじゃないか、それだけだ」

「まあ普通そんなもんか」

「難しく考えるな。相手とはよりを戻せないのか?」

「別にそんな好きじゃないからいいよ」

「なるほど、まあ自分の答えが出ているのならいいんじゃないか」

「そっちの方こそどうなんだ? もう付き合って長いんだろ? そろそろ結婚の話とか出ているのか?」

「まあな。来年くらいには結婚しよう、って話が出ている」

「いよいよか」

「いよいよだね。お前こそ結婚考えていないの?」

「考えられないね」

「お前のことだから、結婚したら自分の時間がなくなるとか、お金がなくなるとか、考えているのか?」

「それもあるっちゃあるけど、それ以上に結婚生活というものが想像できないんだ」

「それは結婚してからのお楽しみだよ」

「その通りなのかもしれないけどさ。どうしてもまだ自分が子供のような感覚がある。だから、結婚して子供ができて、その子供を育てるという感覚が持てない。まだ育てられている、その延長にいるような気がする」

「なるほど。難しいな」

 その言葉を聞いて私は話題を変えるべきだと悟った。彼が難しいと言う時は大抵ぼーっとしている状態だからだ。

 私は彼のジョッキが空になっていることに気づき、店員を呼んで生を頼んだ。それをきっかけに話を切り替えた。それ以降の会話といえば、彼の彼女が掃除好きであるとか、彼が地方に出張した際に同僚と行った風俗の話とか、そんなものだった。

 友達と別れた後、ほろ酔いの私は自転車を押して歩いた。冷たい風が頰を撫で、思わず身体が縮こまる。

 劣等感を抱いているわけではない。ただただ、孤独感がある。相手がいない寂しさから来るものなのか。似た考えの人間がいないからなのか。

 私もこの世界に生きる一人の人間である。なのにこの圧迫感。密航者はこのような気持ちを抱くのだろうか。

 ふと吐いた息は白く、星の見えない夜空にすうっと消えた。


 トマヤ? いや、ヤマトか。

 店の入り口の上には、男性が瓶ビールのラベルをこちらに向けて突き出している看板がある。そこに、右から横書きでヤマトと書かれていた。

 随分と昭和なタッチの看板だ。暖色系の明かりに照らされて看板の隅々が錆びていることに気づいた。

 階段を下り中に入ると、靴を脱いで上がるお座敷が正面に広がっていた。足の短い重そうな焦げ茶の机がずらりと並んでおり、既に客がそこそこに入ってお酒を飲みながら騒いでいた。暖色系の明かりに照らされて映る客の顔はどれも全力の笑顔だった。客の顔が赤みがかって見えたのはお酒のせいもあるだろう。

 申し訳ないがここは私が今日来たいような飲み屋ではなかった。もっと綺麗なところがよかった。

 ぼんやりとした暖色系の明かりのせいで、空間全体が橙色。そして若干の暗がりができている。まあそれが飲み屋ならではの良い雰囲気を作り出すのだろう。白い蛍光灯では無機質になってしまうから向いていないのかもしれない。

 一番奥の壁際の席に女の子は座っていた。彼女の前の席は空席で、誰も使っていない白いおしぼりが丸められて置いてあった。

 彼女は私の姿に気がつくと、表情がパッと明るくなり、手を上げて私を招いた。何かを言っているようだったが、周りが騒がしくてその内容までは聞き取れなかった。

 私は靴を脱ぎ、店員から受け取ったシワシワのビニール袋に入れて、彼女の前にあぐらをかいて座った。座布団は使い古されて既に潰れていたが、ないよりはマシだと思った。

「お疲れ!」

 彼女は満面の笑みでメニューを差し出した。今日も髪は丁寧に首元で揃えられていて、髪の毛一つ跳ねていない。そんな彼女の前には丁寧に四角く折られた白いおしぼりがあった。

「ああ、ありがとう」

 彼女が開きながら見せてくれるメニューに目を通す。お酒のページが開かれていた。一応目をやったが、最初から生と決まっていた。

「生かな」

「了解! おつまみも一緒に頼んじゃうね!」

 彼女はすらりと白く伸びた手を上げ店員を呼ぶ。彼女はメニューを指差しながら、

「生2つ、それと枝豆、ポテトをお願いします。他に何かいる?」

「いや、大丈夫だよ」

 彼女はメニューを閉じて、

「以上でお願いします!」

 と店員に伝えた。

 店員が立ち去った後に私は彼女に言った。

「よくわかったね」

「え? 何が?」

 首を少し傾け、きょとんとした目で私を見つめる。

「いや、枝豆とポテト」

「だっていつもそうでしょ?」

「そうだったか」

「そうよ」

 彼女は口元をきゅっと結び、口角を上げた。

 そして店員がジョッキを2つ持ってきた。

「はい! じゃあ乾杯!」

 乾杯を交わした直後、衝撃で溢れそうな白い泡に唇を突っ込む。そのままジョッキを傾けた。

 ジョッキを机に置いて前を見ると、白い泡のついた上唇をぺろりと舐める彼女がニコッと微笑んだ。

「このお店ね、前から気になっていたんだけど、一人では来る気になれなかったの。だから今日君がいて助かったよ」

 私は辺りを見回した。どこの席も二人以上のグループだ。

 確かに一人で来るにはしんどいかもしれない。

 彼女は枝豆を箸で取り、殻ごと口に入れた。その様子を見る私の視線に気づき、彼女はまじまじと私を見る。

「どうしたの?」

「いや、そうやって枝豆を食べる人をあまり見かけないから珍しいなって」

 私も彼女と同じように枝豆を箸で口の中に入れ、歯で枝豆を軽く押し出す。殻をしゃぶって塩気を味わいながら、殻入れに殻を捨てた。

「君も同じ食べ方なんだ!」

「うん、こうやって食べると周りから不思議がられるよね」

「だね」

 彼女は微笑みながら、また枝豆を口にやった。

 ただ、それから、話題が思いつかなかった。私は気まずくなり、トイレに向かうことにした。

 お座敷を出て靴を履いて少し歩くと、すぐにトイレは見つかった。暖色系の明かりに包まれたお座敷とは異なり、トイレの前は薄暗かった。

 2つあるトイレのドアは白いペンキが剥がれ落ち、木の地肌が見え、ささくれのように割れていた。白いプラスチック製のパネルの上に黒い男性のマークが書かれているドアを押して入った。

 鼻につくアンモニア臭。学校のトイレを思い出した。ドアはキーッという音を立てて、ひとりでに閉まった。

 小便器の前に立ち用を足す。辺りのタイルは黒ずんでいた。

 手を洗おうと蛇口に手を伸ばそうとした時、出した手をすぐに戻した。

 ウインナー程の小さな糞が、栓が詰まって溜まった水に浮いていた。

 他の蛇口を見たところ、水は溜まっていないものの、蛇口と陶器の間が狭く、指一本洗えるかどうかの隙間しかない。陶器に触れてしまえばまた洗わなくてはならない。無限に手を洗う必要がある。

 私は陶器に触れないように細心の注意を払いながら、チョロチョロと少量しか出ない蛇口の水で手を洗った。

 洗った気がしなかったので、席に戻ったと同時に新しいおしぼりを頼んだ。

 彼女はジョッキを持ち上げ、ぐいっと残りのビールを流し込んだ。彼女の白い喉が波打つのが見える。

 ジョッキを下ろした時の彼女の顔は赤みがかっていた。それは明かりのせいではなくアルコールのせいだろう。

 ただ、その虚ろな、どこか遠くを見つめている眼差しはお酒のせいではない。私と彼女との間にテーブルの幅以上の距離があるように感じられた。

 私は彼女の目の前にいるのに、彼女にとってはまるで私が目の前にいないかのようで、私は居たたまれなくなって彼女から視線を外した。

 お酒を酌み交わしながら、顔を程よく赤くして同じ皿の料理をつつき合う男女。

 スーツに身を包んだ中年男性達が真っ赤な顔でゲラゲラと笑い合う。

 大学生だろうか。男女の集団で来ている彼らは、一部歌っているものもいれば、急に感極まって泣き始めた子を慰めている人もいた。

 周りを見渡して、さらに居たたまれなくなってしまった。

 誰かと誰かが関わり合っている。そんな誰か達を見ていると、自分が孤独な存在であることが浮き彫りになる気がして居たたまれなくなる。これなら一人でいる方が孤独を感じない。

 彼女に視線を戻す。相変わらず辺りを見つめているのかどうかもわからない、焦点が絞れていない目をしていた。彼女は私の視線に気づくことはなかった。

 その後は不思議と会話もなく、私達は会計を済ませて居酒屋を後にした。

「案内したいところがあるの」

 街灯に照らされた白い吐息が口先から漏れ、暗闇の中に消えていった。

 私達は高架下に向かった。時折、電車が通り、会話が聞こえないくらいの大きな音を出す。ただ、何も話していないから特に気にならなかった。

 シールを剥がした跡が散見されるアルミ製のドアが見えた。磨りガラスから察するに、この先も暗闇だ。

 彼女はそのドアをゆっくりと開け、私にそこへ入るよう促した。

 彼女が何かスイッチを押したからだろうか、薄っすらと明かりが灯る。トンネルの中のようにオレンジ色の淡い明かりに照らされて、レンガのような色調の壁や床が見えた。

 ピチャピチャと水を踏む音を立てながら階段を降りていく。踊り場なのかわからない長方形のちょっとした空間に降りたと思ったらまた階段がある。

 それも一つではない。上に向かう階段が一つ、下に向かう階段が二つ、それぞれ向かう方向が異なる。

 迷路に迷い込んだ気もしなくもないが、彼女は迷わず進んでいく。何度もここに来ているような足取りだ。

 そして黒い網の前に到着した。そこには赤く光るボタンがある。それは昔ながらの博物館にあるような、押すと展示物が光ったり、急に解説が流れたりする、黒ずんだ赤いプラスチック製のボタン。

 正面にある黒い網の中に何があるのかはわからなかった。何かいるような気配は感じなかったが、この黒い網の先には終わりがないような気がした。どこまでも続く深淵だった。

 彼女はためらうことなく、その赤いボタンを押す。

 途端に、黒板に爪を立てて音を出した時にするように、体が反射的に動いて両手で両耳を塞ぎ、両目を力強く瞑った。

 音には耳を貫く高音域が含まれているような気がしたが、重低音も備えていたと思う。高音と低音が混ざり、一本の太い音となって耳を貫いた。

 そして私は目が覚めた。

 何度も見た天井に少し安堵感を抱いたが、布団が汗でぐっしょりと濡れていた。


 私は一人、夢で見た場所を探しに歩いていた。手がかりはスカイツリーしかない。

 スカイツリーは見えるが、それ以外に思い当たるものは何一つない。

 私が見た景色はどこにあるのか。

 いや、考えてみれば夢の中の出来事だ。夢と現実が一致する保証はない。むしろ一致しない方が自然だ。

 そんなことはわかっているが、それでも私は探すしかなかった。誰かに強く呼ばれているような気がしたから。

 夢で見たスカイツリーを思い出しながら、その時の距離感をヒントにとにかく私は歩き回った。大通りから外れた道や暗がりの路地裏にも入った。

 ただ、何も見つからなかった。それもそうだ。手がかりはスカイツリーしかない。そもそも現実に存在するのかどうかも怪しくなってきた。

 私は馬鹿馬鹿しく感じて家に帰ることにした。あれは単なる夢に過ぎない。気づけばもう夕暮れだ。西日が強い。

 駅の近くまで歩いたところで、たまたまショーウィンドウが目に入った。暖色系の照明だったからだろうか、やけに目を惹く感覚を覚えたが、女性向けの肌ケアクリームを売っている専門店であったため、私には無関係だと思った。

 しかし、ショーウィンドウのガラスに映る自分を見て驚愕した。

 関係がないなんてものではない。そこには彼女が映っていた。

 彼女とは私だったのだ。


 夜、私はあの場違いなアパレルショップの前に立っていた。ガラス張りでよく見えたはずの店内は真っ暗で、中は何も見えない。彼女に案内された高架下の先にあった深淵だ。

 私は恐る恐るガラス戸を開けて、中に入っていった。特に音は聞こえない。持っていたスマートフォンの明かりを頼りに奥に進んだ。

 うっすらと階段が見えてきた。錆びて抜け落ちそうだったが、特にぐらつくことはなかった。

 階段を上った先にアルミ製のドアがあった。高架下の時と同じく、磨りガラスの先は暗闇だ。ドアノブに手をかけて引いた。

 ぎゅうぎゅうに押し込められていたのか、破裂するように異臭が漏れ出た。思わず腕で鼻を覆う。

 中はゴミだらけだった。段ボール、カップ麺の容器に割り箸、ペットボトル、押し潰されて原型を留めていないもの。足場がないほどに散乱していた。

 足元を確認しながらゆっくりと部屋に入っていくと、ゴミ山の上で彼女は体育座りをしながら顔を膝に埋めて丸くなっていた。

 白いキャミソール、白い下着、白い肌が微かな月明かりに照らされる。

 彼はそんな白い石のような彼女を、黙ってじっと見ていた。


 古ぼけた家々には明かりのない磨りガラス、青い塗料が剥げて錆びだらけの物干し竿。家々に挟まれた、流れのない真っ暗な小川に架かる石橋。

 彼女はその石橋から、夕日の逆光でシルエットだけが浮かび上がるスカイツリーを見据えていた。

 彼女を見つけた彼は足をぴたりと止めた。彼の表情が硬直する。しかし、すぐに口角が微かに上がったように見えた。

 彼は確かに、彼女の元へと、歩み寄っていったのだった。

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