2度目の春

 まだ少し肌寒い季節感。冬も終わり、気温は十度を越えるようになってきた。もうすぐ、私の新たな春が幕を開けようとしている。


 今日は待ちに待った志望大学の合格発表日。大学共通テストと二次試験はなんの問題もなく自分のできるだけの力を出し切ったので、仮にここで落ちてしまっていても悔いはない。むしろ清々しいまである。


 全て終わった後の高校卒業までの数日間は、受験のことを忘れてしまうほど友達と今まで我慢していたことを盛大に遊び尽くした。


 美羽と幸太とも四月からは頻繁に遊べなくなってしまうので、これでもかというくらい一日中遊んだ。もちろん疲労は残ったが、それ以上に楽しさが優ってしまった。しんどい一年だったけれど、充実していた一年でもあった。


 卒業式も朝から美羽と幸太と最後の自転車登校をし、無事三人とも高校を卒業することができた。誰も泣かないのではと心配していたが、予想外なことに誰よりも幸太が泣いていたのには、驚いてしまった。


 私と美羽も泣きかけていたけれど、幸太の泣き顔を見ていたらいつの間にか笑いに変わってしまって、笑い涙しか出なかった。


 楽しかった三年間が幕を下ろした。思い出すのは三人で笑い合った日々。友達とお昼を共にした何気ない日常ばかり。文化祭や修学旅行もいい思い出だけれど、思い出してしまうのは些細なことだらけ。そんなに高校生活が名残惜しかったのだと卒業してから気付かされた。


 何気ない毎日が、一番の幸せだったのだと...


 それに、どうやらあの二人にも進展があったらしいが、それはもう少し後の話。


 未開封のカイロをポケットに忍ばせ、受験番号が並んだ紙を目の前に立ち尽くす。私の受験番号は『14106』


 14093


 14097


 14100


 14102


 そろそろ私の番号が見えてくるかもしれない。心臓がドキドキして収まらない。一度目を逸らして息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。それを3度繰り返す。


 よし、覚悟は決まった。再び、番号へと目を移す。


 14105


 14106


「あった・・・あった!合格した!やった!!」


 すぐさま携帯を取り出し、電話をかける。


「・・・どうだった?」


「合格したよ!お母さん!」


「本当!はぁ、よかった。本当によかった。おめでとう恋歌。気をつけて帰ってきなさい」


「うん、また後でね」


 母の声は少しこもっていた。たぶん、あれは泣いていたと思う。嬉しくてついつい色々な人に連絡をしてしまう。当然、親友二人には真っ先に。


 ただ、彼の姿だけが見当たらない。思い返せば、受験の時も彼の姿は見当たらなかった。医学部も隣に受験番号が並んでいるので、彼も見にきているかと思ったが、どうやら彼はネットで見ているのだろうか。


 彼の学力なら、合格は間違いないはずなので心配はいらない。一刻も早く彼にも報告したいと思うが、生憎私たちは連絡先を交換していない。


 直接出会うしか伝える方法がないのだ。大学の最寄りの地下鉄に乗り込み、彼がいつも降りるバス停へと高鳴る気持ちを抑えつつ、前へと進む。


 彼のバス停に到着したのは17時25分。あたりは春に近づき始めているためか、まだ光は差し込んでいる。


 今日は彼に出会えないかもしれないが、もし出会えなくても明日もここで待っていよう。いずれは出会えるかもしれないと願い、ひたすら待ち続ける。


 日が落ち始め辺りを闇が侵食し始める。静かだった住宅街からより音が消えてしまうような感覚。街灯の光が私の足元だけを煌々と照らし続ける。


 時刻を確認すると、19時5分。彼を待ってからもうすぐ2時間が経とうとしていた。そろそろ帰らないと家では家族が私のために夕飯を準備しているので、次来たバスに乗るために時刻を確認する。


 19時8分のバスが今の時間からだと一番早いらしい。今日会いたかったが、会えないのでは仕方がない。また、明日出直してくるとしよう。


「何しているんですか?」


 暗闇からぼんやりと浮き上がってくる整った顔。街灯の光に照らされてはっきりとしていく顔の輪郭は美しささえ感じてしまう。


「叶多くん・・・」


「恋歌さん、こんなところに一人でいたら危ないですよ?」


「あのね、私。合格したよ!四月から同じ大学だね!」


 彼の顔が驚きで一色に染まっている。よほど、私が合格したことが珍しくて驚いているのだろう。空いた口が塞がらないとはこのような表情のことを指しているのか。


「おめでとうございます。


「先輩・・・?」


 彼が今何を言っているのか、私には全く理解が追いつかない...


「どうやら、僕勘違いしていたみたいです。僕は今年がです」


「え、だって叶多くんいつも勉強してたから。てっきり今年受験生と思い込んでた・・・」


 夜の静けさが微かに聞こえてくるくらい、私たちの沈黙は呼吸の音さえ聞こえない。まるで、石像のようにその場に固まり続けて。


「そっか・・・先輩だったんですね。先越されちゃったな。前に生徒手帳拾った時は二年って書いてあったから同じかと思っていたんですけど、あれは去年のやつだったんですね」


 あの時落とした生徒手帳は二年生の頃のものだったのか。もし、しっかり確認していればこんなことにはならなかったかもしれない。


 今日告白しようと思っていたが、告白するのはまた来年まで持ち越すとしよう。その方が、きっと...うまくいくだろうから。


「じゃ、私は一足先に大学で待っているね。今日で私はこのバスに乗るのは本当におしまいだから、会うことはないと思う。だから、元気でね」


 暗い夜道を明るく照らす一筋の光が音を立てながら、私たちの元へとスピードを落としつつ向かってくる。


「あ、あの恋歌さん!れ、連絡先教えてもらえないですか」


 口元を三日月のように曲げ彼に見えないように微笑む。思い通り...と。


「んー、今は教えない。一年後に教えてあげるよ!」


 唇にそっと人差し指を当て、彼の瞳を見つめる。


 "まだ君には教えられないんだ。だって、その方が君は私を夢中で追いかけてきてくれるでしょ"


 バスのステップをゆっくりと上がっていく。何か言いたげな彼を一人薄暗いバス停に置き去りにして。ポケットに手を入れものを取り出す。


「これが私から叶多くんへのメッセージ。叶多くんなら解けると思うから、解けたらその返事一年後に教えてね。それじゃ」


 "プーッ"バスの扉が閉まり、タイヤが回り出していく。たった一枚のドアを隔てて、向き合う二人の男女。想いは交わり合っているのに、このドアを開けることだけはできずに、距離だけがどんどんと離れていく。


 徐々に見えなくなっていく彼の姿を見つめながら、これでよかったのだと改めて思い直し、新たな日常へとスタートを切る。


「叶多くんなら、あのメッセージわかってくれるよね」


 誰も乗っていないバスでぼそりとつぶやく独り言。


 彼に渡したのは未開封のカイロ。その裏側には一枚の紙を貼り付けておいた。その紙には私から彼への謎解き暗号が添えられている。


『128√e980』


 これは彼を私の"虜"にするための物語。












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移りゆく景色の中で、あなたに恋をした 秋風賢人 @kenken25

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