三十五題目「白猫 大晦日 タイプライター」

 四角い窓の向こうでは、雪が降っていた。まだ降り始めたばかりのようで、地面にはそれほど積もっていない。

 小さい頃は雪が降るだけで喜んだなと思い出しながら、青年は遠くの山を見つめる。

 手に持つお盆には湯呑みが乗っていて、立ち昇る湯気を浴びて、冷える廊下を歩いていく。

 突き当たりまで歩き、奥の扉を軽く三回叩く。

 全く反応がなく、人の気配を感じないため、恐る恐る中を覗いてみる。

 天井まで届きそうな本棚に囲まれた一人の男ーー父がタイプライターで文字を打っていた。

 薄い毛布を肩にかけたその姿を見て、青年は気づく。これは夢なんだと。

 理由は二つある。

 一つは、令和のこの時代にタイプライターなんて存在しないこと。

 もう一つは、父はすでに死んでいるからだ。

 これが夢だと分かっていても、父の背中が寒そうに見えた青年は、ゆっくりと近づいていく。

「父さん、これ」

「……」

 こちらを一度も見ることなく、父がお盆の湯呑みを取る。

 相変わらずの態度に懐かしさと、少しの嫌悪感が混じった。

 今まで言いたかったことがあったはずなのに、青年の口からは、何も言葉が出てこない。

「……元気か」

 しわがれた声だった。それが父の声だと認識するのに、時間がかかった。

「ああ。元気だよ」

「そうか」

 二人の間に、再び沈黙が訪れる。

「今、何書いてるの?」

 父は死ぬ間際まで机に齧り付いていた、生まれながらの小説家だ。何作か、映像化もしている。

「……猫が人に化ける話だ」

 淡々と喋りながらも、タイプライターを叩く手が止まることはない。

「お前も、書いてるのか?」

「俺? 俺は、その」

 突然の問いに、青年は戸惑った。

 幼い頃は父に憧れて小説家を目指していたが、何作書いても落選し続けた。そして、いつの間にか書くのをやめてしまっていた。

「いつでもいい。書いて見たらどうだ?」

 動揺する青年から、書いていないことを読み取ったようだ。

「でも、父さんみたいには……」

「俺みたいに書かなくてもいい。お前の書きたいものを書け」

 父の背中から発せられた言葉を最後に、青年の意識が薄れていった。




 青年が目を覚ますと、そこはいつもとは違う天井だった。

「……そうか。帰ってきてたんだっけ」

 ベットから体を起こすと、カーテンがない窓から日光が差し込む。

 窓の外を見ると、白猫がじっとこちらを見ていた。

「……まさかな」

 ベットから降りると、勉強机に置かれたパソコンを開く。

 画面には『父へ送る物語』と表示されていた。

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三題噺(1000字以内) カワチ @Taku_007

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