第7話 約束
それから百日と百夜の後である。
かつてドラゴンが深手から復活を果たした時間が過ぎたが、しかし竜の再来襲はなかった。
都でも村でも、人々は歓喜に沸いた。きっとあのドラゴンは、北の地の果てにたどり着く前に、息絶えたのだろうと噂し合った。
しかし、都のあちこちで祝宴が行われる中、しかし王宮の王女は、沈んだ表情で遠く北の地に想いを馳せていた。
紅の騎士がまだ帰って来なかったからだ。
それからさらに、百日と百夜。
やはり紅の騎士は帰って来なかった。
しかしそれよりも王宮の者や民人たちは、ドラゴンがやってこなかったことを喜んだ。
そして、ドラゴンに備えて国境を守備していた兵たちにも、それぞれの駐屯地へ戻るように命が下された。
竜のために特別に組織された農民から集められた特別兵たちも、皆、兵役から解放され、元の住処に帰ることが出来た。
しかし、その命を下したのは、王女ではなかった。
ようやく病が癒え、まつりごとを成すことが出来るようになった、国王によるものであった。
一方王女は、このたびの措置をことのほか喜び、久しぶりに笑顔を見せるようになっていた。
そして翌日の王室主催の会議の際、大臣たちを目の前にして、王女は話した。
「ドラゴンに対する特別戦闘態勢も解かれたことですし、私は軍の指揮を元通り国王陛下にお戻しします。
しかし、これから心配なのは、長き戦いで
これから私は身分を隠して、国内各所へ視察に参りますので、留守の間、大臣の皆さま方は今まで通り、しっかりと国王陛下をお支えし、国がより平和に、豊かになるよう、よき働きをしてくださいませ」
会議室からは、誰からともなく拍手が起った。
王女をねぎらうためのものだ。
「王女様こそ、ずっと国王陛下に代わり、この国をドラゴンから守り抜かれたのです。視察がてら、国中を旅して、気分転換などなさるとよろしいではありませんか?」
「まったくです。我々が国を支え切れたのは、王女様あってのこと。平和になった国をしかとその眼でごらんになって、本当の意味で心やすらかな日々を送っていただきたいものです」
大臣や役人たちが賛成する中、しかし王女には秘密の決意があった。
王女が国内を視察するための荷物には、あの白銀の鎧と剣、それに矢の道具一式までが、秘かに詰められていたのだ。
久しぶりに一人になりたいので、見送りも不要、と厳しく申しつけた王女が向かったのは、もちろん北である。
出発から十日と十夜。
王女は北の地へ着いた。
身分を隠し、土地の者にたずねたところ、たしかにもう二百日以上前に、ここを真っ赤な甲冑を来た騎士が通って行ったという。
ただ、あまりに猛々しい覇気に覆われていたので、誰も声をかけることすら出来ず、また騎士の方も、無言でこの地を過ぎ去ったのだそうだ。
そこから先は、北の地のさらに奥地である。
険しい山岳地帯には、季節は春であるというのに、雪が残っているどころか、人が通れそうな場所に堅い根雪か、もしくは分厚い氷が張っていて、来る者すべてを阻んでいるようであった。
王女はしかし、先を急いだ。
紅の騎士は、約束をたがえるような者ではない。
きっと、予期せぬ何かがあったのだ。
いや、そもそも竜の巣のドラゴンを全て
王女はそれゆえ紅の騎士に、自らの命が危うくなったら、すぐに引いて帰る決断を下せるようにと、生きて帰ることを条件としたのだ。
だが、不慮の事故ということもある。
王女は猛吹雪の中、しかし心は愛する紅の騎士への想いで満たされながら、一歩一歩、確実に歩を進めた。
そしてついに、吹雪は止み、風の音しか聞こえない、草木の一本も生えぬ、荒涼とした台地へとたどり着いた。
ここがドラゴンの巣か。
王女は辺りを見回した。
確かに荒れはてたこの地は、聞くところによる竜の隠れ家の様子と合致するが、しかし肝心の竜が一匹もいない。
王女は剣を構え、油断なく周辺を探った。
すると、そこかしこに、すでに風に吹かれて骨となった竜の死体が、いくつも発見された。
そして竜の骨には、皆共通点があった。
首のところが、皆一様に鋭利な刃物で斬り落とされているのだ。
王女は膝をつき、涙を流した。
「やったのね……。彼女は、やりおおせたのね……」
ドラゴンたちを
王女はそう思った。
そして大声で紅の騎士を呼んだ。幾日もこの荒れ地にとどまり、彼女を探し続けた。
だが、見つけられたのは、ただの花一輪であった。
何も生きる者のないこの荒れ地に、アマリリスが赤い花を咲かせていたのだ。
王女はもちろん、アマリリスの精が紅の騎士としての力を得られるのは、このドラゴンの巣に住む竜たちをすべて
だが、この紅の色には見覚えがある。まるで紅の騎士の甲冑のような赤だ。
その色に愛しさを覚えた王女は、この荒れ地でも花を咲かせる健気なアマリリスのため、もっと良い場所を与えてあげようと思った。
王女はアマリリスの花の根をひとつも傷つけぬよう、素手で花の周りの土を掘り始めた。
しかし、元々は草木が咲くはずのない岩場のような土である。
固い土を掘り起こす王女の手指は、見る間にすり傷だらけになってしまったが、しかしだからといって、このような場所に咲く花を見捨てるような王女ではない。
流れる血を土とアマリリスの根に吸われながらも、なんとかアマリリスを傷つけることなく、荒れ地から救い出すことが出来た。
王女は白銀の兜を急ごしらえの鉢にして、アマリリスの花と土を入れると、水を与え小脇に抱えたまま、しかし引き続き紅の騎士を探した。
紅の騎士は、それでも見つからなかった。
けれど唯一の救いは、人間の遺体も見つかることがなかった、ということである。
すなわち、少なくとも紅の騎士はここで死んだわけではないということだ。
王女はアマリリスの花を手土産に、この地を去ることにした。
紅の騎士はどこかで必ず生きている。
王女の信念に揺るぎはなかった。
もしかすると紅の騎士は、かつてのように記憶を失っているのかもしれない。ならば各国にふれをだし、探してもらうよう頼むのもよいかもしれない。
こうして王女はアマリリスの花だけを供に、国へと帰って行ったのである。
王宮に戻った王女は、アマリリスを自分の部屋から出てすぐの中庭の、庭師に聞いた一番適した場所に手ずから植え替えた。
そして毎日その赤い花をめでながら、紅の騎士を探してくれるよう、各国に頼んだ返事が返ってくるのを待ち続けた。
また、百日と百夜が過ぎた。
アマリリスはもう花の時期を終え、よく手入れをされて土中で球根として、次の花の盛りを待っている。
ある夜、はち切れそうな愛しいひとへの想いに、また夜中に起きてしまった王女は、中庭に出て夜の空気を吸った。
すると、月光の下、見たことのあるような人影が立っていた。
王女はたずねた。
「あなたは誰?」
「私は、アマリリスの精です」
「どこから来たの?」
「それが……何も覚えていないのです。自分が誰かを愛するために生まれたということ以外は」
王女はその言葉にはっとした。
そして震えつつ右手を差し出した。
するとアマリリスの精は、少し小首をかしげて王女が差し出した手を取り握手をした。
王女は、歓喜に沸き立ちそうな気持を抑え、もう一度たずねた。
「それからどうするの? 私はあなたに、口づけをしてほしいのだけれども?」
するとアマリリスの精は、王女の右手をひっぱり、自らに近づけると、背伸びをして赤い唇を、王女の唇に重ねた。
王女は思わず、アマリリスの精を抱きしめ言った。
「とうとう会えた……。もう離さない、愛してるわ」
そして王女はアマリリスの精の前で片膝をつき、彼女の手を取ったまま言った。
「あなたは、誰かを愛するために生まれてきたのでしょう? その相手が、私ではダメ?」
するとアマリリスの精は、その花弁のように頬を赤く染めた。
「もちろん、構いませんことよ。
だって、あなたの唇は柔らかく甘い香りがして、そのうえ何か懐かしい感じがするのですもの。
ぜひもう一度、いや、なんどでも、その口づけというものをしたいと思っていたのです」
月の輝く夜、王宮の中庭で、王女とアマリリスの精は、何度も口づけを交わし、愛を確かめあった。
こうして紅の騎士は、本来のアマリリスの精の姿に戻り、王女の
二人の約束は、違えられることはなかったのだ。
紅の女騎士と白の王女 ーー二人の想いが結ばれたあとにーー 青木 赤緑 @haruhara_m
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