異世界に繋がる扉を見つけたかもしれん

大隅 スミヲ

異世界に繋がる扉を見つけたかもしれん

「あんた、本気で言っているのか」

 相手が依頼人であるにも関わらず、私は思わず悪態をついてしまった。


 目の前に座る品のよさそうな女性は、至って真面目な顔をしていた。

 年のころは40歳前後といったところだろうか。少し茶色く染めたショートボブの髪型で、ちょっと気の強そうなきつね顔。左手の薬指には銀色のリングがあるため、既婚者であるということはわかった。


 なにか、おかしなことでも言ったでしょうか。

 彼女はそう言いたげな顔をして、じっと私の目を見つめてきている。


「すまないが、もう一度言ってもらってもいいかな」

 確認をする意味合いも込めて、私は彼女に告げた。


 彼女の弟である篠崎しのざきまことが姿を消したのは、3年前のことだった。

 ある日、忽然と姿を消した。

 忽然。まさにその言葉が当てはまるように、篠崎誠は姿を消したのだ。


 彼女からの依頼。それは、3年前に消えた弟を捜し出してほしいというものだった。


 篠崎誠の部屋の合鍵を借りた私は、彼の住んでいたアパートの部屋を訪れた。

 そこは、少し前までそこに篠崎誠がいたのではないかと思えるぐらいの生活感が漂っていた。フローリングの床にはホコリなどはたまっておらず、郵便物などもポストからしっかりと回収されている。


 話によれば、篠崎誠の部屋は彼の母親が3日に一度、掃除に訪れているそうだ。

 部屋の中を見回していた私は、なんだか奇妙な感覚に陥っていた。

 なんとなく既視感があり、どこか懐かしい気分になる部屋だった。

 好きな小説が詰まった本棚。生活感のないキッチン。万年床となった布団。

 まさに男の一人暮らしといった部屋。

 それが既視感や懐かしさを与えているのだろうと思った。


 篠崎誠が姿を消して3年という月日が流れている。

 アパートの部屋の家賃は、毎月きちんと篠崎誠名義の口座から引き落とされていた。

 家賃に関しては、いつ彼が戻ってきてもいいように母親が口座に毎月の家賃分を入金しているのだそうだ。


 テーブルの上に置かれた文庫本には、革製のカバーが掛けられていた。

 中身を開くとタイトルが見える。


『異世界冒険譚 コンビニバイトの俺が異世界では大賢者だった件』


 流行りのライトノベルというやつだった。

 初版はいまから、3年前。ちょうど、篠崎誠が姿を消す数日前の日付が出版日となっている。

 アニメキャラクターと思われるピンク色の髪をした少女の絵が描かれたしおりが、真ん中より少し前のページに挟まっており、この本を篠崎誠が読んでいたということはわかった。


 もし、自らの意思で失踪をするとして、読みかけの本をそのままにして姿を消すだろうか。そんな疑問がふと思い浮かんだが、そこまで重要な本でなければ、そのまま置いていくかと思い直した。


「なにか書き置きや手紙のようなものはなかったんですか」

 私は少しでも手掛かりが掴めればと思い、依頼人である篠崎誠の姉の酒井美沙に尋ねた。

「手紙ですか……。えーと、あ、そうそう、マコトがいなくなる前にSNSに書き込みがあったそうです」

「SNSですか。そのSNSはいまでも見れたりしますか?」

「ええ、ありますよ」

 そういって、酒井美沙はスマートフォンのメッセージアプリでURLを送ってきた。

 そのURLのリンクを開くと、SNSの画面がスマートフォンに表示された。


『異世界に繋がる扉を見つけたかもしれん』


 書かれていたのは、その一文だけだった。

 ハッシュタグもついていなければ、誰も「いいね」を示すハートマークを押していない。

 投稿日時を見ると、それは篠崎誠の姿を消した日と同じ日の深夜だった。


 その日、篠崎誠はコンビニエンスストアのアルバイトを午前0時に終えていた。

 篠崎誠が仕事を終えてコンビニエンスストアから出ていく姿は、当時の防犯カメラに残されていた。

 バイト先であるコンビニエンスストアから自宅アパートまでの距離は、自転車で20分ほどだった。SNSの投稿時間を見る限り、コンビニからアパートに帰る途中で呟いたものだということだと判断できた。


「警察には届けてあるんですよね」

「はい。誠と連絡が取れなくなって1週間後に、母が捜索願を出しました」

「なるほど。対応した担当者の名刺などはありますか」

「あります」

 酒井美沙は用意してあったクリアファイルから一枚の名刺を取り出した。

 名刺は、所轄署の生活安全課の巡査部長のものだった。

 私はその名刺に書かれた担当者の名前を記憶する。3年前のものであるため、すでに異動となっている可能性もあったが、連絡を取ってみるだけの価値はありそうだった。

「最後に、この担当者と連絡を取ったのはいつ頃ですか」

「随分と前のことだと思います。少なくとも、1年以上は連絡をしていません」

「そうですか。わかりました」


 所轄署には何人か知り合いがいたが、名刺にあった生活安全課の人間は知らなかった。

 とりあえず、知り合いの警官に連絡を入れて、その担当者がまだ在籍しているかの確認を取ることにした。

 運はこちらに向いていた。生活安全課の担当者は、まだ在籍しているという。さらには、その知り合いの警官は担当者のことをよく知っているということで、紹介してくれるという話になったのだ。


 待ち合わせ場所である喫茶店に足を運んだ時、これは罠だったのではないかと思わされた。

 喫茶店のテーブルに座るのは、暴力団関係者を思わせる派手なスーツを着た男だった。

 私が近づいていき、自分の名前を名乗ると、相手は席を立ちあがって頭を下げた。

「生活安全課の田丸たまるです」

 男は私に自己紹介をして、名刺をくれた。確かに、その名刺は酒井美沙から見せてもらったのと同じものだった。


 見た目こそはコワモテであるが、話してみると他の警官たちとあまり変わらなかった。職務上、このような格好をしているのだと言い訳がましく田丸は言っていた。

「篠崎誠について教えていただきたいのですが」

「ああ、聞きましたよ。3年前に捜索願が出ている人でしょ。家出人扱いだから、特に警察も捜査をしているってわけじゃないですからねえ」

 眉毛を八の字に下げて少し困ったような表情を作った田丸はいう。

 困った顔をしていても、田丸の顔が怖いということは変わらなかった。

「特に情報は無い感じですかね」

「申し訳ないんですが、そうですね。目撃情報などがあれば、情報は逐一担当者に伝えられることになっていますが、そういった情報が寄せられたことは一度もありません」

「そうですか……」

 そこまで言って、私はひとつ思い出したことを田丸にぶつけてみることにした。

「田丸さんの部署は多くの捜索願の受理をされていますよね。捜索願って色々と出ているかと思いますが、その中でこんなワードが出てきたことはありませんか」

 私はそういって篠崎誠が最後に呟いたとされているSNSの画面を田丸に見せた。

「SNSですか? こういうのって私はあまり強くないんですよね……」

 そういいながら田丸は画面をのぞき込む。

「異世界?」

「ええ。実はこれ篠崎誠が姿を消す前に残していたSNSへの書き込みなんです」

「異世界ねえ……。そもそも異世界って何ですか」

「いや、それは私にもわかりません。もしかしたら、警察の方なら知っているかなと思いまして」

「聞いたことありませんね。すいません、お力になれなかったようで」

 田丸は申し訳なさそうな顔をしながらいう。やはり、その顔も怖かった。


 残念なことに警察への聞き込みは空振りに終わった。

 異世界については、田丸にはわからないと伝えていたが、私の方でも色々と調べていた。

 しかし、それを田丸に説明するのははばかれることだった。


 異世界というのは、現実には存在しない。ライトノベルといわれる小説のジャンルなどで使用される用語だったのだ。

 最近では、異世界ものと呼ばれるジャンルが成立しており、漫画やアニメでも使われている言葉だそうだ。


「異世界への扉ねえ」

 田丸が帰ったあとの喫茶店で、私はひとりコーヒーを飲みながら呟いていた。


 私の探偵としての強みは、人脈が豊富であるということだった。

 仕事のほとんどは人脈で決まる。そういっても過言ではない。

 どれだけ、そのジャンルの知り合いがいるかで、集まってくる情報の量や質が変わってくるのだ。


 雑誌編集者の知り合いのことを思い出した私は、その編集者に連絡を取ってみることにした。

 その雑誌編集者は、裏社会や暴力団組織に関するムック本などを手がけている編集者であり、探偵の仕事について取材させてほしいと頼まれた時に知り合った編集者だった。

 私はその編集者に、ライトノベル関連の編集者を紹介してほしいと頼み、折り返しの連絡を待った。


 連絡が来たのは、それから1時間後のことだった。少し話を聞くだけならできるということで、神保町にある喫茶店でその編集者と待ち合わせることにした。


 喫茶店にやってきたのは、知り合いの編集者と20代後半ぐらいの若い男だった。

 その若い男がライトノベル関連の書籍を扱っている編集者であり、特に異世界ものに強いということだった。


「探偵さんも厄介な仕事を依頼されましたね」

 その編集者は笑いながら言った。


「そもそも異世界なんてあるわけがないんですよ。たまにいるんですよね、小説の世界と現実の世界がごっちゃまぜになってしまっている人」


「この前、小説を持ち込んできた若い子も自分が異世界にいた時の話を書いてきたとか言い出しちゃって。そういう人の作品って、小説かどうかとか以前の問題ですからね。案の定、読むに値しないものでした」


「異世界ものが流行っているから、出せば売れることは確かなんです。でも、既存の作品に似たものばかりですね。ちょっと設定が違うだけ。それじゃあ、売れませんよ。我々が求めているのは斬新で読み手が引き込まれる作品なんです」


 その編集者はひとりでベラベラと15分もの間、話を続けた。


「これを見て、どう思いますか?」

 私は、篠崎誠のSNSの画面を編集者に見せた。


『異世界に繋がる扉を見つけたかもしれん』


 その投稿の画面をじっと見つめた編集者は微動だにしなかった。

「マジで言ってます?」

 編集者は私の顔を見て言う。

 よくわからなかった私は無言で頷いて見せた。


 ゲラゲラと編集者が笑い出したのは、その数秒後だった。


「異世界なんてあるわけないじゃないですか。こんなの信じちゃダメですよ。きっとこのSNS投稿をした人物のギャグですって。あー、もう、真剣な顔をして聞きたいことがあるとか言うから何ごとかと思ったら……。もしかして、ドッキリとかですか?」

 ライトノベル編集者は、紹介者である編集者に笑いながら尋ねる。

 その様子を見た私は失敗したなと思いながら、無言で首を横に振るのだった。


 ここ数日でわかったことは、異世界なんてものは妄言に過ぎないということだった。

 では、篠崎誠はどこへ姿を消したのだろうか。

 それを調べるために、私は篠崎誠が働いていたコンビニからアパートの部屋までの道を歩いてみていた。


 特に何の変哲もない道が続いている。途中見かけたのは、一匹の野良猫だけであり、路地裏も覗いてみたが、特に引っかかるようなものは何もなかった。


 篠崎誠がSNSに投稿をした時間は、コンビニを出て5分後のことだった。

 コンビニから5分の距離にある場所。そこに篠崎誠の行方を示すものがあるに違いない。

 そう考えて、様々な方向へ5分の距離を歩いてみる。


 ただ、篠崎誠が消えたのは3年前の出来事だ。この3年間で多少は景色も変わっているかもしれない。


 十字路を曲がった時、一匹の犬が目の前に現れた。リードもなければ、首輪もしていない。どこかから逃げてきてしまったのだろうか。

 そんなことを考えながら、犬の様子をぼうっと見ていた。


 ある場所で犬は立ち止まると、その場所の匂いをしきりに嗅いでいる。


 そこに何があるのだろうか。

 私は犬に近づいてみることにした。

 犬は嫌いではなかった。幼少の頃、実家で犬を飼っていたこともある。


「どうした、何があるんだ」

 私は犬に話しかけながら近づいていく。


 そこにあったのは、マンホールぐらいの大きさの水たまりだった。

 その水たまりは、油が入っているかのように虹色に輝いている。


「旅の扉か?」

 私は数日前に仕入れたばかりの知識を口にした。某有名ゲームで場所を移動する際に使うワープ装置のようなもので、このように水の中に体を飛び込ませると、別の場所へと行くことが出来るというものだった。


 その水たまりを覗き込むと、私の顔が反射して映る……はずだった。

 しかし、そこに現れたのは見覚えのある顔の男の姿だった。

「篠崎誠……」

 私が呟くように言うと、水面が波を打った。


 気がつくと病院のベッドの上だった。

 一体、何があったというのだろうか。


「あ、目が覚めましたね。ご気分はどうですか」

 病室に入ってきた若い女性看護師が私に問いかけてくる。


「お熱、はかりましょうか」

 体温計が差し出される。


 その際にちらりと看護師の持っていた紙がみえた。

 そこには『患者氏名:篠崎誠』と書かれていた。


 すべての記憶がつながった。

 私は篠崎誠である。


 あの日見つけた異世界に繋がる扉を覗き込んだ時から、私は私ではなくなってしまった。

 私は肉体を空にして、精神だけが異世界へと送り込まれたのだ。


 現世に残された肉体には、もう一人の私が宿っていた。

 もう一人の私は、探偵事務所を開き、様々な依頼をこなす男だった。


 私にそのような才能があるということは、初めて知った。

 この男は私であり、私ではなかった。


 私が異世界にいる間、もう一人の私はきちんと生活をしていた。

 生活が変わると顔つきもだいぶ変わるようで、アルバイト生活をしていた頃の色白で不健康でだらしない面影はほとんどなくなっており、そこにいるのは浅黒く焼けた精悍な顔立ちの私だった。

 この、もう一人の私は自分が篠崎誠であるということを知らなかった。


 私の名前は……もういいだろう。私は篠崎誠に戻ったのだ。


 異世界が本当にあるのかどうかについては、私は語ることを許されてはいない。

 そういう約束なのだ。


 ただ、土産物をいくつか持たされた。その土産物がいつか役に立つ日が来るそうだ。

 

「篠崎さん、検査結果も問題なさそうですので、明日の午前中には退院できそうですね」

 主治医を名乗る男が私に言った。


 私は誰にも異世界での話はしなかった。

 言ってはならないという約束もあるし、もしその話をすれば入院も長引くと思ったからだ。


 病室に、母と姉がやってきた。

 彼女たちは涙を流し、私の帰還を喜んでくれた。


「あんたが別人みたいになっちゃったから……」

 母は私の胸に抱きつきながら泣いた。

 

 異世界での生活について語れる日が来たら、語ろうかと思う。

 それが何年先になるかはわからない。


 だが、来る時が来たら、私は語らなければならないのだ。

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