4月9日(火)③―4月10日(水)
三時半。
もう皆、各々選んだ体験の集合場所に向かった。しかし寺島は机に伏せたまま動かない。つい数十分前のダメージが相当大きかったのだろう。俺たち以外空になった教室はひどく静かで、外からかすかに聞こえてくる生徒達のはしゃぐ声も遠い存在に感じる。
俺は自分の席で寺島を見守っていたが、動く気配が無いのでそのまま言葉をかけた。
「寺島、大丈夫?」
「…………岡田くん」その声はひどく弱々しかった。
「はい、なんですか」
すると寺島は体を起こした。眉間に皺を寄せ、口は端まで固く閉じられている。
そしてゆっくり「…………消えたいです」と一字一字しっかりはっきりと言った。
「感情のハードルを下げるなよ」
「い、異議あり!あ、あれは誰が体験しても消えたくなると思います!」立ち上がり右腕を高らかに伸ばして叫ぶ。
思ったよりも元気そうだ。良かった。
「それはそう。俺まで恥ずかしかったもん」
「なんかごめんね!!」
そんな寺島の様子を心の中で微笑ましく思いながら「じゃあそろそろ集合場所行こうか」と促した。
顧問の先生に渡す参加チェックの紙を見ると、写真部の集合場所は情報準備室だった。地図曰く、俺たちの教室の二階上にあるらしい。迷う心配が無さそうで安心した。
教室を出て階段を上がっていく。その間に「寺島ティッシュいる?」「え、なんで?いらないけど」「泣きたいならあげるよと思って」「泣いてないしいらないって言ってるでしょ!」と他愛のない話をしながら。
二階に上がり、左右に分かれている廊下を左に進む。突き当たりまで行くと一つの教室があった。扉のガラスには紙が貼ってあって、雑な字で『情報準備室』と書かれていた。
側に靴箱があるからそこに靴を入れるが、他には一足も無かった。
「ほ、ほんとにここで合ってるのかな。靴無いってことは、誰も居ないってことだよね」寺島もそれに気づき、不思議そうに言う。
「でもプリントにはここって書いてあるし……。とりあえず入ろう」
そう言ってノックをしてから扉を開け――られなかった。開かなかったのだ。
立て付けが悪いのかと思ったが、完全に鍵が閉まっていた。
「えー…………そんなことあるか?」
「しょ、職員室に先生呼びに、行く?なんて先生か知らないけど……」
「まあそれしかないかぁ……。行かなかったら早めの個人懇談だしな……」
そうして、もう一度靴を履いて職員室に向かおうとすると、靴の摩擦音と「あー!ごめんー!」という声が聞こえてきた。向こうの方から一人の女性教師が走ってきている。
彼女は到着すると、ぜぇぜぇ息を切らしながら「待たせちゃってごめんね~。誰か来るとは思わなかったからさ~」と言い鍵を開けてくれた。
「お、思わなかった……?」
「さぁ……」彼女の言葉に一抹の不安を覚えながらも、「失礼します」と言って俺たちは情報準備室の中に入る。
中は机やパソコン、ファイルや本がたくさん入った棚などがあった。職員室を個室にした、という感じだ。ただちょっと狭い。俺と寺島が横に並べば、もう隙間を誰も通れなくなる。
「狭くてごめんね。椅子二つも無いから地べたになるけど座っていいよ」
「あ、はい」
「し、しし、失礼します」
俺は体育座りで、寺島は何故か正座。先生はこの部屋唯一の椅子に座っている為、端から見れば今から説教が行われるみたいだ。
「えーと、まず二人に聞きたいことが一つあります」先生は人差し指を立てて言った。「帰宅部希望だけどとりあえず来たって感じかな?」
なんてことを聞くんだ。どう返せばいいんだ。
「あ、え、ええ、と、い、一応、しゃ、写真にに、は興味、あ、あって」寺島は頑張って返事していて偉いなと思った。
「お~お~そうかそうか~。ん~、ならちょっと二人にとっては残念かもしれないなぁ」
「ざ、ざざ、ざん、ねんっですか?」
「お~お~、そっちの君、大丈夫だよ落ち着いて。とりあえずお菓子食べな?」
そういって先生が棚からお菓子を取り出して渡してくれる。大袋に入っているチョコのお菓子だった。甘味を口の中で味わいながら話の続きを待つ。
「あのね~、非常に悲しいことに、写真部には二年連続部員が居ないんですよ」
されてしまうのか、熱烈な勧誘というやつを。寺島はどうするか分からないが、俺はどうやって断ろうかと言い訳を頭で練る準備をする。が、先生はこう続けた。
「それに、活動もショボいです!先代の子達も特に活動してなかったし、合宿と称して夏休みに小旅行とかも、ありません!なーんにも、ないでーす!」
「………………」あまりに明るく自嘲を言うものだから絶句してしまった。
「だからね、籍だけ欲しいって子には最適かもしれないけど、活動したいなら、オススメは出来ないな~って感じです、写真部は」
「え、あ、あの、ぼ、僕が入らなかったら、は、廃部、的なの……」
「ああ、それは大丈夫!」今度は自嘲の無い声で言う。「写真部には大きな役目があるので!」
先生は両手を叩いて棚から一つの本のようなものを取り出した。そして俺たちの前に座ってそれを置く。
それは卒業アルバムだった。
「ア、アルバム、ですか?」
「そう。卒業アルバムのね、こことか」
アルバムを開いて『ここ』と称したページを見せてくれる。体育祭のページだ。玉入れやら棒引き、リレーといった競技をしている写真だけではなく、応援している生徒達の写真もたくさんある。
そして、そのどれもが生きている。
躍動感があるのは動いている様子を切り取るのだから当たり前かもしれない。でも、座って応援している生徒の写真からは、『頑張れ!』と声が聞こえてきそうだ。中には友達数人とポーズを取っているものもあったが、それらからも『この体育祭を楽しんでいる』という様子が溢れんばかりに伝わってくる。
思い出の宝箱だ。
写真は、景色や気持ちを思い出せるとは思ったが、自分が体験したことのないものまで、感じ取れるとは。
「なぁ寺島、すごいな」
予想以上の輝きを自分の中でどう処理して良いか分からず、とりあえず寺島に話しかけた。
すると「うん…………」と眼差しを写真から一切動かさず寺島は言った。やはり惹き付けられるのだろう。
「そう、こんな感じでね」俺たちが写真を充分に観賞したと判断して先生は話を再開した。
「卒業アルバムに写真を使います。なので、活動らしい活動をするのは体育祭とか文化祭くらいかな」
「す、すす、すごい、ですねっ!」
「プロの人が撮ったみたいです」
「そう~?先輩達も喜んじゃうね~。……で、こうして写真部には大切な役目があるので、部員が居なくても部活としては残ってます!あ、ちなみに部員が居ない年は、有志を募って写真を撮ってもらってます!」
「な、なるほど…………」
俺たちはページを捲り、また新しい思い出に触れる。全く知らない人たちの写真なのに気持ちが伝わってくるようで、見ていると自然と顔が綻びそうだ。でも、誰かを標的にして無視したり加害したりとか、そういうのは無さそうなくらい眩しい写真たちに、思わず目を細めてしまう。明るすぎて少し痛い。
「まあ、だからね」すると先生はぽつりと陰りのある声で言った。
「あんまりオススメは出来ないんだ。大した活動も出来ないし、何より部員が居ないから、一緒に楽しめる仲間が居なくて、新しい出会いが無いの。寂しいじゃん?せっかくの青春なのにさ」
新しい出会い。
「まあ説明はそんな感じだよ~。もちろん入るも入らないも強制しないからね。じゃあ、体験終了時間までゆっくりしてていいよ~」
後で戻って来るから~、と残して先生は部屋を出てしまう。
俺と寺島の間に沈黙が流れる。外からは生徒達の楽しそうな声が聞こえてくる。きっと俺たちだけだろう、こんな形の予想外な部活動体験をしたのは。
「な、なんか…………」寺島が遠慮がちに小声で言った。「思ってたのと、違うかったね」
「……うん」
でも、案外そんなものなのだ。期待しても、望み通りの物や結果が付いてくることの方が少ない。それでも、そう分かってはいながらも、行き場のない物足りなさや悲しさ、退屈さは確かに感じる。
「入部、するの?」返ってくる言葉はなんとなく分かっていたが聞いた。
「…………いや……。僕一人になる可能性高そうだし、そうなったら荷が重いし」
「帰宅部希望でごめんな」
「いやいやいや!岡田くんは悪くないよ!本当にやりたいなら僕一人でも入るべきだし……」
「イエローカード。今ちょっと自分のこと責めたろ」
「えぇ……。審判厳しすぎません……?」
そう言って少し笑いあった。
その後、寺島は「ちょっと眠いから寝るね」と言い、壁にもたれかかって寝始めた。一日中忙しかったし、恥ずかしい思いもしたし、疲れたのだろう。俺はそんな寺島の隣でアルバムの続きを見ていた。
こんな風に楽しくて、見てる側が焦がれてしまうくらいの思い出は出来るだろうか、そう思いながら。
その日の帰り道、ふと寺島が「写真、ちょっと辛かったな」と遠い目をした。
しかし、その目には何が写っているか分からなかった。
急に趣向を変えたように思われてしまうかもしれないが、二日目の部活動体験は軽音部に行った。というのも、休み時間に軽音部の体験に行ったクラスメイトが「先輩の生ライブ聴くだけで終わった」と言っていたので、楽そうだという理由で行くことにしたのだ。人生初のライブだった。
しかし、ちゃんと楽しめた。技術的な観点のことは分からないが、とにかく皆楽しそうだった。そりゃあ人気の部活になるものだ、と納得するほどに。
そうやって二日間で違った表現方法に触れ、インプットがたくさん出来た気がした。
良いものに触れたのだから、俺も良いものを作りたい。続きはこうしようと思っていたけど、ああするのも良いかもしれないな。いや、それはまた別の新しい話で書く方が良いかもしれない。完結させないと寺島がむくれるし。
また楽しんでもらって、俺も楽しませられたら良いな。
なんて少し浮き足だった気持ちで帰宅した。
しかし俺は禍福は糾える縄の如しという言葉を忘れていた。
「母さん、これ手紙」
晩御飯後に今日配られた数枚の手紙を母さんに渡す。図書館便りとか学年新聞で母さんに関係は無いけど、裏面をメモとして使うらしいからいつも渡しているのだ。
「ああ、ありがとう」
そう言って手紙を確認し始める。すると、一枚のプリントが机の上に落ちた。
「あっ……!」
それが何のプリントか目に入った瞬間、見られてはまずいと思った。しかし、母さんはすぐに気づいてそれを見る。
明日の朝提出する、部活動体験の参加チェックのプリントだったのだ。
もちろん、そこには写真部と軽音部に行ったことが記されている。
それを知られて聞かれることは決まっている。『なんで英会話部に行ってないの?』だ。どう言い訳したらいいか頭を回転させ、
「蒼志」母さんが抑揚のない声で言った。
「蒼志は、『こういうの』に興味があるの?」
「えっ…………」
予想とは少し外れた質問に戸惑う。言葉が出ない。『友達に着いて言った』と言えばなんでかと聞かれそうだし、興味があると答えても俺自身に何のメリットもない嘘をつくことになる。
どうしよう。
「お父さん、蒼志が部活動体験で写真部と軽音部に行ったそうよ」母さんがプリントを父さんにも見せる。
「へぇ。陸上はもういいのか?」
「え、…………あ、その……」
「そうみたい。あまり良い成績も残せなかったものね」
「…………」
「まあ結果なんてこれから出るかもだし、続けるのも一つだと思うぞ、父さんは」
「………………」
止めて。
「そうよね。あとお父さん、英会話部とかもあるらしいのよ」
「へぇ。良いじゃないか。なんでそっちに行かなかったんだ?」
止めて。
自分の聞きたいことを父さんを使って言わせないで。
「……そ、れは…………」逃げ出したくなる気持ちを必死に抑え、元から用意していた言い訳を少しだけ修正する。
「ぶ、部活動、紹介で……その、あんまり、本格的な部活じゃ、ないって……分かったから……」
言い訳としては何点なのだろう。〇に近い気がする。
恐る恐る二人の顔を見ると、何を考えているのか分からない顔をしている。怖い。
「なんだ、蒼志は本格的なのが良いのか」
「いや…………」
「それならね蒼志」母さんが嬉々とした声音で言う「母さんの知り合いにね、英会話教室通ってる人がいるの。そこは学生も受け入れてくれるとこでね、先生も気さくでとっても良い人だって――」
「ち、ちがう…………」
これが、俺に出来る精一杯のことだった。
もう、何も言わないでほしい。これ以上になると、『母さんの言った通りにすれば良かった』と思ってしまいそうだ。
「違う?」俺の想いは無慈悲に千切られる。
「じゃあどうしてこの部活を体験しに行ったの?」声の出し方も分からない。
「まさか、『そういう』道に行きたいの?」涙も出ない。
「止めておきなさい、狭き門なんだから」もう何も感じない。感じるのを止める。
「私みたいに賢くない人間になってほしくなくて、蒼志の為を思って言ってるのよ」
「…………」
うん、分かってる、ありがとう、じゃあそうするね。そう、言いたい、いや、言わせられるんだ。言わないと、言わないと、でも、『合わせた』言葉も出てこない。
どうして。
…………。
………………そうだ、寺島は言ってくれた。『応援してる』『一緒に頑張ろう』と隣で言ってくれた。寺島は今も頑張ってる。
そして、俺も頑張るよと、確かに俺が言ったんだ。
「うん、ありがとう」途端に涙が溢れそうになる。
「でも、ごめんね。俺、部屋、戻るね」
椅子から立ち上がり、リビングから逃げる。扉を閉め、廊下に出た瞬間に涙が零れ落ちてきて、体が震え出す。特段寒くもないはずなのに、手足が冷たくなる。
怖かった。
自分の言葉で話すのは、こんなにも怖かった。
扉の向こうから小さく話し声が聞こえてくる。それを聞きたくなくて俺は体を引き摺るようにして自室へ逃げ込む。ベッドに潜って、際限なく溢れてくる涙を袖口で拭う。
初めてかもしれない、自分の為に立ち向かったのは。いや、逃げたかもしれない。でも前は逃げることすら出来なかった。
それは一歩進んだということでもいいのかな。
「…………良かった……」
こうして日常は続く。また明日はやってくる。
その中で一歩進んだり二歩戻ったり、そんな風に世界は続くのだ。
俺は目を瞑り、また寺島に救われたと思った。
ゆうなぎ町の午前四時 九重 樹 @k0kk0k0
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