第5話 ブレット

「……一応聞くが……どこまで付いて来るつもりだ?」


 真白は振り返り、後ろにいる少女にそう問いかけた。


 少女は首を傾げる。


 そんな少女の仕草に、真白はため息をついた。


 真白達は港を離れることで、スナイパーの狙撃からは逃れることが出来た。


 事件が一応の収束を迎えた現在、真白は仕事の失敗によって報酬が得られないことへの陰鬱な気持ちと、命拾いしたことへの安堵の気持ちがごちゃ混ぜになった、非常に複雑な心持ちで帰路についていた。


 そして真白の武器、所有物を自称する少女は当然、所有者に付き従い、真白の後を付いて来ている。


「……まあ、お前が俺の物ってことはよく分かったが、それはそっちの事情だろ?助けてくれたことには感謝してるけどさ、まあ、なんだ……こんな仕事をしてる俺が言うのもあれだが、あんな奴らに、正直深く関わりたくないんだわ。命がいくつあっても足りねえ」


まさに九死に一生の出来事だった。


幾度もの修羅場を経験してきた真白でも、ここまで死が目前に迫ったのは今回が初めてだ。


死線を潜り抜けられたのは間違いなくこの少女のおかげだが、少女がいなければあそこまでの執拗な攻撃を受けることも無かっただろう。


恩人であると同時に厄介者。


それが少女に対する真白の率直な評価である


「分かったらどっか行け」


 真白は「しっしっ」と手で彼女を追い払う仕草を取る。


「でも、私は真白の武器」


「……ずっと言ってるけどそれ、誰の物とか、どうやって決めてんだよ。俺お前に名前書いた記憶とか無いんだけど?」


 少女はかぶりを振る。


「違う。名前なんて書かなくいい。私が覚えること、それだけが所有者を決定する唯一で絶対の要素」


「……ああ、そんなことも言ってたな。じゃあ何だ?誰かの血を飲んだらそいつの所有物ってこと?どんなヤンデレ設定だよ」


「血だけじゃない。姿、匂い、味、声、感触。私の感覚器官で把握できる全ての情報を総計することで所有者を記憶し、判別する」


指を噛む行為、そして他愛無い会話。そんな一見すると何の意味もないようなやり取りを通して、彼女は真白灰という人間を記憶したらしい。


「つまり、あんな騙し討ちみたいな方法で俺はお前を押し付けられたってことか?!ふっざけんな!契約ってのはな、俺が欲しいって言った上で、合意があることで初めて成立するんだよ!俺はお前を欲しいとは思わないし、お前に関わりたくもない!クーリングオフを要求する!」


「……でも、箱を開けたのは真白。それはつまり、真白が箱の中身を欲していたということ。その時点で契約成立」


 少女は真白の捲し立てに、変わらず平淡に答える。


「真白はあの時、武器を欲していた筈。そして私は武器として、真白の望み通りの働きをした。既に欲して、恩恵を受けたことを否定することは出来ない。私には真白の武器である権利が、そして真白には私を使う権利がある」


 彼女の言う通り、言葉だけを並べれば真白は生き残るという目的の為に行動を起こし、能動的に彼女を使い、目的を果たした。


 しかしそれは記号の羅列に過ぎない。どれだけ彼女が武器を自称しようと、周りから物だと断じられようと、真白にとって目の前にいるのはただの少女なのだ。


 彼女がそれだけ人外の能力を有していたとしても、その認識は変わらない。


 例え真白の方がおかしいのだとしても、自分の手元に、自身の所有物として彼女を置くことは受け入れがたいことだった。


「……じゃあ、そんなの要らねえよ。俺のだったら、拾うのも捨てるのも俺の勝手だろ?」


「それは無理」


「何で!?」


「私は所有者を一人しか覚えられない。そして一度覚えれば、その所有者を忘却することも出来ない」


「とんだ欠陥製品じゃねえか!!」


 真白は頭を抱えてしゃがみ込む。


 そんな真白を少女はただ黙って見下ろしている。


「それに例えできたとしても、私を手放すことはやめた方が良い」


「……何で?」


「真白はこれからも命を狙われる可能性が高い」


「はあ?あいつらはみんなお前を狙ってるんだろう?俺が殺されるなら、お前の巻き添えくらいだぜ?」


 ただのしがない運び屋である自分を狙う人間なんて、警察くらいだろう、と真白は自認する。


「お前が狙われる理由はよく分かるよ。そのとんでもねえ力、お前は自分を物だって言ってるけど、多分殺し屋とかボディガードとか、そういう役割を与えられてたんだろう?」


 真白という所有者の命を優先する言動と行動から分かる通り、少女は所有者と決めた相手に対する忠誠心が高い。


 決して裏切らない強力な兵士とあっては日夜命を狙われる裏社会のvip達にはさぞ重宝されるだろう。


 彼女の輸送に高額な報酬が与えられていたことからも、真白は少女の素性についてある程度予測を立てていた。


「そうなの?」


「何で俺に聞くんだよ」


「私のことはどうでもいい」


 少女は屈み、真白と目線を合わせる。


「真白を狙う理由がちゃんとあるから。むしろ、真白を殺す方が私を狙うよりもずっと簡単で、しかも得がある」


「……お前みたいな化け物を相手にするくらいなら、俺を殺す方が簡単ってのは同意だ。でも、それで何の得がある?」


 もしこの少女を捕まえれば、その能力の高さ故にカタギじゃない人間にとってはいくらでも需要があり、そこから容易に利益に結び付けることが出来るだろう。


 彼女を殺すのにおいても、これ程の力の持ち主なら彼女を忌まわしく思い、彼女を殺すことで利益を得られる人間も多いだろう。


 しかし、。真白は前科持ちでありだけの普通の人間だ。市場価値なんて殆どないのは明白だ。


「こんな俺を、誰が殺したいって言うんだ?」


「さっき言った。私は、所有者を一人しか覚えられない。所有者を上書きすることも出来ない」


「……ああ、はた迷惑な話だな」


「……それだけ?」


「それ以外に何がある?」


「真白はやっぱり頭が固い」


「……何でいきなりけなされなきゃならないんだ」


「真白以外はどう考えるか。真白とは違う考えを持つ人間は何を思考するのか。それをもっと考えた方が良い」


「はぁ?」


 自分以外はどう考えるか。


 自分以外は、少女を物として扱う。そして、彼女を狙っていることから分かるように、自分とは異なり彼らは彼女を求め、欲している。


 そして、そういう奴等は何を思考するのか。


 彼女を欲しているのだから当然、彼女を攫う、もしくは殺したいだろう。一番の理想は攫って自身の手駒にすることだ。そっちの方が遥かに得がある。




 彼女を欲している人間が、彼女を手に入れる。




 つまり、彼女を物扱いする奴等が、彼女の所有者を自分達にしようとする。




 既に所有者が決まっている彼女から、所有権を認めさせる。それが彼女を狙う人間たちのおおよそ考えることだろう。


 そこまで考えて、真白はある結論に思い至る。




 至ってしまった。




「……なあ、お前、所有者のことは忘れないんだよな」


「そう言った」


「じゃあ、仮にだぞ。仮に……俺・が・死・ん・だ・ら・ど・う・な・る・?」


 真白は少女をじっと見つめる。少女はそれを受け止め、両者しばしの沈黙が訪れる。


 ほどなくして彼女は口を開く。


 発せられる音色は、相も変わらず平坦だった 


「その時は、私は目的を無くし、機能が停止する」


 物は自我を持たない。目的も動機も所有者から与えられるものだ。


 恐らく彼女もそう教えられ、育てられた。


 ならば、所有者の消失。それは彼女を無力化するのには最適な方法だろう。


 況や、その所有者が凡人であればあるほど。


「……俺を狙う以外に理由が無いじゃねえか!!!」


 誰が像と蟻の二匹と相対して、像と戦う馬鹿がいるだろうか。自分だって、相手の立場なら無謀な賭けよりも、現実的な策を取る。


「そう。だから私を手放さない方が良い。いつどこで狙われるか分かったものじゃない」


「っ~!誰のせいだと思ってんだ」


 真白はまた、。額が地面に着くのではというくらい、深く頭を抱える。


「そう悲観的にならなくてもいい。私が側にいれば、真白は死なない」


「……大した自信だな」


そんな傲岸不遜さと、無鉄砲さが自分も欲しい、と真白はちょっとだけ彼女のことがうらやましくなる。


 真白は身体の疲労感を外に出すように、大きくため息をつく。


「そんなに私と一緒は嫌?」


 真白の様子を見た少女はそう尋ねた。文面だけなら可愛げもあるものだが、彼女の声音は相変わらず冷たく、平たい。


「……確かに、お前は武器として破格の性能かもしれねえが、そんなことは関係ねえ。別にお前が他の奴等にどういう扱いだろうと、俺にとってはお前は人間で、女で、子供なんだよ。そんな奴をこき使うとか、俺にそんな趣味はねえ」


「……変なの」


「……ああ、そうだな」


 否定は出来ない。我ながら、おかしいことだと思っている。煮え切らないな、自己嫌悪すら覚えている。


 真白は立ち上がると、全身の凝りをほぐす為、身体を伸ばした。


 それに合わせて、少女もゆっくり立ち上がり、真白と向かい合った。


「でも、それに拘って死ぬほどお人よしでも馬鹿でもねえ」


 ここで踏みとどまれるのなら、犯罪者になんてなっていないだろう、と真白は自嘲した。


「そういうことだ、精々守ってくれよ」


「了解」


 少女はコクリと頷いた。


「……お前、なんて言うんだ?」


「?」


「名前だよ名前」


「名前……分からない」


「……名前も無い、か。ホント徹底してんのな」


「……」


 真白は改めて彼女の姿を観察する。見た目は幼気な少女だが、その身体は拘束衣に包まれており、腕は胸の前できっちり固定されている。


 人間としては毛ほども扱われていない。そんな彼女を寂しげな目で眺め、そこで真白は拘束衣に小さなタグが付けられていることに気付く。


「ん?何だこれ?」


 タグには文字、英単語が人つだけ書かれている。


「……bullet?お前の名前か?」


「……ブレット?」


 bullet、弾丸を意味する語。


 それは、武器を自称する彼女にはピッタリの名だった。それでも、物としてか扱われてないという事実には変わりないが。


「聞き憶えあるか?」


「……知らない」


「ふうん。まあ、一先ずはそれでいいか。じゃあよろしくな、ブレット」


「ん」


 少女はまたコクリと頷く。


 そうして二人は今度は並んで、帰路についた。


 真白はこれから始まるであろう殺伐として綱渡りな道程に大いなる不安と、少しばかりの好奇心が芽生えていた。


























































「ところでよ、なんでお前は、よりによって俺を覚えようとしたんだ?」


 帰路の合間の雑談がてらに問いかける。


 真白はブレットから所有者を記憶する方法は聞いていたが、選定する方法は聞いてはいなかった。


「それは、最初に会ったのが真白だから」


「は?最初?」


 真白は歩を止める。ブレットもそれに倣って止まった。


「……お前、ここに来るまで、何してた?」


「何、とは?」


「どこにいて、誰といて、何食ってたか、聞いてんだよ」


「……」


「ブレット、お前、自分のことどれだけ知ってる?」


「……私は武器で、真白の物で……」


「それ以外は?何であの港にいた?そもそも、自分が武器だって、誰がお前にそんなことを刷り込んだんだ?」


「……誰……誰?」


 ブレット初めて、真白に動揺する様子を見せる。


 そんな彼女を見て真白は、今までの彼女との会話を振り返った。


 彼女は、今まで武器としての自分の説明ばかりで、自分の所属、境遇については一切言及していなかった。


 真白はそれを、そう教え込まれていたからだと思っていた。非人道的な扱いと調教によって、半ば洗脳された状態であると、そう思っていた。


 しかし、彼女は本当に知らないのだ。


 彼女との会話は説明書を読むように単調で、まるで実感が伴っていなかった。


 元々人間だったものが、壊されて物として振舞っているような哀愁漂うもののではなく、物が、人の形をして人の皮を被っているような、そんな不気味な違和感。




 名前を知らない少女。




 過去を知らない少女。




 自分を、知らない少女。




 ブレットという存在は一体なの者なのか?


 いや、何物かではあるのか?


 そんな疑問振り払うように、留めて置かないように、真白は止めていた足を強引に前に出した。

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