第30話 エピローグ:あなたのいない世界は

 あの日、鷹に導かれてティメオ様の姿を発見した時、同時にランドンさんとマヤの姿も見えて気持ちは急いた。


 マヤが射抜かれて倒れ、馬から飛び降りたと同時に、足を射抜かれて地面に倒れこんだランドンさんを見て、恐怖で頭がいっぱいになった。


 だから、初めて、頭で考えるよりも体の方が先に動いていた。


 矢が飛んでくる方に体を投げ出して。


 それがどんな事態を招くのかも考えられずに。


 私がランドンさんの無実を訴えると、ティメオ様は剣を抜いて彼の首筋にあてた。


 何故かその表情は怒りや憎悪といった感情とはかけ離れた、無垢な赤子を抱き上げる聖母のように見えたのに、告げた言葉は当然のものであり、残酷なものだった。


 改宗させられるということは、自分の根底を覆される。


 ともすれば、今までの自分を否定してしまわなければならない。


 ランドンさんにとっては、幼い頃からの、生まれた時からの当たり前を、自分を構成しているものを捨てなければならないのだから、簡単に決断できるものではない。


 私は愚かにも、一緒に死んでもいいとさえ思っていた。


 自分も一緒にこの剣で貫いてもらえたらと。


 そんなことになれば、どれだけの業をティメオ様に背負わせてしまっていたことか。

 

 窓の外に視線を戻すと、今、私の目に映る風景は懐かしいと感じるものだった。


 この辺りを訪れたことはなかったけど、15歳の一年を過ごした場所と同じような景色を見せている。


 教会を中心にいくつものしっかりとした造りの建物が並ぶ一方で、中心の外側にある住居は一軒一軒の間隔は広く、その間に畑や小川が見え、少し離れた場所には柵に囲われた放牧場が見える。


 のどかな場所と言えるかもしれない。


 私を乗せた馬車は、ゆっくりと通りを進んでいく。


 質素な馬車なので、時折りすれ違う人は特に気にも止めずに通り過ぎて行った。


 目的地に到着すると、ここまで送ってくれた馭者に御礼を言って、来た道を帰らせる。


 帰りは町で馬を借りて帰るつもりだったから、そのための着替えも持ってきている。


 真っ直ぐに立って、一度私が向かう先を見つめた。


 平屋の一軒家の前に人影が見える。


 そこに向かって歩みを進めると、彼は庭先で何かの作業をしていたようで、ふと顔を上げ、そこからは置物が置かれていると思わせるほどに動かなくなり、目と口を開いたまま私から視線を動かさなかった。


 冬が去って、心地よい気候となった今は薄手のワンピースにストールを重ねるとちょうどいい。


 そんな姿で彼の前に立った。


「花……花が……歩いてきたのかと思いました……」


「それだけ貴方の腕が素晴らしいってことね。私も、最初これを見た時は花束が送られてきたかと思ったの。とても素敵なものをありがとう」


「そうではなくて、いえ、それも嬉しいことですが、貴女が花そのもので、どうして、貴女がここに」


 ランドンさんはまだ驚きから回復していないようで、声が上擦っていた。


「貴方に会いに来たのに、ちっとも嬉しそうな顔はしてくれないのね。来ちゃいけなかったかしら」


「そんなことは、夢でも見てるのかと驚いただけで」


 オロオロとうろたえる姿は、ちゃんとランドンさんだと、笑いが漏れた。


「お嬢様、お怪我はありませんでしたか?あの後、貴女に確認できなかったので。貴女が弓矢の降る中に飛び込んできて、心臓が止まりかけました。俺は弓矢にではなく、心配に殺されるところでした」


「私は平気よ。大丈夫でなかったのは、貴方でしょ?怪我はもういいの?後遺症は?」


「大丈夫です。どこも、何も」


 一つの心配が無くなり安心すると、ランドンさんは居心地悪そうに、そわそわと辺りに視線を動かした。


「お嬢様、これ以上は周りから注目されてしまいます。もう、お帰りください。貴女に迷惑が」


「私、まだ来たばかりなのだけど。用事が済んでないわ。ランドンさんは、何か予定があった?それなら出直すわ」


「いえ、そうではなくて」


「私は貴方と話したいの。話したいことがあるの」


「貴女に迷惑をかけてしまいます。貴女は俺のことを知らないから」


「貴方も私のことを知らないわ。だから会いに来たの。私の名前はヴァレンティーナ・イリス・ドレッド。今は伯父様の養女になってるから、ドレッドではなくてシーモア。ヴァレンティーナは長いから、イリスって呼んでくれる?」


 今度はちゃんと名前を呼んでもらいたいと思っていた。


 それがまず最初に伝えたいことだ。


「俺なんかがお嬢様の名前を口にするのは」


「呼んでくれないのね」


「イリス様」


 それは不服だと睨みつけると、


「イリスさん」


 すぐに言い直してくれた。


 私の名前を口にしただけなのに、ランドンさんは気恥ずかしげに視線を彷徨わせている。


 何かもう少し気楽に話せないかと考えていたところで、建物の影から犬が飛び出してきて、驚いた様子のランドンさんが私の背中に手を回して抱き寄せ、そしてすぐに離していた。


「申し訳ありません。俺は犬が苦手で、つい必要以上に……」


「大丈夫。平気よ。何か他にも苦手なものはある?私、トカゲやヘビの図鑑を眺めるのが好きなの。苦手かしら」


「トカゲは俺も好きです。ヘビは……考えたことがなかったです」


「子供の頃は山でよく探し回ったわ。でも、毒があるのを素手で触りそうになってね。だから、しっかり勉強しようって思ったの」


「貴女が無事でよかった……」


「ランドンさんのことを知りたいの。貴方のことを教えてくれる?」


「俺のことと言っても……シャツを、ピッシリと畳みたくなる……とかでしょうか……」


「あら、頼もしい。私、自分のことは少し適当にしてしまうのよ」


「孤児院での貴女の仕事は完璧だったのに」


「だって、自分のことって、つい手を抜いてしまわない?」


「貴女には自分をもっと大切にしてほしいです」


 次は?と促す。


「布や糸を見始めると、他のことが目に入らなくなります」


「職人気質ね。工房街にはたくさんいたし、私の兄もそうなの。私は待つのも好きだけど、必要な時は迎えに行くとするわ」


「えっ、迎えにって、ちょっと待ってくださいお嬢様」


「イリス」


「イリスさん。貴女は、また俺と会うおつもりですか?」


「そうよ」


「俺は……この春で、18で、未熟で、平民で、とても貴女と同じ時間を何度も共有できる者ではありません」


「年上だとずっと思ってた。年下だったのね。私、貴方に結構我儘な態度ばかりだったけど、もう少し大人の女性の振る舞いをするべきだったわ」


「貴女の我儘は我儘ではありません。俺は貴女を年上と知りつつも可愛らしいと思っていたのは、失礼にあたるのでしょうか」


「許すわ。嫌じゃないもの」


 ランドンさんの緊張はほぐれているようだ。


 表情が柔らかくなった。


「生活の方はどう?色々と、貴方の周りは一変してしまったでしょうから」


「……肉が食べられなくなりました。魚は大丈夫なのに、どうしても受け付けなくて。大した違いは無いのに」 


 それは、祈りを捧げることができなくなったからだ。


「実は、元々は肉よりも魚が好きで。でも、王都にいた頃は魚は高価で。その分、この辺は比較的安く手に入るので困ることはありません」


「私、川で魚獲るの上手いのよ?この前試したけど、幼い頃の腕は落ちていなかったわ。ちゃんと捌けるし、処理も上手にできるわ。これも、神学の授業で習ったことなの。近いうちにご馳走するわ」


「貴女の手料理!?」


「嫌?」


 ランドンさんは、とてもとても戸惑っていた。


 私が彼に近付こうとしていることを、ようやく理解してきたようで。


 立ち尽くして、困り顔で、少しの間何かを考えていた。


「俺の両親は」


 それを喋り始めた時の声は震えていた。


「父親は、白鹿のつがいを殺めました。父が血抜きをした鹿の腹を捌いて内臓を取り出し、皮を剥いで、母が肉を切り分け、俺は鍋で煮込まれた鹿肉を食べていました。父は、貴重な革が手に入り、高く売れると喜んでいました。6歳の俺にとってはそれが当たり前の日常で、白鹿の存在意味を知らずに、これは言い訳で」


 吐き気を堪えるように口を押さえて。


「貴方は苦しんできたのね」  


 白鹿を食したのに、今は白鹿を崇めなければならない。


 きっと、もっと前から自分のことを責めていたのだろう。


「他国に土足で上がり込んだのは俺達です」


「突然家族を奪われた時は辛かったはずよ。訳もわからずに」


「それは……当然の報いだと理解しています」


「でも、哀しくて寂しかった」


「優しい人にたくさん出会えましたから。もう、両親の死は、自分の中で整理できています」


 慰めの言葉をかける代わりに、彼の手を握った。


 それは拒まれなかった。


「俺はこの先……自分の子供を授かるつもりはありません。これだけは、絶対に譲れないことです」


「子供の将来を考えてのことよね。もし、出自のせいで迫害を受けたり、好きな人と一緒になれなかったらと」


 私の手をキュッと一度握ったランドンさんは、直後にはその手を離して後ろに一歩下がった。


 距離を置くように。


 だから、二歩近寄って、至近距離で見上げて問いかけた。


「ランドンさん。私と一緒に歩んでいく未来を考えてくれる気はある?」


「何を言っているのですか。貴女は王妃となる人だ」


「婚約は解消したの」


「どうして……俺のせいですか?あの時」


「それは違うわ。ティメオ様は私をここに送り出してくれたの。後悔しないようにって」


「後悔しないようにって、それこそ、俺の今の話を聞いていましたか?俺と結婚する女性は罪人の妻となり、自分の子供をその手に抱けない」


「少なくとも、貴方は無罪となったのよ。貴方が自分の子供を授かりたくないと言うのなら尊重するわ。一緒に考えましょう」


「俺は、罪人です!」


「いいえ」

 

「それに、平民で」


「身分の壁を越えられない時もあるわ。でも、今壁を作っているのは貴方の方よ」


 また、彼は一歩後ろに下がった。


 でも、ランドンさんの中にたくさんの葛藤があるのは見てとれた。


 私は、彼の中でどれが一番大切な想いなのか知りたい。


「ランドンさん、往生際が悪いわ。貴方は私のことを好きなの?嫌いなの?自分の人生から排除してしまいたいの?どれよ」


 目の前の人は、とうとう地面に座り込んで頭を抱えた。


「勘弁してください。俺が貴女を嫌うはずないし、貴女はもう俺の心の中に入り込んでしまっています。隙間無く埋まっています。今さら排除なんかできるはずがない。俺が抜け殻になってしまう」


「何よ。それって、もう、ほとんど言っているようなものじゃない。どうしてそれをちゃんと言葉にしてくれないの」


 膝をついてランドンさんの背中に手を添えると、顔を隠していても耳が真っ赤になっているのが見えて、肩もわずかに震えていた。


 何かが限界のようだ。


 ふぅっと、息を吐いた。


「もう、いいわ。貴方はまだ18才になったばかりなのだし、急に押しかけてきた女に今すぐ結婚を迫られても困るわね。環境が変わったばかりで、生活に慣れるにも大変でしょうし。私には離婚歴もあるし、結婚準備期間が11年もあったわけでもないし」


「貴女が結婚していたとか、離婚したとかってことは関係ありません」


 抱え込んだ膝の間に顔を隠しているから、若干くぐもった声ではあったけど、そんな言葉は聞こえた。


「ようは、今すぐに心を決められなくても、今日から毎日私があなたを口説き続ければいいってことでしょ?経験はないけど、頑張ってみるわ」


「え、あ、それは」


 何をするつもりなのだと、パッと顔を上げたものだから、ヘーゼルの瞳がすぐ間近に見えた。


「明日はこの近くの学校で、面接を受けるの。教師を募集していたから。その帰りに、ランドンさんが働いているお店に寄ってもいい?」


「はい、それはもちろんです」


「お仕事が終わって、時間はある?」


「教会に寄って、他の移住者の方達と一緒に説話を聞かせてもらえることになっています」


「じゃあ、それに一緒に行くわ」


 立ち上がって、膝の汚れを軽く払った。


「少し疲れたから、休ませてもらえると嬉しいけど」


「いや、でも、俺の家の中は」


「ごちゃごちゃしてる?」


「そんなに散らかっていないと思いますが、女性を部屋に招いたことなどないので……」


 手を差し出すと、最初は遠慮がちに握ってランドンさんは立ち上がる。


 私と手を繋いだまま、どうぞと背後にあったドアを開けた。


 一歩中に入ると、綺麗に整頓された空間が見える。


 手紙の文字を思い出して、ランドンさんらしいと納得した、その直後に後ろから声をかけられた。


「イリスさん。貴女の我儘をたくさん聞くくらいしないと、少しも俺とは釣り合いがとれません。それでも全く足りないくらいで。俺には、あと、何が必要でしょうか」


「私をしっかりと貴方に縫い止めることかしら?」


「それなら得意です」


 ふっと笑う姿は、彼の方こそ可愛いと思う。


「少しでも考えてくれる気になってくれたのなら、嬉しいわ。具体的な話はゆっくりしていきましょう」


「はい。まずはお茶をお出しします。麦のお茶でも平気ですか?」


「大好き。公国では毎日飲んでたもの」


 パタンと扉が閉められて、椅子に座った私達は、それからまた、たくさんのことを話していた。










 私が公国に移り住んでから一年近くが経った頃、私が送った手紙に対する返事がセオから届いた。


 養子となってほしいと希望を伝えたからだ。


 それに対する返事は、


『俺が新婚家庭を邪魔するような野暮なことをするはずないじゃん。もう泣いてないから大丈夫だよ。今はお嬢様の兄上から教わって、堤防作りの勉強をさせてもらっているんだ。将来、俺がここの管理者になれるように。だから、俺の心配はしなくていいよ。もし他に可愛いチビがいたら、そっちを検討してやってくれな。


 追伸

 お嬢様の兄上は、お嬢様と全く性格が似てないな。どちらかというと、すげー兄ちゃんに似てる。こだわり方が』


 セオにフラれてしまったわけだけど、手紙の内容はとても希望にあふれるものだった。


 私が提案した堤防作りは、お兄様が面白いからと引き受けてくださった。


 そこでセオがたくさんのことを学んでいるのなら、嬉しい限り。


 お兄様とランドンさんが似ていると言われてみれば、確かに思うところはあった。


 今も目の前で、難しい顔でカーテンを見上げている。


「もう少し濃いめの糸の方がよかったでしょうか」


「私はランドンさんが作ったそれを気に入っているわ」


「それならいいのですが」


 ランドンさんは自分が縫い上げたものには並々ならぬこだわりを見せている。


「素敵なカーテンを眺め続けるのもいいけど、そろそろ出かける時間だから。ジャンナが待ってる」


「はい。お待たせしてすみません。行きましょうか」


 今日は近所に住んでいるジャンナの家に、二人で向かう予定だ。


 ランドンさんの誕生日を祝いたいと招待してくれたのだ。


 先に扉を開けてくれたランドンさんが、手を差し出してくれたから、繋いで一緒に外に出る。


 今日は良い天気で、帰りは遠回りしてゆっくり歩いて帰るのもいいなと思っていた。


 ランドンさんと一緒に。



  









─────────────────

これで完結となります。


最後まで読んでいただきありがとうございました。







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蔑ろにされた王妃と見限られた国王 奏千歌 @omoteneko999

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