過去の香り

田山 凪

1

 親父が死んだ。

 死因は脳梗塞だ。

 確かに悲しいことだが、いつかこうなるのではないかと思っていた。なぜなら親父はヘビースモーカーで塩分大好き人間だったからだ。老いてもその生活を変えることはなく、少しは運動をしていたが大したものではない。そうなればいずれこうもなる。


 もろもろの事が終わり、親父の書斎の整理を任された。

 母さんはまだ悲しんでいる。死ぬ前は仲がものすごくよかったわけではないが、喧嘩するほど仲が良いを体現したような二人で、喧嘩の声も聞こえれば笑いあってる声もよく聞こえた。

 俺が生まれてからは子どものためにと母さんはがんばっていたが親父は自由奔放な雰囲気だった。それでも結婚するほど、生涯を共にしようと思えるほどの相手が亡くなったのだから、ショックなのは無理もない。


 親父は本が好きだった。知識と考えることが趣味みたいな人だ。まったく知らない学問の参考書を買い漁ることなんてよくあることだった。俺が高校を受験したりするときには、親父の趣味のおかげでわざわざ本を買わなくてもある程度揃っていた。

 

 机の上は書類と本でいっぱいで、キーボードの上にさえ本が乗っている。まるで、まだ生きているかのように生活感が溢れていた。でも、灰皿の中身は綺麗に片付けられている。別に火災などに対して敏感だったわけではない。ギリギリまで溜まると片付けるというだけ。


 灰皿の横にはタバコとマッチが置いてある。親父は吸わなくてもいつでも吸える状態じゃないと嫌だったから、家で吸う分と外で吸う分を別々でまとめ買いしていた。

 デスクの一番下の引き出しを開けてみると、タバコが入っているフィルムに外、中、と端的に書かれてある。

 外用はすでに残り三箱。室内用はまだ九箱残っている。家だと吸わないから余っているわけでない。むしろ家だと吸う本数が多くなるからサイクルが早いだけで、買ったばっかりなのだろう。


「これどうすんだ……」


 親父以外でタバコを常に吸う人間はいない。

 俺は付き合いでたまに吸う程度でそれも飲みの場くらい。

 こんなにあっても消費しきれないが、なぜか人にあげようとは思えなかった。それは母さんも同じ気持ちだろう。これが死の原因の一つであるのは確かだが、同時に親父を象徴するものでもある。

 カーテンはうっすらと黄色がかっている。タバコの影響だろう。カーテンはわずかに開いていて隙間から太陽の光が漏れている。死人の部屋というと言い方に棘があるが、やはり故人の部屋ということで暗いとなんだか気分が沈む。とりあえずカーテンを開けることにした。


「まぶし……」


 薄暗い部屋が一気に照らされ、ふわふわと埃が浮いているのがわかる。

 亡くなってから母さんも俺もこの部屋に入ってなかったからしかたない。


 本棚の本の多くは埃が積もっている。本を読むのは好きだったが読み返すことはあまりしないからだ。半ばコレクションとしてもっていた。親父は自分の物を売ったりするのが好きじゃない。

 でも、俺や母さんにはよくいろんな物をくれた。くれる時には理由があって、だいたいは親父が好きなものだからだ。例え俺や母さんが興味なくても、子どものように嬉しそうにしながら勧めてくる。きっと、自分がいいと思ったものだからこそあげたくなったのだろう。


「アルバムか……」


 これは手に取ったら心が苦しくなることはわかっていた。

 でも、自然と手が伸びて、俺は書斎の絨毯に座りアルバムをゆっくり開いた。

 そこには年代がバラバラな状態でいろんな写真が貼られてある。

 こういうとこも親父は雑だが、いまはこの状態がとても美しく見えた。

 だって、親父が死ぬまえに、こんな風に記憶を思い返していたんだろうと思えてしまうからだ。

 

「本当に、本当にバラバラで。どれも楽しそうだ……」


 どの写真も親父は笑顔で、俺も母さんも、友達や同僚も、近所の人も俺の友達も、みんな笑顔だ。最後のページをめくるとそこにはスマイルと書いてある。いろんな人の笑顔だけを集めたアルバムだ。

 

 あふれてきそうな涙をなんとか堪える。

 泣いたっていいさ。でも、ここで泣いたら整理が終わらない。だから、俺はまだ泣かない。


「なんだこれ?」


 腰ほどの高さのタンスの上に、クッキーが入っていたような缶がある。興味本位で開けると、その中には俺が子どものころに親父にあげたものがたくさん入っていた。

 へたくそな絵、謎の人形、河原で拾った綺麗な石、好きだったカードゲームのダブったレアカード。どれもこれも、親父にあげたものだ。

 そして、ワインのコルクが入っていた。


「なんでこんなもん」


 いや、思い出した。

 これは還暦祝いに俺がプレゼントしたワインのものだ。

 普段親父はワインを飲まない。でも、俺はワインをプレゼントした。お酒が好きなのを知っていたからだ。少しお洒落に気取ってみようと思い、それなりに高いワインを選んで贈ったんだ。

 これが、最後のプレゼントだった。


「せめて、誕生日まで待てよな。あとちょっとで、缶をいっぱいに出来たのにさ」


 隣には萎れかけている三本の花がある。よく見ると花瓶ではなく、俺がプレゼントしたワインのボトルだ。白いガーベラ。これの花言葉は希望。俺の名前と同じだ。赤いガーベラの意味は愛。母さんの名前だ。オレンジ色は冒険心。親父はどんなとこだって楽しそうにやっていた。


「なんでこういうとこだけ洒落てんだよ」


 部屋を雑に回っていき、俺は親父の椅子に座った。

 もう、クッション性も弱く背もたれは体重をかけると異音を発する。こいつもかなり年季が入っている。親父は収集癖もあったが、気に入ったものはとことん使い古すたちで、これはそのお気に入りの一つだ。それに机も、スタンドライトも。

 この中で比較的新しいのはパソコンくらいだ。

 この位置に置いてるからカーテンを閉めないで出ると、直射日光が当たってあぶないとよく母さんが言っていたが、親父はよくカーテンを閉め忘れる。

 でも、今日はカーテンが閉まっていた。

 なぜか、それが寂しく感じてしまう。

 なぜ、亡くなる前にカーテンを閉めたのだろう。


「親父、見させてもらうよ」


 俺は幽霊なんて信じていない。

 でも、自然とそんな言葉が漏れた。

 パソコンを起動させると、パスワード画面が映った。さすがに親父でもパスワードかけてるんだと、少し安心したがもうこのパスワードの意味はない。

 いくつか親父に関するワードや数字でパスワードを打ち込んでみたがやはり開かない。

 そんな時、ふとさっきのガーベラが目に入った。

 俺は自然とガーベラの並びを左から順に家族の名前に合わせて打ってみると、パスワードが解除された。パスワードが家族の名前なんてざるすぎるだろうと思いつつも、親父が家族のことを思っていたことが痛く伝わる。


「謎のファイルとかはないか」


 何か隠されたこととかないのだろうかと、まるで探偵気取りで開いてみるとが、これいったものはなくほとんど仕事関係のものばかり。

 しかし、デスクトップには「忘れたくないもの」というテキストファイルがあった。開いてみると、そこには俺の名前、母さんの名前、生年月日や好きな物、記念日や思い出の場所、友達などの名前がたくさん書かれてある。

 亡くなる前、親父は物忘れが少し多かった。人の顔がわからなくなるほどではないが、それでも母さんから聞いたところによると、車の鍵や財布、それにライターだったり、必要なものを忘れたり人の名前が出てこないことが多々あったらしい。

 律儀にタバコの銘柄さえも書いており、ここに記されているものは親父にとって大切なものばかり、いわば宝箱なんだろう。

 葬式の参列者が多かったのもうなずけるくらい、知らない名前も多い。


「だめだ、しんみりしちゃうな」


 少しずつ親父が亡くなったことを理解してしまう。

 亡くなってすぐや葬式の時だって、火葬の時だってあまり実感はわかなかった。ひょっこり現れるんじゃないかって思ってしまっていた。何か壮大なドッキリなんじゃないかって。

 でも、親父との思い出や、親父自身の思い出を見ていると、ようやくいなくなってしまったことを実感する。


 埃で鼻がむずむずしてきたから俺は窓を開けた。

 その瞬間、風が吹き込み部屋の中を駆け巡る。


「この匂い……」


 カーテンや絨毯、部屋のいたるところに染みついたタバコの匂いが、風で一斉に外へと抜けていく。


「あぁ……」

 

 さっきまで止まっていた親父の時間が、風と共に空へと飛んでいく。

 カーテンの揺れがおさまったころ、部屋の中に親父はいなかった。

 親父はまだここにいたんだ。

 ここに残っていた香りが、親父の最後の姿だった。

 

「……お別れだ、親父。――ありがとう」


 俺はもう一度座り、親父のように足を組んでタバコに火をつけた。

 そして、母さんが部屋に入ってきた。


「まるで、あの人みたいだよ」

「……そりゃあ、息子だからね」


 揺ら揺らと外へと抜けていく煙は天高く飛んでいく。 

 ようやく俺は、涙を流すことにした。

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