二〇二×年七月二十七日

 僕が旧M沢トンネルでの恐怖体験をネット掲示板に書き込んだのは、偶然あのトンネルの名前を目にしたからだった。

 ところが僕の体験談は散々嘘だと言われてしまった。


 それがなぜかわからずにいると、ひとつのURLが貼られた。

 リンクをクリックしてみると、暗い画面が映し出される。

 そしてすぐに男の声が喋りだした。


「えー、現在の時間は午前三時です。今日はですね、知る人ぞ知ると言われる旧M沢トンネルにやってきました」


 その場所は僕も恐怖体験をしたあのトンネルだった。

 トンネルはまだ埋められてはいなかったが、路肩にはコンクリートブロックらしきものが積み上げられているのがちらりと映った。

 僕たちとほぼ同時期にトンネルを訪れ、撮影をしたのは心霊スポットを巡って配信をしている男性らしかった。


 男性はトンネルの周囲をぐるりと映すと、その奥へと歩いて行く。

 トンネルの中は真っ暗で、懐中電灯の明かりがぼんやりと空間を照らしていた。

 時おり現れるコウモリや虫に驚く声と足音だけが繰り返される。


「このトンネルには人柱の伝説が残っているんですよね。その痕跡が見つけられたらいいんだけど……」


 喋りながらトンネルの奥へ奥へと進んでいく。トンネルの入り口ですら不気味な雰囲気だったのに、彼は慣れた様子で歩いていた。

 僕なら足がすくんで動けなくなってしまいそうだ。


 これを見ていると入り口が塞がれていてくれて助かったと思った。

 壁面や天井にできる複雑な形の影が、そのトンネルが手掘りであることを改めて教えてくれる。


「あー、こっち側は埋められちゃってますね」


 男はトンネルの反対端に辿りついたが、そこは僕たちが見たのと同じような壁で塞がれていた。

 先にこちら側から壁が作られていたようだ。


 男が懐中電灯の明かりを消すと、隙間からかすかに月明かりが差し込んできた。

 彼はトンネルの外に出たいようで、コンクリートブロックの壁を叩いて弱い場所がないか探っている。


「本来ならこの先にある旧M沢村の方まで行きたかったんですけどね……。あっちならうまくいけば建物が残ってそうだったし。

 仕方ないので予定を変えて今日はここで一泊しましょう」


 男が言っていることが最初わからなかった。

 どうやら男は普段から心霊スポットに一泊する動画を配信しているらしく、慣れた様子で寝袋を広げていく。


 そして、カメラを三脚にセットすると寝袋を敷いてそのまま眠り始めてしまった。

 その間もカメラは男を映し続け、時間だけが過ぎて行った。


 代り映えしない映像とこの動画へのリンクが貼られた意図が理解できず、何か手掛かりがありはしないかとコメント欄を眺めることにした。

 これはいわゆる定点動画というやつで、怪異が起こりやすい場所を映し続けることで心霊現象が起こる瞬間を捉えようという意図のものらしい。


 また、「この動画からは次の動画の展開は予測できない」といった旨のコメントがいくつも残されている。

 そのことから「何か」が起こるのはこの動画ではなく続編の動画の方らしいこともわかった。

 この動画は元の動画のいらない部分をカットして短くしてあるらしく、見た目は変わっていないが録画開始からの経過時間を知らせる数字だけが着実に増えていた。


 そして、時間は一気に飛び、コンクリートブロックの隙間から細く光が入ってくる。

 朝が来たのだ。

 それから間もなくして映像は途切れた。


 僕の手は自然と次の動画へと向かう。

 次の動画は男が慌てた様子で語りだすところから始まっていた。


 どうやらトンネル内での野宿だというのに熟睡して寝過ごしてしまったようだ。

 前の動画では男が眠っている間に録画容量がいっぱいになって録画が止まってしまっていたらしい。予備で持ってきていたメモリーに差し替えて撮影を再開したと手短な説明が入る。

 そして、男が走っていった先にはコンクリートブロックの壁があった。


 男はしきりに「まずい」「やばい」を連呼するばかりで状況が把握できない。


 そこで僕は違和感に気付く。

 男は確か、M沢村側の壁のそばで眠ったのではなかったか。

 だとしたら壁までの距離がありすぎる。


 男が再び走り出したと思うと、再び壁の前へやってきた。

 先ほどと違うのは足元に男が使っていた寝袋が転がっていることだ。


「嘘だろ……」


 男はその場に膝をつき、そこで僕の悪い予感が当たっていたのだと知る。


 ――この男はトンネル内に閉じ込められたのだ。


「あぁ……やばい、最悪だ」


 男は同じことを繰り返すばかりだったが、そんな中でもどうやら男はここ数日忙しく、まともに睡眠を取れないままこのトンネルにやってきたようだとわかった。

 連日の寝不足と若干の湿気こそあれ静かで快適なトンネルという環境が相まって、ついつい寝過ごしてしまったらしい。


 工事の音に気付かないほど深く眠ってしまうということはよほど疲れが溜まっていたのだろう。

 男に同情すると同時に、彼がこの後どうなるのかに興味を引かれた。きっとそこにこの動画を見るように勧められた理由があるのだろう。


 トンネルの中からでは携帯電話の電波を受信することができず、あまり知られていない場所であるが故に人が来ることもない。

 男が感じている絶望感は画面越しでもひしひしと伝わってきた。


「バッテリー切れが怖いので、カメラは何か進展があった時に回すようにします。懐中電灯も必要最低限にしないと……」


 カメラに向かって告げた男の表情には、まだ戸惑いの色が濃くあった。




 閉じ込められてから二日、男が持っていた食料が尽きたことをカメラの前で報告した。水はトンネルの天井や壁から染み出してきたものを集めて口にすることでしのいでいるという。

 男の声には力がなくなっており、暗い中でもわかるほど憔悴していた。


 もしも自分が彼と同じように狭く暗い空間に閉じ込められたらと想像すると気が狂いそうだ。

 男は拠点を自分が入ってきた側に移し、誰かが通りかかりはしないかと待っていた。


 次の映像では外からの淡い光が差し込んでいた。外は昼間らしい。


「閉じ込められてから五日が経ちました。一日のほとんどをこの壁にもたれて過ごしてます。外の音に耳を澄ませてますが、誰もこの辺りには来ていないようです」


 男はますますやつれていた。

 言葉は途切れ途切れで、話すのも苦しそうだ。

 男は光の差し込む壁際に何かを掲げた。


「懐中電灯なんですが、ついに電池が切れました」


 カチカチとスイッチを押して見せる。それを乱暴に投げ捨てたところで映像は途切れた。


 次の瞬間、トンネルの中に光が差していた。

 先ほどの太陽の光とはまた違う、人工的な強い光だ。

 それと共に、かすかに人の話し声が聞こえる。


「だ、誰か来たみたいです!」


 男の声は喜びで上ずっていた。

 男は「おーい」「助けてくれー!」とかすれた声を張り上げて繰り返し呼びかける。しかし、その声に反応はなかった。


 少しすると話し声が近付いてきた。


「っ!」


 僕は息を吞んだ。

 動画に残っていた声は、自分とJの声だったのだ。


『んー……こりゃ本当にここ何日かで埋められたみたいだな。惜しい』


 壁一枚隔てて、Jの声が聞こえた。

 男の声はもうほとんど枯れてしまって、ヒューヒューとのどが鳴る音の方が強く聞こえるほどだった。

 その時、男は今だとばかりにコンクリートブロックの壁を叩いた。


「おぉい……誰かいるんだろ……ここから出してくれよぉ……」


 必死に呼びかけるのは、かつて僕たちが聞いたのと同じ声だった。

 助けを求める男の声に返ってきたのは怯えたような小さな悲鳴。


 それから間もなくしてバイクのエンジン音がして、僕らが去っていくのを男はなすすべもなく見送った。

 映像を見ていた僕は血の気が引いていくのを感じた。


 あの時の声は幽霊などではなく、本当に救いを求めていた人間だったのだ。


 その後も映像は続き、誰も来ないトンネルの中で男が徐々に衰弱していく様子がまざまざと映し出されていた。

 男が残した映像を見る限り、僕らが訪れた後は誰もあのトンネルに近付いていなかったようだ。


 そして、最後に「動画配信者か トンネル内に死体」という見出しの新聞記事が映し出された。

 僕は画面を止め、食い入るようにその記事を読んだ。


 記事はほんの一週間ほど前のもので、何者かに壊されたコンクリートブロックの壁の隙間から中へ入った若者のグループが荷物と死体が転がっているのを発見したらしい。

 そして、男の遺留品であるこの映像が何らかの原因でネットに流出。怖すぎる実話としてじわじわと拡散されているようだ。


 つまり、僕が偶然目にした「旧M沢トンネル」の文字はこの件に関するニュースだったのだ。

 この事件の後に僕の書き込みがあったのだとしたら、タイミングがあまりにも良すぎる。嘘だと言われても仕方がないだろう。


 僕はパニックになりながらもJに電話した。

 あの肝試しの後、僕らはツーリング仲間になり、社会人になった今でも年に数回一緒に走りにいく仲になっていた。


「なあJ、僕たちが最初に話した日のこと、覚えてるか?」

「あぁ、あのトンネルの事件だろ? 俺も見たよ」


 JはJで情報を得ていたようで話が早くて助かった。

 そしてJは言う。


「あのことは俺らだけの秘密にしないか」

「……え?」

「だってさ、俺たちはあの人を見殺しにしたってことになるだろ? それだったら黙ってた方がいいと思うんだ」


 Jが言うことも一理ある。


「それにほら……下手したら警察沙汰になるかもしれないだろ?」

「警察っ……⁉」


 言われてみればその通りだ。

 僕はネット掲示板に書き込んでしまったという軽率な行為を黙って、Jの提案を呑んだ。


 あの日の出来事は二人だけの秘密。

 大丈夫。旧M沢トンネルの入り口近くの草むらに、まだ新しいバイクが放置されているのを見かけたことは、まだ誰にも話していないのだから。




 Jとの通話を切る瞬間、あのトンネルで耳にしたコンクリートブロックの壁を叩く音が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだろう。

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旧M沢トンネル 牧田紗矢乃 @makita_sayano

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