第2話 ぶきよう幼馴染ビンタ

     5


 撮影初日――夏休みの一日目から、夏は容赦がなかった。


 鮮やかな青空に浮かぶ太陽と、遠くでたたずむ入道雲。

 そんな美しい夏の空の色彩とは裏腹に、突き刺すような日差しは殺人的に暑かった。

 風が吹いたとて生ぬるい。湿気に満ちた風に乗って聞こえてくるセミの大合唱が、本格的に夏の始まりを実感させた。


 そんな理不尽なまでの暑さの中、最初の1シーンにもなっているグラウンドと面した水飲み場に、僕を始めとした映画制作のスタッフが集合していた。

 撮影に際しての簡単に打ち合わせを行っていると、衣装を着た鳥山と小陽が姿を現す。


「よー」

「着替えたよ」


 二人が着ているのはサッカー部の練習着だ。


「どう秋ちゃん。似合ってる?」

「いいんじゃないかな」

「そっか……ふふっ。嬉しいっ」


 いつものように小陽と中身のない雑談を交わしている間、役者でありながら現場の進行も務めている鳥山は、この場にいるクラスメイトたちに注意喚起を行っていた。


「今日は35度超えるらしいし、熱中症には気を付けて。撮影の都合で外に長時間いることもあるけど、水分補給は忘れないように。日傘とかも利用してくれ。体調が悪くなったら先生に言うように。ごめんサキ、スポドリとかの用意ってできてる?」

「大丈夫だよー」


 みんなが忙しく撮影の準備に取り掛かる中、残る一人の主演……星乃水愛(アクア)はまだ来ていない。おそらく準備に手間取っているとか、未だにごねているとかそんなところだろう。

 なんて思っていると、すぐにメイク担当の女子たちに背中を押されて現れた。


「ほらほら! 星乃さんも早くー」

「あ、えと。あの、すぅ……あ、はい」


 いつも通りの制服姿。しかし髪を綺麗に整えられ、いつもの凶悪さが隠れるようなメイクもされている。

 それだけで全く印象が違った。


「おぉ……星乃って意外と……?」


 男子の何人かも感嘆の声を上げている。が……僕からしたら彼らの目は節穴だった。

 多少メイクで体裁を整えたところで、身にまとう雰囲気も中身も変わらない。姿勢もいつもと変わらない猫背のまま。加えて瞳に宿る黒い感情はいつもより激しいときた。


「あぁもうっ。最悪……おぇ、もう無理。やめたい……」


 メイクが台無しになるような苦々しい表情で、呪詛みたいにぶつぶつとつぶやく。

 そしてふと気が付いたかのように、ギッと僕を睨んでくる。


「ほんとに嫌い。死ねばいいのに……最悪マジで」

「もう決まったことでしょ」


 僕が嫌がらせで星乃を主演に名指しした際、星乃は当然反対した。

 自分には無理だ。他に適任がいる。やりたくない。――ここまでストレートな言葉ではなかったけど、要はそういう趣旨のことを言っていた。


 しかしこの作品が星乃を主演にすることを前提に組み上げた脚本である以上、配役を変えるならまた脚本を書き直さないといけない。しかしそれでは時間が足りない。このままだと当初の予定通り先生主導でドキュメンタリーを作りかねなかったので、クラスの意見も星乃を主役に据えることで固まった。


 いくら気が強く言葉遣いに品がないとは言っても、星乃だって根っこは僕と同じ根暗だ。というか、あんな態度なのは長い付き合いの僕と小陽くらいで、本来の彼女は見ての通り。


「あの……わたしどこにいたら……えっと……ごめんなさい」

「ごめんねー。ちょっとその辺に座ってて?」

「そのへん……」


 星乃水愛は内弁慶だった。

 今だって『その辺』がわからず、所在なさげに立ち尽くしている。

 そんな彼女がクラスメイト達からの無言の圧力に勝てるわけがない。引き受ける以外に最初から道はなったのだ。


 とはいえ民意に負けて不本意で受けることになった役だ。割り切れているはずもなく、露骨ではないにしても不満そうな態度を隠しもしない。

 そんな星乃に、首からどデカいカメラを引っさげた一人の少女が話しかけていく。


「おわー! これは撮りがいのありそうな女の子が来ました! 似合ってます似合ってます! とっても似合ってますよ!」


 國上くにがみ雲果くもか――今作のカメラマン・編集を務めてくれる、少し変人の気があるがハイスペックウーマンである。

 茶髪をサイドで結った小柄な女子だった。身長は150センチほどだけど、服の上からでもわかるほど胸が盛り上がっており……動くたびに男子たちの視線がチラチラと向く。


 本人はそんな視線には気付いていない調子で、星乃の周りでぴょこぴょこ跳ね回っている。


「素晴らしい! とてもとても可愛いです! やはり素材は良かったらしいですな。ぐひっ、ふひひ。ふひっ」

「……怖っ」


 怯える星乃。そこへ小陽も近づいていく。


「あっちゃん、メイク似合ってるよ。すごく可愛い!」

「……やめて。ありえないから」

「ありえないことないって。ちゃんと可愛いから」

「そうですそうですっ。今日の星乃さんはとっても可愛いですー!」

「うんうん可愛いよ!」「星乃さんいつもそうしてればいいのにっ」「これなら男子からも人気出そ~」

「……………………はぁ」


 小陽と國上さんが星乃の周りではしゃいでいると、他の女子たちも集まってきた。しかし、本人は苦々しい表情でため息をつくばかりで嬉しそうにしない。

 そんな星乃の態度に納得がいかなかったのか、メイクを担当の女子の一人がカバンから手鏡を取り出して星乃に見せた。


「ほら、鏡見てみなよ。ちゃんと可愛いから」

「あ、う。ちょ……やめて。見たくない。わたし、その……あんまり自分の顔好きじゃなくて――て、うぅ……」


 抗議も空しく、顔の前に鏡を向けられる。


「いっちょ前にメイクなんかして……調子乗ってる……」

「えー? そんなことないよ。もっと自分のこと褒めてあげな?」


 本当に嫌そうだな。そんなに自分の顔が好きじゃないのか。


「わかった。わかったから、ありがとう。メイクしてくれたことは、ありがとう……だから、もう大丈夫……!」

「うーん。そか……」


 手鏡を押しのけるようにして、星乃がその場から逃げる。

 女子生徒は不満そうにしながらも、小陽と「悪いことしちゃったかな?」なんて話していた。

 一人で憂鬱そうにため息をつく星乃。そこへ近づいていき、この前の意趣返しをしてやる。


「人気者になれて良かったね」

「……誰かさんのおかげでね。クソ野郎」

「ちょっとは名前に見合った格好になったんじゃないの。星乃水愛アクアさん」

「――ッ、こいつ!」


 瞬間、凄まじい威力で星乃のかかとが僕の右足の甲に叩きつけられた。


「い――っ!? ちょ……や、やりすぎだろ……ッ!」

「名前、嫌いだから呼ぶなって言ってるでしょうが……! 殺されたいの?」


 ちっ、と舌打ちを一つしてその場を離れようとする……が、そこへ小陽が寄って来る。


「ちょっと。二人とも喧嘩しない。それと秋ちゃん、あっちゃんのこと褒めてあげた?」

「誉める? どこを?」


 がしっ、と星乃に踏まれた方とは逆の脚を踏まれた。


「マイナス1000点。今のはない」

「いやだって、無いし別に。いつもと変わらないでしょ」

「いいから小陽。いつも言ってるでしょ。美山なんかに褒められても気持ち悪いだけ」

「それは良かった。それならこれから先も星乃の気分を害さなくて済みそうだ」

「あとは姿と声と匂いと体温が消えてくれれば完璧なんだけど」

「やーめーて! これから映画作るのに、中心の二人がそんなんでどうするのっ?」

「そうだぜ美山。おまえは監督なんだし、みんなの士気も上げてくれないと」


 三人で話していると、全ての元凶となった男――鳥山が爽やかな笑顔を浮かべて話しかけてきた。なんだこいつ、急に話に入ってきたくせにカッコいいな。


「つーかそろそろ撮影始めよう。脚本だと時間帯は昼過ぎくらいだろ? サッカー部に頼んでグラウンドも貸してもらってるし、早く進めないと」


 それもそうなので、鳥山にスタッフを集めてもらって僕はこれから作る映画『ヒロイン・サマーフィルム』の説明を始めた。


「まずこの作品のあらすじから説明します」


 一度にこんなにも多くの人から注目を浴びて話す機会なんてなかったので、緊張で声が上ずったりしないよう注意する。


「この作品の主役は星乃さんが演じる歌川みみ――読書が趣味で夏休みも学校の図書室に通う女の子です。みみは同じクラスでサッカー部のエース、鳥山が演じる月野つきの洋介ようすけくんにほのかな恋心みたいなものを抱いています。で、夏休みの間は洋介君に会えないので、毎日図書室に来てはグラウンドで練習する洋介くんを眺めているわけですね」


 おぉっ、と謎の声が上がる。なんの『おぉっ』なんだ今のは。


「そんなある日、昼食を買いに行くために外へ出ようとしたところで、小陽が演じる天坂あまさかすぐると出会います。優はもともとみみのことが気になってたけれど、彼女が洋介に惹かれているのも知っています。そこで『みみの恋を応援するため』、そして『一緒にいる口実が欲しいから』という理由で、彼女の恋が実るよう手助けするようになります。優はみみの恋が実るように頑張ります。そうしていくうちに、自分のために必死になってくれる優に、みみが少しずつ惹かれていき……最終的には二人が結ばれる……っていう話ですね」


 ざっくりとあらすじを説明しただけだが、感触は悪くなかった。

 男子は感嘆の声らしきものを上げ、女子も小さな声できゃーと楽しそうにしていた。


「凄いな美山。台本を読んだときも思ったけど、まさかこの短期間でこんないいものを作ってきてくれるとは思わなかったよ」

「な! 美山って本当にすげぇ奴だったんだな! やっぱ漫画家って俺らとは違うんだなっ」

「美山くん、これほんとに面白いと思うよっ」


 クラスメイトたちが口々に褒めてくれる。

 けれど。


「……別に。こんなの大したことないよ。もっと凄い人はたくさんいるし」


 瞬間、空気がほんの少し冷えた。

 まずいとは思ったが、事実とは異なる過大評価を受け入れられるほど神経が太いわけでもない。訂正することもできず困っていると、鳥山が助け舟を出してくれた。


「まあ俺らより凄いことは確かだし、今はそれでいいじゃねえか。それと美山は監督なんだ。そういう本音は、できれば心の中にしまっといてくれ」

「……わかってる。ごめん」


 それでその場は丸く収まり、鳥山の声掛けで各自撮影の準備に取り掛かった。



     ――――・――――・――――



 始まりのシーンは、簡単に説明するとみみが優と出会うというもの。


 夏休みを目前にした土曜日に、読書が好きな歌川みみは、同級生であり、密かに恋心を抱いているサッカー部のエースこと月野洋介を遠くから眺めるために、学校の図書館にやって来ていた。


 昼食時になり、近くのコンビニへ菓子パンを買いに行こうとグラウンドの周りを歩いていると、ボールが飛んでくる。

 てん、てんっ……と転がってきたボールがみみの前で止まると、そこへ一人の少年がやって来る。洋介とは違い、どこか幼さの残る顔立ちの少年――これが小陽の演じる天坂優。


 友人のミスキックを追いかけていた優は、そこで仄かに想いを寄せているみみにボールを拾ってもらい、彼女と一緒に時間を過ごしたいがために『洋介への恋をサポートする』と提案を持ち掛ける。

 とはいえ、優もみみも洋介に彼女がいることは知っている。そのうえで、二人はみみの恋をいいものにするために決起する……そういうシーンだ。


 各キャラは、みんなが演じやすいように……というか、みんな演技なんて素人なので、無理しなくてもいいように元の性格に寄せて、自然に話してもらうようには工夫してある。

 特に星乃なんかは顕著で、気が弱く大人しい性格という部分は正反対だが、『口下手で言葉をあまり発さない』という部分は共通している。そのため、普段通り仏頂面でいるだけなのに、メイクの効果もあって上手い具合に『話すのが苦手な奥手な文学女子』を演じられていた。


「ボール取ってくれてありがとう。歌川さん、だよね」

「……わたしの、名前」

「まあね。一年生のとき同じクラスだったし。……そっか、洋介が目当て?」

「――――」(ふるふると首を振る)

「いやいや、ちゃんと見てればわかるよ。良ければ紹介しようか?」

「い、いい……無理だから。それに、彼女さんがいるのも、知ってるし。遠くから、眺めてるだけでも、いい……」

「そんなの勿体ないよ。それに、後悔するかもしれないよ。だから、さ……相談とか乗るし、もし何かあったら連絡してよ!」


 そう言って、優は通話アプリのIDを渡して友人の元へ戻る。

 みみは優の連絡先が書かれた紙きれをきゅっと胸に当てて、そのまま昼食を買いに行く。



     ――――・――――・――――



「絶っっっっっっっっっ対に嫌ッ」


 嫌悪感を隠そうともせず、星乃がギッと僕を睨みながら断言した。


「無理。嫌。拒否する。ありえない。死んだ方がマシ」

「あのさあ……」


 僕は頭痛を抑えるようにこめかみをとんとんと叩きながら、


「君、自分が主役だってわかってる?」

「あんたが無理やりやらせたんじゃない」

「でも、結局は納得してやってるだろ」

「納得はしてない。あんたが数の暴力でイエスと言わざるを得ない状況に追い込んだだけ」

「それでも主役を引き受けたことには変わりないでしょ。責任はある。いい加減うじうじ文句ばっかり言ってないで頑張ろうよ。弱虫みたいでダサいよ」

「こいっつ……!」


 撮影場所から離れた、階段の下の空間で、僕は國上さんと小陽、それに鳥山も連れて星乃を説得している最中だった。

 しかし、僕たち四人からの視線を受けても、星乃は一向に首を縦に振らない。それどころか、僕が言葉を重ねるごとに拒否の強さが上がっていく。まあ、僕も煽ってるから悪いんだけど。


 とはいえ、小陽も協力して言葉を尽くしてるのに、それでも拒否を重ねるのは意外だった。

 みんなどうしたものかと悩んでいると、「ここはわたしが」と言って國上さんが前に出た。

 ずいっとタブレットを星乃の正面に割り込ませる。


「え。なに……」

「自分の動画を見るのが苦手なんですか?」

「そうっ。わたし自分の顔嫌いだから」

「なるほど……そういう人がいるのは事実ですし、無理やり見せるのは得策ではありません。なので少しずつ慣らしていきましょう」

「慣らす……?」

「はい。そうですね、自分の動画を見る前にまずはエロ動画でも見ましょうか」

「なんでよっ!」

「いえ、自分の動画が恥ずかしいということなら、まずは恥ずかしげもなく乱れる――」

「ストップ國上さん。気まずい。気まずすぎる」


 暴走を始めた國上さんを止めた瞬間、星乃に汚物でも見るような目を向けられた。なんで? ついでに言うと、小陽も僕の頬をつねってくる。おかしいだろ。鳥山は……おまえはどうして今も爽やかなんだ?


「仕方ありません。……ならばもう無理やり見せるしか方法はありませんね」


 嘘だろ。あの自信満々の態度はなんだったんだ。


「ほらほら、これ見てください! めちゃくちゃいいからっ。凄い良かったですって! これとか、ほら! 美山くんの言う通り演技の確認もしないといけませんし、何よりこの、わたしの撮影テクニックを見て欲しいんですよ! 見てください! 見てッッッ!」

「ゴリ押しじゃないか……」「なんであんなに自信に満ちてたの……?」「マジか」


 困惑している僕たちの前で、國上さんはぐいぐいとタブレットを押し付ける。


「ほんっとに、無理だからっ! 見れない! 自分で自分を殺したくなるじゃないっ。演技の確認とかもそっちでやって。言われたらその通りにやるからっ」

「無理に決まってるでしょ、そんなプロみたいな神業。どうせこれから先リテイクがあれば見てもらうことになるんだし、さっさと慣れないと困るでしょ」

「無理。だいたいなんで美山なんかの指図を受けなきゃいけないのよ。人の嫌がることばかりしてそんなに楽しいわけ? 性格が悪い。カス」

「……みんなも待ってるし、さっさとしなよ」

「こいつ……ッ」


 クラスメイトを引き合いに出した瞬間、それまでの殺気が数倍にも膨れ上がって僕に突き刺さった。


「……なに」

「本当に、性格が悪い……!」


 バツが悪そうにせっかく整えた髪をガシガシとかく星乃だったが、それでも譲らない。

 そして、ついに――


「……ほんとに無理だから。た、体調悪いっ。熱中症かもっ! 帰る!」

「あ、ちょ――」「あっちゃん!?」


 軽業みたいにするりと國上の拘束から逃れると、全力疾走でその場を離脱した。すごいな、仮病を隠す気もないぞ。


「あーあ……どうする? 追いかけるか?」

「別に。……本人があそこまで嫌がるなら、無理にする必要はないと思う」


 隣に立つ鳥山にそう答えると、走り去る星乃から視線を外した。

 星乃じゃないけど、別に僕だってやりたくてやってるわけじゃない。今だって星乃を煽って楽しんでただけだし。


 嫌いな人間と衝突してまでいいものを作る気なんてない。せいぜいのらりくらりとやって、それなりにみんなが満足して制作を終えられれば、クオリティが低くてもクラスメイトから責められることはないだろう。


 それに、星乃が協力したところでどうせ監督は僕なんだ。大したものができるわけもない。


「ごめん、私あっちゃんのところ行くから今日は先に帰るかもっ! それと秋ちゃん、さっきのは本当に悪いからね。女子相手に言い過ぎ。後でちゃんと怒るから覚悟しててよ」


 そう言って小陽は星乃を追って行く。

 何が面白いのか、鳥山は僕の顔を見て楽しそうに笑っていた。


「なに」

「何でもない。ただ、美山にもああいう一面があるんだなって面白くなっただけだ」

「ああそう……」


 失望しただろうか。まあ、別にそれでもいいけど。


「じゃあ、まあ。今日はこの辺で終わろう。また明日も撮影はあるし、二人とも段取りを確認しておいてほしい。俺も台本読み込んでおくし。集合時間はあとで送るけど、9時半から始められるように頼む。他のみんなには俺から連絡しておくよ」


 そう言ってその場を後にする鳥山。

 僕は國上さんと顔を見合わせながら、


「まあ、今日はこれで解散ということで」

「それよりいいケンカでした。ごちそうさまです。ふへへ」

「何を言ってるの君は……」


 前途多難な感は否めないけれど――こうして僕たちの文化祭の出し物、恋愛映画『ヒロイン・サマーフィルム』の撮影が本格的に始まった。

 高校二年生の夏休みの全てを費やす、映画制作が。



     6



 翌日以降も、撮影はほぼ毎日行われた。

 それも朝早くから撮影場所へ向かい(とはいってもほとんどが学校だけれど)、機材やセットの準備をして、用意ができたらメイクをした小陽や鳥山、星乃がカメラの前で演技をする。

 終われば國上さんに自宅で編集をしてもらい、完成したものを僕のPCに送ってもらい確認する――一週間もすれば、それは生活の一部に組み込まれた日常に変わった。


 鳥山はいちいち格好良くてたまにイラっとするし、國上さんはときどき何を言っているのかわからないときがあり、何より星乃とはいつも以上に顔を合わせる機会が増えて喧嘩することが多くなった。それを小陽が取りなす……と、制作の中心メンバーは問題だらけだったけど、それでも僕と小陽、國上さんに鳥山、そしてメインヒロインの星乃の五人を中心に撮影はどんどん進んでいった。


 最初は現場だけでの関係だった僕たち五人も、次第にそれじゃ時間が足りなくなってきた。二週目の途中には、夜に通話をしたり、撮影を終えた夕方からファミレスやカフェ、あるいは学校のパソコン室などに集まって演出や演技の打ち合わせをする機会も増えた。


「ねえ秋ちゃん、今のところの演技なんだけどね。もう少し感情を抑えた方がいいんじゃないかな。笑顔を向けられただけでドギマギするのは少し露骨すぎるかも。顔をそらすだけの方がいい気がする」

「あー……そう? わかんないけど、ちょっと確認してみる。國上さん」

「はいはーい! 監督、次は誰のスカートの中を撮りますか?」

「人聞き悪いな! そんなこと頼んだことないよ! それよりさっきのシーンを見返したい。感情を抑えた方がいいかもって小陽が言ってて」

「あー。確かに撮ってて思いましたね」

「おーい美山! 星乃さんまた消えたぞ!」

「またか……」

「メイクの子に探しに行ってもらってる。もうおまえが指示すんのやめた方がいいだろ」

「同感だね……」


 こんなやり取りがあったり。


「だ・か・ら! 映像は見ないって言ってる! 言葉で、口頭で、説明しろっ」

「さっきから洋介の前では顔を赤くしろって言ってるでしょ」

「やってる!」

「やってない」

「ああもう、ぐちぐち口うるさい……っ」

「君が言葉で説明しろって言うからだろ……! ああ、もう。別にこのままでいいや」

「いいならいちいち口出しするなよ……」

「星乃が指示を聞いてくれないからでしょっ」

「なんで美山の指示を聞かなきゃいけないのよ、気分悪い」

「はーい。二人とも、また喧嘩してる。現場の空気悪くしてどうするの?」

「「…………、」」

「おい見たか國上。あの二人今、一緒にそっぽ向いたぞ。子どもみたいだな」

「ですねですね。鳥山くんはどう見ます? あれ、もう付き合ってません???」

「今のを見てどうしてそんな言葉が出てくるんだ……」

「死にたくなってきた……」

「こっちのセリフだね」

「やーめーてー!」


 そんなやり取りも今やクラスの名物になっているらしく、時折聞こえてくるクラスメイトの視線が生暖かく、とても居心地が悪かった。まあ、それで空気が悪くなっていないならそれでいいんだけど。

 ともかく――こんな具合で、夏休みが始まってから二週間が過ぎようとしていた。



     ◇ ◇ ◇



 撮影は順調に進み、明日はちょうど映画全体の中間部分。起承転結で言うと『承』と『転』の間で、いわば物語におけるターニングポイントにあたるところだ。


「い・き・か・え・るー! もう外には出たくねぇぜ~~~!」


 イタリア料理を提供するファミレス――学生の味方セエゼリヤのソファシートに、國上さんはぐでぇーっと全体重を預けてリラックスをした。

 姿勢が姿勢だからか、ただでさえ大きな胸が盛り上がる。


「……デカいな」

「うるさいよ」


 なんてことを男二人でひそひそ話してると、國上さんはふと自分の胸に視線を落とした。

 やば、バレたか……!? なんて思ってひやひやしていると、


「おっぱいでっっっっっっっっっっっっっか……」

「雲ちゃん……女の子が脚を開いてそんなこと言わないよ……」

「ふふっ。時代はLGBT。そういうこと言ってると炎上しますよ」

「あぁ……あっつ……もうここから出たくない」

「あっちゃん。汗だくのままテーブルに突っ伏さないで。ああもう……せっかく手入れしてるのに髪の毛こんな雑に扱って……! もったいないなぁ、もうっ」

「なあ美山。胡桃坂って結構お母さんキャラだったりするのか?」

「実はね。見た目とか髪型からは想像つかないだろうけど、あれで結構お母さんなんだ」

「なんの話してるわけ? まだまだ私も高校生なんだけど」


 そんなこと言われてもな……と、僕と鳥山は高校の制服を着た赤ちゃん二人のお世話をする小陽をしばらく眺めていた。


 もはや日課にもなった、撮影終わりのファミレス会議。

 メンバーもいつも通り、僕と小陽、國上さん、鳥山、そして星乃の五人。

 國上さんと鳥山は一学期の間はほとんど絡みがなかったし、星乃に至っては犬猿の仲なはずなんだけど……映画の撮影や編集といった作業の連絡を密に繰り返すうちに、いつのまにか話す議題がなくともこうして集まるようになってしまった。


 自分でもどうしてここまで熱心にやっているのかはわからないが……まあ夏休みの間だけの辛抱と考えて、深く考えないでおこう。


「ご飯食べましょうご飯! ザーピー! ゲッティ! エリパヤ! お腹減りました!」

「あ、じゃあわたしジュース取って来る。……みんなの分も、取ってこようか?」

「それなら俺も行こうか?」


 殊勝にもそんなことを口にする星乃に、女子に優しい鳥山が提案する。が、星乃は首を横に振った。


「お盆あるから一人で大丈夫」

「そか。なら俺はコーラで」「わたしも同じく!」「あっちゃん、私はメロンソーダお願いっ」

「ん」


 僕以外からオーダーを聞いた星乃は、特に僕に視線を送ることもなくさっさとドリンクバーコーナーへ歩いて行ってしまった。


「ははっ。徹底してるな」

「もう……幼なじみ同士仲良くして欲しいんだけどなー」

「嫌われ過ぎて逆に同情しますね」

「それは逆じゃないね」


 まあいいか。


「秋ちゃん、取ってこようか? カルピスだったよね」

「大丈夫。後で取りに行くよ。ていうかよく覚えてるね」

「秋ちゃんが好きなものを私が知らないわけないでしょ。たしか氷は三個だったよね?」

「本当によく覚えてるね……ちょっと怖いよ……」


 なんて話していると、ドリンクをお盆に乗せた星乃が帰ってきた。

 オーダー通り鳥山と國上さんにコーラを、小陽にメロンジュースを渡し、自分の席にぶどうジュースを置く。

 そして最後に、僕を見つめて――


「ん。これ」

「え……」


 カルピスが並々に注がれたコップを差し出した。


「えっと……」

「ちょっと。何してんの? 腕疲れるからさっさと受け取ってよ」

「え。あ……うん。ありがとう」

「別に」


 まさか僕の分も持ってきてくれるとは思っていなかったから、ビックリして変な反応になってしまった。

 よく見ると、氷は三個入っていた。


「…………、」


 驚いているのは僕だけじゃない。意外な行動に、小陽も言葉を紡げずにいた。

 対して、星乃の僕に対する当たりの強さをそこまで知らない鳥山と國上さんは、からかうように笑って僕をいじった。


「完全に被害妄想だったな」

「さいてー。女の敵ー」

「はいはい。僕が悪かったです」


 話しながら星乃の横顔を盗み見るも、こっちに反応する様子はない。

 何を考えているのかわからずモヤモヤしていると。料理が次々と運ばれてきて、思考はそこで強制的に止められた。


 小食の僕と小陽はパエリアのみ、鳥山は明太子パスタにスープ、國上さんと星乃はパスタにピザ、スープにデザートまで頼んでいた。二人ともあの小さい体のどこにそれだけ入るんだ。


「あ、そだそだ! これ見てくださいよこはるん!」

「ん?」

「これ、わたしが最近ハマってる漫画なんですけど、めちゃくちゃ面白いんですよ!」

「へ、へー……」


 話を振られた小陽が、うかがうようにこちらを見る。が、僕は平静を保って目をそらす。


「わたし漫画読むのすっごい好きで、いろんなもの読んでるんですよ。もしかしたら秋也くんの漫画も知ってるかもです」

「いや知らないでしょ」

「まあまあ、言ってみてくださいよ!」

「いいよ別に。それより國上さんが好きな漫画って?」

「む。まあ……あれです。ほら、最近アニメ化が決まった作品で……『シャドウバウク』っていうんです。去年の四月とかに連載が始まった作品です。雑誌は月刊ダイヤだったかな?」

「――――っ」


 知ってる作品だった。というのも、月刊少年ダイヤは僕がプロとして漫画を連載させてもらった漫画雑誌だし、聞いた作品名は僕と同時期に連載を始めた作品だからだ。

 限界を知って筆を折った僕とは違い、着実に人気と売り上げを伸ばしてアニメ化まで行ったライバル――なんていうのもおこがましい、元同期の作品だ。


「これがすっごい面白くてですねっ! ちょっと話したいんですけどいいですか?」

「へえ。聞かせてくれよ。俺も漫画とかたまに読むし、おすすめがあったら教えてくれ」

「えーっと、まあ……うん」


 小陽が気まずそうにしているが、変に話を止めれば空気が悪くなる。

 結局、興味を持った鳥山と國上さんを中心に話が盛り上がる。

 気を良くした國上さんは、自分の好きな作品を次々と語っていき、鳥山におすすめの作品を薦める。


 当たり前だけど、僕の作品の名前は出なかった。

 ……別に最初から期待していないし、自分の作品が面白くないことなんてわかりきっていたから別にいい。気にしていない。

 ただ、その話の輪の中に入る気は全く出なかった。


「それでですね! その作品で一番泣けるポイントが――」

「僕だって……」


 連載が続いていれば、もっといいシーンや泣けるシーンは描けたはずだ。

 ――って、なに言ってるんだか。

 もうどうでもいいはずなのに。未練なんてないはずなのに。

 國上さんが楽しそうに、マイナー漫画の感想を語れば語るほどに、僕の胸にはぐじゅぐじゅとした息苦しさが広がっていく。


「…………ッ」

「――――」


 それを。そんな僕を、苛立ったような目で見る女子が、この場には一人だけいた。

 みんなが國上さんの話に夢中になる中――星乃だけは、話に入らず厳しい目で僕を睨む。


 それから十分以上、國上さんの漫画語りは続いた。

 その間僕はずっと苦い敗北感で死にたかったし、星乃はずっと僕を睨み続けていた。



     ♢ ♢ ♢



「それで、明日の撮影についてだけど」


 しばらくして國上さんの話が終わると、鳥山が本題を切り出した。


「一応、監督兼脚本家の考えというか、どういうシーンでどう演じてほしいかの意見をもらいたいんだけど」

「えっと……」


 別にそこまで深い考えがあるわけじゃないから、本格的な指示とかは期待しないでほしいんだけどな。


「明日は凄くざっくり言うと、みみが優のことを意識しだすシーンだね。優が洋介に『少しはみみに優しくしてやれ』って詰め寄るんだけど、そこで洋介から『みみのことが好きなくせにそんな偽善みたいなことするなよ』って言い返されて、それを偶然みみが聞いてしまい、少しずつ意識し始めてしまう……みたいな話だね」

「みみだけにね」

「……ごめん國上さん。話がややこしくなるから、少しだけ静かにしててほしい」


 茶々を入れさせれば彼女の右に出るものはいない。


「僕は演技のことはよくわからないけど、小陽と鳥山はいつもの延長線上で怒ったり言い返したりでいいんじゃないかな。星乃は――」


 いつも通り、適当な回答で済ませて会話を避けることもできた。いつもならそうしてた。

 だけど、空になったグラスが目に入ったと思ったら、気付けば言葉を変えていた。


「星乃は少しだけ、帰ってからでもいいから、みみの気持ちを考えてみるといいかも」

「――――」


 星乃はほんの一瞬だけ目を見開くと、不機嫌そうにそっぽを向いて、


「そう。わかった」


 感情の読めない声で、それだけ口にして会話は途切れた。

 だけど、不思議と嫌な気分ではなかった。


「これは……明日もいい画が撮れるかもしれないですなー」

「だな」

「撮影とか編集やってても思いますけど、ほんとに良いものできてますよ! 良かったら一度通しで見てみます?」

「おっ、いいね。見たい見たい」

「私もっ。雲ちゃん見せて」


 鳥山と小陽が興味津々で國上さんのタブレットを覗くかたわら、僕と星乃はそっぽを向いていた。


「あれ? どうしたましたお二人? 見ないんですか?」

「わたしはいつも通り」

「僕もいいかな。ちゃんとできてるなら、別にわざわざ見たいとも思わない」

「マネしないで」

「してない」

「あらま。なんだかいつものお二人に戻ってしまいましたね」


 そんなこと言われてもな。


「ほしのんはまだしも、秋也くんもほんとに見ないんですか? 監督なのに」

「うん。もう少しできてから見るよ」


 嘘だ。本当は見る気なんてない。

 1シーンごとの確認なら別にいいんだけど、シーンを繋げたものを見るとなるとそれなりに勇気がいる。

 これまで撮ったシーンはどれも不自然なものではなかった。けれど、それらを繋げて一つの流れにしたときに不自然じゃないか、面白いかどうかは別問題だったりする。


 國上さんはいいものが作れているとは言っているけれど、それだって素人の制作者目線での感想でしかない。フラットな視点で見れば、僕なんかが監督を務めている映画の面白さなんてたかが知れてる。どうせ毒にも薬にもならない、平凡でありきたりで、個性なんて欠片もない――ならまだマシな、見るも当てられない駄作に決まってる。


 それに画面に出てくるのはほとんどが星乃だし。


「まあいいんじゃないか? 俺たちで確認しよう。それに、國上の言う通り実際にいいものができてるわけだし、わざわざ無理に見せる必要もないだろ」


 どうだか。


「うん。うん――いいんじゃないかな。このまま明日からも頑張ろうよっ!」


 星乃がどう思ってるのかは不明だが、僕の心情とは裏腹に三人の感触はいいようだ。


「ではこれ、近いうちにクラスメイト全員に送りますね! そしたらみんなのやる気も上がるでしょうし、参加していない人も手伝いたいって言ってくれるかもしれませんし」

「それはいいなっ。人手はどれだけあっても困らない。よろしく頼む」

「あいあいさー!」


 結局この日は、以降は適当な雑談を交わしてからの解散となった。

 小陽、國上さん、鳥山の三人の反応が良かっただけに、もしかしたら本当にいいものができているのかもしれないと……そんな風に、少しだけ思った。





 窓越しでも強烈な夏の日差しを背中に浴びながら、僕たち制作組は廊下の一角で撮影の準備をしていた。

 昨日の夜に國上さんがクラス全員に進捗状況を共有してくれたからか、今日はいつもより人が多く準備が楽だった。


「凄かったよ美山くんっ。映画ほんとにできてるんだね!」「俺らも力になりたいし、手伝えることあれば言ってくれよな!」「ねえねえ、今からできることない?」


 凄いな……本当にできてるんだ。

 まあ順調ならそれに越したことはない。この調子で行けば僕も星乃もクラスメイトたちから白い目で見られることもないだろうし、今のまま乗り切ってしまおう。


「さてと……やるかー」


 ぐっ、ぐっ、と腕をクロスして肩をほぐしながら現れた鳥山は、いつもの練習着姿ではなく制服だった。まだ着替えていないわけではなく、これが今日の衣装だ。

 洋介と優がぶつかるのは練習前だから、今日はこれでいい。

 ということは、だ。

 それは優も同じということで、つまりどういうことかと言うと――


「やっほー。どう秋ちゃん? 似合う?」


 廊下の角の向こうから、スラックスにカッターシャツを纏った、金髪ショートボブの美少年が姿を現した。

 西洋人特有のすらりと整った目鼻立ちは、男装姿も相まって男性的な凛々しさを表現しているが、嬉しそうに僕へ向けられたその微笑みは心を奪われるほど女性的だ。


「あれ? 誰かわかる? 小陽だよー。ほら、秋ちゃん! 感想感想っ」

「え、ああ……すごく、良いと思う……」

「そう? あははっ。嬉しいっ」


 幼なじみということもあり小陽の美貌には慣れていると思っていたが、これはさすがに威力が高すぎる。勝てない。僕以外の男子もその美貌に目を釘付けにされている。だがそれ以上に反応が凄かったのは女子だった。


 唐突に現れた現実離れした美貌の美少年に、クラスメイトの女子たちは色めき立ち、黄色い声がそこかしこで上がる。


「ふふっ。人気者になっちゃった。――ばきゅん」

「「「きゃ――――っ!」」」」

「なにやってるの……?」

「あははっ。つい楽しくなっちゃって」


 わざわざ声を低くして女子たちに拳銃を撃つジェスチャーをした小陽が、ぺろっと舌を出しておどけてみせた。その仕草すら様になっている。


「でもこれ、さすがにまずいかもね」

「え。なんで?」

「いや、なんていうか。その……」


 ちらりと横目で鳥山をうかがうと、彼も気まずそうに頭をかいて、


「まあ言わんとしてることはわかる。これはもう、俺よりオーラがあるな」

「そういうこと、だね……」


 もともと、洋介はクラスの人気者でサッカー部のエースという『何でも持ってるイケメン』タイプとして描いている。対して優は、サッカー部だけどレギュラーに選ばれないし、クラスでの立ち位置も洋介のような中心人物ではなく、どちらかと言うと彼のオマケ扱いだ。


 だがこれでは、確実にそのパワーバランスが崩壊する。


 身長こそ低いものの、こんなにすらりと足が長くて中性的な美貌を持った少年が目立たない男であってたまるか。


「まあ、今日もいつも通りウィッグを被ってもらうから多少は軽減されるだろうけど……」


 なんて話していると、この場から離れて準備をしていたらしい國上さんが戻ってきた。

 そして――


「ぎゃ――――ッ! とんでもないイケメンがいる!?」

「それ、小陽だよ」

「あ、そか……」


 どうやら國上さんですら、この光景はショッキングだったらしい。


「ここまでのイケメンになるとは……常々格好いい女性だなとは思ってましたが、その予想を簡単に超えてきた。っぱちげーわ。パシャパシャ。パシャ」


 最後どういうキャラ?


「たださ、國上さん。このままじゃさすがに格好良すぎる気がするんだよね」

「たしかに。まあウィッグを被るからまだマシでしょうし、身長も鳥山くんより低いので工夫次第で何とかなるとは思いますが……」

「メイク班に上手い具合に芋っぽくしてもらうしかないだろうな」


 鳥山が言葉を引き継ぐ。まあそれくらいしかやりようはないか。


「というか、ほしのんはまだなんですね。こはるんとは違っていつもと変わらない格好だし、メイクだっていつも通りでしょうからそう時間は……あ、いました!」


 どういうつもりなのかは知らないが、星乃はみんなの輪から外れ、離れた場所から僕たちを……というか、あれは小陽を眺めていた。


「どうしたんでしょう?」

「さあ?」

「まあいいか。おーい! ほしのん、こっちですよ~~~!」


 國上さんが手を振って星乃に呼びかけると、他のクラスメイトたちも一斉に振り返った。


「あ、星乃さんいたんだ! こっちこっちー!」「今日の主役だー」「頼むよ~? これからは星乃さんがどれだけ可愛くなるかで面白さが変わるらしいしっ」


 女子たちがわらわらと集まっていく。

 それを受けて、星乃はどこか複雑そうに顔を背けながら、こくこくと無言で首を縦に振っていた。


「今日のメイクちょっといつもと違うね。可愛くしてもらった?」

「いや、まあ……表情とか変えるの苦手だし、メイクでその……意識するシーンを綺麗に見せよう、みたいな感じって……」

「へーっ。確かにいいかも。でもこれから先メイクだけじゃ大変かもだし、星乃さんも気合い入れてよー? 元はいいんだし、絶対もっと良くなると思うから」

「…………、」

「あっちゃーん! 今日も可愛いよーっ!」

「ほら、小陽もああ言ってるしさ?」

「……………………っ」

「あ、照れてるよー! そういうのいいと思う。可愛いってすごくっ」


 いろんな女子たちが口々に星乃へ言葉を浴びせかけていく。


 目を背けてうつむく星乃の態度に、彼女たちは照れてるだの可愛いだのと言葉を重ねているけど……本当にそうか?

 僕には、いつもの不機嫌な態度とそう変わらないように思うんだけど。

 いや、それどころかいつも以上に……


 まあ、僕なんかよりみんなの方がよっぽど星乃のことを見ているだろうし、的外れか。


「まあまあ。ではとりあえず始めてしまいますかッ!」


 結局、國上さんの声掛けで撮影が始まった。

 視線を外す一瞬、星乃と目が合ったけれど……相変わらず不愛想で可愛くない。

 ただ、少しだけ寂しそうなのが気になった。



     ◇ ◇ ◇



「うーん…………」


 本日十回目のリテイクを終えても、國上さんを始めとしたクラスメイトたちは、全く納得のいっていない声を上げていた。


 当初の予定通り、小陽洋介鳥山が言い合っているところにみみ星乃が偶然通りかかり、優の本当の気持ちを知って彼を意識しだすというシーンを撮っていた。


 小陽と鳥山が言い合うシーンに問題はなく、そこは一発で撮り終えられる。けれど、問題は星乃が演じるシーンだ。

 優の気持ちを知ったみみは、そこで彼の献身の意味を知り、予期していなかった好意に動揺して彼のことを強く意識してしまう。

 そんな自分の精神状態に困惑し、どうしていいかわからなくなる。優の言葉が、姿が頭から離れなくなり、そんな自分に驚く――そんなシーンだ。


 難しいシーンだということはわかる。

 けれど、慣れていない初日でもここまで苦戦しなかったのに、急にどうしてという雰囲気がみんなの間に漂っていた。


「なんか、足りないですよね……」

「まあ……たしかに」


 クオリティよりも完成を意識していたこともあり、これまでほとんどリテイクはなかったんだけど……みんな肌感覚でこのシーンには力を入れたいと思っているようだった。


 実際その想いは間違っていないだろう。このシーンのインパクトはそれなりに重要だ。ここでみみの動揺がわかりづらかったり不自然だったりすると、これから優に惹かれ、自己嫌悪と止まらない恋心の狭間で揺れるみみに観客は共感できない可能性がある。


 だが、星乃はその感情の動きを演じきれていない。


 仕草やポーズでそれらしいことはできているけど、そこに感情が乗っていない。あるいは、共感できていないとでも言うべきか。

 上っ面だけをなぞったような演技で、薄っぺらい――言葉を選ばずに言うと、素人目に見てもそう思える。


 とはいえ、だ……


「だ、大丈夫? あっちゃん。さすがにしんどいんじゃないの?」

「……別に。やんないといけないことだし」

「あっちゃん……」


 何度も何度もリテイクを告げられ、クラスメイトたちから不安の視線を受け続けていれば、さすがに相当なストレスになっているはずだ。小陽が心配するのも無理はない。このままだと星乃の心が折れる可能性だってある。


 今だって椅子に座って休憩しているが、その表情には焦りみたいなものが見える。


「…………、」


 小陽から助けを求めるような視線が飛んでくる。

 どうにかしてこの状況を変えてほしいっていう目だ。あるいは、単純に星乃に対してアドバイスをしてほしいということなのかもしれない。


 けれど、僕が何を言ったところで彼女がそれに従ったり同意したりしてくれるだろうか?


 そんな風に思っていると、後ろから背中を押されて無理やり前に押し出された。

 何なんだ――不満をぶつけるように後ろを振り返ると、鳥山がため息をつきながら、


「監督だろ。自分でも納得いってないなら、どうやって演技すればいいかのアドバイスくらいしたらどうなんだよ」

「……別に。僕はこのままでもいいと、思ってるけど……無理させるのもどうかと思うし」


 クラスメイトたちからの視線を受けながらも、僕はそう言った。

 珍しく星乃を庇った発言だとは思う。


「だいたい、僕なんかのアドバイスがなんの役に立つんだか」

「…………、」


 そんな僕の様子を、星乃は感情の読めない目で見つめてきた。

 会話は聞こえているだろうに、珍しく突っかかってこない。何を考えているんだろう。


「ほら。見てるぞ。行ってこいよ。どっちにしろみんなまだ納得してないんだし、今は美山も協力するべきじゃないか?」

「秋也くん。この作品の脚本を書いたのも、キャラを生んだのもあなたです。きっとあなたにしか彼女にアドバイスすることはできないと思いますよ」

「それは――」

「あっちゃん、大丈夫? お水飲んで」

「うん。ありがと……ごめん、タオル取ってくれない?」

「はい。汗ふいたげようか?」

「ううん。そこまではいい」


 ふと、昨日のことを思い出した。

 ただドリンクを持ってきてくれただけ。たったそれだけのことなのに。


「……わかったよ。行ってくる」


 あの出来事を、ただの気まぐれや偶然で終わらせちゃダメな気がした。

 近付くと、星乃はバツが悪そうに目をそらしながらも聞く姿勢を取ってくれた。


「星乃」

「なに」

「僕なりにアドバイスしようと思うんだけど、聞く?」

「……。お願い」

「わかった。……僕なりにこのシーンを歌川みみの視点で語るなら、ここは『憧れ』から卒業して『恋』を知るポイントになってるんだ」

「……どういうこと?」


 視線に棘はあるものの、星乃はごく普通に、純粋に疑問を投げかけてくれた。

 その誠意に、僕もちゃんと応える。


「これまでみみが洋介に抱いていた感情は恋じゃなくて、憧れみたいなものなんだよね。年上のお兄さんがカッコいいから憧れて好きになるとか、自分が理想の中で描いてたストーリーの王子様に似てるとか、そういう感情。だからろくに会話とかしてなくて、遠くから見てるだけでも満足だなんて言えるんだ」

「…………、」


 言葉を紡ぐうちに、思考が外から中へ沈んでいく。

 海を潜るようにして、生み出したキャラの内面を探っていく。


「けど、すぐるは違う。みみにとって優は最初友達だった。自分の恋の応援をしてくれて、一緒に作戦を考えたり、下らない雑談で笑い合ったりする、ただの友達。言葉を交わし、同じ目的と時間を共有した、彼女にとっての初めての『人間』なんだ。そんな人間のことを、みみはこのとき初めて異性として意識する。彼女にとっての本当の初恋が、この瞬間から始まる。ここはそういうシーンなんだ。だから、たぶん――」


 そうして、掴む。

 星乃が――いいや、星乃に限らず、このシーンを演じるとすれば何を意識すべきか、何を心に浮かべると演じやすいかを。


「そうだ――星乃、好きな人とかいる?」

「――――は?」


 思考が内側に沈むにつれ下を向いていた視線を星乃へ戻すと、呆けたような顔で僕を見上げていた。

 最初不思議に思っていた僕も、すぐに自分の失言に気付いて補足した。


「ああいやっ、そういう意味じゃなくてっ。もし好きな人がいるなら、その人のことを好きになった瞬間のこととか、いなくても……そうだな。初恋の人を思い出して――」




 パンッ、と。

 乾いた音が、僕の言葉を遮った。




「……え?」


 何が起きたのかわからず困惑していると、左頬がじんじんと熱を帯び始めた。

 いつの間にか横を向いていた顔をもとに戻すと……


「ふー…………っ、――ッ! はッ……!」


 いつの間にか立ち上がっていた星乃が、右手を振り抜いた体勢のまま、僕を睨んでいた。


「あんたが、それを……わたしに…………ッッ!」


 それでようやく気付いた。ビンタされたらしい。

 でも、なんで……?


「ほし、の……?」

「話し、かけないで」

「いや、ちょ……」

「うるさいッ! もう二度と、わたしに話しかけないでッッ! あんたのことなんて、秋也のことなんて、大っ嫌いッ! ――死ねッッ!」

「え、ちょっと――あっちゃんっ!?」


 逃げようとする星乃の腕を、小陽がとっさに掴んだ。

 しかし、星乃はそれを乱暴に振りほどく。いつもの二人なら絶対に見ないような光景だ。


「離して! 小陽もほっといてよッ。もういい。やっぱりわたしには無理! 主役も降りる! 映画も文化祭もみんなで勝手にやって」

「えっ」

「おいおい。マジかよ……」


 後ろで國上さんと鳥山が驚いて二の句を告げずにいる。

 それも無視して、星乃は背を向けて走り出した。

 みんなからの不安や非難は痛いほど感じているだろうに、それでも止まらない。


「どうする?」「え。ヤバくない?」「てかなに? 急にキレたよね」「ちょっと怖かった……」


 これまで一緒に制作をしてきたクラスメイトたちの間に動揺と不安が広がっていく。


「みんな落ち着いて。星乃さんのことは俺らでどうにかするから、みんなは気にせず明日に備えてくれ。今日は解散な。あんまり変なこと吹聴したり、他のクラスに今日のこと言ったりすんなよ!」


 鳥山が気を利かせてくれて、なんとかこれ以上空気が悪くなることはなかった。

 ただ……


「秋ちゃん」

「ごめん。たぶん、僕のせいだと思う」

「ううん。あれは、たぶん……でも……」


 心当たりなんてないし、僕視点からすればアドバイスをしていたら急に頬を叩かれて納得がいかないっていう気持ちもある。

 でも、だけど。

 どうしても――




『あんたのことなんて、秋也のことなんて、大っ嫌いッ!』




 昔みたいに僕を呼んで、感情を叩きつけてきた震えた声が。

 今にも泣き出してしまいそうなほど、ぐちゃぐちゃに歪んだ星乃の辛そうな顔が。

 どうしても、忘れられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サマーエンド・リテイク 一幸人(ニノマエ ユキト) @yukito_best1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ