ペロリンキュー太の夏
【虫、特に幼虫が苦手な方は読むのをお控えください。グロテスクな描写があります】
小学校5年生くらいだっただろうか。2人の友人とよく遊んでいた。MとOとしよう。
土曜日の昼過ぎ、Mと一緒にOの家に遊びに行き、みんなでファミコンをしてから外に繰り出した。夏の午後四時はうだるような暑さとアスファルトの照り返しで、ジリジリと焼きつく音が聞こえてきそうなほどだった。蝉の鳴き声が夏であることを強調し、尚更暑く感じた。
そんな中歩いていると、突然Mが「おい!あれ!なんやあれ!」と遠くの地面を指差した。僕とOはMの指した方を見たが、2人とも目が悪かったので、いまいち何があるのか分からない。
「え?なんやねん。何もないやん。ええ?どれ?」Oが訝しむ。Mは割と頻繁に僕たち2人をドッキリに陥れ、喜ぶことがあった。今回もそれだと思ったのだろう。僕もそう思った。
「あそこやん!なんかおるやん!黒いの!」
僕とOは、Mに引かれて近づいていく。次第にその姿が僕たちにも見えるところまで近づいたところで「うわあ」とOが嫌なものを見たような顔をして歩みを止めた。
「なんやろなあれ。柿之木、ちょっと触ってきてや」
「なんで俺やねん。見つけた奴がさわれや」
そんな押し問答をしながら3人はその〈何か〉に距離を詰めていく。
「芋虫や!うええ。ばっちいい」
そういえばこの時期のOは、「ばっちい(汚い)」という言葉を覚えたばかりで、よく使っていた。何より、使う機会が頻繁に訪れる環境もどうかと思うが、今回も出た。「ばっちい」。
その芋虫は全体的に黒く、オレンジから黄色にグラデーションがかった斑点と、細い黄色のストライプが入っており、頭にはツノが生えていて、うねうね動かしながら身をよじるように熱いアスファルトの上を這っていた。
「何の幼虫やろな」
少し見慣れてきた僕たちは、芋虫を囲むようにその場にしゃがみ、まじまじと見つめながら細部を観察し始めた。
「蝶より蛾っぽいよな。こういう変な幼虫」
僕がそう言うと、いつのまにかMが近くの公園から木の枝を持ってきた。そしてそれで芋虫を触り出した。
「おい!やめろや!変なことすんなって」
顔をしかめながらOが叫ぶ。
「道路の真ん中やと危ないやんけ。端に寄せようや」Mは芋虫を枝で押しながらそう言うと、今度は転がして移動させようと芋虫と道路の間に枝を入れて、テコのように動かした。
次の瞬間、Oから新たな絶叫がおこった。
「なんか出てる!」
そう言われて僕とMは芋虫を見た。
芋虫の口に当たる部分からオレンジ色の液体が漏れ出てきていたのだ。
「うえええ!」僕が吐き気を催した悲鳴をあげる。
「うおおお、なんやこれええ」Mが咄嗟に立ち上がって後ずさった。
さっきより動きがゆっくりになっている気がする。弱っているのだ。
「棒でつつくからやん!」
「俺は道路の端に寄せたろうとしただけや!やったらお前が持って動かしたらよかったやんけ!」
「そんなん無理や!」
「俺だって無理や」
僕とMが言い合う中、Oはもがく芋虫を嫌な顔で見ていた。そして何かに気づくように顔を上げる。
「おい!車や!車くる!」
僕とMはばっと振り返ると、道の向こうから一台のセダンがやってきていた。
「やばい!はよ動かそうや!ひかれる!」
3人が3人、思い思いに慌てふためきながら、どうするどうすると、芋虫を触ろうとしては止めるのを繰り返し、仕方がないともう一度棒で転がそうと芋虫の横腹から押すように振れると、オレンジ色の液がまた漏れてきて阿鼻叫喚の中飛び退いたりしているうちに車はもうそこまで来ていた。
もう間に合わない。
「頼む!踏まんといてくれ!」そう祈りながら僕らは道の端に走り寄って目を瞑った。
車のエンジン音がどんどん近づいてくる。
音が最大限に近づき、排気ガスの臭いが強くなる。右から聞こえるエンジン音が正面に移動してくる。
音が最大限になった時、顔に何かが当たった。
「うええええええ!」Oの今日一番の絶叫で僕とMは目を開けた。
必死に顔を拭うO。それを見てまさかと思い僕も顔を必死で拭い、恐る恐る地面を、アイツがいた場所へ目を向けた。
そこにはかつて芋虫だった、黒い布の小さい端切れのような無惨な姿があった。
僕たちは何も言えなかった。僕たちにもっと勇気があれば。いや、こんな広い道路で車のタイヤがちょうど良く乗るか?わざとちゃうか?車が悪いんちゃうか。そもそもコイツは何でここにおるんや?
色んな思いが逡巡する中、Mが口を開いた。
「せめて俺たちはコイツのこと忘れんとこうな」
「そうやな…」僕とOは頷いた。
「忘れへんでペロリンキュー太」Mはそう言って芋虫の残骸に手を合わせた。
「俺も忘れへん」Oが続ける
「俺も」僕もそう言って手を合わせた。
「じゃあなペロリンキュー太」
ペロリンキュー太って何やねん…。そう思ったが、もうどうでも良かった。子供には言語化できない感情が渦巻く中、Mが急に名付けた「ペロリンキュー太」が感情の合間を右往左往して、悲しいはずなのに妙に冷めてる自分に混乱していた。
「ペロリンキュー太、ありがとう」
「ペロリンキュー太・・・」
Oも特に名付けに触れることなく、その名を受け入れ、芋虫に語りかけ、僕たちは静かにその場を後にしたのだった。
しぶがき 柿木梓杏 @CyanKakinoki
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