アンドロイドの葬式

波津井りく

さよならの仕方

「……仕方ないのよね」


 諦めと罪悪感を溶かした面持ちで、サラは古めかしい機体を指でつつく。

 所々へこみ、剥げた塗装。見るからに老朽化したアンドロイド、満天の起動停止予定日が決まったのだ。


 段取りを決めた家族会議の次の日。サラは社会人になって初めて、自発的に有休をフル申請した。上司や同僚にだいぶ驚かれたのが記憶に新しい。


 満天はサラの生まれる遥か昔から、実に四世代に渡り一家を見守って来た。家庭向け汎用機種、要するにお手伝いロボだ。介護に子守りに家庭学習を担ってくれる。


 サラも小さな頃から家族の距離感で接して来た。機械だけれど、人格を持つ存在として、自然に。


 標準音声が男性なので、家族は満天を男性として扱う。気分の問題だ。外見は変身ヒーローに似ており、機体は白く、アイグラス部分が黒く大きい。


 黒の真ん中を水色に発光するラインがシュッと迸るのが、幼心に恰好いいと思っていたものだ。

 おかげでサラの推しヒーローはホワイト一択。性癖が歪んだ。


 いや流石にそれは責任転嫁が過ぎるか。

 しかし間違いなく、多大な影響を及ぼしている。サラの人生には常に満天が寄り添っていた。紛れもない事実。


 自身の人生を構築する、極めて重大なパーツが抜け落ちるのだ。迫る日付に憂鬱が募るばかり。

 サラは染めたばかりのオレンジの髪をくしゃくしゃに混ぜた。


「発展するって無条件に素晴らしいことだ、と思ってたわけじゃないのよ。失われたり損なわれるものがあるのも分かってた。ただ、こんなに身近に感じられやしなかったのよね……今まで」


 広大な宇宙に眠る可能性を求め、旅立った資源開拓団。その調査用有人宇宙船ひので号が新たに発見した鉱物ユニナイトは、地球の技術を半歩先に進める代物だった。


 半歩でも凄まじいことだ、長らく停滞していた精密機器産業の扉を開いたのだから。

 ユニナイトを使用することで、従来より遥かに大容量の情報集積体を生み出すことに成功した人類は、とある社会問題に直面した。


 そう、アンドロイド買い替え需要の増大である。


 ユニナイトを用いたUメモリーは確かに蓄積情報量が増大した。が、その性能を発揮すべく新規格で設計された製品である為、従来のメモリーや情報転送システムと互換性がないのだ。


 平たく言うと、これまでにアンドロイドが個々で学習した情報一切を、Uメモリーに引き継ぐことが出来なかった。ゲームのハードが進化すれば、旧仕様のセーブデータでは遊べなくなるように。


 何世代も家族を見守り、思い出を集積していたアンドロイドから、全ての記録きおくが失われる──


 世界規模で大きな衝撃と愛惜をもたらしたのは、想像に難くないだろう。

 中には、ずっとこのままでいい、機種変更をするつもりはないと頑なに拒む者も数多くいた。長年苦楽を共にしたのならば当然の愛着。


 だが従来製品向けのパーツやボディの生産終了、廃盤による入手困難と共に、否応なくアンドロイドのスタンダードは塗り替わって行った。


 Uメモリー以前の旧アンドロイドが、世間から骨董品と呼ばれるようになるまで、およそ二十年とかからなかった。


 これも時代の流れ。不具合が生じても補修や組み換えが出来ない。いかに愛着があろうとも、個人宅のやりくりではこれ以上どうにもならないのだ。


「おはようございます」


 充電が済んで、満天が起動した。サラは何食わぬ顔をする。意味はないとしても。


「サラ、どうしましたか。バイタルが不安定です、休息を提案します」


「ううん、大丈夫だよ。ちょっとね」


 音割れとノイズ感のある、少し抑揚が死んでいる音声。替えのパーツがもう販売していない為、とっくに内部が経年劣化していて。


 これはこれで味がある声よね、とサラは好ましく感じる。けれど月日の流れは止められない。

 日に日に衰える性能、遅くなるレスポンス、早まるバッテリーの消耗……最早目を逸らすことも叶わない。


 壊れるまで働かせ続けるより、満天とコミュニケーションを取れる内にきちんとお別れして、お休みして貰おうと家族会議で決めたのだ。


 会議には満天も参加させたし、ヒアリングも行った。満天は全てにイエスと回答したのだ。新機種導入にも、自身の起動停止にも、全て。


 満天曰く──……


「このままワタシの耐用年数を超過し続け、制御機構にトラブルが起きた場合、想定を超えた被害が出る可能性が考えられます。速やかな交換を推奨します」


 アンドロイドらしい、人の安全を最優先した言葉だった。確かに、アンドロイドに内蔵されている機器やバッテリーの劣化は危険だ。


 感情よりも優先すべきことがこの世にはある。隣人の安全を脅かすなら、社会から追放されても文句は言えない。


 サラの気持ちがどうあれ、いつか受け入れるしかないのだ。ならばせめて、ちゃんと言葉が話せる間に。自分を覚えてくれている内に──


「満天、今日はケーキ買いに行こう。いつものお店で、チョコレートケーキ。オペラね」


「午後の天気は晴れ、外出に最適です」


「よーし決まりだー!」


 タンタンと足音高く玄関を出れば、一台の電磁浮遊車が控えている。

 丸っこい卵型の車体に満天と乗り込み、行先を告げる。後は自動運転にお任せだ。音らしい音もなく加速して、景色がスーッと流れて行く。


 二人で訪れた洋菓子店は賑わい、人も新型のアンドロイドも楽しそうに見える。中に入ると一瞬物珍しげな視線が満天に集中した。


 今となっては骨董品の機種だ、どこへ行っても一度はこうなる。慣れた常連客は微動だにせず、熱心にケーキを選ぶが。


「満天、見て見て! 今日はまだクッキーシューが残ってるよ!」


「よいのですかサラ、カロリーが──」


「そんな言葉知りませんね!」


 言葉尻を奪い、サラは黙れとばかりに満天の口元へ掌を当てる。

 もっとも変身ヒーローボディな満天に口はなく、真ん中を山につるりとした曲線があるだけなのだが。


 生まれる前からの長い付き合いだ、サラの機嫌など手に取るように分かる──


 そう言わんばかりに、満天の黒いグラスにシュシュッと水色の輝線が走る。笑ってるように見えた。表情を伴わずとも、感情表現はあるのだとよく分かる。


「サラ、本日の摂取カロリーをお伝え──」


「せんでよろしい、そういうこと言うと絶交だからね」


「速やかに中止します」


 可愛い制服の店員さんがふふっと笑った。お店の空気は優しくて、とても甘い匂いがする。だからここが好きだ。


 サラの誕生日には毎年、ここのケーキを満天が買って来てくれたものだ。どれもこれもが思い出の味、団欒の象徴……最後の記念に。


「サラ、忘れています」


「なぁに?」


「ウサギさんとクマさんです」


 パステルカラーのメレンゲで作られたデコレーションを指している満天。


「可愛いけど、オペラに乗せるのは無理があるような……」


「サラは昔、ケーキにウサギさんとクマさんがいないとションボリしていましたが」


「すっごいちっちゃい頃にでしょ! もうこの歳だよ、その話する必要あった?」


「ここぞとばかりに」


「いらなかった……その高度な柔軟性は今いらなかった……!」


「かつてエミはドラゴンがいいと言って、お店に直談判していました」


「ひいおばあちゃああああああん!」


「血筋を感じました」


 少々音割れの交じる古びた音声が物語る。いや世代を超えて語り継がれるって、特に喜ばしくないなとサラは噛みしめた。

 じわじわ胸に迫る恥ずかしさをやり過ごしつつ、洋菓子店を後にする。


「もう。しばらく行けないな、あそこ……」


 ──うちのお手伝いさん、平然と人の羞恥心を抉るんです鬼畜仕様過ぎませんか。もっとやんわり変換すべきでは。とメーカーに直談判してやりたい……ハッ、血筋か!


 一人で顔芸したサラは、いかんいかんと頭を振って思考をフラットに戻す。


「満天、明日は遊園地行こうね」


「はい喜んで」


「居酒屋っぽーい」


 記憶と記録に残る思い出の場所巡りは、幾日にも渡った。けじめ、記念、言い方は人それぞれだろうが、本質的には儀式であろう。


 自分の中の何かや誰かと別離を迎える時、太古から人は巡礼の旅に出る。人だけに意味のある行為、サラにしか意義のない行程。その通りだ。


 どんなによく出来ていても、滑らかに反応を返そうとも、アンドロイドはただプログラムを基に行動を起こすだけ……そこに感情や感傷はない。


 全てはただ、人の主観が色付けるもの。景色が美しく見えるように、アンドロイドに親愛を見出すのも、また。


 誰かと共に過ごすとは、時の絵筆を重ねゆくこと。同じ絵具でそれぞれ世界に一枚きりの絵を描き上げることだ。完成した一枚がどんな光景であれ、タイトルだけは等しく皆同じ。その一枚を人生と言う。



***


「最後だから、パーッとやりましょうか」


「そうだね」


 祖父母に賛成し、サラは昼日中からお別れ会兼慰労会の準備に勤しむ。

 内装ホロを豪華に宮殿仕様にしたし、テーブルと椅子の配置も変えた。主役をぐるりと囲う形に。


 虎の子の予備バッテリーもフル充電しておいた。満タンにするとバッテリーの消耗が早まってよくないと聞き、今までよっぽどの長丁場でもない限り避けていたけれど。


 ──もう、これが最後だから。


「今日は特別だもんね!」


「サラ、手伝います」


「だーめ。今日は満天が主役なんだよー、座って待ってて下さーい!」


 シュインと青い光が横切って行く。悲しそうな素振りをしても見ないフリだ。本日の主役のタスキをかけて放置。働かなくていいと言われてがっかりしないで欲しい。


 祖父母と両親があれこれ料理を持ち寄って、テーブルいっぱいに並べる。たちまちコップの置き場すらなくなった。庶民パーティーの食卓とは、の見本みたいな光景。


 どれだけ食べる気なんだとサラは呆れる。同時に、負けずに食べ尽くせるだろうか、一歩も退かない心構えは出来ている。そんな気持ちだ。


「いや張り切り過ぎか」


「楽しむ気満々だね。お祖父ちゃん……」


「楽しいモンにしたいじゃないか、誰だって」


「私の葬式もこんな感じでよろしく」


「わしらの葬式が先じゃろ。こんな感じでよろしく」


 皆好き放題だ。悲壮感のない明るい空気の中、満天お疲れ様パーティーが開かれた。一際賑やかに乾杯の声が響く。


「ありがとうございます」


 満天の声もどこか嬉しそうで、ノリノリで秘蔵のホームビデオ上映会をし始める。四世代分の家族映像は歴史を感じさせたし、見応えも充分、中々に盛り上がった。


 ──この一挙放送だとなんとなく見続けてしまう心理、名前とかあるっけ。


「うわ懐かしいーっ」


「この頃のサラはちょいポチャだったわねえ。覚えてるわ」


「子豚な私の方が実は可愛い説……」


「ははは、また泣いてるな」


「二十一年前の記録です。遠足の日が雨だと聞いて、その日は晴れにしてとワタシに言いに来た時の映像です」


「天気は満天が決めてるんだと思い込んでたのよね、確か」


「満天が晴れって言えば晴れだし、雨って言えば雨だったから」


「小さかったもんな」


 黒いグラスにシュシュッといくつも光が走り、満天は笑っている。多分、はしゃいでいるんだ。サラには分かる。


 血肉の通わない身の内に守られ、抱えられた、幾千万のキラキラした思い出の投影は続く。生まれる前の景色さえ、鮮やかに映し出されて。何故か眩しくて切ない。


 機械の見る追憶はきっと、最後までこんなにも鮮明なまま、色褪せず輝き続けるのだろう。とうに燃え尽きた星の光も、遠くからならまだ観測出来るように。


「懐かしい」


 サラも家族も皆笑った。笑い過ぎて涙が出た。映像を見終えパーティーをお開きにした頃には、やけに清々しい心地がして。


 湿っぽくならなくていいよねと、なんとはなしに微笑みを交わし合い、片付けに勤しむ。

 大満足で終わった──……そういうことにしたかったのだ。


 ぼんやりと胸を覆う悲しみを余韻で誤魔化せたのは、その夜遅くまで。たった数時間ぽっちの麻酔に過ぎないとしても、家族には必要な時間だった。


「サラ、お休みの時間です」


「今日は夜更かししてもいいの。満天は休みたい? いいよ待機モードにしてて」


「いいえ。ワタシもサラと共に」


「ならのんびりしようか」


 バッテリーの損耗と経年劣化で、満天はもう一日中稼働していられない。下手をすると自動的にスリープに移行してしまう。


 ──運がよければ、明日の起動停止まで保つかもしれない。明日……いや、もうすぐ今日になっちゃう。


 作業は全て業者に任せる手筈だ。旧式でも精密機械、メモリーの完全消去は素人には難しく、消さないにしても取り外しはやはり専門家に委ねたい。


 そのまま機体も回収して貰う予定。希少な宇宙合金や素材を再利用するのだ。そうすれば、形は違えど満天はまたどこかで誰かの役に立ち、愛されるだろう。


 もしかしたらそうと気付かず、サラが再び手にする日も来るかもしれない。

 時代は人も機械も循環する社会、巡り廻って縁を結ぶこともある。


「サラ」


 音割れ交じりの古びた機械音声が穏やかに響く。


「未明より夜明けまで雨、朝までには上がるでしょう」


「……うん」


 雨ならとうに降り出している。地球のどこであれ、きっと今も、どこかで誰かが。

 これは理不尽な別れじゃない。自分達で選んで決められただけ、幸運なくらいだ。


 けれどやっぱり、酷く侘しくて物悲しい。


 時間なんか止まってしまえばいい。優しい者には優しく流れて行けばいいのだ──そんな恨みがましい気持ちにさえなる。人とは全く以て理不尽の権化だ。


「大丈夫、雨上がりには虹が架かります」


「……うん」


 ──泣かないでとも、笑ってとも、満天は言わない。泣いていいのだと言う。小さい頃からそうだった。人は泣いていいのだと。大人になっても泣いていいと、機械きみは言う。


「朝、には……晴れ、なんだ……?」


「はい」


「わがっ……だ……」


 ──今だけは土砂降りの雨でいい。朝には上がると満天は言ったのだから。私がそれを嘘にしてはいけない。朝には雨が尽きているように、今。


「サラ、大丈夫。明日もいい日です」


 流星みたいに水色の光がシュインと消えた。



***


 翌朝は綺麗に晴れた空で、微風、雲も少ない。きっと今夜は星月夜だろう。


 いつもよりきっちり目元を作った化粧をして、女性陣が肩を並べている。理由を聞くのは野暮だ。今日はそういう備えのいる日なのだから。


 サラの祖父や父親が、業者と共にパスワードを打ち込み、満天のロックを解除した。


「最後になりますが、話されますか?」


「サラ」


 母親に背中を押され、サラは一歩進み出る。運搬用の電磁浮遊車に収められ、横になった満天がサラに顔を向ける。手を伸ばし、硬い頬にサラは触れた。


 悲しい程に冷たい。機械の身体、電子の情報だ。血肉じゃない。当然の話。


 それでも確かに温かな情を通わせ、共に在り続けてくれた存在なのだ。悲しいと、心が震えないはずがない。


「満天」


「……はい」


 もうバッテリーの充電も残り僅かで、随分と反応が遅い。人が老いるのも、きっと同じなんだろうなと……サラはそう思った。


「私もいつかお婆ちゃんになって、のんびりになって、何も分からなくなる日が来るんだろうな」


「……生きるとは、そういうことです」


「うん、満天もおんなじだね」


「……ありがとう、サラ」


「満天、ずっとずっと働いたね、偉いね。お疲れ様でした。ありがとう……ありが、と……」


「サラ」


 堪えられず抱き締めたサラの腕の中で、満天はゆったりと声を出す。段々と弱り、細る光が鈍い動きで……すう、と消えて行く。時が尽きる。


 だが満天には分かるのだ。サラの言いたいことも、家族の気持ちも、全て。

 人は大事な言葉程、何故か言えない時がある。だから代わりに伝えよう。これが最後だから。


「ワタシも、家族を、愛しています」


 声が消えた。


 バッテリーが尽き、強制的にスリープへと移行してしまう。文字通り眠るように安らかに。


「うん、皆が愛してるよ。満天……おんなじ、だね……っ」


 もう映ることのない流星を追いかけ、サラの指が黒いグラスをなぞる。


 ──泣かない。今日は晴れだ、満天がそう言った。満天の予報は外れないのだ。絶対に。だから泣かない……笑って、笑って。頑張って。一秒でいいから。


 逆さまの虹。一色だけだし、口角が下手くそに震えていようとも。

 黒いグラスに映り込むこの一秒は真実だ。





「サラ、もう」


「うん」


 祖父に腕を引かれ、サラは大人しく車体から距離を置いた。


 満天はアンドロイドとしての役目を終え、別の形に生まれ変わり世界に戻る。生きとし生ける命と同じに。万物流転、何も違いなんてない。


「旅立ちにはいい日だ」


「よかったわねえ、晴れて」


「ああ」


 二世代の夫婦で肩を並べ、シャットダウンした満天を見守る。傍らのお天気雨には気付かないフリでいい。


 だって、どうしようもないじゃないか。上手なお別れの仕方なんて、誰にも教えられやしない。ただ心から溢れるものだけが正解だ。


「じゃあね」


「ありがとうな」


「あなたとの時間は、幸せだったわ」


 旅立つ者を見送って、その別れを惜しむ。空飛ぶ車が行くのを皆、いつまでもいつまでも見上げていた。虹の橋の向こうへと飛んで行く姿に、サラは手を振り続ける。


 心に溢れる言葉は── また、どこかで。


 きっと会えると確信している。星の数程に人生がある中で巡り会ったのなら、縁で結ばれているはずだ。


 子供みたいに強く思う。ひたすらに再会を思い描く。どんな形であろうと、次へと繋がれたのだから。


 終わりだけど続くんだと、さよならの意味を叫んでる。




【終】

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