言葉は力


 苛烈な交渉の末、本日は同じベッドで寝ることになった。置いてあるベッドのサイズはダブルであり、二人で寝ること自体は特に問題ないらしい──もちろん、問題があるとすれば僕の気持ちの方であり、何をどう交渉したら、こんな全敗を喰らうんだと思うかもしれないのだが、そこはそれ。

 僕が論争で神騙に勝てるわけがなかった──というのが、唯一の真実である。いやね、最初の方は結構妥協点を探り合ってたんだけどね……。


 気付いたら着地点がここになっていた。おかしいな、魔法でも使われたのか?

 冷静に思い返せば、交渉中の記憶が朧気だった気がしないでもない。


 ……盛られたか、薬を!

 そこまでして自分の意見を貫きたいのかよ……! と奥歯を噛みしめ、拳をギュッと握る僕だった。


「いや、何だか悔しそうな顔してるけれど、結局怖くなってきちゃったきみが、自ら妥協点をすり寄せてきたんだと、わたしは記憶してるんだけどなー?」 

「おいおい、それじゃあまるで僕が、あんまり見ないくらいのビビりだって言ってるように聞こえるぜ?」

「うん、そう言ってるんだよっ!」


 満面の笑みで肯定する神騙だった。そういう気持ちの良い笑顔は、もっと別の場面で見せて欲しい限りである──と、まあ、経緯的にはそういう感じだった。

 120%くらいは僕自身の落ち度ではあるのだが、しかし、少し僕が攻勢に出る度に、怪談を語り出そうとする神騙がレギュレーション違反じゃないだろうか?


 下手に最初の内は耐えようとしたのがまずかったらしい。

 お陰で今の僕は、ホラー映画を一本見終えたばかりのようなコンディションだった。


 つまるところ、軽い物音にも過敏に反応してしまうような状態であるという訳である──風の吹く音が赤子の声に聞こえなくもないし、木々の擦れ合う音が足音に聞こえなくもない。

 端的に言って、かなりのバッドコンディションである。


 今夜ちゃんと眠れるか、今から不安なまであった。


「ふふっ、大丈夫だよ。もし眠れなかったら、いっぱい抱きしめて、いっぱいよしよししてあげるからね?」

「だから、何でそれが有効的な手段だと思ってるんだよ。むしろアレだから、色々緊張しちゃって寝れなくなっちゃうから」

「あは、ドキドキしちゃうんだ? 嬉しいなあ」

「まあ、そうだな。殺人鬼に迫られてる類のドキドキはするだろうな」

「う、嬉しくなーい……」


 そういう捻くれた解答は減点だよ? と少しだけ拗ねたように言う神騙だった。ここまで僕を追い詰めた人間の台詞とは到底思えないな。

 よしんば密着されたとしても、耳元で新たな怪談とか囁かれそうなもんである。


 もしそうなったとしたら、あまりの恐怖に愛華に電話してしまうかもしれない……。

 情けない兄を許してくれ、愛華……。


「あ、ていうか、そうだな。愛華に連絡しておくか」

「? 今日のこと言ってなかったの?」

「いや、まあ、言ってない訳じゃないんだけれど……」


 明日ちょっと出かけてくる……程度のことは伝えてあった。しかし、逆を言えばそれしか言ってないことに、今気付いたという訳である。

 道理で愛華からの通知が喧しくなってきた訳だ……と、今更ながら理解する僕だった。


「それほとんど言ってないことと同義だと思うんだけど……はぁ、全くきみは、本当にそういうところまで、変わらないなあ。邑楽くんのそういうところまで愛おしいって思ってくれる人なんて、わたしくらいなものだよ?」

「そうか。まあ、それさえあれば良いんじゃないか」

「……え!?」

「いやちょっと待ってうそうそ返答ミスった!!」


 あまりにも脊髄反射な返答過ぎて、すぐに取り繕おうと思ったのだけれども、口から出してしまった言葉というのは、基本的に取り返しがつかないものである。

 この場合も、例によって例の如くだったらしい──神騙が驚きに丸くした目を、期待に(恐らくだけれども)輝かせる。


「ねぇねぇ邑楽くん」

「嫌だ、断固拒否する」

「まだ何も言ってないんだけどな……!?」

「聞かなくても大体わかるから、嫌だって言ってるんだよ……」

「えへへ、それはそれで、以心伝心で恥ずかしいね」

「参ったな、ちょっと強すぎる」


 相も変わらず無敵の女だった。神騙に勝てる日は来るのだろうかと、悲観的に少しだけそう思う。

 先程の交渉もそうだけれども、僕が弱いのに相まって、神騙が理論的にも感情的にも強いのだから、どうしようもないと言えば、どうしようもない。


「もう一回言って? ね、わたしがいればそれで良いって」

「すげぇ……言った覚えのない台詞が捏造されてお出しされてきた……」

「ほとんど同義だから良いかなって」

「う~ん、良くはないと思うな。お兄さん的には」


 言葉というのは力を持っているものだ。だから口にすれば相手に届くし、届いた相手には跡が残る。

 良くも悪くも、そういう跡が沢山ついて、人というのは変わるものだと僕は思っているし、だからこそ、口に出してしまえば、その本人でさえ影響を受けると思う。


 まあ何だ。

 つまり何が言いたいのかと言えば、心からそう思っている訳ではないことを、言葉にするのはどうかと思う……ということである。


 ただ、まあ、そうだな。


「神騙だけいれば良いとは、流石に言えないけれど、神騙がいてくれて良かったとは思ってる。割と……まあ、ちゃんと心底から」

「──え、へへへ」

「いや何照れてんだよ、そっちが言わせたんだろ……」

「そ、そうだけど……! 改めてそういうことを言ってもらうと、やっぱり嬉しいというか、照れちゃうと言うか……ね?」

「ね? じゃないから、神騙の百倍恥ずかしいから」


 お陰でそれなりに広い居間の中央で、互いに照れ合ってる男女一組が爆誕してしまった。もうこれ意味不明だろ。

 何やってるんだ、と我ながら少し呆れてしまう。


「だけど、そうだね。うん、今はそれで良い──それが良いかな。えへへ、元気出てきちゃった。わたしたち、まるで付き合いたてのカップルみたいなじゃない?」

「おまっ……僕が思っても敢えて言わなかったことを!」

「あはは。だから、敢えて言ったんだよ? まあ、わたしたちはカップルじゃなくて、新婚さんなんだけどね」

「全然違うからね? ただの友人だからね?」

「それじゃあ新婚さんらしく、一緒にお夕飯作ろっか!」

「う~~~ん、なるほどな」


 どうやら聞く耳は持たないらしい──まあ、僕としても、ただの友人は少し違うかとは思う。

 既に、ただの──ではない。そう表現するべきでは、きっとない。


 それが分かっていながらも、一旦は棚に置いて、伸ばされた手を取った。

 見せてやるよ、僕の小学生レベルで止まってる料理の腕ってやつを……な!




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隣の席になった高嶺の花は、僕の前世の妻らしい。 渡路 @Nyaaan

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