エピローグ ~心の鏡~
朝、目覚めれば既に隣に夫の姿はない。
重たい腹を支えながらゆっくり起き上がると、着替えてドレッサーの鏡に向かう。
腰の辺りまで伸びた長い髪……あれからもう五年が経ったのね。
さっと一つに束ね、自分の顔に触れる。
切れ長の鳶色の瞳。すっと高い鼻。薄く口角のしまった唇。白い肌に薔薇色の頬。
この顔が美しいのか、醜いのか……未だに自分ではよく分からない。
だけど、貴方が私を見て綺麗だと……そう言ってくれるから。私はもう、それでいい。
アーシャは鏡に布を掛けると、窓辺に行き外を眺める。
今日はお天気がいいから、薬草が沢山干せそうね。
部屋を出ようとドアを開けると、丁度朝の回診を終えた夫と出会う。
「アーシャ!もっと寝ていれば良いのに」
「もう目が覚めてしまったわ。こんなに良いお天気なんだもの。昨日は雨だったから……薬草達が沢山待っているわ」
マリウスはため息を吐くと、アーシャを抱き寄せ腹部を撫でる。
「仕方ないな。トーマと一緒に干すならいい。ついでに彼に、色々教えてやってくれ」
「はい」
「決して無理はしない様に」
アーシャはくすりと笑う。
「先生、私は医師ですよ?安定期ですし、二人目ですから大丈夫です」
「妊娠は病気じゃないから怖いんだ。何か起こっても、何も対処出来ない」
「……はい」
真剣な顔で自分を覗く夫に、アーシャは頷いた。
その様子に安堵したマリウスは、微笑みながら妻の頬に優しく触れる。
「……アーシャ、おはよう。まだ言っていなかったね」
「おはよう、マリウス」
二人は温かな唇を交わした。
青空の下、アーシャとトーマは籠を並べていく。
「先生、重い物は全部僕が持ちますから。そこに置いておいて下さいね」
此処へ来た時はアーシャより小さく線が細い少年だった彼は、今ではアーシャの背を追い越し、逞しい青年へと成長していた。
「ありがとう。今年は頼もしい新人看護師さんが入ってくれたから、とても助かるわ」
トーマは嬉しそうに笑う。
「先生、氷結花の干し方を教えて頂けませんか?学校では教わらなかったので」
「ええ、いいわ。まず……」
薬草を広げていると、孤児院のキッチンから、パンを焼く美味しそうな匂いが漂って来る。
「今朝はミュゼット様とキヤが珍しいパンを焼くそうですよ」
「あの子ったら……政務で忙しいのに。本当にパンやお菓子作りが好きなのね」
「その割に上達しませんけど」
あっと口を押さえるトーマにアーシャは吹き出す。
「あの豚みたいなパンを焼くミュゼット様が、今や大臣ですからね。ジョシュア皇子殿下と共に一夫多妻制を廃止し、数々の法案で女性の地位を向上させた凄い方だとは」
「そうね……でも、どんな姿も全部ミュゼットだわ。昔から全然変わらない」
アーシャは、優しい眼差しをキッチンへ向けた。
草の上を転がる様に走る、小さな足音が聞こえる。
パンの匂いに混じって鼻に飛び込むのは、甘い汗の香り。
アーシャはしゃがむと腕を広げて、愛しい存在を受け止めた。
「お母さま!」
~完~
もう私に鏡は要らない ~追放された醜い悪女は回復魔力を手に~ 木山花名美 @eisi0922
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