間違ったやり方
増田朋美
間違ったやり方
その日も冬らしく寒くてスープが恋しいなあと思われる日だった。なぜか、一人ぼっちでいると、よけいに寒いという気持ちが湧いてしまう気がする。でも、人というのは不思議なもので、寒いなあといいあえる人がいると、なんだか落ち着いてきて、暖かくなれる気がする。そういうことで、相談するという行為が発生するのだと思われるが、なかにはそれが、大事件の元凶になることもある。
その日、蘭がいつも通りに朝食を食べ終えて、さて、これから下絵でもかくかなんて考えていると、玄関のインターフォンがなった。思わず手帳を広げてみるが、今日は誰か予約が入っているわけでもない。飛び入りで、手直しでも頼みに来たのかな、と思って、蘭は玄関先に行って、
「はいどうぞ。」
というと、
「すみません。彫たつ先生のお宅はこちらでいらっしゃいましたよね?」
と、中年の女性の声がした。
「はい、彫たつは確かに僕ですけど、どちら様でしょうか?」
蘭がそう聞くと、
「あの、以前というか、かなり昔になりますが、岩倉という女性を覚えていらっしゃいませんか?正式には、岩倉涼子ですが。」
というので、蘭は一瞬めんくらったが数分たって思い出した。あの、自分に自信がなさそうな、弱々しい感じの女性だ。
「岩倉涼子さんには、確かに菊の花を彫りました。でも、いまいらっしゃるのは、御本人ではありませんよね?」
蘭がそういうと、
「はい、私は岩倉涼子の母親の聡美と申します。ちょっと涼子のことで、相談がありまして。誰にも相談できなかったんですが、彫師の先生であれば、涼子も信じてくれるかなと思ったんです。」
と、女性はそういった。そうなると、もしかしたら重大な問題が発生したのかもしれない。蘭はとりあえず、聡美さんに部屋に入ってもらうことにした。
「まあ、こちらにいらしてください。涼子さんは確か、洋服販売店のお嬢さんでしたね。僕が覚えているのは、彼女の背中に菊の花をほったことですが、確か、それをしたのは、3年くらい前だったような。」
「ええ、店は、涼子の姉の岩倉政子が継いでいます。主人は高齢のため、引退しました。私達は、子供ができたのは遅かったので。」
と、聡美さんはこたえた。
「そうですか。それで、涼子さんは店を手伝うかなにかしていらっしゃるのですか?」
蘭が聞くと聡美さんは、
「それが違うんです。」
と、小さくいった。
「確か、先生が彫って頂いたときは、涼子が自らこちらに来たと思いますが、あのときは酷い引きこもりでした。先生に彫って頂いたあとに、私達は、涼子を矯正施設に入れたのですが。」
聡美さんは涙をながした。
「それが、どうしても施設に馴染めなかったようで、ますます酷くなって、帰ってきました。はじめは自然になんとかなるかなと思ったんですけど、余計に引きこもるようになり、最近は私達や、政子とも全く喋らなくなってしまいまして。私達はどうしたら良いのか分からなくなってしまって。公的な相談機関に相談しても、矯正施設の評判は素晴らしいところですから、誰にも信じてもらえなくて。それで、どうにもならないから、今日は来たんですよ。」
「そうですか、、、。そういうところしか、居場所がなかったんでしょうか?もっと、開かれたところに行かせてあげられなかったんでしょうかね?その施設の名前はなんですか?」
蘭はそう聡美さんに聞いた。
「はい、それは言えませんが、でも、主宰の先生が、テレビに出たり、本を出したりして、すごく有名な方なんです。」
蘭は、聡美さんがそう答えたのを聞いて、なにか矛盾点があるなと思った。主宰の先生がそれほど有名な人であるなら、施設名を公表してもいいはずだ。
「なんで、それは言えないということになるんですかね?」
「ええ、主宰の先生が直接私に言ったんです。確かあまり施設名を公表してしまうと、ここには傷ついている生徒さんも居るから、施設名を公表したら、悪影響が出るかもしれないっていう理由だったと思います。」
聡美さんの話を聞いて蘭は思わず、
「それでは余計におかしくなりそうですね。」
と、思わずいった。
「僕も時には、こういう仕事をしていると、アウトローというふうに言われてしまうこともあるんですけど、でも、僕がその名を隠してしまうと、ほってほしいという女性たちが居場所を探せなくなりますから、あえて、名前は公表をすることにしています。もちろん、極道相手とか、そういうことを言われてしまうこともあるんですけど、それは、こっちが気にしなければいいだけの話ですから。それに、結構、こう見えて、需要はあるんですよ。例えば、誰かに殴られたあとを消してほしい、リストカットや自殺未遂のあとを消してほしい、そういう人は、たくさんいます。」
「そうですか。そう言えるってことはある意味すごいことなのかもしれないですね。そういう人を相手にできるんですもの。」
聡美さんは、蘭の話にそういった。
「ええ。ですから、施設名を公表することは、全然悪い事じゃないんですよ。そういう施設は、積極的に施設名を公表してもいいと思うんですけど。なぜ、誰にも言ってはいけないと言うのでしょうか?」
「そんな事、私に言われてもわかりません。とにかく、私達は、他に相談するところもなかったし、その施設を頼るしかなかったんです。だって、子供が引きこもるとなると、どうしても誰かに相談なんてできなくなるじゃないですか。できても、お医者さんとか、そういう人だけでしょう。だから、私達は、そうするしかなくて。」
「じゃあ、その矯正施設は誰が見つけてきたんですか?」
蘭は聡美さんに聞いた。
「政子が、インターネットで見て知りました。」
聡美さんは小さな声で答える。
「そうですか。インターネットのどのようなサイトでお知りになったんでしょうか。その主宰者のホームページかなにかですかね?」
「ええ、そのとおりです。ウェブサイトで、連絡先が掲載されていたそうで、それを政子が見つけてくれて、それで知りました。」
「はあ、でも、その名を公表してはいけないと。」
蘭は、聡美さんの話に付け加えた。
「ええ、そうなんです。だから、そういうことを言うからこそ、涼子を助けてくれると思ったんです。だからこそそうして涼子を預けたのに。なんで、こんな結果になってしまったのでしょう。」
聡美さんは、もうどうしようもないという口調で涙を流した。
「そんなに悲しまないでください。これでもう涼子さんは変わるきっかけをなくしたわけでもありません。今はお辛くても、必ず変われるきっかけと言うのは訪れます。だから、今は辛いかもしれないけど、じっと空が晴れてくれるのを待つ。それも大事なことですよ。」
蘭は、そう言って、彼女を励ました。その時聡美さんのスマートフォンがなる。
「もしもし。ああ、政子。そうなの?涼子が?」
聡美さんは、スマートフォンを持ったまま、しばらく何も言えなかった。
「どうしたんですか。」
蘭は彼女に聞いた。
「ええ、涼子が、また薬を大量に飲んだそうなんです。」
聡美さんは泣く泣くいう。
「わかりました、それなら僕も一緒に行かせてもらえませんか。ちょっと、涼子さんに話をさせていただきたいんです。」
蘭がそう言うと聡美さんは、わかりましたと言った。蘭は急いで出かける支度を始めた。聡美さんの車はワンボックスの軽自動車だったので、車椅子の蘭でも乗ることができたのが幸いであった。二人は、軽自動車に乗って、聡美さんの家へ行った。
聡美さんは、家に着くと急いで、
「涼子が、また薬を大量に飲んだって!」
と家の中に飛び込んだところ、30歳くらいの女性が、飛び込んできた。
「幸い、すぐに吐き出したから、大したことはなかったんだけど。」
この人が多分、お姉さんの政子さんだなと蘭は思った。
「お母さん。私相談があるんだけど。」
政子さんは言い始めた。
「これ以上、涼子ちゃんに振り回されてたら、だめになっちゃうわ。店の客も次々に減ってるし、売上が落ちたら、うちは生活して行かれない。もうこうなったら、私達だけで涼子ちゃんを見ることはできないわよ。他の施設を探すとか、そういうことをしましょうよ。それしか無いわよ。」
「そうねえ。」
聡美さんはまだ決断がつかない様子である。
「涼子さんに会わせていただくわけには行きませんか?」
と蘭が言うと、
「こちらです。」
と聡美さんは言ったが、
「いつまでたっても、涼子ちゃんのことばっかり。私達のことなんて、何もケアしてくれる人もいないのね。」
と政子さんは思わず言った。蘭は、どうやったら、この女性たちは救われるだろうと思った。でも、このまま同じところにずっといたら、彼女たちは助からないのではないかと思われることもまた垣間見ていた。
「確かにお辛いですよね。確かに他の施設を探すとか、そういうことしか方法は無いと思いますよ。今度こそ、悪質ではなくて、本当にあなた達の気持ちをわかってくれる専門家に出会えるといいですね。」
蘭がそう言うと、政子さんは意外な顔で蘭を見た。
「お母さんこの人は。」
「ああ、涼子が、お世話になっていた、刺青師の先生。」
政子さんは、蘭を少し意外そうな顔で見た。
「彫師の先生ですか。車椅子に乗っていらっしゃるから、わかりませんでした。涼子ちゃんがまさか、そういう人に、お願いしていることも知らなかった。」
知らなかったという言葉が、かなり印象に残った。
「知らなかったで済む問題ではありません。知らなかったじゃなくて、知ろうと努力しなければ。そうでなければ家族間の問題は解決しませんよ。」
蘭が思わずそう言うと、
「結局、彫師の先生も、おえらいさん達とおんなじこと言うんだ。涼子ちゃんがああなったのは、みんな私達が管理不行き届きだったとか、愛情がなかったとか、そういうことを言う。あたしたちは精一杯、やっただけなのに。私は、普通に勉強して、大学へ行って、普通にこの店を継いだ。できることなら、同級生みたいに、幸せになって、結婚したかった。それなのに涼子ちゃんの方は、どんどん悪化していって、それは皆私達のせいになる。どうして涼子ちゃんのことは、あれほどケアしてあげられるのに、私や母のことは、そういうふうに放置されっぱなしなのかしらね。誰も相談に乗ってくれないし、私の事を慰めてくれる人もいない。もう私たちは社会で一人ぼっち。なんで当たり前の幸せも何も得られないのかしらね。」
と、政子さんはつらそうに言った。
「大丈夫です。お姉さんは、涼子ちゃんと言って愛情の持てる言い方をしているから、その気持さえあれば、きっと助かります。だから、その言い方を忘れないで下さい。」
蘭は政子さんに言った。
「それでは、私のつらい気持ちは、誰も助けてくれないの?」
政子さんがそう言うと、
「そういうことなら、全身で助けてと叫んでください。でも人づてではだめですよ。自分でそういうのです。まずはじめに、あなたが、助けてほしいんだと思うこと。それから、涼子さんの事で、知らなかったというか、初めて聞かされる事実もたくさん出てくると思うけど、そこで悲しむのではなく、もうそうなっていたんだと開き直って下さい。それが、心の病気を乗り越える秘訣です。そして、もし本当に辛いことがあるんだったら、僕達のような刺青師も頼りにしてください。」
蘭は、そういうことを言った。確かに、刺青を彫りに来る女性たちの中には、本人に問題があるという人ばかりでも無い。彼女の親や兄弟などが重い障害を持っていて、自分は何もしてもらえなかったので、自分を守ってくれるように、観音様をほってと依頼をしてくる女性も居るのだった。そういう人は確かに、相談する人も誰もいない。だから、そういう人たちの話を蘭はたくさん聞いている。そして、そういう女性たちに、頑張って生きてほしいと願って、彼女たちの背中を預かっている。
「とにかく、涼子はどうしてるか、私見てくるわ。」
聡美さんは、急いで、涼子さんの部屋に言ってしまった。気丈にいう聡美さんを、政子さんが、睨みつけているのを蘭は見逃さなかった。
「大丈夫ですよ。きっとあなたも、あなたの人生を送ることができますよ。」
政子さんに蘭がそう言うと、政子さんははいも言わないですすり泣いた。
「わかりました。先生がそう言ってくださるんだったら、私も、もう少し生きてみます。」
「もし、世の中から捨てられたと思うんだったら、神様があなたを守ってくれると考えてもいいです。人間は誰かに守られていないと不安になってしまうこともありますから。そして、その守ってくれる存在にそばにいてほしいと思って、刺青というものがあるのかもしれません。」
これだけは蘭がお客さんに必ず言っている言葉だった。蘭のお客さんたちは、皆こういうものを求めている。だから体に塗り込めて、守られているという要求を満たしている。なんだか、涼子さんもケアが必要であるが、政子さんも同じ様にケアをしてあげる必要があるなと蘭は思った。それは、もう少し、公的な相談機関が機能してほしいところでもある。
「ありがとうございます。私、もうちょっと頑張ってみます。」
政子さんは涙を流して泣いていた。
「とにかく、辛くなったら、素直に辛いと言っていいんですね。辛いと言っていいんですね。」
その言葉を政子さんは涙をこぼして繰り返していた。蘭は、彼女の発言に合わせて、そうですよ、そうですよ、と返してあげた。
その日は、涼子さんをケアしてあげるのではなく、政子さんをケアするような感じになって、訪問はお開きになったが、蘭はとにかく涼子さんに自宅以外の居場所を提供してあげることが最善策だと考えた。その次の日、蘭は、一人で介護タクシーを呼び出し、焼肉屋ジンギスカアンと書かれている建物に向かった。店の正面玄関の前でおろしてもらった。そこから中に入ると、
「ああ蘭さん、一体どうしたんですか?うちに来るなんて、なにか用事があったんですか?」
と、よく太った店主のチャガタイこと曾我敬一さんが蘭を迎えた。
「ああ、あの、お兄さんはどちらに?」
蘭がそう言うと、
「はい、兄は今日市役所に出かけてます。なんでも富士の市長さんと会食だそうで。それより蘭さん。どうしたんですか。なにか悩んでいることでもあるんですか?兄は夕方にならないと帰ってこないと思うので、俺が伝言しておきますけどね。」
とチャガタイは明るく言った。
「ああ、ちょっと、お兄さんに聞いてみたかったんだけどね。この辺りで、引きこもりの若い人たちを矯正させるような施設はないだろうか?」
「確かに、そういう施設は星の数ほどありますが?」
チャガタイは蘭の話に答えた。
「ええと、そうなんですが、表向きでは有名な施設だけど、裏で虐待を加えているような、そういう疑惑のある施設はないでしょうか?お兄さんが、そういうことを知っているかもしれないと思いまして。ちょうど、僕のところに来ているお客さんで、そういう施設にはいったが、ひどい目にあったので、もっと大変な状態になってしまった女性が居るんです。その女性が通っていた施設がどこなのか調べたいんですよ。」
蘭がそういうと、
「兄が、直接口に出して言ったことはありませんが、以前警察の方がうちに来て、そういう施設のことを話していたことがあります。確か、東峯園とか言ったんじゃないかな。俺、あまり頭が良くないので、正確に記憶できているとは到底思えませんが。」
と、チャガタイは、首を捻っていった。
「そうですか。ありがとうございます。」
蘭はスマートフォンを出して、その施設のウェブサイトを調べてみた。確かに富士市内にある、大規模な矯正施設のようである。その主宰の名前を調べてみると、桂木明子という女性だった。
「蘭さん、まさかと思うけど、桂木さんに文句言うんですか?それはやめたほうがいいですよ。桂木明子さんといえば、今テレビや講演で引っ張りだこの女性ですよ。近々、新しい高校を作るとか、そういう噂もあるそうです。だから、蘭さんが対峙しても、意味ないんじゃないですかね?」
チャガタイは心配そうに言ったが、蘭は意思を曲げなかった。ウェブサイトにあった、アクセス方法を調べてみると、富士宮市の山奥の駅からタクシーでかなり時間がかかるところで、間違いなく密閉された空間であることがわかる。そうなってしまったら、たしかに洗脳されてしまう可能性もなくはない。
蘭は、その次の日。駅員に手伝ってもらいながら富士駅から身延線に乗り、その東峯園の最寄り駅である、沼久保駅へ行った。そして、そこからタクシーに乗って、東峯園に行ってみる。
蘭がタクシーを降りて、東峯園の敷地内にはいってみると、大きな建物があって、10代から、30代くらいの若い人が、なにか一生懸命勉強していた。その顔は、受験生より深刻な顔だった。蘭が、そのような顔をして勉強に励んでいる人たちを見ていると、
「入所希望の方ですか?」
と女性の声がした。蘭が思わず、
「いえ、こちらがどうなっているのか、見学させてもらいたいだけです。この施設に、岩倉涼子さんという女性が滞在していたことはありませんか?」
と聞くと、
「ええ、たしかにいました。でもそれがどうしたと言うんです。彼女が、この施設にいたことは確かですけど、彼女は、精神力がなくて、帰っていかれましたよ。そういう子供さんは、二度と立ち直れないでしょう。」
と、女性は答えるのである。
「でも、彼女を立ち直らせて上げることが、本来の業務だったのではありませんか?彼女だって好きで引きこもったわけでは無いはず。それなら、彼女を救ってやるべきだったんじゃありませんか?」
蘭がそう言うと、
「ええ、外部の方はいくらでもそういうことが言えます。でも、実際のところ、弱い人を救う方法は、何も前例が無いのが、現状です。だから、こうして厳しさに耐えさせるしか方法は無いですよ。それに、私どもの施設に来たことで、何人も立ち直った子は大勢いますからね。それを考えれば、私達は間違っていないのです。」
と、女性はそう答えたのだった。
「本当にそうでしょうか?」
と蘭は言った。
「でも、一人立ち直らせることができなかったのなら、その方法は、間違っているのでは無いかと思いますが?」
間違ったやり方 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます