第10話 出会い

 白水の車に乗せられ、葵は家まで送られていた。西田は既に自宅で降ろされていたので、同乗者は白水と金田だけだった。

「正直、見くびっていたよ。まさか葵さんが、ここまでやる子だったなんて」

「いえ、私の力ではありません。金田さんがいなければ、事件解決が遅れて、最悪の結果になっていたかもしれません」

「そう……悩みは、吹っ切れたかい」

「ひとまずは、と言ったところでしょうか。でも、数珠つなぎ殺人を止めること、真相を明らかにすることは人の役に立つことだということは分かりました。それに、私にはこの道しかないということも、分かりました」

「ふふふ。それは良かった」

 葵と金田がそんな会話をしていると、いつの間に三神神社に到着していた。葵が一人で降りようと車のドアを開けると、既に金田が降車していた。

「え、金田さんどうしたんですか?」

「なに、ちょっと葵さんの神様にあやかろうかと思ってさ。白水さん、少しだけ参拝してきてもいいですか」

「お好きなだけどうぞ」

 白水から許可をもらった金田は満面の笑みを葵に向け、スキップするように軽快に神社の階段を昇り始めた。だが、その勢いも中段を上がる頃には消え、後から歩いて昇ってきた葵に追い抜かれる始末だった。

「はあ、はあ、はあ。葵さん、早いよ」

「金田さんが遅いだけです。ほらっ、あちらでお参りしてください」

 葵が指さした賽銭箱の前には、既に一人の男性が立っていた。手を合わせ、何かを真剣に願っているようだ。金田はしばらくその男性が立ち去るのを待ったが、手を合わせたまま一切動かなかったので、しびれを切らせて後ろから声をかけることにした。

 トラブルになる可能性もあったので、念のため葵も少し離れたところから様子を見る。

「あの、すいません。僕も参拝したいので、終わったなら退いていただけますか」

「ああ、これは失礼しました。なにぶん大きな願い事だったので、たっぷり時間をかけたほうがいいかと思いまして」

「大きな願い事、ですか。世界平和とか?」

「まあ、そんなところです。今の世の中は、あまりに生きることが難しいとは思いませんか」

「まあ、少し思うところはあります」

 葵は安心した。

 手を合わせたまま動かなかった男性は、とても物腰の柔らかい人だったからだ。年齢は二・三十代に見え、整った顔立ちをしている。男に無頓着な葵の心の中にも、少しときめくものがあるほどに。

 葵が思わず男性に見惚れていると、彼の方から葵に話しかけた。

「あなた、三神神社の巫女さんですよね。確か、葵さんだっけ」

「え、あ、はい。あのえっと、その、三神葵です。以後お見知りおきを」

「随分固い言葉遣いだね。なんか緊張してる?」

「あ、いや、その、あの、えっと……ああああ」

 葵は胸に手を当て、自分に落ち着けと言い聞かせて、とても深い深呼吸を五回ほど繰り返した。それでようやく冷静になれ、再度その男性に向き直すことができた。だがそこで、葵は自分が冷静になったことを後悔した。

 その男性から、とてつもなく禍々しいオーラが見える。

 葵は、そのオーラに見覚えがあった。そう、初めてあの数珠を見た時に見えたものと同じだった。葵は五歩ほど下がり、金田に叫んだ。

「金田さん、危ない! 下がって!」

 金田も言われるまま、その男から距離を取った。

「ひどいな。さっきまで私のことをかっこいいとか思ってくれていたのに、もう手のひらを返すんですか? 三神葵さん」

「あなた、何者なの? 用件を言って」

「要件って、神社に参拝以外の用件が必要ですか?」

「敵情視察……とかね」

「なるほど。これは侮れないですね」

 男はそう言うと、右手をポケットに入れた。それを見た葵が咄嗟にファイティングポーズをとったので、金田も、状況は何一つ理解できていないがファイティングポーズをとった。ただ戸惑いながらだったからか、何故か利き手の右手が前に出ている。

「ふふふ。安心してください。そんな手荒な真似はしませんよ。私のことを何だと思っているんですか?」

「詳しいことは何も分かりません。ただ、あなたが笑顔で安心して接していい人間ではないということだけ、はっきりしています」

「ひどい言われ様だ。ま、仕方のないことですが。では葵さん、ここで少し話題を変えましょう。あなたは、神様がいると思いますか?」

「なにをいきなり。神ならそこにいますよ」

 葵は、男の後ろにある神殿を指さした。男はそちらを振り返った後、盛大に笑い声をあげた。

「いやー、巫女さんとしては模範解答でしょうね。では、質問を変えます。私は普段仏具店を営んでいるのですが、そんな私が神社を参るのはまずいんでしょうか」

「神道の神様たちは、いわゆる八百万の神様です。それに神仏習合の考えの下では、神道における神様と仏様は同一のものです。問題は無いでしょう。それよりも、そろそろ話していただけませんか。あなたが何者で、ここに何の用件できたのかを」

「私の正体ですか。先ほども言った通り、ただの仏具店の店主ですよ」

 そう言って男はポケットから右手を抜いて、中からあの黒い数珠を取り出した。

「私の名前は、三安久業さんあくかるま。一応、あなた方と敵対する者という扱いでしょうね。三神葵さん、金田一さん」

 ようやく、金田にも状況が理解できた。目の前にいる男は、数珠つなぎ殺人のすべての元凶ともいえる男だ。

「それで、用件は?」

「参拝に来たというのは本当ですよ。実は私、よくこの神社に来るんですよ。自宅兼お店が近所にあるんでね。初詣は毎年ここです」

「えぇ……」

「そんな残念そうな顔しないでください。私だって、こんなことになるなんて思っていませんでしたよ。まあ、今回はそれに加えて葵さんに会ってみたいという思いもあったんですがね。しかし、思わぬおまけまでついてきましたね」

 三安久が、金田の方に視線を向けた。金田はおまけと言われたことに腹を立てたのか、頬を膨らませて三安久を睨みつけている。

「あー、いや、これは失礼しました。天下の名探偵におまけ呼ばわりなんて、失礼でしたね」

「別に? そんなこと思ってませんけど。全然気にしてませんけど」

「それにしても、金田さん。随分と大きな秘密をお持ちですね」

 三安久がそう言うと、金田の顔から表情が消えた。額からは脂汗を流し、唇を震わせ、何やら声にもならない音を発している。

「秘密? 金田さんが何を隠しているって言うんですか」

「え? まあ……あなたが名探偵だと言うのなら、その内知ることになるでしょう。ひょっとしたら、あなたがあの憧れの人の秘密を暴かなければならなくなるかもしれませんね」

「……どうして、金田さんが私の憧れの人だと知っているんですか」

「まあ、不思議な力を持っているのは、あなただけではないということですよ。それでは、私はこれで失礼します」

 そう言って三安久は、階段の方へ歩みだした。しかし途中で踵を返し、再度葵の方にやってきて、その整った顔を葵の目の前まで近づけた。

 恐怖ゆえか恋心ゆえか。いずれにしても、葵は身動きを取ることができなかった。

「これは優しい私からのアドバイスです。私は現時点では、ただ数珠を販売しているだけの男にすぎません。逮捕することは不可能です。違法になる部分は、すべて仲間が代行してくれているからです。まずは、その人を捕まえてみてください。そうすれば、私が直々に動く必要ができて、あなた方の望む展開に辿り着けるかもしれませんよ」

「ど、どうしてそんなことを、敵である私に教えるんですか」

「ふふふ。私は葵さんのことを敵だなんて思っていません。むしろ、仲間だと思っています」

「はあ!? どういう意味ですか」

「まあ、そのうち分かりますよ。葵さん、お手柔らかにお願いしますよ。それと、僕に会いたくなったらいつでもお店に来てください。愛の告白だって、受け付けますよ」

 そう言って三安久は葵に向かってウインクし、三度階段の方に向かって、今度はまっすぐ階段を下っていった。下には白水がいるが、三安久の言う通り、まだ三安久は数珠を販売しているだけにすぎない。売っている者が犯罪に使われたからという理由で逮捕されていては、この世の中から包丁を作る人間など消え失せるだろう。そう思うと、白水が三安久に何かアクションを起こすことも期待できるない。


 無力感と義務感の狭間で苛まれながら、葵は三安久の背中を見送った。

 とてつもなく強い日差しが境内に差し込み、金田の脂汗を輝かせている。葵が呼びかけても反応がないので、一度下まで降りて白水を呼び、そのまま車に乗せられた。葵は三度階段を昇り、登りきったところで汗を拭った。

 さっきまで気付かなかったが、境内には蝉の声が、煩わしいほどに響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殺人防御探偵・三神葵 佐々木 凛 @Rin_sasaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ