幽気《ゆげ》 夜風呂

青空一星

日の閉ざされたる浴場

 あー疲れた。やっと仕事終わった、これで帰れる。

 でも帰んのもやだな、原付はこの時期クッソ寒ぃんだよ。…しゃーねぇ我慢だ。家帰ったってやんなきゃいけねぇこたぁあるんだ。

帰らねぇと─


ゴソゴソ


 あれ?手袋はどこやったっけな。あれが無ぇと指が凍えちまうってぇのに…しまった、後輩に貸してやったんだった。


ブロロロロロロロ


 あークソ、やっぱ寒ぃぃぃぃ。指先はやべぇし、上も寒ぃ、もっと厚着してくるんだったぜ。

 こりゃ即風呂入るしかねぇな。


カチャカチャカチャ…


ガチャ


 クソッ、部屋ん中も寒ぃな、風呂から出たらヒーターでもつけよう。


 服はもうテキトーに放っぽてりゃいいや、早く入らねぇと。


ガラッ


ヒタ


 ッア冷てえ!早く湯だ、湯!


シャー


 ッ!あああ!!冷てえなチクショウ!

 湯はまだか?湯はまだか!?こちとら寒さで手が凍っちまうよ!早く!早く!


 !

 やっと出やがった、これでもう何の問題も無ぇ、頭からかぶっちまおう。


ザー


 アッツい!!クッソ急ぐんじゃなかった、痛ぇ、痛ぇよチクショウ!


 ─ふぅ、やっといーい湯加減になってきた。やっぱ風呂はこうじゃねえとな。


 はは……一人でよぉ、俺ぁ何やってんだか。情けねぇな…

──


 さーて体も洗ったことだし、風呂に入るか─しまった沸かしてなかった。


 風呂沸かしながらシャワー使ってっと勢い弱くなっちまうな。こんな細ぇシャワーで、なんでちょびちょび待たなきゃいけねぇんだ?俺悪いことしたか?ちくしょう、寒いな。

──


 よし、溜まったな。湯加減は…あぁ、大丈夫だな。


ポン…


 あぁー、やっぱ風呂っつったらコレだよなぁ…落ち着くわ。

──


 仕事、やんなきゃいけねぇな。明日までのやつもたしかまだまだ残ってたはずだ。俺の要領が悪いせいか?多分そうなんだろうな。クソっ、せっかくの風呂だってのに休まらねぇ。頭が鬱々としてきやがった。なんか楽しいことでもねぇのか?俺にそんなもん─



 湯気、こんなに溜まってたか。どうりで鬱々としてくるわけだわなぁ。こんなモヤモヤしてちゃ前がよく見えねぇよ。

 だが、今はそれが楽だな…


 …夢、俺にもあったっけな。何だったっけなぁ。…何だった?俺の夢は─


ガッ


 テメェの夢すら忘れちまったってのか…?

 やりてぇことがあったはずだ。本当になりたかったもんがあった、はずだ!

 クソッ、なんで夢みてぇに大事なモン忘れちまってんだよ、クソッ!クソッ!クソッ!


 

 いったい何なんだ、俺は。

 夢の無ぇ俺に生きる意味なんてあんのか?何のためにこんなクソ辛ぇ思いしてきたんだよ俺は。

 なぁ父ちゃん、母ちゃん。どうして俺は生まれたんだ?


チャポン


 あああ!俺は何で生きてきちまったんだ?いいじゃねぇか俺だっていい思いしたってよぉ!これまで俺なりにやってきた!充分頑張ってきたじゃねぇか!ってぇのにこりゃ何だ!?クソがッ!

 ……ちくしょう─


ポチャン…


ハァー


 ─あぁ、もうどうでもいいか。夢も無ぇまま無駄に生きるんならもう辛ぇ思いなんざしたくねぇや。

 この湯気みてぇに全部うやむやにしてぇ。もう何も考えたくねぇ。お前ぇらみてぇに自由が欲しい!


スー


 なんだ、これ。肉が解けて湯気になっていきやがる。俺は死ぬのか?自分の夢が何なのかすら思い出せねぇまま!



 いや、もういいか。そう、もういいんだった。そうだ、いいんだ。俺はもう頑張りたくねぇ。


スゥー


 右腕が骨だけになっちまいやがった。…握れんのかな、


バキンッ


 ア゛ア゛ッ!!!痛ぇ、痛え!砕けちまった!!

 まだ芯から湯気になれてねぇってことか?全部全部これまでの全部捨てちまえってことかよ。


 そうか、そうだよな。どんなもんにだって覚悟が必要だよな。


 いいぜ。俺の全部、全部やるからよ。

 なぁ、この痛みから救ってくれよ


フワ


ーーーーーー



 湯気に囲まれ夢を見る。

 自分は幸せで辛さなどどこにもない、そんな楽園を思い描く。

 それは幻だ。真実ではない。そんな所にいてはいけない。早く引き摺り下ろしてあげないと、などと思ってはいけない。

 これは彼の選択なのだ。


 日々己の力で生き、盲目に走り、駆け、己を騙し続け、絶望した。彼がした選択なのだ。


 新しい夢が芽生えることはなく、彼は立ち止まることを選んだ。


 それもまた一つの答えだ。誰もが前を向いて歩けるわけじゃない。


彼にはもう湯気になるしか道は無かったのだ

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