第6話 闇医者

「……ボロボロ」


ブレットは目の前のアパートを見て、そう感想を溢す。


見た目は、少なく見積もっても築数十年。耐震設計がきちんと為されているのかも不安になるような、二階建ての木造アパートだ。


「……文句言うな。俺だって好き好んで住んでる訳じゃねえよ」


 真白はアパートの一階、その一室の扉の前まで向かう。


「真白の部屋?」


「違う」


 扉の横にある表札が見える。表札には、「黒節」と書かれていた。


「くろ……」


「くろふし、だな」


 真白は備え付けられたチャイムを押した。リズミカルな高い音が響くが、それだけ。扉の向こうから反応は見られない。


「留守?」


「いや……」


 真白はもう一度チャイムを押す。それでも反応は無い。


「おーい、爺さん!客が来たぞー、開けてくれー!」


 ドンドンと扉を叩き、片手ではチャイムを連打する。


 しばらく続けると、扉の向こうからけたたましい足音が近づいて来る。その音が一瞬止まったと思えば、次の瞬間、勢いよく扉が開け放たれた。


「うるさいわ!!今何時だと思ってる!?」


 しゃがれた声で怒号する。


 中から出てきたのは、白衣を着た、色味が一切ない見事な白髪が特徴的な老人だ。


「ほら、居たろ?」


「なーにが、ほら?じゃ。こんな時間に叩き起こして!一体何のつもりじゃ!?」


「だから、客だよ」


「客?なんじゃ、まー坊、お前さんまた厄介ごとか?あまり巻き込まんで欲しいが……で、どこが悪い?見た目には急ぐ程には見えんが」


「俺じゃねえよ。診て欲しいのはこっち」


 そう言って真白は横にいるブレットの方を指さす。


 老人は真白の指の動きに合わせて目線を横に向ける。怒りで周りが良く見えていなかったのか、ブレットを捉えると、老人は驚き目を見開いた。


「ほう、まー坊が女連れとは珍しい。中々隅に置けんな」


「そんなんじゃねえよ。ってかその呼び方やめろ」


「そう照れるな。ふむ……」


 老人は真白の指摘を無視し、さらに目線を下、ブレットの全体を目視する。すると老人は真白の首根っこを掴んで、自分の方に寄せる。ブレットに聞こえないよう背を向け、小さな声で真白を問い詰める。


「お主、あれはどういうことじゃ?」


「どういうって?」


「なんじゃあの娘の恰好!?お主がそんな異常性癖を持ってると知らなんだぞ」


「恰好?あ~……」


 慣れてしまったので真白は最早気にも止まらなかったが、ブレットは全身拘束衣という異様な装いをしている。そして彼女の見た目は美少女と言っても差し支えないぐらには整っている。


 夜更けに男女が二人、そして一方が拘束衣。端から見たら複雑な関係もとい、何かしらの危ない関係であることは容易に想像できる。


「まさか……人攫いか?」


「……そう思うかよ?」


 老人は真白の顔をじっと見つめる。


「……お主にそんな度胸は無いか」


「……だろう?」


 真白と老人は短い付き合いではない、老人は真白の性格をある程度把握していると自負している。


 善性ではなく意気地の無さが信用されるのは悲しくも自分らしい、と真白は自嘲気味に、そう


思った。


「じゃあ、お主ら一体どういう……」


「ああ、あいつはなあ……」


「私は」


 突然、ブレットが割って入った来た。 


 どれだけ配慮したところで彼女の鋭敏な聴力を前にすれば二人の会話に盗み聞くことは容易だ。


「おい、余計なことは……」


「真白の所有物。真白も、そう認めてくれた」


 彼女がその言葉を述べたことで、三人の時間は止まった。


 幼気な少女が、拘束衣を着せられ、それについて文句も言わず、そして「所有物」と憚らずに自称する。


 老人の真白を見る目は一気に冷め、軽蔑すら覗かせている。


「まー坊。お主……」


「だから違う!!話を聞け!!」


 真白は今日あったことを老人に事細かく、過不足なく、解釈の余地なく、説明する。


 何か漏れがあれば、異性に拘束衣を着させて所有物にする、という字面だけでも敬遠されるような特殊性癖を持っている人間だと疑われかねない。


 そんな必死の弁明もあり、一応、老人の誤解は解けた。


「ふむ……まあ厄介事には変わりないな。まー坊も懲りないのう」


「こっちだって好きで巻き込まれてるわけじゃねえよ。ってかその呼び方やめろ!」


「そんなの自業自得じゃろ」


 老人はそう言って、真白をつまらなそうに見る。


「責任転嫁はいかんのう。お主のやっとることは、いつ殺されても文句は言えんし、誰に恨まれようとも弁解など仕様がない。そういう類のものじゃ。殺されても、犯されても、奪われても、何をされようが、それは道理の範疇じゃよ。お主は足掻き、逃れることはあっても、拒み、肯定することは決して出来んし、許されん」


「……」


 老人は押し黙る真白を横目に、「さて」と今度はブラットへ視線を移す。


「お主、名前は?」


「……ブレット」


「ブレット……弾丸、か。成程、こんな少女が……胸糞悪いのう。反吐が出るわい。ブレットやい、儂は黒節京成。闇医者を営んでおる」


「闇医者……」


 ブレットの言葉に黒節は首肯する。


「いかにも。知識と技術はあるが、免許と倫理の無い、人間のクズみたいな奴じゃ。そこで黙っとる奴と同類じゃよ」


 黒節は首を短く振り、顎で真白を指す。


「儂に専門分野は無い。器用貧乏ではなく、オールラウンダーという意味でな。だから大抵のことは診てやれる。今回の場合は……お主の脳、とかじゃ。ついて来なさい」


 黒節は部屋の中に戻り、二人にもそれに続くように促した。


 扉から中を覗くと、アパートの見た目と同じく、老朽化が進んでいるのが見て取れる。


 玄関を通り、短い通路を抜けると、八畳間の居間に入った。


 敷地の半分以上が手術台やその他人間大の大きさの機械、医療器械で埋められている。そんな黒節の部屋は、実際の広さ以上に手狭に感じてしまう。


「ほれ、ここの下に寝なさい」


 黒節は部屋にある襖を開けて、そう彼女に向かって言った。


 一見すれば、それは上と下で中板で区切られている典型的な押入れだ。


 しかしその押入れのは上段と下段のそれぞれに敷布団と、それを囲むアーチ状の機械が取り付けられている。


「上はCT、下はMRIじゃ。今日は脳を調べたいから、MRIでいいじゃろ。これでお主の脳画像を調べる」


「黒節」


「なんじゃ?」


「私の……脳、どうして調べるの?」


「お主が過去のことを全く知らないようじゃからな、記憶障害じゃろ。脳を調べるのが手っ取り早い」


「例え私が記憶障害だとしても、私の能力に差支えは無い。だから、調べる必要性も感じない」


「……そうか」


 黒節は彼女の言葉を聞いて一度目を伏せ、次にそれまで黙っていた真白に「何とか言え」とでも言いたげな目線を向ける。


 その視線を受け、真白はため息交じりに口を開く。


「……おい、ブレット」


「何?」


「さっさと診てもらえ」


「どうして?必要ない」


「自分のことを「武器」って言うお前にとっては、まあそうかもな。物には今とこれからの実用性だけが必要だ。過去がどうであろうが、今に影響しなければ気にする必要が無いってのはお前の言う通りだ」


「だったら……」


 真白は「でもな」と彼女の言葉を強引に切る。


「俺にとってはそうじゃない」


「……どうして?」


「俺が知りたいからだ。理屈とかじゃない。俺がそうしたい、だからする。それだけだ」


「……」


「分かったか?」


 所有者の望み。


 ただの武器はそれに従うしかない。


「……了解」


 ブレッドは腑に落ちない様子ではあったが、所有者である真白の命・令・に従い、押入れの中に入っていった。


「もっと違う言い方があったじゃろ」


「うるせえ、アンタが俺にさせたんだろ?文句あるならアンタがやれば良かった」


 「面倒くさいのう」と黒節は手元のPCを操作する。


 MRIが大きな音を立てながら作動し始めた。
















「お疲れさん。検査結果は、また明日にでも来てくれ」


 ブレットの検査が終わり、二人は早々に部屋を出る。


 理不尽に夜間労働を強いられた黒節は、殊勝にもそんな二人を玄関口で見送りに来た。


「……ありがとな、助かったよ」


 別れ際に、真白はそう独り言のように呟く。


「全くこんな夜更けにはた迷惑な奴じゃわい」 


 黒節はそう言い、大口を開いてあくびをした。


「まあ、まー坊の頼みじゃ。無下には出来んさ。お主も、お疲れさん」


 一時間ほどの診察に付き合ったブレットにもそう労いの言葉をかける。


 彼女はそれに首肯のみで応じ、それを見た黒節は困ったように苦笑する。


「まー坊、これから先、苦労するのう。まあ、精々頑張るんじゃな」


「分かってるよ……ああ、そうだ、部屋ってまだ空いてたか?」


「部屋?このアパートは全室埋まっておるよ。管理人の部屋なら今は出払っとるが、あの放浪者はいつ帰って来るかも分からんのはお主も知っておるじゃろ?」


「だよなー……こいつ当たり前だけど住む場所がねえんだよ」


 如何に物として扱われようと、そして本人が自称しようと、ブレットが生物学的に人であることには変わりない。


 寝床や食べ物、人間としての最低限の生活が送れる場所は必要だろうし、仮にそれらが無くても彼女が生きることが可能……そのように訓練されたとしても、人並の生活水準が与られることにマイナスの要素は無い筈である。


 何より、彼女が寒空の下何もない場所で野宿をして、自分だけが部屋で過ごすというのは、彼女が気にしなくても自分の居心地が悪い、そう真白は思った。


 誰かは損しなくて自分は得する、なら、その行いはやって然るべきだろう。


「まー坊の部屋に住まわせればよかろう?守ってもらうなら、尚更その方が良い」


「……そうなるよな」


 年頃の異性同士の共同生活。


 それだけ聞くと何とも甘い雰囲気だが、真白にとっては先行きの不安が勝つ。


 あれだけの戦闘力と、ズレた感性を持ち合わせた存在。


 そんなのと過ごせばトラブルが量産されることは想像に難くなかった。


「まあ、そういうとこも含めて、しっかりやるんじゃな」


 暗雲立ち込める行く末に暗い表情を見せる真白に、黒節はそう投げやりな言葉を掛ける。


 他人事ではあるが、彼なりの激励の言葉を残して、扉を閉めた。


「……はあ」


 閉まられた扉を眺め、今日何度目かのため息が零れる。


「疲れるなら、こんな面倒なことしなければ良かった」


 真白の苦労を慮る様子など全く無く、ブレットは不要と断じた診察を受けさせた真白に悪態をついた。


 どうやら彼女は真白が疲れた理由を、診察が夜更けまで続いたことに起因していると考えているようだ。自分が心労の種であるという自覚は、全くの皆無である。


「そうだな……ほんと、何やってんだか……」


 彼女の制止を無視して、彼女に診断を受けさせた。


 彼女の思考、性質を尊重せず、彼女の衣食住について四苦八苦する。


 どれも、真白らしくない。


 真白は運び屋として、多くの非合法な品物を扱ってきた。


 武器、薬物、機密情報。


 それらが運ばれることで、この犯罪都市で出回ることで、一体どれだけの人間が不幸になり、死んでいっただろう。


 自分が直接関わっていなかったとしても、間接な原因にはなっているのだ。そういう意味では、自分は人殺しと大差がない。


 運び屋だけでは無い。


 持ち前のピッキング技術を用いて、多くの盗みを働いた。


 暴力だって、数えきれないくらい奮った。


 生きるため、といのは免罪符にはならない。この犯罪都市でも真っ当に働いている人間はたくさんいる。


 人の道を外さず、誰かを幸福にする生き方だってあるのだ。それを実践する人間だって存在するのだ。


 しかし、真白はその道を選ばなかった。


 成り行きで堕ちたのではない。自分自身の選択で、能動的に、言い訳や責任転嫁の余地なく、真白は自分の意志で、他人を不幸にして、他人の不幸を糧にして生き残る道を選んだのだ。




 犯罪都市。




 犯罪によって栄え、成り立っている都市。


 何て歪な環境だろう。そこに身を置く人々も、その歪みを受け、自身もまた歪まされてしまっている。


 人殺しを肯定する世界。盗みを推奨する社会。欺きを美徳とする価値観。


 歪みに歪んで、捻じれに捻じれ切って。ぐにゃぐにゃと、不文律や不公平や不条理が、一気に合わせて形が無くなるまで煮詰めることで出来上がった、狂気の産物。


 その狂気は、真白にも襲いかかった。


 真白の周囲は、呆気なくも元の形が分からないくらいに歪まされてしまった。


 だから、真白は自分も歪もうと決めたのだ。あくまで自分の意志で、狂気を飲み干し、自身の一部へと昇華させた。最早、それが全体だと言えるくらいに、自身の細胞から変異させた。


 歪んだものが肯定された世界で、歪んだものを利用して、自身も歪んで、生きていく。


 その決断はこの都市に対しての彼なりの、諦めであり、傍観であり、復讐でもあった。


 他人を慮かる情操なんてものを、彼はとっくに捨てたのだ。だからこそ、自分のらしからぬ行動には真白自身が一番驚いている。


 同時に、一度捨てようとしたものを女々しくも捨てきれていない自分を、真白は軽蔑する。


「やっぱり真白は変」


「……そうだな」


 真白はただ、そう受け入れる他無かった。

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ネイクド・ブレット 哀畑優 @rrrrrrrrrrrrrrr

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