第9話 囚われた魂

 急に私の視界が開けた。椿の指がゆっくりと風呂敷包みを解いているのが見える。


「あなたは私の椿なの。色褪いろあしおれることなく、一番美しい姿のまま逝くの」

 椿は私の頭を胸元にかき抱きながらうっとりしていた。


「私はそんな椿の花が一番好きなのよ」

 そう言って椿は首だけになった私に口付けた。


「ねぇ、熊吉。私が死んでも家の墓には入れないで頂戴。私の遺骨は彼と一緒に椿の下に埋めてほしいの」

 骸骨のように骨と皮だけになった手で私の頬をなぞりながら、椿は最後の言葉を振り絞った。


「頼んだわよ」


 そうだ、思い出した。その言葉の直後、真っ赤な血で布団を染めて彼女は息絶えたのだ。


 そして女主人の言いつけどおり、熊吉は荼毘に付した彼女の骨と私の頭部をこの木の根元に埋めたのだ!


 私は膝をついたまま椿の古木を見上げた。


 どこで道を誤ったのだろう? 神童とチヤホヤされ天狗になって勉学をおろそかにした報いか? はたまた色欲に溺れた罰か?


 仰ぎ見た椿の枝には、艶やかな濃緑の葉の影で巣を張る小さな蜘蛛がいた。


 椿の声が耳元で囁く。


「ねぇ、あなたはどう思う? 劇中の高級娼婦は本当に罪を犯したのかしら? 青年の父親に身分の違いを指摘され身を引いたのが彼女の罪? それとも青年に自分のことを諦めさせようと嘘をついたのが罪? そんなことが罪だなんて、なんだか中途半端だと思わない?」


「……やはり高級娼婦は、ずいぶん罪深いと言えるでしょう」

 当時は答えられなかった椿の問いに、私は明確な解を持って応えた。


「ならば私もあなたにお尋ねしたい! 死のきわに立つ恋人に再会した青年の心は、どうすれば救われるのか? 過去には戻れず、目の前の恋人は自分の思いを一方的になすりつけて一人で人生の舞台に幕を引く。しかし残された青年は舞台から降りることも赦されない! これは一体……なんの罰なのです?」


 風呂敷に包まれた頭部を見つけた私は全ての記憶を取り戻し、今置かれた自分の立場に愕然とする。

 肉体はすでに滅び、私はこの椿屋敷に囚われた哀れな魂と成り果てた!


 絶望に打ちひしがれ途方に暮れる私の頭上から、彼女の唇のように真っ赤な椿の花がボトリボトリと落ちてきた。

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椿屋敷 仁科佐和子 @sawako247

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