第58話 ~帰~
国外追放……か。
ランドルフは満足気に頷いた。
「尚、本来妻は夫の処分に従うものとするが、アーシャ・ミラーにサレジア国での犯罪歴がある為、ランドルフ・ハミルトンとの婚姻は法律により無効となる。
よって、アーシャ・ミラーはランドルフ・ハミルトンの処分に従わずとも良いものとする。
但し──マリウス・ハミルトン医師を救う為とは言え、虚偽の自白で調査を掻き乱した罪は重い。よってアーシャ・ミラーにも処分を下す」
ざわめきの中、マリウスとランドルフは悲痛な目でアーシャを見つめた。
アーシャは唇をぎゅっと結び、覚悟を決める。
「……アーシャ・ミラーには、今までの功績を認め、ヘイル国の身分と医師免許を正式に与える。今後は皇室の専属医となり、自由に働くことは許されない。必ず皇室の管理下で働く様に。
尚、ヘイル国の医療事業全般及び皇室専属医の管理責任は、本日よりジョシュア皇子に委ねる。
ジョシュア皇子、アーシャ・ミラー医師の配属先を述べよ」
「アーシャ・ミラー医師。貴女の明日よりの配属先は、マリエンヌ小児病院とする。マリウス・ハミルトン医師を支え、その優れた回復魔力を子供達の為に使う様に」
「殿下……」
微笑むジョシュア皇子。
震えるアーシャの手へ、勅書を手渡した。
ほっと胸を撫で下ろす人、手を取り合い涙を流しながら喜ぶ人。
その中でミュゼットは、押し寄せる様々な想いに、ただ全身を震わせていた。
「ベン・パドスは虚偽の証言、また娘ルカ・パドスへの虐待と新たに発覚した詐欺、盗難の罪により、拷問の上二十年間の懲役刑。
ニーナ・ネイビスはマリエンヌ孤児院で保護し、心身をケアしながら適切な教育を施すものとする」
正当な処分が言い渡され、緊張がほどけていく玉座の間。だが人々は次第に、先日とは別人の様に穏やかな顔で立つ、ランドルフに注目し始めた。
「ランドルフ・ハミルトン。この後直ぐに手続きを済ませ、一週間以内にヘイル国を出ることを命ず。……何か申立てはあるか」
「……いいえ。あれだけの罪を犯した上罵詈雑言を吐いた私に、寛大なご処分を感謝しております。今後はヘイル国の繁栄を、遠い異国から願っております」
ランドルフは最後に皇帝へ向かい、貴族然とした典雅な礼をした。
「……ランドルフ様」
爵位と財産放棄の手続きを済ませ、部屋から出て来たランドルフ。ジョシュア皇子の計らいで、アーシャとの別れの場が用意された。
「……何だ。折角助かったのに、俺と一緒に追放されに来たのか?」
言いたいことは沢山あるのに……何も言葉にならない。
アーシャは唇を噛む。
「お前……医師の仕事を続けるなら、先ずは自分を大切にしろ。お前の価値は……もう充分解っただろ」
今までで一番優しい微笑みを向けられる。
やはりこの人は……マリウス先生と兄弟なのね。
涙が、涙がもう何の感覚もなく、頬を流れる。
泣いてはいけない……私に泣く資格はない。
そう思えば思う程、ランドルフの姿が霞んでいく。
アーシャはそっと目を伏せ閉じた。
切れ長の知的な
だがこうして閉じると、幼く愛らしいことを知っている。
こんな風に泣かれたら、ほんの少しでも自分に情を寄せてくれていたのかと、そう期待してしまう。
ランドルフは手を伸ばしかけ……すっと下ろした。
「アーシャ、もし……」
もし、あの時子供が流れなかったら……今でも俺の傍に居てくれただろうか。
「いや……何でもない」
ランドルフは自嘲すると、茶色い巻き毛をくしゃりと掴んだ。
何度も口付けた髪、何度も指に絡めた髪。
……これで見納めだ。
「じゃあな」
兵と共に外へ出ると、今度はマリウスが立っていた。
「ランドルフ……」
「ふっ、なかなか帰れそうにないな。使用人の処遇やら屋敷の整理やら、仕事が山積みだというのに。恨み言なら聞いてやるから、さっさと言え」
マリウスは、弟の落ち窪んだ紫色の瞳を見つめる。そして、掠れた声で言葉を紡いだ。
「もし……もっと互いに向き合っていたら、俺達は普通の兄弟になれただろうか」
「……さあ、どうだろうな」
ランドルフは笑う。
やはり俺達は兄弟だな。こんな風に過ぎたことを振り返る、愚かな所がそっくりだ。
「アイツ……アーシャは優しいだけじゃ守れない。ちゃんと手綱を引いてやってくれ」
そう言うランドルフの声も、兄と同じく掠れていた。
「忙しいから、もういいだろ。……兄上」
軽快な足取りで去っていく背中。
金髪の巻き毛が、眩し過ぎる太陽に霞む。
これがマリウスの見た、弟の最後の姿となった。
今まで沢山の物を持ち過ぎていたのだ。身軽になって新しい人生を歩めるのは悪くない。
ああ、でも──
あれだけは持って行こう。
ランドルフは愛しい温もりを浮かべ、顔を覆った。
ランドルフと別れた時のまま、目を閉じ立ちつくすアーシャの元へ、マリウスが近付く。
「アーシャ……」
服まで濡らす涙を拭ってやり、胸に抱き締めた。
「帰ろう……一緒に、家へ帰ろう。みんな君を待っている」
「帰っても……いいの?」
「もちろん。あそこは君の家じゃないか」
目を開ければ、美しい翠色の瞳が自分を見下ろしている。
「先生……私、帰りたい。先生の隣に、帰りた……」
柔らかい唇に塞がれる。熱が、吐息が、涙が混ざり合い、そこから二人は一つに溶けていく。
少し離れては恐怖に怯え、髪に、肩に、背中に縋り付きながら、何度も求め合う。
腕を回し、隙間なく身体を寄せると、マリウスは強い口調で言った。
「……君の隣が、俺の家だ。君が居なければ……俺は永遠に帰れない」
あの日の小指から、薬指、中指……全ての指を絡めると、二人はしっかりと手を繋ぎ、愛しい家へと歩き出した。
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